4.夕立は太陽を夢見る
私にとっての、太陽。差し伸べられた手、闇夜に浮かんだ星よりもずっと輝いて、月光に照らされた髪が柔らかく反射する。何よりも、ぴかぴかと光る眩しい笑顔。…思い出すのは、いつもあのとき。
狭い世界で生きてきた。永遠に暗い空、代わり映えのしない景色、規則に従うだけの日々。
吐き気、頭痛、目眩。裏切り、鈍痛、嘔吐、頭痛、賠償、目眩、殺傷、冤罪………嘔吐、嘔吐、嘔吐、嘔吐。
口の中が苦かった。甘い、あの子ももういない。
差し伸べられた手を取る。人を温かいと感じたのは、何年ぶりだろうか。
世界が、太陽に照らされた。
そこは…私が生きていた黒い世界じゃなくて。いろんな色、いろんなかたち、いろんな人……初めて見えた、世界。これが、貴方の生きている世界。
朝起きて、話しかけてくれる人がいて、食べ物が美味しくて、遊んで、眠れて、海が綺麗で。
そう、今度は私の番。怖くない、何も恐くない。動けなくなっている誰かのために、顔を上げて。貴方がしてくれたみたいに、次は私が輝くんだ。
思い出すのは、いつもあのとき。
───ほら、海も笑ってるぞ。
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18時、空が朱く染まった時間。
「た、たっ大変だ…! 船がっゴボぉえアッ」
「サンダー大丈夫っ!?」
扉とともにサンダーが倒れ込んできた。毎日数回…必ず吐くので、掃除道具はどうしてもすぐに取り出せてしまう。現在の特技は吐瀉物処理と言っても過言ではない。
この吐き方、船酔い? グリスさんは今、船内にはいないはず…だけど、船が動いてるの?
「さ、サンダー……大丈夫…?」
心配そうな表情で、サンダーを覗き込んだ少年…今日はヒカリがいる。
誰かが動かした。船が勝手に流れてしまった。
後者では無い。元々この船は、魔領域の沿岸に固定されていたのだから。
いつもと違うのはこの少年だけ。この状況に偶然巻き込まれたのか。ヒカリがいるから船を動かしたのか。…ヒカリがやった?それは無い。何故ならこの子は、この状況から逃げたがっているから。
じゃあ、何のために?
サンダーの背中を擦りながら考えていると、頭上からノワの声が聞こえた。
「オーイ、ドヤ顔冷凍みかん服ビリビリビビリイキリ不憫属性ドヤ顔船酔いパーレン号の継ぐ子ドヤ顔サンダー・パーレン、冷凍みかん食うか?」
「………食べる…」
「食べるの?!」
「うオエ……何故だ…もぐもぐ……毎日乗っていて何故…むしゃ…ううん、ガボ…」
酔い止め、筋トレ、深呼吸、食事の改善、好物、ツボを押す…何をしてもサンダーの船酔いは治らない。次はどう頑張ろうか……って、今考えなきゃいけないのはそれじゃない! まずは必死に冷凍みかんを食べているサンダーを落ち着かせること。
「大丈夫…うん、ゆっくり食べて…」
「大変なんだ…」
しばらくすると吐き気が収まったみたいで、立ち上がって続きを話し始めた。
「パーレン号が、動いている…! 父さんもいないし、ここがどこだかわからない、ただ変なのが…」
ここがどこだかわからない…? それは測位システムを確認すれば一目でわかるのに、まさか機能してないの?
「なぁ〜にそんな焦ってんの、まだ朝なんだから日が暮れる前に戻れば良いんでしょ。船長」
おかしい。何かおかしい。だって、どんな状況でも…どんな場所でさえも機能する魔領核を内蔵している。船自体がエネルギーとなって機能しているから、充電切れだなんてことは無い! ……核部分が失くならない限りは。
「朝じゃないよ、ムーン……外を、見てくれ」
サンダーがかすれた声で呟く。
…外。船内にばかり意識が向いていて、考えられていなかった。
気づけば走り出していた。開いた扉から差し込んだ光、ひらけた景色から飛び込んでくる1色が眩しくて、目を細める。…どういうこと?
