鏡の中からお姫様
その日から谷くんがあたし達を呼ぶ時の呼び方が変わった。
「やあ、スージー・スー」
あたしとすれ違うたびにそう言って来る。
はっきり言って『変な名前のススイさん』のほうがまだよかった。なんか知らないけどひどく屈辱的だ。
フェニーちゃんの名前もわざと間違えて谷くんは呼ぶ。
「やあ、ペニー・スー」
知ってるぞ。子供だと思うなよ。その呼び方がひどく人をバカにしていることをあたしが知らないとでも思うか!
フェニーちゃんが顔を見せてくれるまで、やっぱり彼女のことはガフンちゃんと呼ぼうと決めた。
あたしがガフンちゃんと呼ぶ限り、谷くんが彼女をペニーなんとかとか呼んでも無視できる。
授業の合間に西園寺緑子さんがあたしに話しかけて来た。
「ねぇ、須々木さん。あなたって中国語喋れるんだっけ?」
あたしは笑顔で答えた。
「あっ。喋れないよ」
「でもガフンさんとよくお喋りしてるよね?」
「笑顔と笑顔で通じ合ってるだけだよ、ガフンちゃんとは」
ぴくり、と隣の席でガフンちゃんが何やら反応した。
「ところでこの人、なんであんな凄い美少女なのに顔、隠してんの?」
そう言われて思い出した。
あたし、西園寺さんの前でムカついたあまり、ガフンちゃんの顔をオープンして見せたことがあったんだっけ。
「恥ずかしいんだって」
あたしは答えた。
「ふぅん? 顔が綺麗すぎると、かえって人前に晒したくなくなるものなの?」
「それはガフンちゃんにしかわからないよ」
あたしがそう言うと、
「ぶす、ガフン!」
ガフンちゃんがまたあたしのほうをキッと睨むように見て、言い出した。
「だってガフンちゃんでしょ」
あたしは言い返した。
「顔をオープンしたらFennyって呼んであげるけど、その髪型してるうちはガフンちゃんって呼ぶもん、あたし!」
「ぶす! ぶす! ガフン!」
「どこがブスだよ……」
間に立たされた西園寺さんが呆れたように言う。
「あんな綺麗な顔したブスがいたら、あたしは人間じゃないってことになるよ」
クラス1の美少女を争う彼女があたしと同じことを言った。
「ガフンちゃんは前髪で顔隠してたら確かにブスだね~」
怒ってるつもりはなかったが、あたしはなぜか言い方がキツくなった。
「ガフンって名前、似合ってるよ~。ブスな名前~。あはははは」
「ヨウシャー」
ガフンちゃんが口元を笑わせて、反撃して来た。
「ニダミンツ、ヨウシャー、ヨウシャー」
「容赦してくれって言ってんの?」
西園寺さんがあたしに聞く。
わかった。カクさんから聞いていた。あたしの名前『有紗』は中国語読みだと『ヨウシャー』になるのだ。ガフンちゃんはあたしから『ガフン』と呼ばれるのが嫌で、反撃であたしの名前を中国語読みしはじめたのだ。
「ガフンちゃんが容赦してくれって言ってるよ~。何をだろうね~あははは。あー、咳が出ちゃうよ、ガフン! ガフン!」
あたしは平静を装って、言った。
ガフンちゃんはちょっとオーバーリアクションをしながら、あたしを嘲笑うように、言った。
「ヨウシャー、煮物、揚げ物、食らいおー。ダンス、ヨウシャー、はい妖魔、ヨウシャー」
「凄いね、違う国の言葉で会話って出来るんだね!」
西園寺さんがびっくりしながら、言った。
「仲いいと出来るもんなんだね~」
あたし達が喧嘩をしているとはとても思わなかったらしい。
昼休み、机をくっつけて給食をいただきながら、ウルちゃんとマイちゃんにあの話を言った。
「えー? アリサの旅館に泊まらしてくれんの? ただで? 行く、行くー!」
ウルちゃんは餃子を箸でつまみ上げながら、喜んでくれた。
「わぁ……、楽しそうだね」
マイちゃんは五目ごはんを口に入れながら、
「……でも、有紗ちゃんのお父さん、あたしちょっと苦手……」
眉をハの字にして笑った。
「ガフンちゃんがね、ガフンちゃんが轢かれそうになったあたしのこと助けてくれたでしょ? ガフンちゃんのこと、うちのお母ちゃんが恩人だって言ってくれてね、ガフンちゃんとお友達みんなで泊まりに来なさいって。ガフンちゃんも、もちろん。ね? ガフンちゃん」
「『ガフンちゃん』多っ!」
ウルちゃんがさすがに不思議がる。
「なんでそんなにガフンちゃんガフンちゃん言うの」
ガフンちゃんからまた反撃の『ヨウシャー』が来るかと思ったら、静かだった。
ガフンちゃんを見ると、うつむき気味に、給食の餃子と五目ごはんを呆然と見つめている。
やりすぎたかな……。
でもみんなに素顔を晒すって約束したのに、破るんだもん。これはガフンちゃんのためなんだもん。お節介と言われてもいいから、前髪オープンするまでフェニーちゃんって呼んであげないよ。
あたしがそう思っていると、ウルちゃんが言い出した。
「ねぇ、給食終わったらみんなでトイレ行こうよ」
ガフンちゃんの手を繋いで廊下へ出た。
なんかあたしに手を引っ張られながら後ろで「ハイパーダッシュ、ガオガオ、ローワー」みたいなことを喋ってるけど、無視した。
前髪オープンしてくれるまで冷たくしてやる。
トイレにはあたし達4人以外誰もいなかった。ちょうど4つある個室でそれぞれにショワショワ〜と音を立てると、4人で鏡の前に並んだ。
「おー。背比べだ」
ウルちゃんが言った。
マイちゃんが一番小さくて、あたしが結構離れてその次。
ウルちゃんが一番背が高い。さすが体育会系。と思ってたら、鏡の中でガフンちゃんの背がにょきっと伸びて、ウルちゃんを追い越した。
「あれ? ガフンがでかくなった」と、ウルちゃん。
「あ。猫背伸ばしたんじゃない?」と、マイちゃん。
その通りだった。今まで自信なさげに背中を丸めていたガフンちゃんが、背筋をシャキッと伸ばしたのだ。
あれ……。これって、もしかして……。
あたしがそう思っていると、ガフンちゃんは緊張するように口元を結び、真っ黒で分厚い前髪に手をやった。
「何?」
「どうしたの、ガフンちゃん?」
不思議がる2人の横で、あたしは急いでポケットからピンク色のヘアクリップを取り出す。
「ドゥーンっ!」と言いながら、ガフンちゃんが前髪を横に開いた。
2人が声を失った。
鏡の中に突如出現した異世界のお姫様に目が釘づけだ。
「よくやった、フェニーちゃん!」
あたしが横からすかさず手を伸ばして髪を留めると、鏡の中から現れたお姫様は、にっこりキラキラと笑った。




