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「そうそう、いち、に…」


 ぎゅむ。


「申し訳ありません!!!」


 何度目か分からない謝罪。またやった。謝っている私こそがいい加減にしろと思っている。


「ははは。人の足を踏んでこそ上達するものです。どうぞ、いくらでも」


(絶対嘘~~~~~~~)


 私が膝を付きそうになるのを、両手を優しく握る手が制す。


「もう一度。タイミングが難しいのでしょう。ゆっくりよく聞いて…」

「はい…」


 上流階級に身を置く者にとって社交ダンスは必須。私は遅ればせながら練習を始めた。これがまた強敵で、私は飛んだり跳ねたり走ったり、「動く」ことは不得手でなくても、複雑性を増す「踊る」はどうも苦手なようだった。


 一度私とスピカ様の練習風景を覗きに来たお爺様には「カクカクしている」と抽象的かつ非常に分かりやすい感想を頂いている。


 スピカ様は本当に慈悲深く忍耐強い方で、私が何度同じ過ちを繰り返しても―何度彼のおみ足を踏んずけても―笑って許してくれる。ただ、今はその優しさが辛く、どうにかして報いなくてはと私は力む一方だった。


 しばらく踊り続け、スピカ様は休憩を宣言した。

 私は椅子に腰を下ろし、息を整える。


(まだ脈が…)


 乱れた脈で、まだバクバクと心臓が大きく動いているのを感じる。私はどちらかというと体力のある方だ。普段ならこのような動きを一時間したところで大して疲れたりしないだろう。しかし。


(き、緊張した…近い、近いわ…)


 ダンスとは存外相手と密着するもので、どうにもその距離に慣れないでいる。体力以上に気力が持っていかれ、私は異様に疲弊していた。




(想像するのと、実際やってみるのとでは天と地ほどの差があった…)


 まず腰に手を回された時点で体中にゾワリと鳥肌が立った。他人にそんなところ触られたことなど無い。変な声を上げなかった自分を讃えたい。

 加えて、すでにカチコチ状態の私に、スピカ様は自身の肩に手を置くよう指示した。私はそっと、ふんわり、本当に触れているか触れていないかの具合で手を添えたが、「いえもっとこう…」とあっけなく直された。


「殆どハグじゃないか」と私が脳内で泣きながら見上げたスピカ様のお顔は思った以上に近く、しかも至近距離で「ん?」と優しく見下ろしてきたものだから、私は思わず仰け反った。


「こらこら」

「ひいい…」


 こんな感じで、最初の基本中の「き」のステップが始まるまでも一苦労だったダンスレッスンは今日で二週間を迎えた。はっきり言って上達しているかは自信が無い。



「慌てず頑張りましょうね」


 無意識に項垂れていると、スピカ様の朗らかな声がした。私は重たい頭を持ち上げる。


「でも…スピカ様は来週には王都へ…」


 そう。スピカ様の王都への帰還の時期は無情にも近づいていた。それまでに何とか少しでもできる様にならなければと、正直私は焦っている。


「大丈夫。基本のことはもう覚えられましたから、後は慣れです。練習にはきっとディールが付き合ってくれます」


 スピカ様が部屋の隅で私たちの給水の準備をしていたディールさんに「そうだろう?」と微笑むと、ディールさんは恭しく一礼した。


「お願いします頑張ります」


 額が膝に付く位ぺたんと頭を下げて今後の協力に感謝する。彼も仕事があるだろうに、本当にありがたい。


 顔を上げると、スピカ様がこちらを静かに見つめていた。麗しい流し目にドキリとする。


「ど、どうかされましたか…?」


 ビクビクと私が問えば、彼は「いえ」とわずかに笑う。


「ディールに役得を譲ることになると気がついて、少々しまったなと思っただけです」

「………!!!」


 ボン、と私の顔が一気に赤くなった。


(こういうことを、さらっとおっしゃるんだから!!!)


 気の利いた返事ができようもなく、私はただもじもじと口ごもるしかなかった。そんな私をスピカ様はにこにこと眺め、レモン水のグラスを運んでいるディールさんは心の底から困ったような苦笑いをしていた。




 時間の流れは憎らしく、早く時が経って欲しいと思う程ゆっくり進むくせに、逆の場合は風の様に過ぎてしまう。気が付けば、あっという間にスピカ様が王都に戻る前日になっていた。


