6.二つ目のキュクロープス
「ごめんね…」
渇ききったのどから出た音は、案の定掠れている。完膚無きまでに潰えた学び舎をぼんやりと眺めながら、こんな場所でよく頑張ったなと思った。空気に混じった灰やら塵芥やらのせいか、呼吸が速く、浅くなる。力なく座ったきみには、私の言葉もまるで届いていないようだ。
「ごめんね、ヒカリくん。私、もう、行かなくちゃ…友だちが、待ってるの。…さよなら」
世界に見放された場所に背を向けて、走り出す。
友だちを助けてあげなきゃ、助けなければ、助けたい。そしてあわよくば、きみを悲しませてしまった私を、これから面倒だけを押し付けてしまう私を、呪ってほしい。
私の世界には色というものは無かった。赤、黄、青? そんなものが無くたって、世界は相変わらず、花は綺麗で授業は退屈だ。だから知りたくもない、色のある世界なんて。
ねぇ、待たせた? なんてわざとらしく言ってから、彼女の綺麗に保たれた髪に触れる。
驚いて振り返った顔はさらに歪んで、お世辞にも可愛いとは言えない。私の性格みたいに。
ねぇ、結局。きみが好きと言っていたこの花は、何ていう色なの?─あの日聞けなかった問いが、頭の中で反芻する。
きみの口から聞けたら良かったのに。
最期に知ってしまった。花は、世界は、もっとずっと綺麗だったこと。退屈な授業だってきっと、私が目を背けてるだけで本当は…
あ、ヤだな、見えなくなっちゃった。色が無いって、そういうことだったんだ。
…全然知りたくなかった。赤色も、黄色も、青色も。
最期だけこんな世界見せるなんて、神はイジワルだなあ。そう呟いてから、きみが泣いてることに気づいた。ずっと望んでいたくせに、笑ってよ。やっと名前が付いたんだから。
『貴方の名前はイヤだった』? ………わがまま、
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閉め切ったカーテンの、僅かな隙間から漏れ出る陽の光。粉砂糖のように微粒な芥が反射しきらりと舞っている。そんな世界とは裏腹に、図書室の空気は息を殺した狩人のごとく…張り詰めて、じっとり重く薄暗い。
意識を取り戻した瞬間、俺の視界に飛び込んできたのは、床に押さえつけられて抵抗しているブラッドと、我らが担任八槇澪。そして床に座り込んでいるファイアさん…。この謎事態を把握するため、寝ぼけていた脳はフル回転…そうだ、先生はファイアさんが一連の事件の犯人だと思っているのだ。この間たった数十秒……フン。我ながら新記録…いや、普通か。
「ぅわあっ」
足元がふらつくと同時に、立ったまま気絶していたことを理解し、感心した。
みんなの意識がこちらに向くことを懸念したが、俺の腑抜けた鳴き声は、アイスの凛とした静かな怒りに打ち消された。
「いい加減にして」
先生を押さえつけていたアイスの手は、空を切ると誰が止める隙もなく振り下ろされた。パシン。と軽快な乾いた音が響き、先生の頬は赤くなっていく。
「イッテ…! 何すんだ、甘樂っ! センコウに手ぇ上げんのかよ!」
「へえ。良いんだ。生徒の手本となるセンコぉが、話も聞かずに決めつけて、他人を一方的に傷つけて、良ぃんだ。ふぅん……そいじゃ見習わせてもらうぜ、センコぉ」
冷ややかな声でそう言うと、今度は足を振り上げる。
ダメだっ! 思っただけで、言葉は出ない。鈍く醜い音が聞こえるまで、目をつぶっていることしか。
「ヤ゙めろッ!!」
外まで聞こえたのではないかと心配するほどの大声に、目が開いた。アイスがハッとしてその場を退く。
先ほどまで、本当に先生を殺してしまうくらいの勢いだったブラッドが、先生を踏みつける寸前のアイスを制止させた。
押さえつけていたサンダーがブラッドを解放する。立ち上がって埃を払うと、ファイアさんの前まで歩いて、止まった。
「…で…」
「…何? 聞こえないンだけど」
「コイツがやったって、なんでわかる」
深い赤が鋭く、先生を射る。
刃を向けられた先生は、嘲笑うかのように息を吐いて答えた。
「息をするようにウソついて、いっ…つも自分勝手で、他人にツミぜェ〜んぶ背負わせて、保身することシカ考えてない。そんなヤツ、だァ〜れが信じるかよ」
「ハ、」
先生が詰め寄るとブラッドは固まったまま後退る。退いた足がファイアさんとぶつかると、ブラッドは先生から目を離した。
「何言ってるんだッ! ファイアはそんなヤツじゃないぞ!」
「まだそんなクチ利けるわけ? なんにも知らないヤツがっ、黙ってろよ!」
