24 王都暮らし
しばらくゴトゴトと馬車は街の中を走った。スピカ様が「そろそろですよ」と言ったのを合図に、馬は速度を落とした。
「もういいですよ」
スピカ様がカーテンを開ける。もういいですよとは。
窓の外の景色は少々変わっていた。何やらお洒落な建物、手入れの行き届いた素敵な花壇に囲まれている。
(まさか……お屋敷、と中庭…?)
私は目を疑った。あんなに建物がぎっしり並んでいる街の中にこんなに大きな中庭がある屋敷が?
(もしかしてお屋敷ではなくお城なのかも?)
私が窓枠に手をかけてまじまじと外を見ていると、横からスピカ様が「どうしましたか」と尋ねてきた。私は窓の外を見ながら「ここはどちらですか」と訊いてみた。
するとスピカ様は何てことない顔で「王都のヴィルゴの屋敷です」と言う。
「お、お屋敷でしたか……!」
「おや何だと?」
私は正直にお城かと思ったと答えた。
「アステラ宮ですか。残念ですが、あそこはこことは比べ物にならないくらい大きいですよ」
「比べ物に!?」
「それに敷地的にはヴィルゴの屋敷の方が大きいはずです」
「……」
何だか建物もお庭も立派過ぎて圧倒されてしまったけれど、スピカ様からしたらさして大きくはないらしい。
(いいえ。十分大きいわ。さっき見た王都の普通の家とはそれこそ比べ物にならないもの)
私が呆気に取られている内に馬車は屋敷の前で止まった。直ぐに馬車の戸が開けられる。スピカ様が先に降りて、私に向かって手を差し出した。少々照れながら私はその手に自分の手を重ねる。
「足元に気を付けて」
「はい」
安心・安全に馬車から降りると私を待っていたのはやはり立派過ぎるお屋敷。植物の装飾がそこら中にされているし、彫り物以外に本物の植物もたくさん屋敷を飾っている。私が屋敷を見上げて「豊穣の象徴ですね」と言い、スピカ様が「ええ」と答えた瞬間。
「若様! 奥様!」
屋敷のドアが開いて、中から知った顔が出てきた。
「ディールさん! ロゼット! エリザ!」
私は嬉しくて思わず手を伸ばした。
「奥様! わああんまた日に焼けてるう!」
エリザが私の状態を瞬時にチェックし、嬉しそうで悲しそうに顔をくしゃりとさせた。
「お元気そうで安心しました」
「ロゼット、久しぶりです。この通りです」
ロゼットはきりっと笑い、スピカ様に向かって丁寧にお辞儀をした。
「若様、お帰りなさいませ。長旅お疲れ様でございました」
「ありがとう。ディール、屋敷は変わりないかい」
「はい。若様不在の間、旦那様がよく戻ってきてくださいましたので」
「そうか。よかった。話は中でしましょうか」
「は、はい」
「では」
ごくり、と喉を鳴らし私は屋敷の中へ一歩を踏み出す。上等な絨毯が柔らかく足を受け止め、「踏んでいいのだろうか」という気にさせられた。領地に溶け込むような素朴な造りで、かつ機能性を重視していたヴィルゴの屋敷とはちょっと違う。
「…………!」
「うちは王都の貴族にしては飾り気のない家なのですが、ヴィルゴの家と比べたらゴテゴテして見えるかもしれませんね。さして拘りなく、対外的に置いているだけなのですよ」
私がその辺に置いてある立派な花瓶やクリスタルでできた置物を凝視していると、スピカ様が少々困ったように笑った。
(絶対に謙遜しているだけだわ)
「触ったら壊しそうです。絶対、触れないようにします」
真剣に宣言したつもりだったけれど、スピカ様は「大層な物ではありませんよ」と楽しそうにしている。
「さてこちらが居間です。お疲れでしょう。とりあえずお茶にいたしましょうか」
「は、はい!」
青地に金の刺繍の入った素敵な生地の椅子に腰を下ろす。とても趣味がいい。お客様用ではないかと疑ってしまう。
「そう緊張なさらないでください。今日からここがあなたの家なのですから」
そういうスピカ様は本当に様になっている。言ってしまえばただ椅子に座っているだけなのに、どうして絵になる。
「……ヴィルゴのお屋敷にいらしたときと、違って見えます」
「私が?」
「はい」
「不思議ですね。どこがでしょう」
スピカ様はきょとんとして自身の腕や体を眺める。
「雰囲気、でしょうか」
「……ああ。領地に居るときは気持ちが緩み切っていますからね。王都では自然と——気を張ってしまっているのかもしれません」
私はその言葉に背筋を伸ばした。皆が優しく、温かく接してくれた領地とここは違うのだろう。ヴィルゴで過ごしているとき、おじいさまに言われたことがある。
『あんなところで余生なんか過ごせるか。腹の中で何を考えているのか分からん奴しかおらん。お前さん、足元をすくわれてはならんぞ。よく人を観察しておくことだ』
