16 暖かい冬
麦畑はすっかり刈られ、霜が降りて白っぽくなっている。他の作物も、今は静かに眠っている。越冬するものには冷たい空気から守るために先日皆で藁を被せた。
冬のヴィルゴの領地はとても落ち着いていた。冬の間は、水撒きも草取りもお休みだ。
暖炉の火が爆ぜる音を聞きながら、メイド達と共に編み物をする時間が増えた。
「奥様、網目を間違えてしまいました」
「はい、見せてください」
セーター、マフラー、手袋。めいめい好きなものを黙々と編む。私のところには、たまに編み方を間違ったり、分からなくなったりしたメイドがやってくる。
頼られているように思えて、どこかくすぐったく、しかし嬉しい。
「おーい。やっとるのう」
お爺様は畑がお休みなので時間があるらしく、食事時でなくてもしばしばこうして様子を見に来てくれる。お爺様が来たら、休憩の合図だ。
皆でお茶を淹れ、私はお爺様と、他の皆は少し離れたところでホッと息を吐く。
「どうだ。できたか」
「すみません、手袋はあと少しです」
私はさっきまで編んでいたお爺様用の手袋をちらりと見た。頑張れば今日中に仕上がるだろう。
「お待たせしてすみません」
待たせていることが申し訳なくて、小さくなって謝ると、お爺様は「はー」とわざとらしくため息を吐いた。これは、呆れられた時の反応だ。
「…間違えましたか」
恐る恐るお爺様の顔を見ると、「うむ」と低い声でお爺様は頷いた。
「ひとつ。待ち遠しいのは確かだが、別に催促したわけではない」
「はい」
「そして、これはワシの聞き方が悪かった。できたかどうか聞いたのは、手袋ではなく、スピカへのマフラーのことだ」
「あ、マフラー…ですか」
そっちか、と心の中で頭を仰向ける。
「何だ、浮かない声を出して」
私はお爺様の質問にごにょごにょと言い淀んだ。
「で、出来たのですが…その…」
お爺様は苛立って「その、何だ!」と一回り大きな声を出す。メイド達が何事だとこちらに顔を向けた。
「王都には…もっと立派でお洒落なものがありますでしょう?それなのに…」
お爺様は私の言わんとすることを察したようで、何も言わずに私の肩をポンポンと叩く。
「使う使わんはアイツの勝手だ。お前はせっかく作ったんだから遠慮なしに送り付けてやればいい」
「お爺様…」
「もしもそれを捨て置くような奴であれば、次帰って来た時にでも肥しの樽に落としてやれ」
それが冗談と分かっていても、私は肥しの樽にスピカ様が突っ込まれるところを想像してゾッとした。そんなこと、できるわけがない。お爺様も、スピカ様が贈られたものを大切にする方だと分かっているからこその冗談であるのだろうけれど。きっと。多分。
「…はい!」
幾分か勇気づけられ、私は明日にでもマフラーと手紙を王都へ送ることをお爺様に約束した。スピカ様がどんな顔をするのか、見ることができないのが残念だ。
「これで、もう少しましな手紙が返ってくるといいが」
お爺様はホコホコと湯気を立てる紅茶を一口飲むと、深く椅子に座り直す。私はお爺様の言葉に苦笑した。
何のことを言っているのかと言えば、スピカ様の手紙の内容についてだ。
私はスピカ様からの手紙そのものに浮かれていたため、あまり気にしてはいなかったのだが、ある日お爺様にうっかり手紙を見られてしまったとき、お爺様は大層ご立腹だった。
『あやつのことが全然書かれていないではないか!これでは王都のおすすめ情報紙だ!何を考えているあの愚か者!』
言われて気が付く事実。確かに手紙の内容は季節に移ろう王都の事が多かった。スピカ様がどう過ごしている、とか何があった、とか、近況はあまり書かれていない。
お爺様は「お前さんもこんなもの読まされて可哀想に」とまで言ってくれた。親しいひとがどうしているのか、知りたいのは自然のことらしい。
(『私は元気です』って書かれていたから、元気なら良かったと思っていたけれど…)
