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11 できることと、できないこと

 私はお爺様の言葉に「え」と声を漏らした。


「何じゃ、何にも知らんなあ」


 お爺様はあっけらかんと宣うが、私の心にぐさりと棘が刺さった。私が傷ついたことを察したスピカ様は「お爺様」と低く呼ぶ。


「ま、そういう訳だから、お前さんのことは小さい時から知っておる」


 有耶無耶にするようにお爺様は白い歯を光らせたが、私の気持ちは晴れなかった。スピカ様と違い、結構はっきりと物言う方のようだ。私はうまくやって行けるか一抹の不安を覚える。


「しばらく王都へはお連れしませんので、お爺様、よろしくお願いしますね」

「お!そうか!それはいい!あんなところ行かなくていい!」


 顔を輝かせて喜ぶお爺様に、スピカ様は肩を竦める。私が首を傾げると、こそっと私に身を寄せて「お爺様は王都嫌いなんです」と教えてくれた。


「何だ、じゃあ別居か。早々に別居か」


 けらけらと、お爺様はさもおかしそうに笑う。何て言いづらいことを言う人だ。それに一体何が面白いのか、私には皆目分からなかった。私は自身の至らなさにへこんでいるというのに。


 何となく、隣からひんやりとした空気を感じる。見ればスピカ様が口元しか笑っていないというちょっと怖いお顔をしていた。


「お爺様、結婚を少々遅らせますが、よろしいですね?」

「ああ、別に。あちらさんがいいと言うならいいだろう。ワシはもう当主じゃないんだから、シュルマに聞け、シュルマに」

「父上は良いと」

「じゃあ良いだろう」


 スピカ様はお爺様とのやり取りにため息を吐いた。


(なるほど、お爺様はもう引退されているのね)


 一方私はと言うと、当然すぎて今まで教えてもらえなかったのであろう初耳の事実を必死に頭に叩き込む。自分が何を知らないのか知らないので、新情報が突然飛び出してきて心臓に悪い。


「ベガはそれでいいのか?」

「へ!?」


 唐突に話を振られ、私は変な声を上げた。


「あ、その。はい。私もまだまだ至らぬ身ですので…当然かと…」


 尻すぼみになっていくのは、スピカ様とお爺様の射貫くような目が怖かったからだ。





「ということですので。お爺様」

「ふうん。で、言ってやったのか?本人に」

「何をですか」


 ベガに部屋で待つように言うと、スピカは帰ろうとする老人を捕まえた。ベガのこれまでの経緯を説明すると、隠居して久しい元当主の目がきらりと光った。


「お前が結婚を見送ってまであの子をここに残していく理由だ」

「言う必要は無いかと」


 孫のしれっとした返事に、ザニア翁は眉間に皺を寄せた。


「…本人の意思なく決められた結婚です。家にある誓約書の彼女の血判の何と小さいこと。三つの幼子が大人の都合によって指を切られ、人生を決められた。私はあれを見るたびに、将来この子を幸せにしなくてはと思っておりました」

「やっと会ったというのに、残していっていいのか?」

「はい。彼女には静養が必要です。理不尽と不当な扱いに慣れ切って、あの様子。結婚など、後回しでいい。そんなもの、今のあの方には更なる重荷にしかなりません。ましてや騒々しくて面倒の多い王都にお連れするなど、どうしてできましょう」

「…お前もまだ若いのう」


 ザニア翁は呆れたため息を吐くと、畑の様子を見ながら山の中の自宅へと帰って行った。




 二階の窓からお爺様が歩いていくのが見えた。スピカ様とのお話は終わったのだろう。私はさっき、「至らないから」と言ったときの二人の顔が忘れられない。

 しばしばスピカ様が見せる、哀れむような、傷ついたような顔。彼が何を思って私を見るのか、私には見当もつかなかった。境遇だけを哀れまれているのなら本当に私は憐れだなと思う。


