スーパーヒロイン
フェニーちゃんの手を引っ張ってクラスへ走った。
ウルちゃんとマイちゃんもついて走って来て、恥ずかしそうにうつむこうとするフェニーちゃんの背中をばんばん叩いて応援する。
すれ違う子たちがみんな振り返った。
当たり前だ。
将来、台湾で銀幕を飾ることになる美少女フェニー・スーが、こんな田舎町の中学校の廊下を走っているのだから。
勢いよく教室のドアを開けると、あたしは大声で言った。
「みんなー! フェニーちゃんだよー!」
みんなが目をまん丸くしてこちらを見た。
つまらなさそうに頭の後ろで手を組んで、机に足を乗せて椅子を傾けていた郷田くんが、ひっくり返りそうになった。
背中を丸めて何かを書いていた本多くんが、びっくりした顔で、つくしのように伸びた。
森野紀伊瑚ちゃんは驚いて固まってから、口に手を当ててうっとりしたような目でこっちを見ていた。
谷くんは大きな口を開けたまま、電気ショックでも食らった猿みたいに動きを止めていた。
西園寺さんが「きゃー」と喜びの声を上げ、言った。
「ガフンさん! 前髪オープンしたのね!?」
「ガフン?」
「ガフンさん?」
「その人、ガフンちゃんなのー!?」
教室中が大騒ぎになった。
テレビや雑誌の中でしか見たことがないような美少女は、みんなに照れ臭そうに手を振ると、弱々しいけど嬉しそうな声で、言った。
「よろしくお願いします、社長さん」
黄色い悲鳴を上げながら女子たちが前に押し寄せて来た。
後ろから野次馬みたいに男子たちもじろじろ見て来る。
「顔が見えないなーとは思ってたよー」
「こんな美少女だったとは!」
「なんで隠してたの?」
「目が綺麗! 鳶色の瞳だ!」
「うわー、そのリンゴみたいなほっぺた、触ってみてもいい?」
いきなりの人気ぶりにフェニーちゃんは笑いながら頬を赤らめ、もじもじしている。
「はいはい皆さん、静粛に! 静粛に!」
ウルちゃんが校長先生の真似をして、言った。
「これから私の娘のことは『ガフン』ではなく『フェニー』と呼ぶように願います!」
一転してお父さんになった。
「『ガフン』は日本語読みの名前、『フェニー』は英語圏向けの彼女の本名。娘は『フェニー』のほうで呼ばれたがっています」
あたしの受け売りだ。
「確かにこの見た目で『ガフン』はないよね~」
女子が口々に反応する。
「『フェニー』のほうが似合う~」
「妖精みたい!」
男子たちはちょっとキモい笑顔でため息を吐きながら、遠巻きに眺めている。
気になって谷くんの席を見やると、まだそこで時の止まった猿みたいになっている。大きな口を開けたままだ。
「よし、この美少女拳士入れてアレやってみようぜ」と、ウルちゃん。
「大丈夫? 有紗ちゃん。頭」と、心配そうにマイちゃん。
「頭大丈夫?って聞き方ないっしょ」
あたしは苦笑してから、空手の構えをとった。
「やろう! フェニーちゃん!」
何をやるのか一瞬で理解してくれて、フェニーちゃんはアクション女優みたいに少し色っぽく笑った。
ウルちゃんとマイちゃんが2人がかりであたしの後ろを守る。
見物するみんなが机をどけ、後ろに下がる。
フェニーちゃんのスカートが超能力者みたいに、風もないのに揺れた。
「フウゥゥーーッ……!」
フェニーちゃんが猫が威嚇するような声を出しながら腰をかがめた。目を瞑る。
あたしはどんな攻撃が来ても防御できる体制で待ち構える。
みんなが固唾を呑んでその時を待つ。
谷くんだけ席に座って猿になっている。
フェニーちゃんが大きな目を勢いよく開いた。睫毛がばさりと音を立てるのが聞こえたような気がした。その目が赤く、炎のように染まったのをあたしは見た気がした。
来る!
「ハイヤーーーッ!!!」
腰の横で気を溜めていたフェニーちゃんの両掌が、あたしに向かって突き出される。
どぼぅ!!
確かに胸にあったかい気孔の拳が当たるのをあたしは感じ、後ろへ吹っ飛んだ。
演技じゃない。演技じゃないんだぞ、これ。本当にあたし、フェニーちゃんの迫力に押されて吹っ飛んだんだから。
マイちゃんの柔らかい胸を後頭部に強く感じた。破裂しませんように。
ウルちゃんの手がマイちゃんごとあたしを抱き留めた。
3人でスカートを押さえながら後ろにゆっくりと派手な動きで転び、フェニーちゃんが勝利のポーズを颯爽と決めると、大歓声と拍手が沸き起こった。
「フェニーちゃん、カッコいい! ゲームのCGキャラみたい!」
「カッコかわいい!」
「凄い迫力にかわいさ加わって無敵だ!」
そりゃあ既に演技の指導も受けててプロの女優さんと言ってもいいフェニーちゃんだったんだもん。みんなが魅了されるのは当たり前だった。
どんな顔してるのかな? と思って谷くんのほうを見ると、その口は悔しそうに閉まってて、悪魔みたいな目をしてこっちを睨んでた。
「今度の日曜が楽しみだね〜」と、マイちゃん。
「ギャラリーいると絶対動画のクォリティー上がるわ。よかったなー」と、ウルちゃん。
今日は4人揃っての下校だ。あたし達は玄関への廊下を歩きながら、笑い合った。
今度の日曜日、クラスのみんなが公園に集まって、あたし達の動画のギャラリーとして出演してくれることが決まったのだった。
画面が賑やかになるぞ。今度こそ50万回再生行けると思った。40万回でも充分凄いのはわかっているが、あたし達の野望に果てはないのだ。
「それにしてもフェニー、演技うまいよなー」と、ウルちゃん。
「本当、本当! 女優さんみたいでお母さん、感心しちゃったよ」と、お母さんことマイちゃん。
フェニーちゃんのご両親が口止めしていることもあり、彼女が台湾に帰って女優デビューすることは2人にはまだ言ってなかった。
なんとなく何を言われてるのかわかったのか、フェニーちゃんは鞄を持ったまま、しなしなと身をくねらせて、セリフみたいなものを艶っぽく言いながら、何かの演技をして見せてくれる。そこにたちまち仙女が現れた。
「あっ。これ、恋する乙女の演技じゃない?」と、マイちゃんが手を叩く。
「古風な感じの女の子が好きなやつの前でもじもじしてるんだな? すげー! わかっちゃうよ」ウルちゃんも手を叩いた。
「何言ってんのかセリフはちっともわかんないけど、映画のシーンをリアルで観てるみたい」
あたしもそう言って手を叩く。
フェニーちゃんは褒められて照れたのか、ちょっと猫背に戻りながら、にこにこ笑った。
下駄箱の扉をぱこっと開くと、フェニーちゃんの外履きの上に置いてあった紙きれが、ひらりと舞った。
「うおっ! 何だ、それ?」ウルちゃんが声を上げる。
「え? もしかしてラブレター? 顔見せ効果すごーい、ね!」マイちゃんが冷やかすように言った。
しかしそれはラブレターなんかじゃなかった。
太い赤のマジックペンで書かれた大きな文字を、4人揃って見て、笑顔を失った。
そこにはこう書かれていた。
『台湾猿 GO HOME!』




