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3 さよならは簡単

 妻と娘からの「頑張って!」という視線のエールを受けて、義父は「それにですね!」と更に力を込めた。


「我がライラ家は、娘しかおりません。長女のベガを連れて行かれては、我がライラ家の存続が危ぶまれます。ですので、ベガの代わりにリリアを嫁がせる所存です」


 義父の必死めいた訴えに、ヴィルゴ家の使いの人はたっぷり間をとってから「そういうことか」と深い声で頷いた。その頷きを訴えへの了解と受け取った『家族』はどことなく嬉しそうな顔をする。その見解が間違っていることなど、使いの人の顔を見れば分かるのだが、残念なことに私の『家族』たちは誰も分かっていないようだった。


(とは言え、もっと何か言われても最終的には相手が音を上げるまで食い下がるのでしょうけど…)


 彼らはとにかくタフなのだ。私はこれから始まるであろう本格的な泥仕合を思って出て来た心の底からのため息を持っていたトレーで隠した、が。


「愚弄するなよ」


 私がトレーを顔の前に持って来た瞬間、部屋に静かな怒気のこもった声が響いた。私は思わずそのまま固まった。低い声と、怒りに満ちた空気に背中がじわじわと寒くなった。

 『家族』たちはその迫力に飲まれ、誰も声を発せなかった。横目で様子を窺えば、彼らからは笑みが消え、唐突に怒りを露わにしたヴィルゴ家の使いをポカンと見つめている。

 長年この領地で我が物顔しかしたことが無い彼らは、他人からこれほどの圧力を受けることはほぼ無い。リリアにとっては初めての経験だろう。


 ヴィルゴ家の使いは、憤然と立ち上がるとソファに座ったままの私の『家族』を蔑むように見下ろした。


「呆れた…これほど愚かとは。いいか、我がヴィルゴ家が受け入れるのは、ライラの『正統』な娘だ。何の血縁も無い娘で誤魔化せると思うなよ。カガシ」


 『ライラ』になる前の家の名で呼ばれた義父の肩が大きく跳ねた。リリアは「何のこと?」と不思議そうに義母を見た。


「『ライラの存続が危ぶまれる』などと、よく言えたものだ。我が家が貴様らのくだらない享楽のために要求を飲むと思ったか」


 使いの表情は益々険しく、私たちは皆気圧されて押し黙った。


 何も言えないでいる義父たちに冷たい視線を投げると、彼は私に向かって落ち着いた声で言った。


「ベガ様を、お連れしてもらいたい」


 射貫くような金色の瞳が私を捕らえた。


「わ―わたしが、ベガ、です」


 張り付く喉と震える唇を懸命に動かし、私はその瞳に答える。本能的に、抗っては駄目だと思った。視界の端で、『家族たち』が私を責める様に見ている。私は無意識にギュッと目を瞑った。

 後で怒られる、私の頭の中は恐怖でいっぱいになった。


「何と…これはご無礼を」

「え…」


 唐突に、彼の声が近くで聞こえ、私はハッと目を開いた。すると、先ほどまで厳しい顔をしていた彼が、私の目の前に来ていた。私は驚いたのと、怖かったので思わず一歩退く。

 しかしそれを制するように、彼はトレーを持つ私の手に自身の手を添えた。他人の体温にびくりと私の体が跳ねる。慣れない妙な感覚がした。


「……」


 使いの彼は、何も言わずに僅かに眉を寄せると、私の手をそのまま優しく撫でた。哀れむかのような、怒っているかのような、複雑な顔をしていた。


(大きな手…)


 私が固まっていると、彼は一瞬自身の額を私の手に寄せ、再び義父たちに冷たい目を向けた。


「約束通り、ベガ嬢をもらい受ける」


 はっきりとそう告げられると、リリアは欲しいものが手に入らなかった時のねだり声で「お父様ぁ」と義父の袖を引く。義父は今度は威圧する手に切り替えたのだろうか、グッと眉尻を吊り上げた。


「待て。どうしてそちらこそ、判じる立場にある。ただの使いの分際で。分を弁えてはどうだ。こちらの言い分を、ヴィルゴ家に持ち帰ればよかろう」

「ふ」


 わずかに漏れた笑い声に、義父は人相悪く睨んだ。私はその顔が嫌いで、自然と目を逸らした。しかし、睨みを受けた当の本人は萎縮することなく、そのまま「はは」と笑いを零す。


「ただの使いの者には名乗らないそちらの無礼に合わせて、こちらも名乗るのを控えさせていただいたが…」

「は?」


 義父がぎくりと強張った雰囲気がこちらにも伝わる。反対に、目の前の彼は堂々としていた。


「私は、スピカ・ヴィルゴ。この度誓約通りベガ嬢と結婚する若輩だ」

「―――!!」


 その名乗りに、部屋中が凍った。私は思わずトレーを落とした。カランと硬い音だけが響く。ヴィルゴ家の使い、否、スピカ様は私にくるりと向きあうと再び私の両手を取った。

 私は荒れ放題の手であったことを思い出し、反射的に手をひっこめようとしたが、スピカ様ががっちりと掴んでいるので叶わない。


(う、嘘…!)