「………朱い」
ムーンがこぼした言葉。その一言を初めとして、みんなが口々に異変を表す。
「なんで、だよ…どうなッてンだ…!」
「スゲ~朱い! 朝焼けか? キレイだな!」
「さっきまで、朝だったのに…」
みんなの言葉は、船内に聞こえているだろうか。
…サンダーの不安を煽っちゃダメだ。ここでみんなが混乱していれば、情報が錯綜して手がかりがつかみにくくなる。
「こんな空、滅多に見られないよ! これは珍しい海を堪能するチャ〜ンス! 楽しも〜!」
「なっ、こんなときに何言ってんのミュー。これは異常…」
「オウ! その通りだな、行くぜブラッド!」
「お、おう…」
「だよね〜! やっぱ異常なんかじゃなかったわ! あァァ、カメラを魔導館に置いてきたのが惜しい、悔やまれる…! こんなにカワイイノワを撮れないなんてぇッ…!」
良かった、ノワがこっちに付いてくれて。ムーンがこの場を仕切れば、サンダーが立ち直るのに時間がかかってしまうだろう。サンダーが戻ってきてくれなくては、この状況は変えられない。
「はぁ…扱いやすいな、ムーンは」
アイスが後ろでため息をついた。
「アイスは行かないの?」
「……私は、見るだけで十分」
「そっか! じゃあ私は、サンダーたちを呼んでくるね!」
「18時……どういう、ことだ…?」
開いたままの扉へ小走りで近づくと、ヒカリの声が聞こえた。二人の表情は曇っている。ふぅ、と息を吐いて背筋を伸ばす。
「考えていてもしょうがないっ! こんなにキレイな夕日、見れる機会そうそうないって! ね、ヒカリ、サンダー、ファイア!」
貴方は太陽。いつだって導いてくれた、私の世界を照らす光。
あのときと同じように、手を差し伸べる。
助けを必要としている誰かに、暗がりで息を潜めている誰かに、一緒にいたい誰かに、寄り添うためにっ!
「この時間を楽しもう! 心配しなくても、海はいつも通り笑ってるよ!」
私が輝きたいのは、太陽の光を知ったから。
「わかっています、遊びましょう。この夏は」
ファイアの手が重なる。
「ほら! ヒカリ、サンダー!」
「俺たちも行こう、サンダー」
「…ヒカリ」
ヒカリの手を取ったサンダーは、腕を上下に振られ、驚きの混ざった嬉しそうな顔でヒカリを見ていた。
その行動によって完全に回復したであろうサンダーが、ヒカリの腕を引っ張り、飛んでいってしまいそうな足取りで走っていった。
その光景に、口元が緩む。
「ヒィ…ッ! さっ、サンダーっ! そんなに走るとまた…」
「うおぇあ」
は、吐いた!
「ああーーーっ、大丈夫?!」
急な運動に器官が追いつけなかったのか、サンダーが再びもどしてしまっていた。べしゃ、と崩れ落ちたのを見て、急いで駆けつける。
「っは! 大丈夫だミュー、オレは復活した!」
サンダーはシャクトリムシのような体制でうつ伏せに倒れている。あちゃー、充電切れ?
「ごめんねヒカリ、向こうのテラス席に座ってて! 後でサンダーも連れてくからさ!」
「ぁ、えと、俺が…運ぶよ」
ヒカリは相当な人見知りで、サンダー以外と話すのは苦手みたいだった。視線は床と一体化しているサンダーに向けられている。
「ミューはアナタにそんな体力が無いと思って提案しているんです。アナタのような普通の人間以下の身体能力では、脱力しきったサンダーを運ぶことは不可能でしょうね」
「へっ……?」
掃除道具を片していると、私が返事をする間も無く、隣で可愛らしい声が単調に毒を吐いた……しまった! 知らない人に対して当たりの強い人見知りと、知らない人が大の苦手の人見知りをエンカウントさせちゃった!
