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10 不完全燃焼

 箒を持って一心不乱に屋敷の周りを掃くと、この建物の大きさがよく分かった。もと住んでいた屋敷の数倍、時間がかかって驚いた。私は荒い息を繰り返しながら自分が掃き進めてきた方を振り返る。

 葉っぱ一枚落ちていなかった。私は自分の仕事の出来に満足し、グッと握り拳を作る。


 どのくらい日が昇ったのか、空を見上げるとまだ薄く日が差しているだけだった。使用人の何人かは起きて仕事を始めているようで、人の影が窓に映る。


 そうして外から屋敷を眺めていると、広いバルコニーに洗濯物が掛かっているのを発見した。私は新たな仕事に向かうべく、箒を元の位置に戻すと屋敷の中に入った。


「ふあー。今日もお掃除頑張りますかー」


 入れ違いに、メイドが別のドアから出て来たのにはまるで気が付かなかった。




 少々辿り着くのに苦戦したが、私は目的のバルコニーにやって来た。しかしそこには誰も居ない。これから干すのであろう真っ白に洗われたシーツが籠に入ったまま置かれている。

 私はシーツを確認した。


(別に、普通に干していいものよね。このままだと皺になってしまうし)


 私はこれを置いていった人を待たず、籠の中にあった洗濯物を順にバルコニーに干し始めた。




「まったく、まだ洗うものがあるなら早く言ってよね。しかもタオル一枚って…」


 ぶつぶつと文句を言いながら、水を絞ったタオルを片手に持ってバルコニーに戻ったメイドは違和感を覚えた。後で干すつもりで一旦置いていったシーツやタオルが既に風にたなびいている。

 基本的にこの家の使用人は自分の仕事の範疇外の事には手を出さない。適当にやってしくじるとより仕事が増えるからだ。


 メイドは不審に思って辺りを見回す。しかし、バルコニーには自分一人しかいなかった。


「誰…?」

「ねえ!ベアトリーチェ!」


 掃除番のメイドの声が聞こえた。バルコニー下から呼ばれたようだ。洗濯番のベアトリーチェはバルコニーから顔をのぞかせた。


「なに?」

「おかしいの…なんか。綺麗なの。箒で掃いた跡があるの」

「え?あんたも?」


 二人のメイドは自分に起こった妙なことに眉を寄せた。




 そして、同時刻。


「若様!若様!失礼いたします!」


 スピカが朝の支度をしていると、ドアの外からディールの慌てた声が飛び込んできた。


「どうした」

「お、奥様がいらっしゃいません!お部屋にも、屋敷にも!」




 あれから太陽はもう少し昇り、この一帯を明るく照らし始めた。


「凄いのね、ここの人たちって…屋敷回りを掃いて、洗濯物を干して、マットはたいて、花瓶の水を変えて、階段の手すりを拭くくらいしかできなかったわ…」


 新しい仕事が見つけられなかった私は、しょうがないので畑の雑草を抜くことにした。裏も畑だったが、屋敷の表もまた畑である。雑草との闘いは無限大だ。これなら手持無沙汰になることはないし、ヴィルゴの豊穣のお役に立てるだろう。


 雑草をひっこぬきながら進軍し、屋敷が見渡せるくらい離れたところで、私は「はあ」とため息を吐く。


 意気込んだは良いが、果たしてこれで合っているのだろうか。


(でも、私にできることと言ったら、家事くらい…)


 私は今だけはライラの家で身につけざるを得なかったハウスキーピングのノウハウに感謝した。他に自分が持っているスキルは何にも無いのだ。


(あとひと月もしないうちに、スピカ様は王都へ戻ってしまうし。私がここでちゃんとやっていけると証明しないと…)


 スピカ様はここに来る間、道中で言った。結婚を先延ばしにしよう、と。


 それを聞いた時、私は思った。


(よかった、結婚を無しにされるのではなくて)


 私が一番恐れること、それはスピカ様との結婚を白紙に戻されることだ。今の私が最も信頼を置き、頼れるのはスピカ様しかいない。ライラの領に戻ることは心情的に辛いものがある。


「ライラの方も今、きっと世代交代で大変でしょう。貴女をいただいてきたからには、婚儀はいつでもできますし。ご実家の方にも文を送りますね」


 スピカ様は実家の方を気遣ってくださった。私も家の事情を聞けば、なおさら先延ばしにすることに納得した。

 だが、最もありがたく、最も申し訳なかったのは、スピカ様が私のことを「まだ至らないから」と言わなかったことだ。


 言われなくても分かっている。世間知らずで、人との関り方もうまくない私が、こんなに大きな家の跡取りの妻になるなど、はっきり言って畏れ多い。

 だから、先延ばしにしている間に何とかしなさいということも含まれているのだろう。


(あの方はお優しいから直接的に言わないけれど…)