手足が震える。脳内が痺れて勝手に、涙がこぼれた。
俺はファイアさんのことを、何も知らない。知らないから、みんなみたいに庇うこともできない。でも、それは。それは言いすぎだ。先生は、そんなことを言う人だったろうか? 何か、違和を感じる…おかしい、どうして。
「──証拠を。」
その場にいた全員が息を呑む。口を噤み、視線がそちらに向くと、ミューはおもむろに目を開いて微笑んだ。あまりにも静かで、恐怖すら覚える。「ソルベ、被害者の主張」…抜かりなく、ノワがそう呟くのが聞こえた。
「証拠を、提示してください」
その芯を持った言葉と有無を言わせない迫力に、先生は一呼吸置いてから口を開く。
「【生徒が証言】した。そいつは【1年B組の生徒】でな、『【アイが授業後もボールを持っていた、体育倉庫に行くところを見た】』…って、丁寧に教えてくれたよ」
「口では何とでも言えるだろォが!」
「いィや? それだけじゃないさ。【ウチのクラスの生徒からの証言】だ。【『四限が終わるころ』…ちョうど、ソイツが一人になれる時間】だな? 『アイが周囲を確認しながらB組に入って、室を荒らし始めた』ンだと。…何より、アタシの机の下にコレが落ちてたんだ。証拠十分、だろ!」
先生がその証拠をポケットから出すと、ひゅ、と小さく呼吸する音が聞こえた。黒く小さい、ふわふわとしたソレは、半月型が内側に傾いたようなツリ目で、四角く開いた口からは牙が2本覗いている。失くしたと言っていた…イヌのストラップ? でもこれは、イヌというより…
「か……返して下さい…っ!」
ファイアさんは立ち上がって空中に手を伸ばすけれど、先生は返してくれるそぶりを見せない。
「認めるんだなぁ? 9番」
身長の低いファイアさんに届かせないために、高く手を挙げる。より強くストラップを握ったようで、ギチ、と嫌な音が鳴った。
「ゃ、やめ、やめて! 返して…っ!」
「ははッ! 誰が……え、アレ…? 無い…」
先生が手のひらを見つめる。そこに握っていたはずのストラップは無くなっていた。
「…もう、良いだろ」
ブラッドがファイアさんを抱き上げ、少しほつれたストラップを手渡す。
「いつの間に…ッ!」
「わかッてンだろ、ファイアじゃないのも、自分が何してンのかも。…全部、ソイツが…」
「なあセンセー! オイラの発明…万能!何Demoフルコースくんも活用してくれよな。もちろん解説してやってもイーんだぜ?」
ブラッドの言葉をノワが遮る。小さな長方形を先生の眼前にちらつかせると、ミューとは別の意味で有無を言わせずに解説を始めた。
「万能!何Demoフルコースくん(通称! 何Demo、万能? 何…万……南蛮…チキン南蛮?! チキンくんだ!)は、推理の手助けをする発明道具だゼ! コイツを割ったあとにコース料理と推理したい事柄を言うと、重要な部分をまとめてくれるんだっ!」
図書室中を歩き回りながらそう話すと、今までの推理で浮かび上がっていた文字が、ノワの後ろを付いて回った。
「ぁ…ッ、ルイスもういい、喋るな!」
しばらくノワのペースに呑まれていた先生はふと我に返ったようで、ブラッドに詰め寄った。
「アタシが何をわかってるッて? コイツが犯人じゃないだァ? ハっ、こんなに証拠があるってェのに…」
「おいおい、講義の途中に私語はダメだぜ〜? 今からそのショオコとやらの話をするトコだ。重要なのはこちらの二つの発言っ! 誰が言ってたっけな〜…おっ。そうそう八槇君、キミだったネ」
【アイが授業後もボールを持っていた、体育倉庫に行くところを見た】
【『四限が終わるころ』…ちョうど、ソイツが一人になれる時間】
「これが…何なんだよ」
「ㇷ…八槇君、気付かないカネ。考える時間をやろう、今日の体育は何限だったダロウカ?」
「その喋り方ヤメロ、キモい。今日の体育は四限だ、珍しく十文寺が遅刻したんだよ」
ヴッ、俺に飛び火が…反省していますので、どうかお許しを…! 先生がこちらを睨んでくるので謝る動作をすると、ため息を吐かれた。
でも、どうしてこの二つが重要なんだ? 四限のあとに一人でボールを持っていた…確かに、ファイアさんの犯行を決定づけてしまう重要な証拠だけど…。
「おっと。ちなみにこの証言、補足しておくと……こうなるゼ」
【アイが授業後もボールを持っていた、体育倉庫に行くところを見た】
→四限後、体育倉庫をメチャクチャにする
【『四限が終わるころ』…ちョうど、ソイツが一人になれる時間】
→四限が終わるころ(授業中)に、1年B組の教室をメチャクチャにする