「あぁっ、ゴメンね!? 人見知りなだけなの! 今すぐサンダーを運ぶね!」
サンダーの上半身を抱えて、テラス席へと引きずる。力の抜けた人間は重いというけれど、本当に重い…っ!
「悪い、ミュー…力が、抜けて……あぁ、本当に情けない…何としてでも治してやる…!」
「全然気にしてないよ! いつものことだし!」
「ぐ……ッ」
「えっ、だ、大丈夫?!」
机に額をくっつけて動かなくなってしまった。
「い、イヤ、ナンデモ…ナイ」
「そう? じゃあ、私は海を見てくるね!」
ヒカリがこちらに歩いてきていたので、私はそそくさと退散する。
この状況を解決する方法を探さなければ…みんながあのことに気づいてしまう前に。
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船内に漂う静寂。このだだっ広い空間にひとり、置いてけぼりにされたような…過剰な静寂。みんなは甲板にいる。正しい情報が手に入るまでは、何も考えないで楽しく遊んでいるのが一番良いに決まっている。
パーレン号には13人の乗員、今日はそのうちの10名が留守?
私がココに来てからの2年間、そんなこと一度だって無かった。もしかして、グリスさんがサンダーに宛てた試練? グリスさんがヒカリの存在を知らなかった場合…うん、あり得る。頼りにできる大人がいないとき、突然変な空間に放り込まれる…グリスさんならやる可能性は十二分にある。サンダーも、まさか私たちまで巻き込んで試練を与えてくるとは思わないだろう。
ただ……。船を継がせるために与えた試練で、測位システムの核がわざわざ取り外されている。これも、臨機応変に対応するための試練なのだろうか。魔領核の在り処を知っている誰かが、意図的にそれを外すという事態に対応するための……。
「こっちの時計も、18時……」
18時─ヒカリの時計が示した時間。サンダーが酔い出したときから、1秒だって進んでいない。空の色を変えただけではない。測位システム以外にも、何らかの力が作用していると考えて良い。
船が動く前、魔領域の海は朝だった。考えられるのは時が進んだのか、昨日の18時に戻ったのか…だろうか。
「なーにしてんの、ミュー」
「うわあッ! アイス……」
いくつかの時計を確認して、部屋を出ようとしたとき、ふわふわした物体…アイスが上から降ってきた。…逆さまで。逆さまで!?
「す、すごいっ!! 器用だネ、アイス! それに、この場所までたどり着ける人は…乗員以外に初めて見たよ!」
「はは…ありがと、何となく進んでたら来れちゃった。昔から迷子になったことは無いんだ…っと、慣れたもんでしょ」
そう言いながらアイスは、綺麗に一回転してから私の目の前に着地した。…いけない、疑心の種が生まれては。この場所に来るための暗号は、果たして何パターンあるのか毎回変わる。答えだって乗員しか教えられていないものが多い…たまに変なクイズが混ざってるケド。
結構ムズカシイと思ったんだけど……もしかしてアイス、尾行した? 私が一人で行動してたから、違和感を覚えたの? …どうしよう、不安は拭わないと。
「そうだ! みんなは今何してるの?」
楽しいことを考えないと。楽しくさせないと。
「そうそう、ちょうどそれを言いに来たトコ。サンダーが沖のほうに戻ろうって、メッチャ速く船を動かしてるんだけど…北、西、南って三連敗中。さっきまで東らへんに進んでたっぽいけど、もう択がないみたいだな。ハズレ」
「……サンダーが? …あっ、そっか! 流されてる可能性もあるってことだね! …ん、エ?! メッチャ速く?!」
船が少しでも動いたら、サンダーは吐いてしまう。一応対策はしているけれど、対策という対策になった試しがない。なのに、メッチャ速く船を?!
