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「キミ…名前は?」
わかっていた、話しかけたらだめなこと。
でも、ソレは他とは違って見えたから。自分と同じ、人間に見えたから。
思ったんだ、助けてあげなきゃって。…困っているように見えたから。
うずくまってしばらく固まっていたソレは、遠慮がちに、こちらを見た。
ゾットするほどに整った見目形。灰色がかったストレートヘアは、光に当たると黄緑に透けた。長い前髪の奥の伏し目がちな目はまつげが長く、雨粒を乗せている。
「…ない、よ。そんなの」
きれいな声だ、と思った。今まで聞いていたのとは全く違う、すっと通った声。
「じゃあ、付けよう! 羨ましいなぁ、自分で付けられるなんて。僕なんか、生まれる前から期待されていなかったせいで…変な漢字にされちゃった。お前は一族の恥さらしだって、能力なんて後から付くこともあるのに」
泥の上に座ったままの彼に手を差し伸べると、白い着物からほっそりとした腕が覗く。
「付けてほしい、キミに」
「■■だよ」
彼の手を握ったその瞬間、今までのことが全部むだじゃなかったように思えた。やっぱり、僕たちはわかり合える。この子たちを、守るべきだ。
名前を教えると、嬉しそうに「■■」と呼んでくれた。すてきな響きだね、と。笑った顔はとても整っていて、僕たちよりもずっと、綺麗だった。
「名前なんて付けたことないから…どうしたら良いのか、わからないや」
「だったら、■■の好きなものが良いな」
「す、好きなものなんて、もっとわからないよ…。…友だち、に、すぐ名前を付けたがる子がいるんだけど…全部変てこな名前になるんだ」
もぞもぞと指を動かしていると、彼はふふっと微笑み、僕の手を引っ張って地面に咲き誇っている花たちの上に寝転んだ。
「■■は、その子のことが好きなの?」
「…え?! ち、違うよ…そんなこと」
ふわり、暖かい風が吹くと、彼の長い前髪も一緒に流れる。穏やかな花の香りに包まれて、眠ってしまいそうだ。
「この花、知ってる? …ぼくは、知らない。この世界がどうなっているのかってことだけ、大雑把に知っていて…近くに咲いているこの花の名前も、知らない」
「……」
白い小さな指先で、柔らかい花びらをなぞって…その姿に、見惚れてしまう。
「この花に、名前を付けよう。ぼくたちだけが呼べる名前。そしたらぼくの名前は、この花と同じが良いな」
青、ピンク、紫……白の上に淡く染まった、たくさんの色。それらはどれも儚く、いつかは散ってしまう。…命があるから。
じゃあ、彼は? 目の前にいる彼は…この花とは違う。いつまでも永遠に、咲き誇ってくれる。…でも、そんなの人間のわがままだ。このエゴが何を生み出したかなんて、わかりきっている。
「じゃあ、この花は…キミは……ウカ。生きる華で、生華…って、ご、ごめん…! そんなつもりじゃ…」
慌てて起き上がって謝ると、彼は花が咲いたような表情で笑った。無邪気なその姿は、年相応の子どものようだった。
「あははっ、良いよ。気にしてない…ヒドく、いい名前だね。気に入ったよ、ものすごく…。生華、生華…ありがとう、■■」
彼が…生華が僕を抱きしめる。それがとても嬉しくて、負けずに抱きしめ返した。
─ドㇰン
「…っ!」
身体の奥のほうから痛みがした。熱を持ったこころが、えぐられていくようで、自然と涙が出ていた。
でも、この痛みが生華のせいなのだとしても。
わからない、話しかけたらだめなこと。
だってキミは、生きているから。人間よりもずっと正しく、生きているから。
僕は間違ってない、だから、やらなきゃ。
一人でも多く、救うために。