ぶすガフン
ガフンちゃんはあたしにこれを食べさせたかったのだ。
あたしだって、自分の好きなものは、仲よくなった人には、食べてみてもらいたい。
お皿の上に盛られているのはただの煮崩れした白いお豆腐だ。見た目だけなら、そうだ。ただし匂いがうんこのようなだけだ。
「い……」
いただきますと言おうとして、別の言葉が口から出た。
「いきますっ!」
目を閉じた。怖いものを食べる時には、勢いよく行くに限る。
箸で持ち上げたその真っ白でドロドロのうんこみたいなものを、あたしは口の中にピストルの弾を放り込む勢いで、息を止めて、頬張った。
「お……」
飲み込むなり、自然に口から声が出た。
「おおおおお……っ!」
口の中にスパイシーな、今まで体験したことがないような、熱くて冷たいような美味しさが広がって行く。
「おいしい!!」
ガフンちゃんが喜んだ。
「オイシイ!? 善玉ー!?」
「おいしいよ、これ! 本当においしい!」
あたしが笑顔で言うと、まだそこにいて反応を窺っていたお母さんが、嬉しそうにオタマで鍋からおかわりをよそってくれた。
本当においしかったのだ。添えられてるキャベツとレタスの中間みたいな酸味のある野菜がまたよく合ってる。
正直若者の食べ物だとは思わなかったけど、でも女子中学生でも納豆が大好きすぎる子がいるみたいに、ガフンちゃんがこれを好きなのはなんかとても納得できた。
うーん。お茶もおいしい。
ガフンちゃんは自分のお皿からスヒュッ!みたいな勢いで臭豆腐をどんどん食べている。
お茶にまったりしていたあたしは『負けないぞ』みたいに目を笑わせると、息を荒くして二口目を口に入れた。
く……
くっさあぁぁぁいっ!!
今度はまるでうんこを口に入れたようだった。強烈なアンモニア臭とずっしりした重い辛味がまるで苦い虫を鼻の穴に突っ込んだように体の奥まで届くとそこで発生した煙が全部の穴から出るみたいに逆流して来て逃げ場もなくどうしようもなく、あたしは泣いた。
なんで!?
さっきは本当においしかったのに!
ガフンちゃんが自分の鼻をつまんでみせて来る。
鼻をつまみながら白いうんこを口にスヒュッ!と入れ、にぱっと笑った。
そうか。さっきはそういえば、息を止めて食べたらおいしかった。今回は息を荒くして食べたから、臭いのをまともに浴びてしまったのだ。
試しにまた、息を止めて、勇気を振り絞って食べてみた。
おいしいっ……!
臭豆腐は地獄のように臭くて、天国のようにおいしい!
あたしは息を止めたまま、食の冒険者になって、ジャングルの奥に新種の花を見つけたような気分になって、でもずっと息を止めてるわけにもいかないので、土下座をするように『ごちそうさま』を言うと、うんこの匂いを撒き散らす鍋をお母さんに片付けてもらった。
臭豆腐が片付けられると、ガフンちゃんが「ドゥーン!」という効果音を口で鳴らしながらポッキーを開けた。鳴り物入りで封を切られたわりに、普通に日本のポッキーだった。
本棚を眺めると、当たり前だけど、並んでるマンガはタイトルが全部中国語だ。あ、でも『鋼之錬金術師』はわかるかも。
あたしが眺めているのに気がついて、ガフンちゃんは何冊か抜き取ると、開いて見せてくれた。全部知ってた。全部日本のマンガだった。セリフは中国語だけど、バックの書き文字は日本語だ。珍しさに「わあ」と声を上げてあたしがページをめくると、ガフンちゃんは自慢するみたいな顔で隣に並んで来て、一緒になってマンガを眺めた。
「ダイスキ! ダイスキよー」と言ってかわいい男の子のキャラをばしばし指さす。
あたしも好きなキャラだったので、「あたしも、あたしもー!」と答えて、至近距離で顔を見合わせて、笑った。
ふと、机の上にあのノートが置いてあるのに気づいた。クラスのみんなが名前を書いた、あのノートだ。
ガフンちゃんがどうやってみんなの名前を覚えて挨拶したのか、気になって、あたしはジェスチャーで「見てもいい?」と聞いた。
「イエス、イエス、イエース」と言いながら、ガフンちゃんは自分からそれを開いて見せてくれる。
みんなが書いた名前の横に、ふりがなが振ってあった。
台湾の文字らしい。郷田くんの名前の横には『ㄍㄡㄉㄚㄊㄚㄌㄡㄉㄚ』と振ってある。
たまに漢字の横に漢字でふりがなが振ってあるところもあった。アルファベットも混じってる。あたしの名前の横には『絲絲key Alissa』と振ってあった。
勉強したんだなぁ。
えらいなぁ。
ガフンちゃんがあたしの顔を見ながら「スースーキー、ェアリッサ!」と言った。
あたしもお返しに、ガフンちゃんの顔を見ながら言った。「ジョ・ガフンちゃん!」
するとガフンちゃんはなぜか顔を曇らせて、言った。
「ぶす、ガフン」
前髪でほとんど隠れてるけど不満そうな表情なのがわかった。
唐突にいきなり自分のことをブスとか言い出した彼女にあたしはびっくりした。
「ブスじゃないよ、ガフンちゃんは。……何? 顔にコンプレックス持ってるからそんな髪型してたの?」
「ぶす! ぶす! ガフン!」
ガフンちゃんは言い張った。
意味がわからなくて、あたしは黙るしかなかった。
やっぱり、このままじゃダメだ。
ガフンちゃんに日本語をもっと教えてあげないと。
あたしはそこにあった鉛筆を手に取った。
ノートに書いてあるあたしの名前の、ガフンちゃんが奇妙なふりがなを振っているほうの反対側に、ひらがなで新たにふりがなを振る。
そしてまず『す』の文字を指さすと、言った。
「ガフンちゃん? この文字は『す』って読むの。はい、リピート」
ガフンちゃんは首を激しく横に振り、しつこく言った。
「ぶす! ぶす、ガフン!」
「それはいいの。はい、読んでみよう。『す』ー……。ガフンちゃん?」
ガフンちゃんは怒っているような、泣いているような声で、さらにまくし立てる。
「ぶすぶすぶすー! ガフンガフンガフン、ぶすー!」
「いい加減にしなよ!」
あたしもつられて怒り出してしまった。
「ガフンちゃんがブスだったらクラスで一番人気の森野紀伊瑚ちゃんはもっとブスってことになるんだよ!? あたしなんか人間じゃないってことになるじゃん!」
「●☓△■&§〒➰××ぶす! ガフン、ぶすー!」
「いいから! 日本語、覚えよう! 学校で勉強について行きたいでしょ!? はい! これ、読んで!? 『す』だよ! はい!」
「ウォチュニだ、カンカンオー! チャンチャンそー! なによー! なーよー! ざやん!」
大声での喧嘩になってしまった。
部屋のドアをノックして、お父さんが急いでドアを開けて顔を覗かせて、心配そうに声をかけて来た。
「大丈夫ですかー? 社長さーん!」