聞いたときは、何ておっかないところなんだろうと思った。そして、おじいさまが厭う訳も。
(でも、私は……スピカ様の妻として、ここに)
自分がスピカ様の足元をすくわせる原因になってはならない。私が居ることで、不利になるようなことは絶対にしたくない。
(私も、領地に居る気分ではいけないのだわ)
私は深呼吸をして、スピカ様に向き合った。
「——私も、妻として恥ずかしくないよう努めます」
スピカ様は少し驚いた様子で目を瞬いた。
「ベガ様……」
(ベガ様)
今更ながらに気が付いたが、十も離れている私に対して、そして妻に対して(まだ結婚式は挙げていないけれど)「様」はどうなのだろう。とても丁寧に扱っていただいていると思っていたけれど、実際対外的にどうなのだろう。
(見方によっては、とても他人行儀に見えるかも)
私はこれを機に申し出てみることにした。
「あの、その呼び方なのですが。ご丁寧に呼んでいただいて本当に嬉しく思ってはおりますが、その、一般的にそんなに敬った呼び方をしていただけるものなのでしょうか」
「おや何かご不満ですか」
「『様』とつけていただくのが、他人行儀に見えやしないかと……思って……」
段々と言葉が尻すぼみになってしまった。何故なら、スピカ様が何かを考えるポーズで、私をじっと見ていたからだ。まずいことを言ってしまったのかと不安になる。
(わ、私から言うのはご無礼だったかも……⁉)
私よりも世間のことに詳しいスピカ様だ。お考えあって常に行動されているはずではないか。そこに世間に疎い私が思い付きで提言するなんて、ちょっと差し出がましかったかもしれない。
私は青くなって前言撤回をしようと口を開いた。が、私が声を発するよりも前にスピカ様が「——それは」と口にする。私はシャキッとなって「はい」と返事をした。
「世間的に見て、普通ではないから『そう』してほしいとおっしゃっているのか、それともあなた個人が呼び方に距離を感じるから」
「個人?」
思わず復唱してしまった。同時に、スピカ様の表情が一瞬固まった——ように見えた。けれどそう見えたのは本当に一瞬で、私が瞬いた次の瞬間にはいつもの柔らかい顔に戻っていた。
「変なことをお伺いしましたね。失礼」
「え? あ、いえ? 私の方こそ……?」
「いいえ、あなたの疑問は尤もだと思いますよ。確かに公の場で妻に敬称をつけて呼ぶのは不自然です」
さっきのスピカ様の表情が固まったのはどういうことだったのかピンとこず、ポカンとしたまま私はスピカ様の紡ぐ言葉に相槌を打った。
「呼び方を改めましょうか。ベガ」
「!」
初めて『様』無しで呼ばれた。何だか新鮮で、心臓がぴょんと跳ねた。
(……何でしょう。しっくりくるわ)
じわじわと、自分でもよく分からない温かさがこみ上げる。両手で頬を覆って「これはどういう気持ちだろう」と自分の心と向き合う。くすぐったいような、ホッとするような、不思議な感覚がした。
「……」
そうしていると、不意にぱちりとスピカ様と目が合った。スピカ様はなぜか口元を手で隠している。
「どうされましたか」
ごく自然に尋ねたものの、スピカ様は目を伏せて視線を外してしまった。そして低く「あなたこそ」と呟く。
「私ですか? 私は……何でしょう、何だか嬉しくなってしまったみたいです」
「…………」
正直に伝えれば、スピカ様が無言でひじ掛けに伏した。
「スピカ様⁉」
一体本当にどうしたのだろう。急に体調でも崩されたのだろうか。突然遠出の疲れが出たのかもしれない。急いで誰かを呼ばなくては。私はディールさんを呼ぼうと慌てて立ち上がり、部屋のドアを勢いよく振り返った。しかし。
「…………」
そこにはすでにお茶のセットを手にした彼が立っていた。いつの間に。いやそんなことはさておき、今はスピカ様だ。
「ディールさん、スピカ様が急にご体調を……!」
「……」
ディールさんは変な物でも食べたような顔をして、何か言おうとし、視線をゆっくりとスピカ様に向けた。
「若様……急病でいらっしゃいますか?」
「……そうかもしれない」
「大変! もっと人を呼んできます!」
ロゼットたちも救援に呼ぼうと思い、駆けようとした私を止めたのは他でもないスピカ様だった。
ひじ掛けから身を起こし、項垂れたまま首を横に振っている。
「大丈夫です……本当に……やめてください……」
「でも!」
やせ我慢なのではないかと疑う私と、スピカ様が否定するやり取りを、ディールさんが顔を伏せて震えながら聞いていたことなど、私は全く気が付かなかった。
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