「そ、いや…まさか…」


 まさか本人が来るとは思っていなかったのか、使いだと言われて頭から信じ切っていたのか、義父たちは顔を赤くしたり青くしたりして今度こそ本当に固まっていた。


「痛々しい…」


 スピカ様は、私の手を自身の手で包んだまま呟いた。そして、義父たちには一瞥もくれず、私に向かって「参りましょう」と声をかける。


「え、あっ!」


 私は彼が手を引くまま、混乱した頭で足を踏み出す。


(参りましょう!?え!?私が行くの!?あの人達は!?諦めたの!?あれだけで!?)


 あんなにいつも容赦のない言葉を投げてくる人たちが。傲岸不遜を突き通す彼らが。「あれしき」のことで身を引くと言うのか。


 まさか『家族』が負けるとは思っていなかった私は心の準備すらできておらず、目を白黒させてスピカ様の背中を見たり、背後の彼らを振り返ったりしてしまう。案の定『家族』は過去一番、かつてない程の憎悪や憤怒を露わにして、こちらを見ていた。私は反射的に前を向く。


(怖い!!!!!)


 ぎゅ、と恐怖で手に力がこもってしまい、強く手を握られたスピカ様が私を見下ろす。怯え切った私の顔を見た彼は、ぐいと私の肩を抱いた。


「―っ!」


 私が息を飲むと、スピカ様は私の耳元で低く囁く。


「もう、大丈夫だ」


 私はバクバクと脈打つ心臓が、驚きなのか、羞恥なのか、恐怖なのか判別がつかなかった。ただ、これまで自分が感じてきた感情とはどこか違うような感覚がしていた。




 殆どスピカ様に寄りかかる感じで屋敷の外に出ると、そこには我が家の最後の料理人と馬丁が待ち構えていた。彼らは私を見て、ホッとしたように互いに見合った。彼らに声をかけようとすると「ベガ!」とどこかで聞いたことのある声が私を呼ぶ。


 そこには、かつて私を連れに来てくれた叔父さんが立っていた。叔父さんの後ろには老若男女問わず人が並ぶ。極力他人と関わらないようにと言われていた私は、彼らが誰なのか分からなかった。


 スピカ様は私の肩を解放すると、今度は優しく手を差し出した。手を取れと言うことだろうか。私はぎこちない動きでスピカ様の手に自身の手を乗せた。スピカ様は静かに頷くと、叔父さんの方へと足を進める。


 叔父さんは私を見て、顔を歪め、目頭を押さえて俯いた。


(どうしたのかしら…こういうとき、どうしたら…ああ、そういえばあの時、来てくれたのにごめんなさいって、ずっと言いたかったのだったわ…)


 私がどう声をかけようかとおろおろとしている間に、叔父さんは大きく息を吸い、顔をあげた。


「良かった、出て来たのがお前で…!」

「え、ええと…」


 叔父さんはガシガシと私の頭を撫でた。慣れない感覚に、体中がぞわぞわとむず痒い。困って何も言えないでいると、隣のスピカ様が代わりに「当然です」と答えた。


「ベガを、どうぞよろしく…!」

「勿論です。あなた方も、ライラの家を」

「人質が解放されれば…っ!は、あいつらなんて、直ぐ追い出してやりますよ!」


 叔父さんとスピカ様は何やら互いに分かり合っているようだが、私はイマイチ着いて行けなかった。こういう時は、口を挟まず、お邪魔しない。私は黙って彼らを見つめた。


「…元気でやれ」


 叔父さんが私に笑いかけたのを最後に、スピカ様は「では、参りましょうか」と歩き始めた。私は慌てて後ろを振り返り、叔父さんに声をかける。


「あの時…!すみませんでした…!」


 叔父さんは目を見開いた後、悲しそうに笑った。


(伝わったかしら…あの日、叔父さんの手を取れなかったこと、許してくれるかしら…)


 遠ざかる叔父の姿を見続ける私を、スピカ様が哀れむ様に眺めていたことなど、私には知る由も無かった。


お読みいただきありがとうございます!


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