「つまり! 時系列に直すと…」
授業中、1年B組で暴れる→休み時間、体育倉庫に移動し暴れる
「オカシクないか?この二つの犯行を十数分で、誰にも気づかれずに及んだって?」
「ハっ、何言ってんだよウォーカー。気づかれてっから証言を……エ?」
先生の動きが止まった。
そうか。この二つの証言は十数分の内の、違う場所での目撃証言。
「四限の教科は、体育……先生は『全員揃った』って言っていた。遅刻した人が俺だけなら、途中で戻った人がいない限り、校舎には証言できる生徒は残ってない…」
それに、犯行現場を目撃したなら普通は止めるだろう。先生のことが好きな…1年B組の生徒なら。
「さすが、首席は目の付けドコロが違うな! この二つはどちらも【1年B組の生徒の証言】…そういえばB組のヤツら、昼メシは教室で食ってたよな? この証言だと授業中、つまり、休み時間の前には教室は荒らされてるのに、荒らされた教室で飯を食ってるなんて、ノンキなヤツらだゼ」
「うん。その時間はまだ荒らされてなかったから、私もおかしいと思った」
「うん。アイスの証言に訂正はないよ」
アイスの証言を、同じく1年B組になったミューが肯定する。俺も訂正はない。
「で、その後み〜んな! 教室からいなくなったって? ウ〜ン怪しいな〜、この空白の時間が怪しい。本当に1年B組の生徒の証言かも疑わしくなってきたな〜」
ノワは極限まで眉を寄せて口をへの字に曲げると、わざとらしく悩む素振りを見せた。これまでにあからさまな困り顔を、俺は見たことがない。
「なァ、人のことウソツキ呼ばわりしたくせに、結局はお前ントコの生徒がウソツキだと。コイツはそうお言いだぜ」
先生の顔は顔面蒼白と言うに相応しかった。生徒を犯人だと決めつけて、人格を貶めるような発言をして、間違いでしたは許されないだろう。
「で…でもッ! アタシの生徒は…ウソ、なんて…」
先ほどまでとは打って変わって弱気になった先生を見て、くくッと喉を鳴らしたのはノワだった。
「あーあー、オイラは別にセンセーを陥れようなんて思ってないんだゼ。…実はこのチキンくん、起動したヤツと同じ考えだった場合には、文字が赤く染まるんだ。コレはセンセーが乱入する前の推理なんだが…」
【人間じゃねェ】
先生の発言が消え、空中に新しく赤い文字が浮かぶ。
俺がさっき気になっていた文字だ。ノワも、人間じゃないと思っていたということだろう。魔領人を人間に含むとしたら、人間じゃないって一体…。
「口が悪いっ! ブラッドの発言だな!」
「ア゙?! そうだよ悪ィかよッ!!」
「あぁ悪いゼ! 口がなっ! というのは置いといて…コレはこの事件の犯人…ふん。真犯人の情報だ! 気づいてるんだろブラッド、泳がせてみてど〜だ?」
「ハァ…、最悪だよ」
ブラッドがちらりと目を動かすと、ノワもそちらを見た。
何だ? 何か、そこにいるのか?
みんなが入り口の近くにある本棚に目をやるので、俺も身構えながら仕方なくそちらを向いた。
「お前…何でンなことした?」
本棚の影がおどろおどろしく揺らめく。閉め切ったカーテンから僅かに漏れ出ていた光も、今は息を潜めたように出てこない。ただ、俺が恐る恐る息をするとともに、芥が舞っているだけ……いつ出てくるんだ! 本当に何かいるのか?! 普通に、俺をビビらすだけのドッキリであってくれ、頼む!
一人、ドッキドキな俺のせいで、微粒な芥たちは忙しなく回転した。
「あ〜ぁ…」
「ヒィッ!!」
ぬるりと肌を撫でられたような感覚に、思わず飛び上がってしまう。本棚の向こう側から蠢いた何かが覗く。俺は精一杯の脚力を費やしてサンダーの後ろに逃げた。
「…うぉ、なんだ…ヒカリか」
サンダーは背中に引っ付いた俺のことを虫だと思ったようで、さすがの瞬発力といったところか…貧弱な俺は首根っこを掴まれると、体ごと宙に浮いた。…下ろしてくれ。
「ツトくんトワちゃん、気づいてたの? やっぱり私って、かわぃ~いオーラが溢れ出ちゃうのねっ! うふっ♡」
聞き覚えのある媚びた声色。本棚の後ろからひょっこりと飛び出してきたソレは、ばっちりポーズを決めている…こ、コイツが真犯人…!
高い位置で結ばれたツインテールはピンク色。ハートが散りばめられた派手な服はピンク色。ハートの瞳孔をした大きな瞳はピンク色……こんな頭のてっぺんから爪先までピンク色の女子、校内に一人しかいない…し、世界中探したってそうそういないだろう。
つまり、真犯人って───花坂さん?
