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18 望郷

お読みいただき、ありがとうございます!

 農林局と書かれた部屋に当たり前のように入り、職員たちといつもの如く挨拶を交わす。騎士団の紋章の入った上着を肩にかけ、レグルスは「よお、スピカ」と笑いながら局長室に足を踏み入れた。


「あら? どうした局長」

「……レグルス」


 執務室に着くスピカの顔がやけに険しい。あからさまに機嫌を損ねている友人にレグルスは大げさに驚いた。

 スピカの机の上にはヴィルゴの紋章の入った封筒と、可愛らしい文字の書かれた手紙。もはや誰から、と訊くのは野暮を通り越して愚問である。

 

 スピカは息を吐きながら手紙を手放した。カサリと紙が乾いた音を立てた。レグルスが珍しくからかう気配を見せないのは、スピカがいつもと違うからだろう。隠しきれない心の乱れが表に出ているのだと自覚し、スピカは自分が嫌になった。


「ヴィルゴが総出で大事にしてる婚約者殿か?」

「……そうだ」


 レグルスが無言で続きを促すと、スピカは机に肘を突いて額に手を当てた。


「ライラに戻るそうだ」

「は⁉」


 意図せず大声を出したレグルスは咄嗟に口を閉じた。スピカに「声が大きい」と睨まれていた。身を屈め、座っているスピカと距離を詰め、小声でぼそぼそと話し始める。


「何でまた。爺様と喧嘩でもしたか」

「そのお爺様が提案したらしい」


 レグルスは「いよいよ分からん」と眉を寄せる。スピカは苛立ちを抑えるように目を瞑った。


「俺は……何をしているんだ」


 スピカが久し振りに「俺」と言った。レグルスは部屋の外へ注意を払った。誰かに見られては良くないと思った。


「彼女を皆に任せてきた。それなのに。ここでこの手紙を読むだけの自分に腹が立ってしょうがない」


 「だって仕事があるから」とはレグルスは口が裂けても言わない。大人しく、スピカの吐露する思いを聞くだけ。


「彼女の大事な想いを直接聞けなかったことを悔しがるなんて、身勝手な話だ」


 椅子の背にグッともたれかかると、スピカは苦い顔をしているレグルスに自嘲的に笑った。レグルスはスピカが言いたいことを言い終えたのだと察すると、「そうだよ」とはっきり返す。スピカはその言葉に小さく笑う。


「普段傍に居ないんだから仕方ないだろうよ。で、ベガ嬢はどういう目的で帰るんだ?」 


 いつもは決して見せないベガからの手紙を、スピカは無言でレグルスの方へ向けた。


『こんなにお世話になっておいて、ご無礼なことと存じます。ここにいる間に色んなことを考えるようになりました。私たちの結婚のことも。スピカ様と私の結婚は、ヴィルゴ家とライラ家の結婚です。ですが私はライラの娘としてはあまりに領地を知りません。今は亡き家族の、そしてこれから領地を守ってくれる親戚たちの尽力に報いるためにも、私はライラの人間としてあなたに嫁ぎたいと思います。同時に、それが私の願いでもございます。皆様方にはご迷惑をおかけいたしますが、スピカ様がお戻りになるまでの少しの間、ライラにて精進して参りますこと、どうぞお許しください』


 手紙を読み終えたレグルスは「はああ」と感心しながらスピカを見た。成程、ひとり離れたスピカが不甲斐なく思う訳だと納得する。


「随分ご立派なお志で」

「茶化すな」

「はは、で、お返事は? お許しください、だって」

「……良いに決まってるだろう」


 「だよな」と言いながら、レグルスは窓にもたれかかる。机に肘を突き、額に拳を当てる親友を眺めていたら、自然と笑いが漏れた。気が付いたスピカに見咎められる。しかし尚、笑みは収まることは無かった。


「こっちも、成長させられるなあ」

「……そうだな」


 しみじみとした空気が流れたところへ、「局長」と休憩を終えた農林局のスピカの部下がドアを控え目にノックした。レグルスは肩をすくめて「じゃあな」と手を挙げる。スピカも「ああ」と姿勢を正した。