サンダーが酔い始めたのはあの数分。流されている可能性なんて無いってサンダーが一番わかってるはずなのに…どうして。
「流されてる可能性…も? ねぇ、ミュー。やっぱり何か気づいてるんでしょ。他の可能性って、何?」
「えっ……いや、私はそういうの…わかんなくて…ぇっ、あ、アイス?!」
無言で腕を引っ張られ、額がコツンとぶつかる。
「なんで一人でこんなトコにいるのか、当ててあげる。…怖いんだ」
「…へぁ?」
何の話をしているのかわからなくて、変な声が出た。怖いって…何が? そんなモノ、無いよ。だって私は…私は、みんなを…。
「この状況に不安になって、混乱して、自信を無くして…。苦しそうな顔をしたみんなを…サンダーを見るのが、怖いんだ」
「な、何言って……」
腕を振り払おうとして身を引くと、さらに強い力で引っ張られる。背中に手を添えられ、逃げられない。
「一人で調べて、抱えて…何もなかったことにして、解決? ねぇ、こっち向いて。ちゃんと見えてるの? 私たちのコト」
「……どうしたの? アイス、みんなは…」
数秒の沈黙…その中で、小さくプツプツとした機械音が聞こえた。アイスは自身の耳から取り外したソレを私の前に掲げる。暗い船内に流れ込んだ朱い光が、ソレに反射していた。
「ぁ…コンブ…?」
不器用に結ばれたリボン型のソレは、ノワが発明した小型通信機器…オデン・デン・デデン─声に出して言いたくなるね!─のコンブだ。
「そーなの、なんで昆布なんだろうね。もっとカッコイイのが良かったんだけど」
カッコイイおでんって何?! って言いたかったけど、口は開かない。アイスは再びコンブを耳に装着すると、おもむろに腕を離してくれた。手に滲んだ汗をごまかすように拳を握る。
「みんなが何してるか…だけど。男子どもがデッケー水滴みたいなのでドッヂボールしてて、床が水浸し。ノワが投げまくってるせいで、水の音がうるさい」
巨大な水滴で、ドッヂボール!? 楽しそう! 遊びたい! 参加したいっ! ……はっ。危ない、釣られるトコロだった。
アイスは小型通信機器でみんなの様子を聞いている。依頼以外で使うなんて、一体誰と…何の目的で繋げている?
「そうなんだ! イイね〜、ドッヂボール! 私もやってみたいなぁ! ……ファイアとムーンは?」
「……怒る?」
アイスは一度目を逸らしてから、再度私の目を見て言った。
「エッ?! お、怒らないよっ!」
「そう。…私たちは今、ノワから頼まれて調査をしてるんだ」
ノワ? なんで、ノワが。遊んでるのに、調査してるの? …やりたいことを両方できるなんて、羨ましい。なんて、ダメだよ。今はそんな場合じゃない。
「そ…ソレで、何が…わかったの?」
聞かないと。それで、どうにかしないと。
「……。海面に結界が張られてる、イマはそれだけ」
「そッか…やっぱりこの海からは出られないんだ……」
それだけ? 本当に、それだけ…? どこまで知ってる? どこまで、気づいてる?
私が…私が解決しなくちゃ。照らさなきゃ、太陽みたいに輝かなきゃ。みんなが傷つかないように…苦しまないようにしてあげなくちゃ。無能なままなんてイヤだ。考えろ、何でこんなことをしたのか? 考えろ、みんなが嫌な気持ちにならないためには? 考えろ、考えろ考えろ…っ! …どうしよう、どうしたら? ……このままじゃ。
「やっぱり、ね…。私は、海面に結界が張られてるって言っただけで、海から出られないなんて言ってないよ。
ミュー、私のコトを見ようとして…答えて。キミは何を知ってるの?」
見ようとして、って…見てるよ? アイスのコト。目が合ってるじゃん。そんなこと言われても、答えられないよ。私はみんなに笑顔でいてほしい、みんなが幸せならそれで良い。私はみんなが………みんなが、怖いの? みんなを見るのが、怖いの?