「は? かわぃ〜いオーラ? どこが? 気色悪ぅ〜いオーラの間違いでしょ。そもそもお前はオーラなんて出ないし…」
「アイス、一旦落ち着いてっ!」
「ヒカリ、コイツの知り合いなんだろ? よく今まで無事だったな…スゴいぞ!」
「え、ぇっと、それは…どういう……」
下ろしてくれ。
「この部屋に入ったときから違うニオイがするとは思ったが……何が目的だ?」
ブラッドがどれだけ睨んでも、花坂さんは気にも留めずに笑顔を絶やさない。
「え〜? 私に興味があるの? もう…しょうがないわねっ♡ でもまだ、待ってよもう少し。第三段階まではクリアしたんだも〜んっ!」
語尾にハートでも付いていそうな甘ったるい声が、冷えた空気の図書室中を踊り回っている。くるくるんと効果音がつくほどに、無駄に滑らかに回転しながら近づいてくる花坂さんは、髪の毛が巻き付いて身動きが取れなくなっていた。実に奇妙な光景だ。
「でも、気づいていてしばらく様子を見るだなんて、ツトくんトワちゃんも性悪ねっ!」
ブラッドは花坂さんに見向きもせず─聞こえているのかすら危ういが─、ファイアさんの涙を指で拭った。
「合理的って言ってほしいゼ、真犯人さんよ〜! んで、肝心の目的は…」
「も~~っ! ズルいわその女だけ! 私が泣いても優しくしてくれないじゃないの! ふんっ!」
「アッ、オイラの質問に答えろっ!」
「…で、…」
もぬけの殻のようだった先生が、低く呻いたようだった。握りしめられた手は戦慄いている。
「何で…何で、そんなこと…あの、ストラップは? みんなの証言は…? 全部、コイツに罪をなすりつけるために…?」
先生の声は小さく震えていたが、みんなの耳にはしっかりと届いたようだった。けれど先生の混乱も怒りも、落胆も悲嘆も、花坂さんには届かなかった。むしろ、悪いことをした人を先生に言いつけるように、欲しいものを強請るように…楽しそうに話した。
「だぁってあの女、ちやほやされてるんだもんっ! もちろんB組の子たちは私が絶対♡ だけど、A組はみ~んなあの女。どこが良いの? こぉんな顔も見えない、フード女。ちゃほゃされるのゎ、私だけで十分っ♡ …だから、ボールを破ったでしょ、1年B組をすっごいことにしたでしょ? 証言してくれた子ももちろん、私のことがだぁい好きなのっ♡ あーあと、馬鹿なセンセを騙すために私が落としたストラップ…それ、ツトくんに似てるから買ったんでしょ? ホントムカツクぅ」
濡れ衣を着せた経緯を、くだらない理由を、楽しそうに話した。罪を知らない子どものように。
「か、買ったん、じゃ…っ……」
「……あーそう、通りで禍々しいこと。全然似てないわ」
地を這うように低い声、再び温度の無い、何かに肌の上を撫で上げられるような感覚に陥る。けれどそれも一瞬で、すぐにいつもの満面の笑みに戻った。呆然と立ち尽くす俺たちの前で軽やかに舞う花坂さんは、好物を前にした幼子に見える。
「体育倉庫の備品を壊シテ、教室を凄惨な状態にした酷たらしい…忌々し〜ぃ犯人がっ! …フード女だと知れ渡れば。うふっ♡ 私は間違いなくこの学校での絶対になれるわ! そして貴方だって、ツトくんのことを諦められるわよねっ? それでそれでぇ、トワちゃんもカイトくんも、私の虜になるの! 『女王』は私よ、センセ♡ あ…もちろんヒカリくんは私の味方よねっ? まぁこのこともぉ……全て忘れるのだけれど」
その言葉を発した瞬間、頬を染めて嬉しそうに語っていた花坂さんの瞳は、黒く染まった。光も何も映らない、塗りつぶされた黒──
「すべて塗り替えろ、忘却術!」
「ッぐ…っ!!」
成す術も、行動する隙もなく、どろりと流れ込んできた黒に視界を奪われる。耳に、口に、脳に。何も聞こえなくなって、息が詰まって、考えられなくなって……まるで、泥中に溺れているようだ…意識が、遠のく。
────────────────────
「…っ! かハっ、こ゚ほ…ッう、ぇ…」
「大丈夫かヒカリッ!」
「え…こ、ここは…?」
呑まれるほどの量の泥に抗い、やっとの思いで意識を取り戻した…この間、体感30分……フン。いい運動に…なった、ぜ………。バタッ…。
体に当たる空気はひんやり冷たい。話し声以外に音の無かった図書室と比べると、聴力が良くなった気分になる。サンダーに手を引かれて起き上がると、そこは三兎解高校の校庭だった。
俺はなんでこんなところに寝て…。確か、図書室で花坂さんに何か、黒い……何が起こった?