どうもその辺の感覚が抜けている(身についていない)私は、お爺様の言葉でやっとスピカ様自身の日常が気になり始めた。
「マフラーについて、何か書いてくださると嬉しいです」
私がヘラリと笑うと、お爺様は「まともな人間なら書く」と呆れ顔だった。ついおかしくなって、自然と笑いが漏れる。
「良い顔で笑えるようになった」
「え?」
「…それでいい」
私とお爺様は言葉を仕舞い、しばらく窓の外で降る雪を眺めた。冷たく厳しい冬をこうして温かく過ごすことは、初めてだった。
「さっぶ!何この部屋!何で窓開いてんの!?」
王都―農林局の局長室を訪れたレグルスは、外気と同じ室温に悲鳴を上げた。表情を崩すことなく「換気だ」と返すスピカの首にはフカフカとしたマフラーが巻かれている。
「昨日までそんなことしてなかっただろ!」
「換気の大切さに気が付いた」
レグルスはぬくぬくと答えるスピカのマフラーを睨みつけた。
「それを巻く理由が欲しいだけだろうが!」
「…いいだろう」
スピカがベガからの手紙を読んでいる時に限ってやってくるレグルス。最初のころは隠していたスピカだったが、近頃は堂々としていることにしている。
からかえなくなったレグルスはスピカから見せつけられるだけの立場に甘んじている。普段と違うスピカが見られるという点では面白かったり、自慢される側としては面白くなかったり。いつもは手紙だけなのだが、今日は付属の特別なアイテム付きである。
スピカが頬を緩めてマフラーに顔を埋めている。
「三十近いおっさんが…」
「十離れた可愛い子からの手編みのマフラーだぞ」
レグルスはダン、とスピカのデスクを拳で叩き「畜生!!いいな!!!!」と叫ぶ。ノリがいい同僚に、スピカは目を細めた。
「ああもう!今日は帰る!寒いから!」
特別用事があるわけでは無かったのだろう。レグルスは「寒い寒い」と言いながら退室した。仮にも近衛の隊長に座る男だ。寒さに弱いわけでもあるまい、と思いながらスピカは時計を見て昼休憩が終わるのを確認すると、ようやく窓を閉めた。
「…近況が知りたい、か」
ベガからの手紙の追伸で、たくさんの控えめな前置きの後に書いてあった小さな要望。スピカがフッと漏らした息が窓ガラスを曇らせた。
私は数日して王都から届いた手紙を掲げ、はしゃいでいた。
「スピカ様からのお返事にマフラー暖かいって書いてあります!!」
「やりましたね!奥様!」
メイドのエリザは私と手を取り合って喜んでくれた。
「それに、それにですね!」
私は手紙をギュッと抱きしめる。
「お勤め先の、農林局のお仕事のことや、王都のお住まいでのことも書いてくださったのです!」
「まあ…」
初めて知るスピカ様のこと。それは王都のどんな素敵な情報よりも心を掴まれた。
(私、今までは自分に関わることばかりにしか目が向いていなかったみたい…。もっと、周りの人のこと、きちんと見られるようにしたい)
「…もっと、知りたいな」
私がポツリと呟くと、エリザはにっこりと笑った。
「うふふ!失礼。何だか微笑ましいですわねえ」
「え?」
「若様の事、お知りになりたいって、とってもいいことだと思います」
「私、皆のことも、良く知りたいです。エリザのことも、お爺様のことも、ロゼットも、ディールさんも…欲張りでしょうか。皆、大切にしたいんです」
エリザの瞳が、ゆらりと揺れる。私よりも少し長身の彼女は私をギュ、と抱きしめた。
「お優しい奥様。どうか、お忘れにならないでください。私達も奥様の事が大切です」
エリゼの肩越しにロゼットやディールさんが見える。二人はエリザの言葉に頷いた。
「……」
私は胸がぎゅーと苦しくなって、エリゼを力いっぱい抱き返す。香油の良い匂いがした。
乾いた土に水が浸み込むように、私の体に染みていく温かい感覚。ここにきて何度経験したか分からない。
(私も、花を咲かせ実を付けて、皆やスピカ様に報いたい)
春まで、きっとあっという間。
お読みいただきありがとうございます!




