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14 王都にて

 アステラ王宮の廊下を、一人の長身の人物が悠々と歩く。すれ違う者は、その羽織の紋章を見る前に、慌てて道を開けた。金色の髪をたなびかせ、男は目的の部屋の扉を遠慮なし開ける。


『農林局』と書かれた部屋は、今は昼休みらしく、人が出払っていた。ただ一人を除いては。男はひとの居ないデスクの脇を慣れた様子で進む。書類や地図、農地や森林の管理に関わる簿冊の溢れかえる部屋に、男はうんざりした顔で肩を竦めた。

 局長室の入り口から、長身の男はヌッと顔を出し、中に居る人物を見つけると、パッと顔を明るくさせる。


「よ!スピカ!」

「…レグルス」


 農林局の局長、スピカは威勢よく入って来た同僚にしかめ面になった。誰もいない昼休み中、静かに過ごしていたというのに、賑やかな奴が来た。

 来訪者レグルスはアステラ王宮の近衛を担う軍の長で、王宮内ではスピカとは数少ない同い年の管理職だ。そして、十二星家のひとつ、リオ家の嫡男でもある。いくつか重なる縁により、二人は気心の知れた仲となった。

 明るく気さくな人柄に見えて、内に強かさや冷たさをレグルスが秘めていることを、スピカは良く知っている。だからこそ気が合うのかもしれない、とスピカは時折考える。


 レグルスはポケットに手を突っ込んだままスピカのデスクの前に前かがみになった。


「あんなに書類が山積みだったのに、もう片付いちゃったのか?流石だねえ」


 レグルスは見た。スピカが不在の間、この机にあったとんでもない量の書類を。


「別に。目を通すだけのものだった。うちの部下たちは優秀だからな」


 そっけないスピカの返事に、レグルスはつまらなさそうに「ふーん」と首を傾けた。そんな訳はあるまいと思ったが、口にするのも野暮と言うものだ。

 それよりも、その部下たちがスピカが突然ひと月いなくなると聞いた時の顔が思い出され、自然と顔が緩む。頼りになる上司の急な長期間不在に、全員悲壮な表情だった。当初は一週間と聞いていたのが、ひと月に伸びたのだ。無理も無かった。

 一応気にかかり、面白半分で様子を見に来ては居たが、半日後には全員覚悟を決めたようで、必死に業務をこなしていた。普段からのスピカへの信頼や忠誠の賜物だろうと内心ほくそ笑んだのは秘密だ。


「何だ、にやにやして」


 スピカが眉を寄せると、レグルスは破顔し「それはお前だよ」と指摘した。


「いつもしれっとしてるお前がご機嫌じゃないか。いいことでもあったか?」


 にやにや顔でレグルスがスピカの手元を覗きこめば、そこには明らかに公文書とは違うものがあった。手紙である。しかも、筆跡は女性とみた。レグルスはいよいよ楽しくなり、スピカに「なあなあ」と詰め寄った。


 レグルスは鋭い。スピカのほんのわずかな気持ちの揺れを見抜いてきた。

 スピカは面白くなかった。彼女からの手紙を見られたのは大きな失態である。しかしこの同僚の事、そうそう簡単に諦めてくれるとも思わない。スピカは深く長いため息を吐いた。


「…領地の許嫁からだ」

「ああ、結婚を先伸ばしたっていう?」

「そうだ…心配していたが、元気そうで。祖父とも仲良くやっているらしい」


 レグルスは「あの王都嫌いの爺様か!」と机に手を突き、目を輝かせる。


「へー!そお~!中々やるじゃないか。早く結婚しちまえよ」

「今は慎重を期する事態だ」


 至って静かなスピカの対応に、レグルスはふざけた態度を引込めた。切れ長の赤い目がギラリと光る。


「…真面目な話、さっさとしておいた方がいいぜ?お前の居ない間に、アルタイルが宮廷に入った」

「アクイラ家のアルタイルか…」

「そ。ちょっと会ったけど、ありゃ『信者』だ。固めておかないと、面倒ふっかけられるぞ」


 それだけ言うと、レグルスは「ああ~会いたいな~お前の奥方に~」とまた軽口を叩きながらくるりとスピカに背を向けた。用は済んだのか、部屋を出て行こうとする。

 スピカは親切な友人の背に「助かる」と声をかけた。レグルスは振り返ることなく後ろ手にゆらゆらと手を振って応えた。


 アクイラ家のアルタイル。十二星家ではないものの、れっきとした貴族の家だ。面識こそないが、その名前は嫌でも知っている。スピカは目を伏せ、しばし思考する。


(今代のアルタイル、か。嫌な巡り合わせに当たったものだ)