「何で…なんでナんでなンでな゙ン゙デッ! …そんな理由で……? 絶対になりたい? ァ゙はハっ! 女王になるだって? …贅沢なことを言うな! アタシだって……ア゙タシだっテ、ホん゙トゥ゙ハ……ッ゙!!」
「せ……先生…?」
いつも先陣切って導いてくれる、筋の通った先生の声。それに混ざって主張する、鼓膜を突き破るような錆びた金属音……。つい最近、似た音を聞いた覚えがある。音の発信源、校庭の真ん中でふらついた影がゆらり…こちらを振り返った。
…それは、八槇澪ではなかった。地面に伏した先生の赤いジャージ、背中から生えた影──『真っ赤なドレスは、ぼうぼうと空たかく燃える、ほのおのよう。金のティアラは、きらきらとかがやく、いっとうせい。かおにひとつ、らんらんと光る、おおきな、おおきな、エメラルドのひとみ。かのじょは、人々からこうよばれていました。』
「一つ目の、キュクロープス…?」
『かのじょだけが、そのあだ名で、よばれていました。なぜなら…』
「えっ、冷たっ?! うわっ、なんでっ?!」
大きな瞳でこちらを見つめるかのじょに気を取られて気づかなかったが、いつの間にか校庭には胸まで浸かるほどの水が張っている。かのじょは、童話と同じエメラルドのおおきなひとみを…三日月形に歪ませた。ゾッとして目を逸らすと、彼女の周りだけは校庭の芝生が顔を出しているのが見えた。水が張られていないのか?
「ぅ…ッく、あァ、クソ。よりによって水なんてッ……」
少しでも動こうとすれば、足がもつれて沈んでしまいそうな水の中。俺たちのずっと左に、「そ、そんな馬鹿な…」と声に出てしまうほど一生懸命に長い脚を動かすブラッドが、ファイアさんを抱えていた。地面に足を浸けようとすると、鼻まで水に浸かってしまうのだろう。
「コレを使えっ、ブラッド! ふふん、聞いて驚くなよ? それは新品ピカピカ! 昨日完成したオイラの発明、水陸両用スケートBang!!くん試作品! 略してスケBang!! それに乗れば、水上だって思うがままだぜ!」
「お、おう…ありがとう。………スマン、起動の仕方がわからねェ」
「乗るだけだぞ!?」
宙に浮いているノワが、いつも引きずって歩いている重たそうな白衣を持ち上げながら、ブラッドの下にスケBang!!を無理やり差し込んでいる。
「枯骨が、生えたんだ…」
隣で立て膝をついていたサンダーが、立ち上がりながら答える。
「……え? 枯骨って、生えるの!? 生きてる人からも?!」
「…あぁ。Madness Danger Area…通称MDA。感染型の枯骨だ。最近、MDAの感染率はかなり増えている。これは異常事態だ。先生も感染するなんて……。先生は、水を張ってオレたちを遠ざけているのかもしれない。任せろヒカリッ、泳ぐのは得意なんだ!」
言いながら、サンダーはドヤ顔をした。図書室にいたときまで、三兎解高校1年C組ミズキカイトであったサンダーは、金髪青目、服がビリビリの─普通に攻撃を受けたわけではない─いつものサンダー・パーレンに戻っていた。
MDA? 感染型の、枯骨!? 正直、別世界のバケモノは俺には関係ないと思っていたが、先生まで枯骨になってしまうなんて…!? そんな感染症、今までに聞いたことはない。枯骨の存在を知ったのだって、つい一昨日だ。ここはいつもの三兎解高校なのに、またしても異世界に来てしまったような気分になる。あゝ…普通の生活が心から恋しい……。
「あらっ? 面倒なことになってるわ! あとはヨロシクねっ、うふっ♡」
どこから飛んできたのか、木の先端へと軽やかに着地した花坂さんは、枯骨になった先生とびしょ濡れの俺たちを見比べた後、ウィンクをして校舎の裏側のほうへと逃げていった。
な、なんで、どうやって飛んで…? ……はッ! そういえば、ノワの発明のチキンくんの、赤く光った【人間じゃねェ】って文字。それが真犯人の特徴なら、つまり…。あの、俺のことを覚えていて、挨拶をしてくれる、は、は、花坂さんが人間じゃねェなんて……! 異世界人よりも謎の生命体? 確かに全身ピンクだけど! 普通に目立っていたけど! もう、俺は誰も信じれないぞ……っ!
「アぁ゙、逃ケ゚るな゙、燃ャ゙しテやる゙、燃や゙ㇱてヤ゙ルうゥ゙!!」
熱風。同時に激しく水面が波打つ。先生の声とともに聞こえる不快な金属音は次第に強くなっていき、耳を防ぐ。息も吸えずにただ、流されないようにぐっと堪えるので精一杯だ。震えた熱い空気が肌に当たると、ピリリと痛んだ。
風の中に、ゴォという機械音が聞こえる。ブラッドとファイアさんが宙に浮いているのが見えた。無事にスケBang!!に乗ることに成功したらしい。…俺も魔領人じゃないんだけど、乗せてくれないかな?