「失礼します。ベガ様」


 部屋のドアがノックされ、スピカ様の声が聞こえた。


(お爺様は私のことを普通に呼び捨てにされたけど…スピカ様はとても丁寧)


 私はふと浮かんだ寂しさを胸に、ドアを開けた。



「お茶をお持ちしましたよ」


 スピカ様はわざわざその手にティーセットの乗ったトレーを持ってやってきた。私は仰天してトレーを奪おうとしたが、彼はニコニコとしたまま、トレーを手放さなかった。


「これで良いのでしょうか」

「は、はい…よく蒸れていると思います…」


 スピカ様は首を傾げながらポットからカップに紅茶を注いだ。少し蒸らし過ぎたようで、色が濃く見えたが、そんなこと思ってはいられない。


「美味しいです!」と私が力強く感想を伝えると、当のスピカ様は自身の淹れた紅茶を飲んで不満げに眉を寄せた。


「難しい。貴女の淹れてくださったものは美味しかった」


 さらりと褒められ、こそばゆくなる。


(でも、どうしてご自身で紅茶を…?)


 私の不審な目に気が付いたのか、スピカ様は口元を緩めた。


「貴女が何でもできるから、私も真似してみました」

「え!?」


 あまりに見当違いの言葉に、私は目を見開いた。


「いえいえいえ!何をおっしゃいます!この通り、何も身についていない至らない人間で」


 スピカ様の指が、私の唇を抑えたため、最後まで言い切ることは許されなかった。


「できますよ。今貴方が持ちうるものを、どうか否定しないでください」

「……」

「メイド達が言っていました。完璧だったと。チリひとつ、皺ひとつ見つけられなかったそうです。ああ、それから、アンソニーも白状しました。少し目を離した間だったのに、とても丁寧な仕事だったと」


(この人は……)


 どうしてこんなに私を気遣ってくれるのだろう。どうして欲しい言葉が分かるのだろう。望んでも絶対に貰うことのできなかった「肯定」。

 言葉が詰まり、喉が張り付く。


 私は顔を歪めて首を横に振った。


(違う。何もできない。あなたは私のために言ってくれているだけ)


「強情な方だ」


 スピカ様は呆れた声を漏らす。


「では、もっとできることを増やしませんか」

「え…」

「至らないと思っていらっしゃるのでしたら。尚のこと」


 そこで、私はハッと気が付く。


(至らない、それだけを思って嘆いていたけれど。私は本当に「何もできない」?)


 できないなら、やれるようになればいい。今からでも私は変わることができる。


(頑張ることしか、できないって思っていたじゃない…)


 今までの様に仕方なく、覚えるしかなく、そんな負の感情はもう持たない。嫌々やることがどれ程辛いことか、私は十分知っている。

 では、これからは?


 頑張らなくてはならない、ではなく。


「あなたのためでしたら、私、頑張れます…」


 スピカ様は私の呟きに眉を下げる。


「私のため、ですか…いえ、今はそれで十分」


 骨ばった大きな手が私の頭を撫でる。まるで小さい子にするようなソレに、私は恥ずかしいやら嬉しいやらで顔が熱くなる。



 私はその日から、スピカ様が王都へ旅立ってしまうまで、彼から直接教えを授かることになった。


 私がライラ領の家にいるとき。まだ自由にできる時間があったときは、暇を見つけては書斎にこもり、教典や本を読んだものだった。

 すっかりご無沙汰になっていた本、本、本。


「………」


 私は夢中になって読んだ。分からないことはスピカ様に尋ねた。スピカ様は何でも呆れたり怒ったりすることなく教えてくれる。

 教典の読み違いや、解釈の補填。何も苦ではなく、食物を体に入れる様に、私は書物から得る知識を吸収していった。




「若様、もうああして三時間ですよ。お茶も冷めてしまったようです」

「ふふ、熱心なことだ。お茶は後で私が淹れ直そう」

「えっ!」

「彼女を見習わなくては」




お読みいただきありがとうございます!

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