「……」
頭の中が霧で覆われたように、考えることが煩わしい。きっと私は隠しごとがヘタなのだ。
眉毛一つ動かさなかったアイスは、一、二歩私から離れて言った。
「良いよ、待っててあげる。私は先に戻ってるから…ミューも来てね」
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ハシゴも使わず上に戻っていったアイスを見ながら、ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。みんなは真実にたどり着きそうで、私はまた、何もできない。それどころか、足を引っ張っている。私が何も言わないせいで。
「だって、バレたらあの子が傷つくに決まってる…」
隠すのがヘタなせいで。
「アイスは早くみんなを助けたがってる…」
私は、みんなの笑顔を黒く汚そうとしている。
「そんなんじャ……っ!だってみんなは、それぞれ別のことを望ンでいて…なんで、こんなことを…? あの子は、他のみんなに悪いことを? イヤだ、やめて、どうして…私、そんなみんなは…っ!」
…見たくない?
怖い。怖いんだ、みんなのことを見るのが。不安、恐怖、焦燥。悲しんで、取り乱して、傷ついて、苦しそうなとこ、全部を見るのが。
寒いよサンダー。やっぱり私は太陽には成れない。暖かい太陽の近くでその光を浴びているだけで、輝けない、助けられない、笑顔にできない。俯いて、体を震わせることしか…できない。
「何してるの、そんなところで。また新しい…アソビ?」
小さな笑い声とともに降ってくる声…振り向くと、青い隻眼と目が合った。
「び、ビックリしたーっ! 今までどこにいたの? 今日はヒカリッていう子が来ててね、アッ、さっき挨拶してたよね! アクアもきっと仲良くなれるよ!」
空元気でまくし立てると、アクアは何も応えずに歩き出す。部屋の中に置いてあったティーカップの中身を、小さなスプーンでくるくるとかき混ぜてから、ぐいと流し込む。コクリ…喉を鳴らす音。
「アクア…?」
「遅ィ゙んだよ゙愚図」
ガシャん。手から滑り落ちたティーカップが、バラバラに砕けて床に散らばった。
「ね、ねェっ、どうしたの? 大丈夫?!」
声が聞こえていないのか、私を通り越して天井に付いた扉へと移動していく。垂れた両手と力なく浮いた両足、まるで何かに引っ張られているような…平行移動? ウソ…こんなの、完全に…。
「待って!!」
ズズ…体から伸びている何かを伸ばし、上へと消えていく。あれは……生き物の、手?
アクアの通った道には煤を引きずったような黒い2本の跡が、レールさながら続いている。触ってみると粉っぽい感触がして、人さし指の腹が黒く染まった。
「はやく…追いかけないと…っ!!」
ああ、また間違えた。こんなことなら、アイスに言っておくんだった…っ! 後悔したって、もう遅い。今私ができることは、黒く引かれた道を頼りに…アクアを追いかけること。
…今は暗号を解いている暇なんて無いの! ハッチに付いている電盤を無理やり破壊する。船内に鳴り響いた警告音も無視して、全速力で走る。痺れ始めた指先に気づかないフリをして。
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「ミュー! ああ良かった。今ヒカリが倒れて…って、話してる場合じゃないッ! 一体何が起こってる─ッうわ!」
サンダーが横の扉から出てきてぶつかりそうになった。説明する余裕も無く、サンダーの手を掴んで走り出す。
「ゴメン! ハッチの電盤壊しちゃった! ゴメンなさい…! 謝って済むことじゃないの、でも私が…私がもっと…っ!」
話を聞いてあげられていたら? 寄り添ってあげられたら? いや…私がどうにかしたところで、他人を助けられるとでも?