「…ッ気絶させるんだ、ヒカリ…! MDAは、その人自身が…内面が、枯骨として可視化される…! 先生の考えていることが、わかれば良いんだけど…」
「…せんせ、が…考えているっ…こと…?」
枯骨になった人って、意識があるの…? まさか、花坂さんに騙されたことを怒って…いや、お気に入りのゲーム機が壊されたこと? それとも、ファイアさんを疑ってしまったこと? わからないけど、メチャクチャ怒ってるよ!
「みんなッ、オレたちが正面から行くから、枯骨の気を引いてくれないか!?」
『オレたち』?! サンダー、みんな、待ってくれ! 俺は何もできな…
「水! 水だよっ! ひゃっほ~い! 校庭がプールになるなんて、こんな楽しいこと滅多にないよっ! アクアも連れてくれば良かったぁ」
「ミュー、今は水に夢中になってる場合じゃない。校庭に水が溜まったのは、先生がMDAにかかったせいだ…って、ねぇ、泳がないで」
「ノワ! こっち向いて! キャ~! 飛んでるノワも、かんっわい~~ぃ!! あっ、ブラッド写んないで邪魔。ドケゴラァ! このカナヅチィ!」
「くッ…司令役がいないと、指示が通らない…! こうなったら…」
枯骨の目が、光った気がした。
「ま、待って…っサンダー!」
聞いてない。いや、聞こえていない?
強行突破!とでも考えているのだろうか、校庭の中心に向かって進み始めているサンダーは、まだ手の届く範囲にいる。俺の力では、水圧のせいか前に進めない。強い目眩が……この空間、歪んでいる? 視界に赤いフィルターをかけられたような錯覚、眼前に広がる景色はぐにゃりと動いている。目を開けていたら酔ってしまう。サンダーは平気なのか?
「煩い…五月蝿い、うルさいィ゙!! 悪い゙丿は全部、あ゙イツ゚なの゙に。ナ゙んで、アタㇱたチがアっ゙…!!」
「ゔっ…!」
「は?! 何?!」
「うわあっ!」
その言葉を合図に、中心から大量の水が押し寄せる。赤黒く変色した水は、岩も砕いてしまいそうな勢いで体当たりしてくる。自分が流されていないのが不思議なくらいだ。
水に浸かっている首から下が、燃えるように痛い。水ではなく、炎の中に放り込まれたようだ。これは俺たちを遠ざけるための水なんかじゃない…! 飲みこんでしまいそうになり、慌てて口を塞ぐ。俺がこうして苦しんでいる間に、ブラッドたちは宙に浮いているのだ。やはり頼るべきは魔法よりも科学の力…! 助けてくれ、ノワ!
ふわり。両腕を掴まれる感覚がして、重く苦しい水中から解放される。代わりに俺の体には冷たい服が纏わりついた。
「悪い、オレが意地を張って泳ごうとしたばっかりに!」
「さ、最初からこうしてくれ…っ!」
俺がやっと話せるようになると、サンダーは申し訳なさそうに笑った。
「この水は感染者の意思で動いている! もちろん、先生の周りには結界が張られて、水中からも、空中からも近づけないゼ! というかオマエラ、任務チュウなんだからオデン・デン・デデンは装備しとけよな! …と、ノワが伝えろと。……何ですか? 二人してその表情は」
────────────────────
「あった! あったよ、アイスっ!」
「ありがとう、ミュー」
「いつもごめんね、お願いします!」
ミューが私に言う。校庭に飛ばされたときに落としたのだろう、紫色に鈍く光る折りたたみ式ナイフを水中から拾い上げると、頭を下げながら差し出した。
蓮華印鳴聖画──敵に狙いを定め、角度をつけてナイフを振るう。一回振るえば一時停止、二回振るえば技の効果を奪うことができる。刃を出せば効果は2倍、命中率は低くなる。出さなければ効果は40%まで下がってしまうけれど、命中率は高い。離れた場所から刃の皃だけを飛ばす遠隔攻撃。受けた者は背中に致命傷が残る。ただ、一度この技を受けた者には効かない。一人につき、一度だけこの技を打つことができる──。消耗品だって良い。私にしか使えない、私だけの刃。これを起動しなければ…私は宙に浮くことができない。空を飛ぶことができない。水の中だから少し手間取ってしまった。ごめんみんな、遅くなって。
幽霊だから。私は、みんなとは違ってもう、死んでいるから。服も濡れないし、痛みも感じない。……イケる、ここからなら!
刃を出して空中を駆けて、先生に向かって叫ぶ。
「蓮華印……鳴聖画!」
プラスを描くように刃を振るう。蓮華印鳴聖画が枯骨に当たる前に、私の体は傾いていく。ぐわん、と殴られたような衝撃が脳を揺らす。
ヤバい、目が合った。体が思うように動かない!