「局長、今アンニュイだから」

「え」


 すれ違いざまに、レグルスが忘れずにふざけていく。スピカの「おい」という真面目な声がいつもの局長室に響いた。



「奥様、必ず、必ず帰ってきてくださいね」

「はい。お世話になりました」

 屋敷の皆に見送られながらの出発だった。メイド長のロゼットの目に光るものを見たとき、胸がいっぱいになった。ぎゅっと握った手に、必ず帰ると約束を込めた。


(あんなに惜しんでもらえるなんて……)


 もうヴィルゴを出て三日経ったのに、ずっと不思議な感覚に包まれている。


 馬車に揺れながら、景色が流れていくのを見ていた。向かいにはお爺様が座っている。ライラの土地へと想いを馳せれば、道中がもどかしい。辛い思い出の方が多い故郷を懐かしく思えることに自分自身でも驚いている。

 けれど、道中の光景に全く馴染みが無いので、私は今自分がライラの領地にどのくらい近づいているのかもサッパリ分からない。見慣れない風景をただただ眺めているだけ。


「明日には着く。そう心配せんでもいい」

「はい。すみません」

「あの山の間を超えたらライラ領だ」


 遠くにそびえる山々をお爺様は窓から指をさして私に示した。新しい緑が山肌に敷かれているようだった。あそこを抜けると、私の故郷。

 懐かしいと思うのと同時に、初めての土地に行くような、それこそヴィルゴに向かっていたときのような緊張がある。

 嫁ぐために出て行った私の帰還を、皆どう思っているだろうか。あちらで親しかった人は居ない。ライラはもう他の親戚血族が治めているのに。


「……帰ることにしてしまって、皆、迷惑だったでしょうか」


 私の小さな呟きを聞いたお爺様は、それはそれは顔をしかめた。その反応に、私はよろしくないことを言ったのだと悟る。


「誰の前でも、うっかりでもそんなこと言うんじゃないぞ」

「はい。すみませんでした」


 大人しく頷き、視線を窓の外に戻した。少しずつ、山の分け目が近づいている。段々畑に広がる茶畑はあの向こう。


(早く着かないかしら)


 はやる気持ちを押さえ、私を生み、育んだ領地の方へと想いを飛ばした。



 空が紫と茜に色付いた頃、私たちを乗せた馬車はようやく私の住んでいた屋敷に到着した。辺りでは火が焚かれ、人影がたくさん見える。


「これは大仰なことだ」


 言われなくても分かる。私たちのために集まっているのだ。馬車は段々と速度を落とし、私の生家まで来ると止まった。よく見知った屋敷。壁も、屋根もそのまま。


(いけない)


 屋敷を眺めたら、自分の気持ちもあの時に戻ってしまいそうな気がして、私は頭を振る。無意識に強張った顔にぱちんと両手で喝を入れた。


「そう気張らんでもいい」

「はい……」

「さて、来たぞ」


 お爺様の声と共に、馬車のドアが開く。夕闇がかった世界の先に居たのは、火に照らされたあの時の——。


「お、叔父さま……」

「ッベガ!」


 導かれるように、差し出された両手に自身の手を伸ばす。そろりと触れた指先は、しっかりと掴まれた。


「よく、帰ってきた……!」


 泣くのを堪える男の人というのを初めて見た。酷く悪いことをしてしまったような気になり、喉から声がでない。


(ど、どうしたら……)


 血縁の人が前に居るというのに、私はついザニアお爺様を見てしまった。お爺様はムッと眉を寄せて私を諫める。


「あ、あのっ! この度は、勝手を言いまして皆様には心からの」

「固い」


 呆れかえったお爺様の声に、カーっと顔が赤くなる。だって、こういうとき、何と言ったら良いのか分からない。


「帰ってきたら何というんだ」

(あ)


 目の前の、叔父の目に光が灯る。私は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「ただいま、戻りました」


 叔父は顔をくしゃりとさせて笑った。


「おかえり」


 じわりと、心に何かが沁みる。


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