「違う! 違うんだ、ミュー! オレは…オレの、せいでもあるんだろう?!」
サンダーが警告音にかき消されないように大声で叫ぶ。
……気づいてたの? あのことに。アクアが、私たちを閉じ込めたことに。どうして…ならどうして、船を動かしてみたの? 無駄だって理解ってて、一生懸命元の場所に戻ろうとしていたの? ねえ、どうして何も、いつもと変わらなかったの。
振り切るように足を速めていく。呼吸が速まるのは、走ることに疲れてきたから。後ろにいるサンダーがどんな表情をしているのか、見えない、見たくない。
「なあ、ミュー。オレ怖いんだ。アクアの考えていることを、知るのが」
…怖い。その言葉に、足がもつれそうになる。
「もっと話を聞けたら…アクアのことを知れてたら、こんなことにはならなかったんじゃないか…って。でも、それも傲慢だったな。聞きたいのも、知りたいのも…助けたいって思う気持ちも、オレが勝手に思ってることだ。アクアがそれを望んでいるのかもわからない。迷惑だと思うかもしれない。アクアを助けてあげられたかも、なんて…。オレ自身が、アクアを助けたいんだ」
サンダーは息を吐くと、空いているほうの手で、バシンッと力いっぱい自分の頰を叩いた。
ずっと前を向いて、輝いて。聞きたくない、知りたくない、助けたくない。だって、そのせいで傷ついていたらどうすれば良い?私はもうみんなを見れない。元より無能で足手まといで、みんなが私に手を伸ばしているのに、私はみんなを理解しようと思っていない。こうしたら不安になる、こうしたら楽しくなる。相手をよく考えもせずに勝手に決めつけた。
そんな自分の惨めさに耐えきれなくなって、輝いている貴方さえ、こっちに来てくれたら良いのになんて。
ズぐン、目の奥に痛みが走った。
その衝撃で、掴んだ手に力を入れてしまって…引っ張って、引っ張って、引っ張って──澄んだ青い瞳に、吸い込まれた。
「オレは親友を信じたい」
思わず足を止める。
信じる? そんなの私だって、アクアを信じている。……アクアのこと、全然知らないのに? いきなりパーレン号の乗員になって、勝手に割り込んだだけの私が…アクアの何を知って、何を信じているの?
不意にぱっと手を離される。
「ア、ぁあっ、ご、ゴメン、あの、ほ、ほら! 急ごう!」
サンダーは赤くなった頰をパタパタと扇ぎながら、外を指差した。その光景を見ながらひと粒だけ、涙がこぼれる。手の甲で拭うと、ふわりとリンゴの香りがした。サンダーの頬はリンゴみたいに赤いななんて、関係ないことを思う自分に少し安心する。
自分が何かしてあげられるって? アクアのことも…みんなのことも、自分のことだって、理解しようとしないくせに。
やっぱり朱より、こっちの赤のほうが好きだ。
「エッ、みゅ、ミュー?!」
息を吐く。強く手を握って走り出す。
あーあ! 私、バカだった。知らないから何? 怖いから、何? そんなこと気にしている暇なんて無いの。今私ができることは…
「行こうっ!親友を追いかけるよ!」
────────────────────
「どういう、ことだ…」
サンダーが呟く。
黒く汚れたその姿は、煤を浴びたみたいで、蟻が群がっているみたいで…。心臓部分から飛び出した大きな両手は朱色で、合掌をしている。腰のあたりから伸びた、体の3倍ほどある黒いヒレが、だらりと手足を投げ出した体を支え、体中にびっしりと浮き出た魚のウロコがぱきぱきと音を発する。眼帯の部分には際限なく開いた、爛れた真っ赤な口に、針を思わせる刺々しい無数の牙。本来の口は縫い付けられ、見開かれた目はジッとこちらを見つめている。
……アクア?
「ナイスタイミング…と言っても、全部聞こえてたよ」
「嬉しいぜ〜、プライベートでも使ってくれるなんて。でもまだまだだなっ! オイラなんて、依頼中でも失くしまくってるゼ」
後ろからノワが出てきて、私の肩に手を置く。一体どこにいたのっ?!