先生はエメラルドに輝く瞳を、ゆっくりと細める。まるで、勝ちを確信しているよう。でも、もうすぐ効いてくる。蓮華印鳴聖画の威力は40%になってしまったけど。確実に当てた、先生の──目。
バシャンと音を立てて、赤黒い水に沈んでいく。でも、冷たくない。苦しくもない。
私の体は、何にも触れてはいないのだから。
────────────────────
「水の効果が無くなった…みんなっ! 鳴聖画が効いてきたよ!」
ミューが、墜落してしまったアイスを背負いながら叫んだ。地上からも、オデン・デン・デデンからも声が聞こえる。
「メイセイカ…?」
「アイスの鳴聖画だ! 枯骨の攻撃を無効化できる力がある。やっぱりスゴいな! さすがはオレのライバル!」
「ら、ライバル?」
再び水の上に降り立ったサンダーは、誇らしげに胸を張った。
「よし、ここからはオレたちに任せろ! 水に雷って効くだろうか? やってみるしかないよな、ノワ!」
「オウ! やっぱコレは欠かせないよなっ!」
そう言うとノワは、懐から小さなポリ袋に入った謎の粉を取り出した。…それは合法ですか? というか、水に雷は俺たちが危ないよな!?
「まひぐすり!」
麻痺薬! 良かった! ゲームではよく見かけるが、実物は初めて見る。へえ、意外と色はついてないんだ…ノワの白衣、何でも出てくるな。四〇元ポケットかよ。それにしてもサンダーは、麻痺薬を何に使うつもりなのだろうか。…そんなもの無くても、感電させられそうになったんだけど。
「まひぐすり?! 何に使うんだッ!?」
「まぁまぁ。やってみろよ!」
言いながら、サンダーの手に麻痺薬を振りかける。ノワの思いつきだったようだ。
「そうか…? じゃあ、行くぞッ!」
サンダーの体に触れた空気が発光する。一つ、薬指を折り曲げると、親指、人差し指、中指、小指を合わせて、首から下げているネックレスを囲む。空気の振動に合わせて、ネックレスに付いた雷と鍵が擦れ、チャリ…と音を鳴らしている。先生をしっかりと瞳に宿して、息を吸い込んでから、その言葉を口にした。
「Courage… to lightッッ!!」
「ぐ、ア…!! ッ゙シ、びレ……」
サンダーの体から空に走った雷光は、覆っていた結界を直撃。枯骨をめがけて一直線に貫通した。首まで浸かっていた水が、胴まで下がってくる。「カッコイイ…」言葉に出ていた。サンダーもちゃんと、魔領人なんだ……それにしても、麻痺薬無しでは発動できない技なのだろうか。
「アい゙ツ…ア゙イツが憎イ! 憎い゙……憎い、のに…!」
金属音はだんだんと錆びついて、遅く、重く、低くなる。先生の声はほとんど聞こえない。
──戦闘モード、起動します。
「先生っ、お願い。気絶して! …えいっ!」
ビュンッと何かが風を切り、俺の耳スレスレを通過した。
あれは、棒……槍!? 驚いて振り返ると、アイスを背負ったままのミューと目が合う。ミューは不思議そうな顔をすると、にっと笑ってみせた。たまに棒付きキャンディを背負っているところを見かけるけど、武器だったんだ…。
ズバッ。
ミューの投げた槍が、枯骨の右手を貫いていた。銀色に光る槍の先に空気の赤が反射する様は、戴冠式に使われる王笏のようだ。
「ユる゙サなぃ゙かㇻ」
「…え?」
「マズい、ヒカリッ!」
針のように変形した水が、水中に、空中に向かって放射状に飛んでくる。あれに当たってはいけない! 脳が危険信号が鳴らす。
「ァ゙はハ! 死ン゙じャえ、死んヂゃエ! な〜んモわかラ゙なㇰなッチゃえ。ジャないと、アタシは…」
逃げられない! このままだと、みんな…。
「!」
先生が、口を開いた。いや、正確には口を開いたのは枯骨だったけれど、先生が俺に何かを伝えようとしているのだと思った。キラキラと反射する、大きな瞳に吸い込まれる。目が、離せない。ビリビリと鼓膜が振動する中、枯骨の発した一音一音が、はっきりと聞こえた。
「 」
「せ、先──」
スパん。………ごとッ。
言いかけ、手を伸ばしたとき、枯骨の頭は……校庭に転がった。
「ヒっ…!」
赤黒い血が、柱のごとく吹き上がる。枯骨は先生に覆いかぶさるように倒れ込んだ。
「は〜ぁ。アンタたち、固まっちゃってなんにもできないわけ? 感謝しなさいよね」
ムーンが弓の形をした刃を水で洗いながら歩いてくる。校庭に張られた水は、既に膝のあたりまで減っていた。…切ったんだ、あの刃で。
「……なんで…」
「え、何? 聞こえないんだけど」
先生は、あの枯骨は俺に、確かに言ったんだ。
「たすけて、って…言ったんだよ…っ! あの枯骨が…先生が、俺に…っ!」
