臭豆腐のかほり
あたしとガフンちゃんは手を繋いで、小学生みたいに歩いて行った。2人とも照れたみたいな笑顔で、繋いだ手をぶんぶん振りながら、言葉が通じないぶんアクションで嬉しさを伝え合ってたのかもしれない。
彼女のアパートは実は既に知っていた。前に尾行したので。築年数の新しそうな、綺麗な白いアパートだ。でもあたしは初めて訪れるふりをして、『わあっ』と顔を輝かせてみせた。
「ざまぁな」
ガフンちゃんが首を傾げてそう言った。
『なんであれがあたしの住んでるアパートだよってまだ言ってないのにわかるん?』みたいな言い方だった。
「ご両親、家にいるの?」
あたしは日本語でそう聞いた。
パパかママ、どっちかは日本語が喋れるはずだ。だって日本に仕事に来てるんだもん。
あたしは期待した。
ガフンちゃんは覚えたてらしい日本語であたしの質問に答えてくれた。「マンガ、イパイ、アルヨ」
かわいく花で飾った玄関を入ると、ガフンちゃんのお母さんが出迎えてくれた。
「オー! イラッシャイマセ」
日本語だ! やった!
あたしはぺこりとお辞儀をすると、日本語で話しかけた。
「こんにちは、ススキアリサです。ガフンちゃんと仲良くさせてもらってます」
するとお母さんはにっこり笑って、言った。
「オー! コニチワ! コニチワ!」
だめだ、お母さんも日本語喋れないの確定。
でもさすがに非現実的美少女の母なだけあって、綺麗な人だった。おおきな目がガフンちゃんそっくりだ。体型が立派すぎるけど。
「チンチン、マンマン、ションベン」みたいな耳を疑うようなことを言って、奥の部屋へ通してくれる。
玄関を入ってすぐに気づいたけど、変な匂いがしてた。
胸の悪くなるような、うんこのような匂いだ。
まさか台湾人は部屋のど真ん中ででもうんこをするのだろうか?
綺麗に片づいたリビングルームに通されると、ガフンちゃんのお父さんがいた。あたしが入って来たのを見てソファーから立ち上がる。
平日の夕方に家にいるなんて、何の仕事をしてるんだろう。偉い人なんだろうか。
すらりと背が高くて、俳優さんみたいにかっこいい人だった。綺麗な鼻筋がガフンちゃんに似てる。唇はたらこだけど。
「こんにちは」
あたしは祈りながら挨拶をした。
日本語喋れる人でありますように。
「こんにちは」
お父さんはにっこり笑って、綺麗な日本語を喋った。
あたしは嬉しくなって、思わず声が大きくなってしまった。
「日本語喋れるんですね!?」
「ええ。喋れますよ。ちょっとだけですけど」
「ススキアリサです」
あたしはぺこりとお辞儀すると、いっぱい話しかけた。
「ガフンちゃんのクラスメートで、いつも仲良くしてもらってます。でも言葉が通じなくて、ちょっと困ってたんです。あの……、通訳お願いしても、いいですか?」
お父さんはまたにっこり笑うと、日本語を喋った。
「ちょっとだけです。ごめんなさい。社長さん。私の名前は徐○●です。よろしくお願いします。社長さん。私はあなたに従います。なんでも言うことを聞きますから、指示してください」
「あの……。通訳……、できませんか?」
「はい。社長さん。私の名前は徐○●です。よろしくお願いします」
だめだ。
この人、これしか言えないんだ。
ガフンちゃんがあたしの手を引っ張った。
対面型のシステムキッチンのカウンターを越えて、調理台のほうへあたしを連れて行く。
うんこのような匂いが強くなった。
ガフンちゃんが鍋の蓋をとると、ツーンと鼻をつく激臭がそこからあふれ出し、あたりに漂う。
これだ!
この鍋の中からうんこの匂いがする!
ガフンちゃんが鍋の中を指さし、言う。
「チョウドウフー」
お母さんが後からやって来て、ニコニコしながら、あたしに言った。
「チョウドウフー。ナットーより、オイシイヨ!」
あたしがこれから拷問を受ける人のように、涙目で首をぷるぷる横に振ると、2人は顔を見合わせて、ふっと優しく笑うと、鍋の蓋を閉じてくれた。どうやらあたしが嫌がっているのをわかってくれたようだ。
「ソレジャ、コレを。オイシイヨ!」
そう言いながらお母さんがポッキーを一箱、渡してくれる。
「アトで、台湾茶、オイシイヨ!」
どうやら後でお茶も持って来てくれるようだ。
ガフンちゃんに手を引っ張られ、あたしは彼女の部屋に案内された。
お父さんがそれを見送りながら、にこにこ笑いながら、言った。
「社長さん、よろしくお願いします」
ガフンちゃんの部屋はオタクの部屋だった。
壁一面の本棚にずらりとマンガ本が並び、日本語の書かれたアニメのおおきなポスターが天井に貼ってある。そのアニメのタイトルはあたしでも知っていた。何年か前に日本で流行った『家庭教師アサシンReboot』だ。かわいい赤ちゃんサイズのキャラが五人、並んでこちらを見下ろしてる。
しかしさっきの鍋の中の激臭を放つ物体は何だったのだろう。涙で目が曇ってはっきり見えなかったのだけれど……。
そう思っていると、ガフンちゃんがスマホで翻訳した文章を見せてくれた。
『臭豆腐は台湾人のソウルフードです』
臭豆腐……。そうか、そういえばチョウドウフーって言ってたな。
ソウルフードか。なるほど、そういえばお母さんが『納豆より美味しい』って言ってた。
あたしが「なるほどー」とうなずくと、ガフンちゃんはスマホを引っ込めた。その顔がなんだか残念そうで、寂しそうなのを見て、あたしは覚悟を決めた。
お母さんがドアをノックして、お茶を持って入って来てくれた。透明なガラスの湯呑みに緑色のお茶がいい香りの湯気を立てている。
「お母さん」
あたしは言った。
「あたしやっぱりさっきの、食べる」
「ア!?」とお母さんが言った。
これは怒っているのではない。台湾人は相手の言葉の意味がわからない時、こう言うのだとカクさんから聞いていた。
あたしはもう一度、はっきりとした口調で、お母さんに言った。
「あたし、食べてみる! ガフンちゃんの好きなもの、知りたいもん! アイ・ウォント・トゥー・イート・ちょうどうふー!」
「善玉ー!?」みたいにガフンちゃんが声を上げた。
あたしの勇気を称えるように拍手をしてくれる。
あたしはもっともっとガフンちゃんと仲良くなりたいのだ。ならば相手の好きなもの、まずは好きな食べ物を知らなければ!




