13 一時のお別れ
まだ日が昇り切る前に、スピカ様は屋敷を出た。私は使用人たちと一緒に屋敷の前で見送りをした。
「では、一年後。どうかお元気で。手紙を書きます」
スピカ様は私の頭を撫でながら言った。私は言い様のない心細さに襲われていたが、ここでスピカ様を困らせてもいけないし、情けない姿を見せてはならないと、表情筋を駆使して何とかしっかりと表情を作った。
「私も、お手紙お送りします。本当に、お世話になりました」
「これで最後ではないのですから」
スピカ様は今生の別れのような言葉を吐いた私に苦笑する。
(だって一年も…いいえ、耐えなくては。それに…)
絶対にお伝えしたことがある。私はキッとスピカ様を見据えた。
「…貴方に見合う人間になるよう、精進いたします」
「ベガ様…」
今は口だけだけれど、これだけは、どうしても言っておきたかった。私自身への宣言であり、スピカ様への宣誓である。
スピカ様は目を瞬かせると、私をジッと見つめた。
「頑張ります」
内心ドキドキしたが、金色の目を見据えて己の決意を繰り返すと、フッと私の前に影が降りた。
そして、私の両頬が温かいものに包まれる。
右はスピカ様の手、左は―。
「…!!!!!」
彼の唇が、やんわりと押し当てられた。
「行って来ます」
至近距離で柔らかく微笑まれ、私の心臓に益々の負荷がかかった。
「あ…あの…!…!え、あ、い、行ってらっしゃいませ!!!!!」
私がフリーズしている間に、スピカ様は馬車に乗り込んでしまう。私は慌てて返事をした。
窓からスピカ様は手を振り、そして馬車は軽快な音を立てて屋敷を離れて行く。何とも締まらないお見送りだった。
(行ってしまった…)
馬車が見えなくなるまで眺めていると、背後から「奥様」とロゼットが私を呼ぶ。振り返れば、屋敷に仕える使用人が揃って私を見ていた。
「お心細いことと存じますが、私共一同、心よりお仕えいたします」
ゾロっと使用人一同が腰を折る図はもはや壮観で、私はその迫力に身じろいだ。
(わ、私も…!)
「頼りない私ですが、どうぞよろしくお願いいたします!」
頑張って声を張ると、彼らは頭を上げた。誰もが優しい顔をして、私を見ていた。
「あー、行ったか」
少しして、ザニアお爺様が朝食を摂りに屋敷にやって来た。もう少し早く来ていたらお見送りができたのに、と私がやわらかーく控えめに言うと、お爺様は「いらんいらん」と極めて適当な返事をした。
「子供じゃないんじゃ、お前さんがいれば十分」
「私で足りましたでしょうか…」
「足りねば困るぞ」
お爺様はザクザクとモノを言う。時折私の心を抉るような厳しいことも言うが、変な遠慮をされない分、返って安心することもある。
「ところで、お前さん今日の予定は?」
唐突に訊かれ、私はドギマギしながらお爺様の顔を窺った。
「べ、勉強と、ダンスの練習と、あとはメイドとしつこい染みの落とし方の対策を…」
正直に答えるとお爺様は首を捻り、天井を見ながら「うーん」と考える素振りをする。
「午前はワシに寄越しなさい」
「え」
お爺様は至って穏やかに、しかし有無を言わせない為政者の威厳を見せながら言った。
私はお爺様の後をついて屋敷の周りに広がる畑に出た。頭にはボンネットを被り、丈夫そうなエプロンを身に着けている。生まれて初めての格好に些か気持ちが浮かれている。全てメイドが用意してくれた。
大農場という言葉が相応しく、辺り一帯は作物だらけだ。そこかしこで人が世話に勤しんでいる。私とお爺様のセットを不思議そうに見る彼らに、「お邪魔します」と挨拶をしながら私たちは畑の畝に侵入した。
お爺様は歩き慣れた様子で、畑の畝の間をするすると進んでいく。一方私は作物を踏まないように後を追うので精一杯だ。
「これならよかろう」
お爺様は立ち止まり、目の前の株を指して言った。私がひいひい言いながら追いつくと、そこに成っているものを取ってみろと指図する。
「これは、ズッキーニ」
「そう。棘があるから気を付けるように」
私はエプロンのポケットにあらかじめ装備させられた鋏を取り出し、一つ良さそうなのを収穫した。大ぶりの、鮮やかな緑色のズッキーニだ。
