15 大事な物
ヴィルゴ家のスピカ様。お父様のシュルマ様。お爺様のザニア様。
ライラ家の私―ベガ。シェリアクお父様。スラファトは、お爺様のお名前。
私は「ほう」とため息をつき、読んでいた本を胸に寄せる。最近よく読んでいる天文関連の本だ。私はお恥ずかしながら、やっと国の在り方を理解してきた。
家の名前は空に浮かぶ星座の名前。そして、嫡子には星座を作る星の名前を付ける。同じ代で同じ名を持つことはしないため、順繰りに名を回すことが慣例らしい。また、他家がその名を使うことは固く禁じられている。
ということは。私を含める一定数の貴族たちは、名前を聞けばどこの家の者の嫡子であるのかがすぐに分かる。この国は、名が大事らしい。
私が「ベガ」だと名乗れば、人は「ライラ家」であると認識する。それは非常に分かりやすいが、とても恐ろしいことの様に思われた。家を背負う重い名を始終掲げながら生きなくてはならないということだ。
「だからスピカ様はあんなにご立派なのかしら…お勤めもとっても大変とお聞きしたし」
私に向けた柔らかい顔、優しい言葉。そして『家族』に対峙したときの毅然とした態度。その背中には未来のヴィルゴを背負う覚悟や決意といった私にはまだ計り知れないものがたくさん刻まれているのだろう。
押しなべて貴族が立派かと聞かれれば、私はまだ分からない。王家アストラを支える十二星家は八十八の貴族の家の中でも格別で、仰せつかる役目もとても重要だという。
ザニアお爺様によれば各家の長の方々の最たる務めは「星を読むこと」。私はどういうことかイマイチ分からず、先日質問してみた。
「せいせんじゅつというものでしょうか」
「占星術だ。なんだ、最近覚えたか」
覚えるなら正確に覚えなさいと苦言を頂き、私はガクッと頭を垂れた。そんな私を気にしないのはお爺様のいつものこと。
「占星術は星の動きや位置で吉凶を占うものだ」
「分かってしまうのですか…それはすごいことですね」
「当たる時もあれば、当たらぬ時もある。昔はわしらと大差はなかった。近頃はよく知らぬのに適当を言って人を信じさせる奴もいるらしい。お前も王都に行ったら気を付けなさい」
「では、お爺様たちは何を読まれるのですか?」
「我々に求められるのは些か異なる」
お爺様は暗くなった空を見あげる。私も釣られるように顔を上に向けた。
「吉凶などではなく、より生活じみたことだ。例えば、あの麦刈り星が明け方…向こうの空に見えたら麦を撒く時期。収穫の時にはあの辺に来る」
お爺様は空に浮かぶ数多の星の一つを指さして言った。私はどれの事を言われているのか見分けることができず、ただお爺様の指を追った。歯がゆくて少々寂しい気持ちになるのと同時に、お爺様の言う意味を悟る。
(星を、読むということ…)
「ヴィルゴは農耕を司る。他家では牧畜時期を読んだり、災害に目を光らせていたりと、それぞれの分野で分かれておる。ま、大きくまとめれば空から大地と海を把握するという点では皆同じなのだがな。それぞれ適した時期と言うものがあるから、分担しているということだ」
私が目を丸くしていると、お爺様は眉を下げて笑った。その顔がスピカ様と似ていて、血縁だなあと思わせられる。
「古くは皆読めたんじゃ。長い時を経て、知識の継承が薄れ、今や十二の家がなんとか持ちこたえている有様。頼られはするが、しくじることは許されん。まったく、難儀なことだ」
「いつかはスピカ様も…」
「あやつは昔からよう読む。いや、肌で分かるのかもしれん」
「肌で…」
途方もない夜空を見つめ、お爺様の言ったことを反芻する。ただ美しく輝くだけではない。意味を持ち、何かをもたらす働きを細やかな瞬きに秘めているのだ。星の影が、スピカ様と重なった。
荘厳な星空に押しつぶされるような感覚を覚え、ゾワリと肌が粟立つ。自然のあまりの大きさに心細さに似たものが体の中心に集まった時。
骨ばった皺の刻まれた手が私の頭を撫でた。
「畏れを持つ。我らに必要なことだ」
お爺様を見れば、安心するような、温かい眼差しが返ってきた。
「お前も、わし等の仲間入りだな」
暗がりでくしゃりと笑うその顔の向こうに、満点の星が瞬いていた。私は、この日見た星を忘れないだろう。
「奥様、王都の若様よりお手紙と贈り物が届いています」
数日して、執事のディールさんが一通の封筒と小包を持ってやってきた。私は読みかけの本を置き、慌てて立ち上がる。
「そちらに行きますから、走っては…ああ、ほら…」
足がもつれ、カーペットの淵でこけそうになる私にディールさんは呆れた声を漏らした。
「す、すみません…」
「いえ、転ばなくてようございました。さ、どうぞ」
手渡された封筒と綺麗な紙で包まれた箱。どちらを先に開けようか、私は手に持ったそれらを見比べた。
(お手紙!!)