「そぉそ、アイスが仕掛けてくれた…そしてノワが発明してくれた! オデン・デン・デデンに、感謝しなきゃねー! まあ、二人が一緒に来たせいで、めっちゃ反響してたけど。それにしてもよく持ってたね〜依頼じゃないのに! さすがアイス、抜かりない」
「それ褒めてるの? ま、念の為…多めにもらっといてよかったよ。パーレン号だっていうのもあるけど、明らか様子が変だったし。何か知ってるならミューとサンダーだと思ってさ。勝手にオデン付けて色々聞いちゃった。もう大丈夫そ?」
アイスとムーンが上から下りてくる。甲板の二階にいたようだ。
「うんっ、ごめんね! みんな、おまたせ!」
「こ、こ、枯骨ッ? なんで、アクアがッ? 死んで…死んでないよなッ!? なあッ?!」
「落ち着けサンパ! 最近は一般ピープルへの感染が拡大しているんだゼ。情報弱者、機械オンチ!のオマエは知らないだろうけどな!」
「なっ……海の漢と言ってくれないか!? いや違う、そんなことはどうでも良いんだ! アクアは…アクアはどうやったら助かる?!」
枯骨の感染症…危険区域で生まれた狂気。Madness Danger Area、通称MDA。討伐対象とされてきた枯骨の意識─俗にいう魂だとか─が人間に感染するこの現象は、異例と言って良い。…危険区域には近づいていないはずなのに、どうしてアクアが?
『何かがホん゙トう、どㇾかガほントゥ゙』
「マズイ、動き出した!」
ぱきぱきと音を立てながら、ものすごいスピードで枯骨が回転していく。大きな両手に振り回されているアクアが千切れて飛んでいってしまいそうだ。
「核を…!」
ファイアが胸元に付けていた赤紫色のブローチを外す。
「本体…本物のアクアじゃないほうを、殺すしか無いです」
そう言うと、ブローチの垂れたインクから黒が伸びていき、刃物がギラリとこぼれ落ちる。ふっ…と息を吹きかけると、くの字に曲がった刃の後ろに炎が灯った。ファイアの専用武器…大鎌。ホント、何回見ても飽きない! この瞬間のために生きてるっ! …ゴメン、それは言いすぎだけど。
「で、でも本物じゃないアクアなんて、いないぞ…!」
「そんなの…ココしか無い、でしょッ!」
ムーンがシャッと空に手を滑らせると、薄紫に輝く弓が現れる。ところどころに散りばめられた星が、朱い光を反射して眩しい。ムーンが弓の上で指先を踊らせ、何か言葉を発する…と、口から舌先を伝って、金色に輝く鋭い矢が出てくる。深い青に浮かんだ月のような瞳で照準を合わせて、アクアの心臓部分から生えている…朱色の両手に向かって放った。
『脳ナシ、能な゙しクスクズグズ愚図』
──ぱき。ズグン…ッ。
鈍い音を立ててめり込んでいく。矢が右手、中指の第二関節に刺さると、脳内に響くように声が聞こえた。確かにアクアの声…だけど、溺れたときみたいに籠もって、息をするのも苦しそう。
「助けてって、苦しいって言っている…! ッ待ってろ、すぐに戻してみせる!」
「はぁ? 『お腹すいた』?マジ、枯骨ってお腹すくんだ…」
「クッヒヒ、『ダっ゙セえ゙発明ばっヵしてん゙じゃネ゙ーよコのヘんタい゙』? 褒め言葉だろ?」
「お゙ェ゙、吐ぎそう。あ゙ー、船酔いか? とりあえず俺のは…ホントウじゃなさそうだぜ」
「はぁ…傷ついてるんですよね。誤魔化してるつもりですか? 良いんですよ、引っ込んでも」
「何、みんな聞こえてることが違うの? 本当のことはどれ?」
私が聞こえたこととは違う内容ばかり…。『何かがホントウ、どれかがホントウ』。本当のことだったら何なの? 内容を気にしないで攻撃しても大丈夫なの?! どうしよう、もしそれで、誰かが死んでしまったら……
ズぐン…。鈍い痛みと、目の奥の違和感。
「どれが本当かなんて、関係ないッ! オレには『助けて』って、そう言ったんだ…! アクアは、助けを求めてる! オレがッ!」
「ッダメだよ! ウソかもしれない、外したら…正解じゃなかッたら、何が起こるかわからないよ…っ!」
首から下げたネックレスを握りしめて、アクアに近づこうとしているサンダーの前に立って止める。何が正解なの? ホントウなの? わからなくちゃ、理解らないと…っ!