「わあ…」
自分で育てたわけでもないのだが、野菜の収穫というものを初めてやった私に、じわじわと達成感や感慨深さというものが湧いてくる。
「凄いです、立派な実」
思わずはしゃいだ気持ちでお爺様に顔を向けると、お爺様は一瞬笑い、そして真面目な顔になった。
「皆をまとめる者の仕事はよく知っておる。だが、本来のヴィルゴの在り方、生き方を知らずして、上に立つことはできん」
お爺様の目は連綿と続く畑、そして領地の人々を広く見渡していた。
ザザア、と一帯に風が吹く。多くの葉が揺れる音が辺りに響いた。
『ヴィルゴは豊穣の象徴』
私の脳裏に、スピカ様の言葉が蘇る。私はお爺様と同じ方向を眺め、そして手元にある収穫したばかりのズッキーニを見つめた。
(私が学ぶべきことは、お部屋の中ばかりではないのだわ)
広すぎると思った領地。自分とは遠い存在に感じられた『ヴィルゴ』の名。私は今その真ん中に立っているのだと初めて実感する。ここにあるものは全て、漠然とした恐ろしいものではなく、こうして手で作り上げていけるものなのだ。
「…はい」
お爺様は私に目を向けると、「いい返事だ」と目を細めた。その顔に、スピカ様の面影が重なり、私の胸がわずかに跳ねた。
「ズッキーニはキュウリよりも後に成るのですね」
「…似ているが、そいつはカボチャの仲間だ」
「!!!???」
「え、来年は場所を変えて植えるのですか」
「上手く育たんからな」
「ズッキーニも?」
「ズッキーニは別」
「?????」
「今日は追肥の日じゃ。見学に来い」
「いえお手伝いいたします!」
「風下に立つなよ!」
「うひゃあ!たい肥が!!ゴホゴホ!!」
毎朝、あるいは随時、私はお爺様について領地を回った。小作人たちとも顔見知りになり、畑を訪れると皆挨拶をしてくれる。
お爺様の指示で作業を手伝わせて貰えることもあり、私は何かを育てるという楽しさと、領地を支える一部になれているという嬉しさが折り重なって自分の中に積もって行くのを日々感じていた。新しい葉っぱが出ているのを見つけると、幸せな気持ちになる。
「奥様あ!また焼けてます!!」
影響と言えばいいのか、弊害と言えばいいのか。毎日外に出ているせいで私の肌はこんがりしてきた。そこに私よりも俄然悲鳴をあげているのは「美身・痩身」担当のエリザだ。
あんなに肌を見せるのが嫌だったのもかつてのこと。一度覚悟を決めてケアしてもらえば、羞恥心は汚れと共に排水溝へ流れて行った。今や私は彼女にトータルケアを任せている。
「ねえ!またおみ足が逞しくなられてますし!」
広大な農地を毎日歩いていたら健脚になってきた。もともとやせっぽっちだった私の足は、どうやら筋肉を蓄え始めたらしく、日に日に太くなっていった。
エリザにどれだけ泣かれようとも、領地を歩き回り、畑の世話を手伝うことを辞めたいとは思えないので、私は度々エリザに頭を下げる。
「でも奥様が頑張ってらっしゃる結果ですものね!私も頑張りますわ!」
彼女のおかげで、私は大分小綺麗にしてもらえている。鏡を見るたびにどことなく自信が付いた。スピカ様の隣に立っても恥ずかしくないようにしたい。何せ、あの方は酷く美しい。
(スキンケア、スキンケア…)
これまでまるで習慣が無かった美肌対策を施すと、私はベッド近くの明かりを灯した。
午前は畑、午後はダンスの練習に使用人たちとハウスキーピング。残りの時間はひたすらに本を読む生活にも慣れてきた。寝転んで窓から見える星空は今日も静かに輝いている。
(スピカ様、どうされているかしら…)
ふとした瞬間の思うのは彼の事。見たこともない王都にいるかの人のことを考えない日は無い。私の大恩人であり、私の目標。
(お手紙を送ってもご迷惑じゃないわよね…)
明日、手紙をしたためよう。それだけで、どうしてこんなに楽しい気持ちになるのだろうか。誰かに手紙を書く。それが私にとって初めてのことだからだろうか。それとも…。
私は腹ばいになると昨日の続きの頁を開き、あくびをひとつして文字の世界へと旅発った。
お読みいただきありがとうございます!