 スピカは顔をあげ、椅子に深く座り直すと、読みかけだった手紙を再び開いた。ベガが懸命に綴った文字を見て、固くなった表情が自然と緩んだ。


『―お爺様と領地のあちこちを回って、農業の勉強をしています。たまにお野菜をいただきます。そのまま齧ってみたら美味しくて驚きました』


 何を齧ったのだろう。スピカは無邪気なベガの行動を思い浮かべる。きっと勧められるままに口にしたに違いない。ちゃんと泥は落としただろうか。要らぬ心配が過ぎり、自嘲した。

 気難しい祖父だが、きっと素朴なベガを気に入るだろうと思った。予想通り、彼らは打ち解けたようだ。安心すると同時に、祖父に感謝した。領地周りにおいて、先代程適任な人はいない。


(作物に触れ、育てることで、どうか、彼女の心も癒され育まれるといい)


 手紙には、他にも日々のダンスのレッスンの様子や読んだ本の事、使用人たちとの暮らしが書かれていた。


『ディールさんはご親切によくダンスのレッスンに付き合ってくださいます。いつもロゼットが見ていて、悪いところを指摘してくれます』

『先日は書斎の本を拝借して、天文について読みました。自分と同じ名前の星があるって面白いですね』

『二年来の染みが取れました!皆で作った洗剤がとっても良いのです!おかげで手荒れも減りました』


 最後まで丁寧に読むと、スピカは大事にその手紙を封筒に入れ直し、上着の裏ポケットに仕舞った。


「返事を差し上げなくては」



 スピカは何を書こうかと考えを巡らせた。近況を書こうにも、仕事ばかりの自分の毎日などつまらないだろう。できれば彼女が楽しめることを綴りたい。祖父は王都を嫌うが、騒がしいここにもそれなりにいいところはある。


(何か贈れば喜んでくれるだろうか)


 香水、菓子、アクセサリー。スピカが頭の中で王都の街を巡っていると、部屋のドアが控えめにノックされた。昼休みが終わり、職員たちが戻ってきたらしい。


「入れ」

「はい!局長、失礼いたします!」


 やって来たのは当局の部下だった。どこか落ち着きがなく、デスクの前に立つ。


「どうした」

「はい、それが、西の小作人の組合の長が来ておりまして」

「また来たのか」

「今ジラフが対応していますが…」


 ジラフとは、この部署で下から数えた方がはやい、若手の役人だ。

 スピカは淡々とかけてあった帽子を被り、手袋をはめた。


「申し訳ありません!」

「いい。私の客みたいなものだ」


 来ているのは界隈で疎まれている不満の多い西地区のまとめ役。きっと今日も若い連中に無茶を言って困らせているに違いない。来ても大した用事は無く、ただ愚痴を言いに来ているのだ。

 スピカも初めはあからさまになめられ、手を焼いた。聞く耳を持たない相手は質が悪いのに加え、どうも農林局にやってくる人間は荒っぽい。


 執務室と続きになっている民間用の受付には、案の定ぐちぐちと部下をいじめる男の姿があった。


「どうも。ネクターさん」


 スピカが声をかければ、赤ら顔の中年の小作人組合の長ネクターは「お!」と明るい顔になる。かつては甘く見た青年が、高名なヴィルゴ家の者だと知ると、ネクターは一気に態度を変えた。ネクターが肩書に弱いということはさておき、農業に携わる者にとって『豊穣』を司るヴィルゴは尊敬すべき一族なのである。


「局長さん、しばらくじゃないですかい」

「すみません。今日は?何かありましたか」

「ええ、それが…」


 さっきまで不満を浴びせられていた若手職員は、スピカの顔を見たネクターの一転した態度に内心悪態をついた。同時に、上司を呼ぶことになってしまった己の不甲斐なさに肩を落とす。自分で相手が務まらず、スピカを登板させたのはこれが初めてではなかった。

 視線を下げると、スピカが手をさりげなく自身の背後に回し、自分達に「行っていい」と合図しているのが見えた。


 以前申し訳なさで終始立ち合った時に「勤務時間が削られるだけだからいい」と言われたことを思い出し、ジラフは一礼して執務室へ戻った。



「災難だったな」

「局長が捕まってます。本当、申し訳ない…」


 同じ経験をした数名が、「分かる」という顔で深く頷いた。ジラフは一度時計に目を遣り、ため息を吐くと自分の仕事へ手を付けた。



「ただいま」


 十分後、スピカが何食わぬ顔で戻ってきた。職員たちは目を剥く。サッと時計を見て、最短記録を確認した。


「局長!早いじゃないですか!」


 中堅の職員がからかうように声をかけると、スピカは軽口に薄く笑う。


「何でもないことだ」とでも言うように部下たちを穏やかに一瞥すると、静かに自分の執務室へと姿を消した。


「か、かっけー…」


 誰ともなく、部下たちの口からはヒーローに憧れる少年のようなため息が漏れた。


お読みいただきありがとうございます!

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