「は〜? 助けたでしょぉが。何、泣きそうなの? あ〜、自分が怖くなっちゃったってだけのことでしょ? 枯骨慣れしてないアンタにはわかんないだろうけどね、枯骨に同情なんてしちゃダメ。付け込まれて蝕まれて終わりなの。ガキンチョは黙ってて。サァ解散解さぁん!」
手をひらひらと振りながら俺の横を通り過ぎていく。校庭の真ん中に新しく作られた赤黒い水たまりをひたひたと進み、枯骨の下でうつ伏せに倒れた先生の隣にしゃがみ込んで……持ち上げようとした、そのとき。
「ダメだ! 離れろムーンっ!」
「…えっ」
キ゚キイイィィィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィィィン゙……
「キャア!」
同心円状に、強い風が吹き荒れていく。宙に放り出されたムーンは上手く風に取り込まれると、木の上に着地した。
「ムーン大丈夫っ?! うわあっ!」
皮膚を切りつける風に、顔を上げることができない。目を開けば、眼球に鋭い痛みが走る。
「水はまだ、無くなっていない…つまり、その枯骨は、今のままでは消滅しません。多分、次の攻撃の機会を伺っています。止めないと!」
「まッ…! 待てファイア! そろそろ鳴聖画の効果が切れる!」
ファイアさんはブラッドの手を振り解くと、先生の元へ走っていってしまう。
鳴聖画に時間制限が…? 魔領人ではないファイアさんが、この状況を一人でどうにかできるとは思えない。
「痛っ……!」
バシャンと音がして、ファイアさんは先生の横で倒れた。先生の周りから黒く濁った水が溢れ出し、新しく結界が張られていく。内側だけ、鳴聖画の効果が切れたようだった。水に浸かっている膝は赤く、毒を持ったように腫れてとても痛々しい。
「ファイア!! げほッ」
「無理すんなブラッド、ファイアなら大丈夫だ」
「で、も……ッ」
ブラッドがファイアさんの後を追いかけたが、かさの増した水に足がもつれて転びそうになる。
「大丈夫だよブラッド! ファイアは強いよっ!」
ファイアさんは、地面から手を離して立ち上がった。ボウッと柔らかい音がする。黒々としたファイアさんの髪が、ゆっくりと赤く染まっていく音だった。それはまるで、堂々と揺れる炎のようで。
「Past dialogue」
問いかけるようにそう呟いた瞬間、朱色がかった炎が先生を暖かく照らした。パチパチと爆ぜる小さな火の粉が魔法をかけるように辺りに落ちていく。その光景に、誰もが目を奪われていた。
水は炎を消す。反対に、炎は水を蒸発させる。炎は水に弱いと、俺のゲーム脳は完全に思い込んでいた。
校庭に溜まっていた、すべての水が蒸発するほどの威力……ファイアさんは、俺と同じ人間なのか? それともまた、これもノワの発明なのだろうか。
すべての水、すべての炎が消えたとき、赤い歪みは消え、いつもと変わらない三兎解高校がそこにあった。校庭の真ん中には俺の知っている先生が……八槇澪だけが倒れている。それを見下ろしながらこちらを振り返った黒い髪の少女が、先ほど起こった出来事が嘘ではないことを証明していた。
「ファイア、さん…」
「…ファイアはまだ、ヒカリにたくさん嘘をついてます。それでも……良いですか?」
口元しか見えない彼女はぎこちなく微笑むと、その場に崩れ落ちた。
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炎、炎、炎……。
何処まで行っても、どんなに歩いても、見える景色は一つだけ。
小さな家の中で、泣いている。パチパチボウボウ。何かが、聞こえる。声を上げて、助けを求めているのかも。でも、助けは来ない。だって、あなたたちがわるいから。
燃え盛る炎に囲まれて。燃え盛る炎を見上げて。何もできない小さな子は、ただ呆然と立ち尽くす──いい気味ね。
わるいのは、あなたたちの母親だから。アタシたちは、何もわるくないのだから。アタシは、わるものをやっつけたの。すばらしいことでしょう。領域のために、がんばったんだから! ほら、すごい? ねえ、ほめて?
……それなのに。なんでこんなことになったの? なんでアタシたちが、こんな目にあうの? 領域を守ったパパは…王は、えいゆう、でしょう? どこにいくの? おとうさま。何処へ行ったの、御父様。どうしてそんな暗いところにいるの?
あの人がやったの? あの人がやったのね! そう、ならアタシはあの人を利用するわ! 利用して、アタシはこの領域を、もう一度……。
何処に逃げても、何もしていても、見える景色はあの炎だけ。ああ、もう、わかっていた。自分が何をしているのかも。でも、アタシはバカだから。戻れないことにも気づかないで、上を向いて、口角も上げて…炎に包まれながら、この言葉を繰り返すの。
『綺麗ね、御父様!』