あたしはガフンちゃんを家に遊びに来させたい
ガフンちゃんがどうやって『オハヨウ』を覚えたのか、気になったので彼女の腕をツンツンし、あたしは聞いてみた。
「ガフンちゃん、ハウ・トゥー・スタディー・ジャパニーズ?」
すると「アハハ」と笑われただけだった。
通じてない。これ絶対意味通じてない。英語なのに、なんで?
「カタカナ英語は外人さんには伝わんないよ」
後ろからそう言われたので振り向くと、黒縁メガネをかけた岩井英花さんが育ちのいい笑顔を浮かべてそこにいた。岩井さんは優等生だ。英会話教室にも通っていて、家族でアメリカ旅行をしたこともあると聞く。
「『ジャパングリッシュ』って言葉があるくらいでね。発音が全然ネイティブと違うんだよ。だから通じない。ついでに言うと、今の英文おかしい。『どうやって日本語を勉強しますか?』って聞かれても、ちょっと困られちゃうかな」
「あっ、岩井さん。ちょうどよかった! ガフンちゃんにどうやって『オハヨウ』が言えるようになったか聞きたいんだけど……」
「っていうか、台湾の人って、英語通じるの?」
「知らないけど、日本語よりは間違いなく通じるはずだよ」
ガフンちゃんがまだ挨拶してなかった岩井さんに言った。
「エーカチャン、オハヨウ!」
岩井さんは「おはよう」とは返さず、その口から流暢な英語がペラペラと出た。試すような感じで、ガフンちゃんに何やら話しかけている。
ガフンちゃんが答えた。
「オハヨウ! オハヨウ!」
あっ。これ通じてないわと思った。
「簡単な英語だったら通じるのかな?」
そう呟くと、岩井さんの口からまた英語が飛び出した。さっきよりは短いフレーズだ。
あたしには『オハヨウ』しか聞き取れなかったが、どうやらあたしの聞きたいことを聞いてくれているようだ。
ガフンちゃんは「ああ!」みたいな感じでコクコクとうなずくと、自分のスマホを取り出した。
なんかちっとも読めない漢字のアイコンをタップすると、アプリを開く。
そこに『早安』と中国語らしきものを打ち込んで、なんかのボタンを押すと、スマホが日本語で喋った。
「おはよう」
「そっか!」
あたしは思わず身を乗り出した。
「スマホアプリを使えば言葉の通じない国の人同士でも会話できるんだ!?」
「あっまーい」
岩井さんが言った。
「簡単なフレーズとかならアリだけど、長文は意味不明になるだけだよ。やってみようか?」
岩井さんが自分のスマホを取り出し、口を近づけると、英語でペラペラと何か喋った。
「『ガフンちゃん、どうやって『オハヨウ』って言葉、覚えたの?』って入れた。これを日本語に翻訳させてみるよ?」
ボタンを押すと、岩井さんのスマホが女の人の声で喋った。
「がふんちゃん、どうやって、『オハヨウ』って言葉、いたるたの」
途中まで完璧な訳文を聞きながら、おおー!と思っていたあたしは、最後でズッコケた。
なんだ、いたるたの、って。
「もっと長い言葉だとまったく意味不明になるよ?」
岩井さんはスマホを見下すように言った。
ガフンちゃんが「あ、そうだ!」みたいな顔をする。自分のスマホに何か言葉を吹き込んだ。結構長い言葉だ。
それをあたしに向けて、再生する。
どうやらあたしに言いたいことを中国語で喋って、スマホに日本語に翻訳させて伝えてくれるようだ。
ガフンちゃんのスマホが日本語で喋った。
「小さなあーりやま、私はあなたに眼精疲労。とても悩ましげな蟻を届けましょうか? それはとても簡単です。それはとても難しい。ですが、ある時、女の子です。とても、とても、もうすぐ帰宅しますから、その時まで、友達でいてくれましょう」
早口の長い朗読が終わると、ガフンちゃんが「伝わった?」みたいなワクワクした顔であたしを見た。
あたしは首を横に振って、「だめだこりゃ」と言った。
でも、簡単な言葉ならこれでガフンちゃんと会話できるはず。
あたしは自分のスマホに中国語翻訳アプリをダウンロードした。
試しにそれに「今日、うちに遊びに来てよ」と入力して、翻訳してみる。
『ちんてん、らいうぉーじゃーわんば』になるかと思ったら全然違う言葉が音声出力された。
それをガフンちゃんに聞かせると、ガフンちゃんは首を横に振りながら『なんのことやら』みたいに笑った。
まぁ、いい。
せっかくカクさんから教わったんだし、あれはあたしの口から伝えるんだ。
気持ちを込めて。
結局ガフンちゃんは一日かけてクラスの全員に「オハヨウ」を言った。
夕方までかかった。夕方になっても「オハヨウ」だった。
帰り道、2人きりだった。
今日はウルちゃんもマイちゃんも真面目に部活に出たので、帰宅部のあたしとガフンちゃんは2人で並んで歩いて帰る。
早速ガフンちゃんをあたしの家に誘った。
「ガフンちゃん、ちんてん、らいうぉーじゃーわんば!」
ガフンちゃんはスマホを取り出すと、それに言葉を吹き込み、喋らせて返事をした。
「天丼ってどんな食べ物ですか?」
「天丼じゃないよ! なんで伝わんないのかな……。プリーズ・カム・トゥー・マイ・ハウス」
ガフンちゃんがまたスマホで答える。
「日本語は難しい言語ですね」
「日本語じゃないって! チャイニーズ! ……じゃなかった今のはイングリッシュ! わかって!」
「日本語とはとても美しい言葉だと私は思いますはしか」
「スマホ翻訳やめよう! はしかって何だよどっから出て来たの!」
そんな漫才じみたやりとりをしている内に、お互い帰る方向が分かれる交差点に差しかかってしまった。
「ばいばい」と言いかけたガフンちゃんが、はっと何かを思いついたように動きを止める。
そして、あたしに言った。
「つぉんちん、らいうぉーじゃーわんば!」
いや、中国語で言われても、わかるわけないって〜……。ん? でも、なんかどっかで聞いたぞ、この言葉。凄く聞き覚えがある。
暫く考えて、あっ!と気づいた。
ガフンちゃんはあたしに、彼女の家に遊びにおいでよと誘ってくれているのだ!
いや、あたし、何べんもそれ、言ってるんですけど……。
なんであたしの言うことはわからないくせに、自分でおんなじこと言うの??
あたしが何と答えたらいいのか迷っていると、ガフンちゃんはスマホに喋らせた。
「今から私の家に遊びに来てください。あなたに臭い豆腐を食べさせてあげましょう」




