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22 再会

 茶畑の香りが濃くなってきた。ライラ領に入ってしばらくして、スピカは空気が変わったことに気が付いた。以前この道を通ったときは、領主を自称していたカガシからの無礼極まりない知らせに激高していたため、あまり周りの景色や匂いを楽しんではいられなかった。


 ここにベガが居る。そう思えば来慣れていないライラ領も幾分か親しみをもって見渡すことができたし、辺りで働いている領民を見ても好感が持てた。


 ヴィルゴの屋敷では今回こそと婚礼の準備を進めている。彼女を連れ帰れば、自分たちは正式な夫婦だ。とても結婚後の生活に耐え得る状態ではなかったベガのために一年延ばしたが、それは正解だったと思いたい。


 最後にスピカが見たベガは、まだ傷だらけだった。その彼女が、ヴィルゴで皆と温かく暮らし、そして自分でライラに帰りたいと申し出た。それがベガにとってどれだけ大きなことだったか。スピカはベガからの手紙を思い出し、眉を下げた。


「彼女の変化を目にしていないのは私だけか」


 祖父も、使用人たちも、ベガの傍に居た。婚約者の自分が一番彼女について知らないのでは、と思うと少しばかり腹が立つ。


 スピカは田畑を超えたところに見える建物——ライラの屋敷——を認め、はやる気持ちを何とか落ち着けた。これでもベガより10年上である。みっともない姿は見せたくない。


 馬車の柔らかな座席に座り直し、スピカは辛抱強く到着を待った。




「スピカ様、ようこそいらっしゃいました!」

「お待ちしておりました」

「長旅お疲れ様でございます」


 数時間後、スピカはいよいよライラの屋敷にたどり着いた。馬車はライラの親族たちに取り囲まれ、馬車から降りると大層な歓迎を受ける。スピカは想像以上の出迎えに少々戸惑いながら、ライラの一族を見渡した。そこで、「ん?」と違和感を覚える。


 一番手前に居た、ベガの叔父に「あの」と声をかける。確か、コータスといっただろうか。


「あの、恐れ入りますが」

「はい何でしょうか」


 スピカは最大の疑問を投げかける。


「ベガ様は、どちらでしょうか……?」

「ああ……はは……」

「?」


 コータスをはじめとしたライラの親族たちは皆で顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。




 変な汗をかいているコータスに案内されるまま、スピカは茶畑の間を歩いた。途中で「あの子も存外気が強く」と新情報を得る。スピカの知っているベガは自分よりも相手の都合を優先してしまう性質だったはずだ。


「生来そうだったのか、変わったのか。わがままを可愛いと思って聞いてやる私どもをどうぞ笑ってください……」


 弱った風に頭を掻くコータス。スピカは目を瞬いた。


「ベガ様が? わがままですか?」


 スピカが「想像がつかない」と返すと、コータスは「そうでしょうとも」とにっかり笑う。


「是非普段の自分であなたに会いたいと言うんですよ。そりゃもう真っすぐに。失礼と思わないでいただけると我々も気が楽になります」

「失礼などとは。とんでもありません。しかし、普段のベガ様とは……」


 スピカの言葉が途中で途切れる。コータスは不思議に思ってスピカを見た。スピカの視線の先には、茶畑の真ん中で夕日に照らされて笑うベガが居た。


 葉が光を眩しく反射する。金色の波の中に居るようだった。


「ベガ!」


 コータスが声をかけた。ベガが振り返る。スピカの目には、それがとてもゆっくりと映った。ベガが一層笑顔を深めるその瞬間も。


「……スピカ様!」


 スピカはほとんど無意識に足を前に出した。そしてもう一歩、さらに一歩と進めていく。ベガの方も生い茂る茶の木に体が当たらないようにしながらスピカへと駆ける。


 ベガは出会った時と比べると幾分も健康的だった。肌の色も、艶も。そして、目の中に輝きが灯る。作業用と思われるワンピースに、厚手のエプロン。ポケットにはハサミとハンカチが入っている。それらが似合うということは、ライラの——ヴィルゴの人として、とても好ましく映った。


「お久しぶりです、スピカ様」


 なんて嬉しそうに笑うんだ。


 スピカは言葉では答えず、両腕を伸ばしてベガの手を取った。ベガは目を瞬かせた。



◇◇◇


「…………」


 手を、握られてしまった。


(恥ずかしい)


 私は一年振りに会った人生の恩人をまじまじと眺めた。夕日に輝くスピカの髪が、目が、神々しい。私はこの方に助けてもらった。近くにはいられなかったけれど、この一年、守ってもらった。


 直接ではなく、私が安らげる環境をくれたのだ。結婚という一族の役目を後回しにして。昨年、一年先延ばすと言われたときは、私が世間知らずで至らないからだと思った。


 猶予期間の間に、彼に見合う私にならなくてはと勉学に励み、作法やダンスを身に着けた。私の周りにはたくさん人が居て、世話をしてくれたけれど、ザニアおじい様を含め誰一人、私にそれらを強要しようとした人は居なかった。


 皆いつも声をかけ、目があえば笑いかけ、私が安心するよう努めてくれた。私がライラに戻りたいと思えたのは、ヴィルゴの皆のおかげだ。


 ヴィルゴの皆が私の心を癒し、そしてライラの皆が私の心を励ましてくれた。


 最初は私の扱いに戸惑っていたライラの皆だったけれど、次第に「ライラの元領主の娘」でなく、ライラの血縁の一人として接してくれるようになった。


 仕事を教わり、領地や人を知った。短い間と知っていても、領民も親族も私をここで生きる一員にしてくれた。


 それらのことを経て分かった。スピカ様が一年を私にくれた意味を。決して無駄ではない一年にできた、と心から言える。皆との温かな日々が詰まっているのだから。


「守ってくださり、ありがとうございました」


 万感の思いを込めて、スピカ様にお辞儀をする。ぎゅっと、私の手を包む彼の手に力が入る。スピカ様はしばし、真っすぐ私を見た。その間、視線は少しも揺れることはなかった。


(ど、どうしましょ……)


 あまりに熱心に見られたので、照れによる居心地の悪さを覚えたとき。スピカ様は不意に唇を開いた。


「ベガ様……」

「はい」


 スピカ様は数度瞬き、柔らかく笑った。


「……私と、結婚してください」


 途端に体温が高くなる。私は今、この美しい方に何を言われたのだろうか。「もとよりそういう契約なのに」とか、「どうして改めて」、と思ったのも一瞬で、彼の熱っぽい視線が私の思考を奪ってゆく。


 返事をしなくては。私が考えられるのは、それだけだった。


「…………はい」


 声を絞り出したのと同時に、私の目から涙がぽろりと零れた。胸がいっぱいで、それ以上言葉は紡げない。


「……っ」

「ありがとう」


 スピカ様は手を離し、私を強く抱きしめた。少し苦しかったけれど、その力がとても愛しく思えて、私も彼に腕を回した。温かさに包まれ、私は安堵のため息を吐いた。


 生涯、この人と共にできる。


 そう思うと、ますます涙が溢れてくる。いつまでも泣き止めない私の頭を、スピカ様があやすように優しく撫でた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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