27 初めまして
「今日はお忙しいのかしら」
時計を見て、呟いた。屋敷に来てまだそんなに日は経っていないけれど、スピカ様の帰りがここまで遅いのは初めてのことだった。大体十八時過ぎには屋敷に戻ってくるのに、今日はもう二十時を回っている。
私はまた時計を見た。針は少ししか進んでいないのに、体感としてはもうだいぶ経ったような気がする。
(何かあったのかしら。お仕事で大問題でも……?)
まさかスピカ様自身に何かあったのでは、と嫌な予感がそわそわと足元から這い上がる。
窓の外、屋敷を囲む植木の向こうに見える街はまだ煌々としている。ここでは夜も昼のように賑やかだ。街の人にとっては二十時はそこまで遅い時間ではないのだろうが、私にとってはもう日が落ちたら夜で、一日が終わっている、という感覚なのだ。
「大丈夫かな、大丈夫かな」
うろうろと部屋の中を歩き回る私に、ロゼットやディールさんが何度も「大丈夫ですよ」と声をかけてくれる。落ち着いている彼らに対してその都度返事はするものの、やはり不安は消えなかった。
「お仕事がお忙しい時は遅くなることもございます。今日も、少し遅れると先にご一報をいただいておりますので」
「そうですよね」
「ええ、何もご連絡が無ければ流石に……失礼します」
私と話している途中で部屋にメイドの一人が入ってきた。ディールさんが「何かあったかい」と用事を聞きに行く。すると。
「え。旦那様も?」
(旦那様?)
ここではスピカ様は若様。旦那様というと。
「お、お義父様ですか!?」
私は足をもつれさせながらディールさんの方へ駆けた。案の定、「奥様走られませんように」と注意を受ける。
「すみません! びっくりして…。あの、でも今確かに旦那様と」
私に答えたのはメイドだった。
「はい。若様が旦那様と共に戻られると先ほど知らせがございました」
「…!…!」
私は言葉を失った。何故なら。
「ど——っ!どうしましょう!私お会いするの初めてです!」
そう。私はこれまで旦那様、もといスピカ様のお父様とお会いしたことがなかったのだ。手紙のやり取りは数度したことがある。けれど、お父様は普段王宮に詰められていて、王都の屋敷に戻られることすら滅多にない人だったので、機会がなかった。
「あわわわわわ」
あからさまに取り乱すと、ディールさんに宥められる。
「お夕食をご一緒に、とのことでした。奥様はお先にお済ですから、お茶をご用意しますね」
「ななな成程」
「落ち着いて!」
一体何をお話していいやら、どういう顔をしてお会いしていいやら。緊張してカーペットの端に足を引っ掛けて転んだ私を見て、ロゼットが青い顔をしていた。
◇◇◇
「ただいま」
「戻ったよ」
門が開き、馬車が走る音がすると家の人一同は揃って玄関先で待ち構えた。無論、私も同じようにした。
二人が入ってくるとまずディールさんが「おかえりなさいませ」と挨拶をする。流れるような動作でロゼットが荷物を受け取りに横に着いた。
私は、というと。メイドたちに「今だ」と背中を押され、二人の前に躍り出た。
「お——おかえりなさいませ! 初めまして! ベガと申します!」
そのままお辞儀を繰り出し、名を名乗る。頭を下に向けたまま反応を待つと、直ぐに「ただいま戻りました」とよく知った声が降ってきた。スピカ様だ。
続いて「顔を上げて下さい」と言われたので、そろりと元の姿勢に戻る。私の正面には見たことのない男の人が立っていた。この方が、スピカ様のお父様。
お義父様は私に向かって手を差し出した。私も慌てて自分の手を前に出すと、優しい掌が私の手を包んだ。
「ヴィルゴの当主、シュルマと言います。中々お会いできず、失礼しました。あなたのことは父や息子から聞きました。苦労をさせてしまったようですね」
「い、いいえ!ヴィルゴの方々のせいではありません!」
お義父様から優しい笑みが返ってきた。それなりにお年は召しているけれど、目元や骨格がスピカ様とそっくりだ。
(よく似ていらっしゃるわ。それに、おじい様の面影も……)
ぼうっとそんなことを思いながらお義父様とスピカ様を眺めていると、スピカ様から「中へ行きましょう」と声がかかる。
「ベガ、食事は?」
「私はお先にいただいてしまって」
「よかった。では父上、食事は我々だけで。ベガはお嫌でなければ一緒にお茶をいかがですか」
「喜んで!」