 今日のレッスンを終えた私は、スピカ様と一緒にいただく最後の晩餐の準備に加勢するために勝手場に飛び込んだ。一角を借りてデザートを作る。

 これまでのひと月弱を思い返しながら生クリームを景気よくかき混ぜていると、なんてことはなく、ツノが立った。


「はや」

「すご」


 アンソニーとジニーが離れたところで各々手を動かしながら私の作業を見守っている。きっとどんなものを作るのか不安で監視しているのだろう。

 それに彼らも晩餐の準備で忙しい。あまりお邪魔していてもご迷惑に違いない。私は手早く生クリームをスポンジに塗り、ナイフを使って模様をつけた。


(甘いものはお好きと聞いたから、せめてものお礼だけど、喜んでもらえるといいな)


「うま」

「すご」


 遠くからの二人の目が気になって仕方ないが、手を抜くことはできない。私は集中力を高めてケーキを飾り立てた。




「美味しい…」


 スピカ様は今日も変わらず、私を食堂にエスコートしてくれた。私の誕生日を祝ってくれた時ほどではないが、アンソニーとジニーが普段よりも張り切って作った料理が供されてゆく。


 私はこの屋敷の人々にその素晴らしさをどうにか伝えたくて、「絹のようなとろみ」とか「馥郁たる香り」とか、色々な表現を試す。このひと月で、大分細かなニュアンスが表せるようになってきたように思う。


「今日のナスのトマト煮込み、まったりとしたナスにこっくりと煮込まれたトマトが絡まってとっても豊かなハーモニーが…」


 私はふと、スピカ様の視線が気になり言葉を切った。いつも彼は温かい目で見守ってくれるのだが、今日は少々毛色が違うような気がした。


(何だか、ちょっと寂しそう?)


 私が少々不思議に思ってスピカ様を見返すと、言葉を止めてしまったと察したスピカ様が謝るように手を挙げる。


「ああ、すみません。貴女のその美味しいものを食べて嬉しそうにしている顔が、しばらく見られないと思うと残念だなあと」


 彼は本当に残念そうに眉を下げる。


(い、卑しかったかしら…)


 私は何だか急に恥ずかしくなって押し黙った。何と答えようかと逡巡していると、ちょうどロゼットが私の作ったケーキを運んできた。


「若様、こちら奥様がお作りになったデザートです」

「へえ…!」


 スピカ様は目の前に置かれたケーキをしげしげと眺めた。


(スポンジもうまく焼けたと思うし、生クリームもちゃんと味見したし、梨はそのままでも美味しかったから、きっと大丈夫…!)


「すごいな。うちの奥方はこんなのが作れるのか」


 感心したスピカ様の声に、メイド達や勝手場から出て来た料理人たちが頷く。


「私たちの分もご用意していただいて」

「いや、お見事なお手際でした」

「あ、え!いえその…!そんな…!」


 いやいやと否定してみたものの、皆から「大したものだ」と言われ、褒められ慣れていない私は更に困ってしまう。


「はは、じゃあいただきます」


 スピカ様が朗らかに笑い、フォークに載せた一片を口に運ぶ。私は緊張してそれを見守った。

 ケーキを口に含んだ彼の目が驚いたように瞬いた。


「美味しい。私の好きな味だ。甘さが丁度良いし、何より口どけがいい」


「いくらでも食べられそうだ」と言いながら、スピカ様はにこにことケーキを食べ進める。


(よ、良かった~~~~~)


 私は安堵して、肩の力をドッと抜いた。

 ぺろりとケーキを平らげたスピカ様は、物言いたげにロゼットを見た。


「…いくら若様でも、私たちの分を差し上げることはできません」

「だろうねえ」


(え!まだ召し上がっていただけるの!)


 ロゼットの固い返事にスピカ様は苦笑いを浮かべる。私はもっと大量に生産しなかったことを悔いた。まさかおかわりを求められるとは思わなかった。


「あ、あの!私の分をどうぞ!」


 お皿ごと差し出しても、スピカ様は苦笑して頭を横に振る。しかしここは遠慮してもらうよりも食べてもらった方が私としては本望である。いつになく強気でさらに勧めようとしたとき。


「あ」


 料理人のジニーが何かを思い付いた声を上げる。


「ザニア大旦那様の分が避けてあります。でも今日はいらっしゃらないですので、傷んじゃっても困りますよね~」


 私とスピカ様は顔を見合わせ、どちらからともなく、笑い合う。


「傷んでは大変ですから、お持ちします~」


 ジニーはにこにこと足取り軽く食堂を出て行った。


「お爺様にバレたら怒られてしまうな」


 全く悪びれずにスピカ様は言う。その顔に、私の胸がトクンと鳴った。


(???)


「…名残惜しいですね」

「ま、また作ります!いくらでも!」


 私はその高鳴りが何なのか答えを見つけられないまま、眉を下げて笑うスピカ様に身を乗り出して誓った。名残惜しいのが、ケーキなのか、私なのかは分からなかったが、いずれにせよそんなことを言われて喜ばない私ではないのであった。


お読みいただきありがとうございます!

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