 ブチブチと雑草の根っこを引く手が止まる。


「とにかく、今できることをしないと…」

「何がじゃ?」

「きゃああああ!?」


 突然背後から声をかけられ、私は悲鳴を上げた。





 ヴィルゴの屋敷の中はいつもでは考えられない位騒々しいことになっていた。バタバタと走り回る人の足音が響き、そこかしこからは「いらっしゃったか!?」と声が飛ぶ。


「うーん」


 そんな使用人たちの慌てぶりを、スピカはコーヒーカップ片手に眺めていた。


「若様!何を呑気に!」


 ディールに窘められながらスピカは窓の外を見る。どうやら彼らの間では「逃げられたのでは」という憶測まで飛び交っているようだ。

 スピカは屋敷へと向かって来る二つの影に目を止め、口元を緩ませた。


「ほらご覧。戻って来たよ。お出迎えに行こうか」




 私に声をかけたのは、良く日に焼けた、健康そうな肌のお爺さんだった。お爺さんは私に向かって「見ぬ顔だな」と笑うと、今からヴィルゴの屋敷に行くところだと言った。

 もうスピカ様も起きただろう。私も良い頃合いだったのでお爺さんに同行する。


「あそこは今サツマイモが植わっていて、その隣はニンジン畑じゃ」

「成程…どのくらいの広さなんですか?」

「そうじゃなあ」


 そんな会話をしながら屋敷前に来ると、見間違いだろうか、入り口にスピカ様が見えた。

 彼はゆるゆると私たちに手を振る。


「おお」


 お爺さんが気さくに手を挙げて応えたので、よほど親しい方なのだろう。ここの使用人にしては大分気楽だな、と考えたが、直後私は後悔した。



「お爺様、可愛らしい方をお連れですね」

「おっ…!?」


 スピカ様の一言に、私は目をかっぴらいた。


「何を言う。お前の嫁だろう。草をむしっていたから拾ってきた」


 次いでお爺様の言葉に、私はブンと振り向いた。


「はははありがとうございます」

「ちゃんと根っこから抜いていた。えらいえらい」


「今日の朝飯は何じゃろな」等と言いながら、お爺様は屋敷の中に慣れた様子で入って行く。私は愕然としてその背中を見つめた。


「おおお、お爺様でしたか…とんだ失礼を…」


 震える私に、スピカ様は気楽に笑う。


「近くに住んでいて、よくこうして食事に来ますが、どうか仲良くしてあげてください。貴女に会えてご機嫌のようですから」


 私はにこにこしているスピカ様の向こうに、顔の真ん中に皺を寄せているディールさんやロゼットの姿を見つけて冷や汗を流した。

「よかった」「いらした」囁かれる声に、私は自分があずかり知らぬ間にまた何かやらかしていたことを悟った。



 食堂に置かれた大きなテーブルに、私とスピカ様、そしてお爺様のザニア様がつく。改めて自己紹介をしたら、お爺様は「知ってる知ってる」と何とも気楽な反応で、緊張していた私は肩透かしを食らった。

 昨日スピカ様が座っていた席にはお爺様が着席している。気さくなお人柄のようだが、その席に座るにふさわしい威厳は、彼の仕草の端々に見受けられた。


 朝食には私が皮を剥いたあのジャガイモがマッシュされて出て来た。バターと塩の良い塩梅だった。そのほかにも、ハチミツのかかったバゲットのトーストやフルーツたっぷりのヨーグルトなど、私は夢中になって頬張った。

 私が「美味しい美味しい」と言いながら食べるのを二人が面白そうに見ていたのには、さっぱり気が付かなかった。


 皿が下げられ、人心地つくと、スピカ様は朝の騒動を笑いながら教えてくれた。


「では、貴女は朝から張り切って…」

「あのそうなんです…でもそうでしたか、皆様驚かせてしまっていたのですね…」


 私は『奥様不在事件』と並行して起こっていた『小人事件』の話を聞き、恐縮して頭を下げた。私が勝手に手を出したせいで、知らぬ間に自分の仕事が終わっていたメイドが「小人の仕業…?」と大混乱していたそうだ。


「ははは!」


 そんな朝の騒動を聞き、お爺様は愉快そうに笑い声をあげる。私とスピカ様はお爺様に目を向けた。


「働き者のよい娘だ。流石シェリアクの娘だな」


 シェリアクとは、私の実の父の名前だ。


「父を、ご存じですか」

「存じているも何も、お前さんとこやつとの婚姻を結んだのはワシだ」


お読みいただきありがとうございます

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