やはり先に言葉が欲しい。大事に包みを机に置き、『ベガ様へ』と宛名の書かれた封筒をナイフで慎重に開けた。
(誰かからお手紙をいただくなんて、初めて…!)
逸る気持ちで中の手紙を出し、深呼吸をして畳まれた紙を開いた。
『先日はお手紙ありがとうございました。お元気そうで安心いたしました』
読みやすく、丁寧な字が並ぶ。私は自分が書いた文字と比べてしまい、恥ずかしくなった。お返事を書くときにはもっと綺麗に書くように頑張ろうと心に決意を刻む。
スピカ様からの手紙は、王都の様子が詳細に描かれていた。その描写はとても緻密で、手紙の向こうに王都の街並みが広がった。
石畳の街並み。大通りの商店街。風になびく色とりどりの旗。繁華街から少し外れると木々に囲まれた大きな図書館。蔵書の数は知れず。地下まで続く本棚の森。美術館は一日では回り切れず、三日かかってやっと半分。街角では楽器を持つ人々がいたるところで音楽を奏でる。
「素敵…」
私はまだ見ぬ王都に想いを馳せた。ライラにいる時も、ヴィルゴに来てからも私の周りには畑や自然が広がっている。植物や空気の変化を感じながら生きる生活とは違った世界があるらしい。
(お爺様は王都のことをそれはもう批判なさるけれど、私はとっても行ってみたいわ)
特に詳細に書かれている「菓子について」というところが非常に気になり、何度も文字を追った。何でも、王都では毎日のように新しいお菓子が店先に現れるとのこと。
『あなたのケーキには適いませんが、王都には美味しい菓子がたくさんあります』
私への配慮を忘れない点は流石である。ご自身も甘党だからかは分からないが、お菓子の情報は盛沢山だった。花より団子の私である。王都の流行の服やアクセサリーよりは食べ物の方が俄然興味がある。
それに、ここに来た当初に出会った「王都風」の入浴スタイルを目にして以来、自分にとって王都が一番良いものであるとは限らない、と学んでいる。
「スパイスたっぷりのシフォンケーキかあ…おいしそう…どんな味がするのかしら…」
部屋の隅で控えていたディールさんが私の大きな独り言に反応した。
「奥様、そちらの箱はご覧にならないのですか?」
私はそう言われてハッとした。手紙に夢中になって意識から外れていたが、机には依然として小包みが鎮座している。
「あ、開けます!」
宣言してから綺麗な包装を外す。気になったディールさんが部屋の隅からやって来た。
「まあ…!」
「おや、これは」
中からは綺麗な箱が出て来た。植物の細かい模様が美しい、木彫りの箱である。
「箱です!」
「…箱ですね」
私は綺麗な箱をしげしげと色んな角度から眺める。仕事の丁寧さに感心していると、隣のディールさんは「中身は何でしょう」と言った。
「成程!中身!」
言われてから、私は箱が外身であると気が付く。既に箱が立派過ぎて中身の事まで考えなかった。
(ま、まさか…ケーキでなくても、お菓子とか…!クッキーだったらまだ可能性も…)
ドキドキしながら「えい」と箱の蓋を開く。すると中には。
カードが一枚入っていた。
「『大事なものを入れてください』…」
「これは…若様らしいと言えばらしいですが…」
ディールさんは私に気を遣うように視線を向ける。私ががっかりしたと思っているのだろうか。
私はカードを胸に抱いて、ブンブンと頭を横に振った。
さっきまで読んでいたスピカ様からの手紙を丁寧に封筒に仕舞い、箱の中に入れる。
胸の中に喜びが溢れた。こうして「大事な物」が目に見える形で増えていく。
「スピカ様からのお手紙と、お爺様が下さった押し花のしおり、この間ロゼットが刺繍してくれたハンカチ、あとは何を入れましょう…!」
何だか俄然楽しくなってきた。何を入れようか考えるとワクワクする。
「…これから、きっと溜まっていきますよ」
そういったディールさんの顔はいつにも増して穏やかで、優しかった。
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