聞いていた段取り通りだ。私は先を行く二人の後をついて、食堂に入り、お茶をいただいた。
私はお義父様に、一年結婚を先延ばしにしてもらったお礼を言い、ヴィルゴで過ごさせてもらった日々やライラに戻っていたときのことをお話した。お義父様はずっと穏やかな顔で話を聞いてくれた。
「元気になられてよかった」
「ありがとうございます」
「私は殆ど王宮に住み着いているようなものですので、直接力になることができませんでした」
「…王宮に住めるのですか?」
つい、思ったことを口にしてしまった。確かに屋敷には滅多に戻られないとは聞いていたし、その通りだったけれど、どこか王宮の近いところに別宅があるのかと勝手に想像していた。まさか王宮に住めるとは知らなかった。王宮で暮らせるのはアストラ王家だけではないのだろうか。
私の質問に、スピカ様とお義父様は苦笑した。
「十二星家の当主たちは、やむを得ず、というところですね」
「やむを得ず……?」
「ご説明しましょう」
そう言ってお義父様は王宮でのお仕事について教えてくれた。
「私たちの仕事は、星を読むことです」
以前、おじい様から聞いた話だ。星空を見ながら話してくれた、あの時の。
「それぞれの家がどういう星を読むか、役割があります。ヴィルゴは豊穣。つまり、農業や酪農に関わる時期を国中に知らせています。どの作物が、どういうことをすべきタイミングなのか、を知らせなくてはならないので、常に情報を周知するのが中々大変なのです」
「細かくお知らせが必要なのですね」
「ええ。地域によっても必要な情報は違いますからね。営んでいる人自身で大体の時期は把握していますが、最も適した時期、というのがありますからね」
私は真剣にお義父様の話に耳を傾け、感心して頷いた。
「ライラにも……」
「勿論知らせがいっていますよ。お茶の収穫の最盛期はそろそろですね」
お義父様は無意識にか、空を仰ぐ仕草をした。そこには空はなく、天井があるのみ。
「いつか僕も同じことになると思います」
隣に座るスピカ様が眉を下げた。
(あ……)
そうだ、当主の仕事はスピカ様が引き継ぐ。それにおじい様も言っていた。スピカ様はよく読める、と。
「お体が心配です。そんな激務でいらっしゃると」
漠然と忙しいのだろうなあ、と思っていたのが具体的になった。倒れてしまったらご本人にとっても一大事だし、国にとっても大事だ。
「こればかりは。今読める人間がもう居ませんからね。養成する学校を作る話も出ているのですが、王都ではなかなか難しく」
「王都では? どうしてですか」
「……ご覧ください」
スピカ様が立ち上がって窓のカーテンを開けた。二人を待っている間に、私が見たのと同じような景色。
「王都は空が明るすぎるのです」
私は息を呑んだ。素早くお義父様を振り向くと、お義父様は肩を竦めた。
「困ったものです」
「お、お仕事に支障はないのですか?」
言われてみればその通りだ。自分で気が付かなかったことがふがいない。確かに、星を読むならよく見えなければならない。でも、王宮はこの明るい王都にある。一体どうしているのだろうか。
「勿論、支障が出まして。ですので私たちは王宮といっても、少し離れたところに仕事場が設けられているのです。離れ、と言えばよろしいでしょうか。場所は申せませんが、一応、そこでは星がよく見えます。ただ、機密が多いところですのでそこに学び舎を作る訳にはいかないのです。かといって、王都はこんなに明るいし」
「それぞれの家の領地で、後継者を増やしていくというのが現状の有力案ですが、それだと当主たる資格がどうとかとおっしゃる方もいるので。教育を司るサジタリアス家が頭を抱えていますね」
「な、成程……!」
私が衝撃を受けて固まっていると、ヴィルゴの二人は「堅い話になってしまった」とカトラリーを置いた。
「でも、大事なお話でしたので。できてよかった」
お義父様は少し安堵したような面持ちだった。
「ありがとうございます!私、もっとよく勉強します。家々のこと。王宮のこと、国のこと、星のこと」
私は再び夜空に目を遣った。明るい空に星は見えない。ヴィルゴや十二星家の仕事の重大さが一見しただけでは分からないように、大事な星々もあそこで確かに光を放っているのだ。
「……」
空に見入る私の肩を、スピカ様が優しく抱いた。
お読みいただき、ありがとうございました!




