5 贖い
ベガがヴィルゴ家の紋章の入った馬車に乗って遠ざかってゆくのを、ベガの叔父コータスは万感の思いで見送った。何もしてやれなかった。恨んでくれていい。それなのに、彼女は「すみません」と謝った。
それがベガのこれまでの全てだ。罪も無いのに、謝るように刷り込まれている。コータスはやりきれない思いを吐き出すように「くそ」と拳を握った。
「親父、行こう」
「そうよ、コータス。もう何の遠慮も要らないわ」
声をかけたのは息子や周りを囲むライラの親族たち。コータスはかつて兄家族が笑って過ごした屋敷をギロリと睨みつけると、皆を引き連れてその戸に手をかけた。
「カガシ!!!」
「な、なんだ貴様ら!勝手に家に!」
コータスは猛然と歩く勢いを殺さず、真っ直ぐにベガの義父、否、義父だった者の襟を掴んだ。カガシは負けじと、目に力を込めて無礼者を見返した。
応接間には次々とライラ家の一族がなだれ込んできた。妻とリリアは流石に怯み、身を寄せ合う。
「勝手だと?どの口が言う?もうベガは行った。お前らにのさばらせておく理由はない。ライラの領地から出ていけ!!!」
「は!何だと恩知らず共!不作で困り果てていた無能な貴様らに金をくれてやったのは誰だと思っている!」
「黙れ詐欺師が!!!」
コータスはカガシの声を打ち消す程の大声を上げた。かつて、ベガの父親であるコータスの兄が世を去った後、不幸が続くように領地は不作に襲われた。頭を失ったばかりの一族は領民を食べさせていく方法をアレコレと混乱しながら考えた。
そこに助け舟を出したのがカガシだった。カガシはひとのよい顔で気前よく金を出した。その金で一時を凌いだライラ一族はカガシに感謝し、敬った。
しかし、それも束の間のこととは、誰も予想できなかった。
一族に恩を売ったカガシは未亡人となったベガの母親との再婚を望んだ。違和感はあれどもカガシに礼を返すため、ベガの母親はその申し出を受け入れた。
いつの間にかカガシからはかつての気前の良さは消え、屈辱的なくらいに下手に出なければ、ほんの少しの助けも得られないようになっていった。
「お前が自身の腹を切ったのは最初だけ…一族に潜り込んだ後は、あろうことか…我がライラの領地を姑息にも切売り自分の金にして、それを恩着せがましく我々に…!信じられない程卑劣な奴だ…お前は…!」
領地の見分で明らかになった衝撃の事実は、一族を怒らせ、そして震撼させた。売られた土地にあった畑は、ベガの婚姻に合わせてヴィルゴ家に持参金代わりに贈られるものだったからである。それは勿論偶然などではなく、カガシは大事な畑を売ることでライラ一族の動きを制したのだった。
ライラ家は、大事な土地を買い戻すために何年も奔走した。ヴィルゴ家に譲ろうとしていただけあって、一級の土地の値段は半端ではなく、ライラ家の人々はまた資金繰りに頭を悩ませた。
その上、そんな事実をヴィルゴ家に知られるわけにはいかず、ライラ家は徹底的に情報が漏れないように対外的には何事も無いように取り繕った。つい先日、カガシに高額で売られた全ての領地を買い戻すまでは。
全てが一族の汚点だった。
「ハハハ馬鹿ども!必死になって買い戻しているのは滑稽だった!よく間に合わせてくれたな!」
周りを取り囲まれ、襟首を掴まれながら高笑いをするカガシにコータスは悪寒が走った。
まともじゃない。
畑の買戻しが間に合わなければ、カガシ自身もヴィルゴ家との婚姻の交渉など不可能だったというのに。親族たちもカガシの異様さを感じ取り、互いに視線を交わし合う。
「愚かな一族!俺の手の上で転がっていたのが恥ずかしくないのか!!」
コータスはカガシの襟に掛けたのと反対の手をグッと握った。目の前が真っ赤になった。
「ベガに頼り切るクズ共…!!!」
カガシの言葉が終わる前に、バキッという鈍い音が響き、カガシの体が吹っ飛んだ。カガシの体は辺りの物にぶつかり、騒々しい音が鳴る。「きゃあ!」「パパ!」と妻と娘からは悲鳴が上がった。
「親父!」
肩で荒く息をするコータスを息子が険しい顔で押さえる。
「フー、フーッ……すまん。大丈夫、だ」
床には鼻から血を流しているカガシが伸びていた。
私は流れていく景色を見つめながら、「そうでしたか」と呟いた。
ライラの領を眺める私にスピカ様は『気になりますか』と尋ね、これまでのことを隠さず話してくれた。自分から望んで聞いておいて何だが、私の頭と心は混迷を極めた。
義父のしたことには、驚きや呆れを通り越してもはや何の言葉も出なかった。
「大丈夫ですか」
ぼうっとする私に、スピカ様が気を遣ってくれる。
「すみません、たくさんお話しさせてしまって。本当に、私、知らないことばかりで…」
生きるのに必死で、日々をやり過ごすのに必死で、いつの間にか私は考えることや知ることを放棄していた。幼い頃、どうして母はあの人と結婚したのだろう、と思ったことをやっと今思い出したくらいだ。
「同じですよ」
そう言うスピカ様の顔の顔を見て、私は「しまった」と思った。このままでは、またスピカ様が自身を責めてしまう。私は何とか話題を切り替えねばと頭を働かせた。
(えと、ええと、ヴィルゴ領のことも知りたいし、紅茶のお話しもできそうだったわ。何を聞いたら失礼じゃないのかしら、あ…そもそも既にたくさん喋らせてしまっているから、大人しくしている方がいいのかしら)
私が必死にあれこれと対応を考えていると、隣から「フッ」と優しい吐息が漏れた。私はハッとしてスピカ様に振り向く。
「も、申し訳ありません!」
反射的に謝ると、スピカ様は長い指を私の口もとに添える様に伸ばした。その指は私に触れはしなかったものの、私の体はびくりと強張った。
スピカ様は目を細め、その金色の瞳に細いまつ毛がかかった。私は思わず息を飲む。
「必要時以外の謝罪は、控えた方がよろしいですよ」
「あ…」
(そんなこと言われたの…初めて…)
謝るのは完全な癖で、「すみません」と口をついて出てしまいそうになるところを私はグッと唇を噛んで止めた。しかし、代わりに何を言ったらよいのか分からず、目を泳がせる。
そんな私の目を、スピカ様は金色の目で覗きこむ。
「お返事は?」
スピカ様は目を合わせたまま落ち着いた声で私に問いかけた。導かれるように、私の口から「はい」と返事が零れる。スピカ様は満足そうに笑うと、私から体を離してゆったりと座り直した。
私はまだドキドキと鳴っている心臓の音を聞きながら、先の言葉を反芻する。
まだあの家を離れて、少しも経っていないのに。
私は自分がこの短時間で変わっていくような、奇妙な感覚に身を浸していた。
元ライラの当主、カガシとその妻、娘は領地からの追放を強いられた。得意の図々しさとタフさで最後の最後まで粘ったが、ライラの一族はもう負けることはなかった。ベガという切り札のないカガシ達は、一族に押し切られ、領外へと荷物少なく追い出された。
「覚えていろ…!」
「許さないわ…!」
「こっちのセリフだ」
事情をよく分かっていないリリアの泣き声があぜ道にいつまでも響いていた。
「じゃあ、いいんだな親父。皆も」
コータスの息子はテーブルについた一族の長たちを見回した。
「ああ。本来はベガが嫁いで兄貴たちが退いた後は俺がライラ家を任されるはずだった…なのに皆知っての通り、この様だ」
「アンタだけのせいじゃないよ」
「シム婆ちゃん、ありがとよ。ま、でも俺は頭に血が上りやすい。自分で言うのも何だが、当主には向いてない」
一同の視線は若い統率者に集まった。青年は肩を竦めてため息を吐く。
「まったく…帰って来た途端これだ。どんだけ人使いが荒いんだよ」
王都で最先端の農学を学んできた。当然、一族の期待が圧し掛かる。しかし、その眼差しを振り払うように、ビシッと一同に指をさした。
「最低は味わった。同じ轍は踏まないからな!皆ベガのためにもキリキリ働いてもらうぞ!!!」
ベガもその血族も、それぞれ新たな一歩を踏み出した。改悛したライラの家は団結を深め、誰にも踏み荒らされることのないよう誓い合ったのだった。
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