「わかりましたよ…。小心者のブラッド(と、ちょっとヘンなミュー…)の代わりに、ファイアが片付けてあげます」
鎌を両手で持ち直し、全身を使って3回転。回るたびに黒いインクが残像を描いている。
「…ぶっ飛べッ!!」
矢が埋まった中指と、人差し指が海の中に沈んでいく。結界を破った? ファイアの遠心力でも2本しか切れないって…一体どれほど硬いの…?
『ざんネ゙ン゙、はずㇾ。ホん゙とヴじャなィよ゙お。クス、グズ。間違えヂゃツ゚タね、オㇱお゙き』
「は、」
ボンっ!
瞬間、立っているのもままならない強さの熱風。朱よりも激しい赤い光とともに、高温の雨のようなものが体の表面に当たる。…火の粉だ。燃えている。
「あ、ああ…オレの魔力で、どうにか海の水を…ッ!」
「いや、ダメだよっ…! そう、私が水を出す…ッ!」
サンダーは元々の魔力量が少ない。海の水なんて運んでいたら、サンダーが倒れちゃう…! 魔力で生み出したモノは人体に影響を及ぼす可能性があるけど…そんなこと言ってられない!
「大丈夫だゼ」
ノワが手で制止する。
「大丈夫なんて、そんなっ! 船が……ファイアが…ッ!」
「ハァ〜。ナカマよりも先に船のシンパイか? まあ落ち着けよ」
「ち、チガウっ! だって…! 仲間もタイセツだけど、船はサンダーにとって…いちばん大切なもので! それに私は、みんなを信じてるヵらっ! 生きてるって、信じてて…」
…アレ?
焦って、煙をたくさん吸い込んで、手が痺れて…頭が、ぐちゃぐちゃする。
「間違ってるよ、ミュー」
「…アイス?」
アイスは私の手を掴んでいた。そのことだって、目で見なきゃ気が付かなかった。……毒が回っている。きっと、人差し指で煤を触ったときだ。あのときから手が痺れていた。
「人の信じ方も、接し方も、助けたいって思おうとしてることも、表面上だけ。サンダーの真似、してるだけでしょ」
ズ グ ン゙ 。
気持ち悪い。何か嫌なモノが、体の芯までじっとりと染み込んでくる感覚。なんで? アイスは、こんなんじゃ無い…正さないと。違う! 私が間違ってる…! ああ、おかしい。どうして。私は、アイスは…!
「違うよ! も゙う理解ったの。信じようッて思エた、怖いとか、サンダーの真似とか…関係ナイ! 私は、今できㇽことをしたいダケ…っ!」
口がそう、動く。そうだっけ、そう思ってたんだっけ?
「それは…」
なんでかな。アイスの顔が見えない。顔だけがペンキをかぶせたみたいに、朱い。まあでも、見たくないから別にいっか!
パラ、ぱら……ポツン。
少し温かい、何かが頭に当たる。…晴れてるのに、雨? 時間はずっと18時から変わらないのに、天気は変わるんだ。
「ぁンなに、燃えてたのに…」
少しの雨のおかげで炎が弱まったけれど、船は黒煙に覆われて近くのモノさえ不明瞭だ。
「はっ…ファイアは?!」
「バァカ、助けねーワケねェだろォがよ」
後ろからファイアを抱えたブラッドが歩いてきた。ブラッドの服は煤まみれになっている。
「すみません、ご心配をおかけしてしまって。まぁ、あのくらい自分でも抜けられたんですけど…意外と、ブラッドの立ち直りが早かったみたいで」
「たッ…別に傷ついてねェケド?!」
「ホラ、大丈夫だって言ったろ〜? コイツはバカだから死なねーんだゼ」
…煤は毒を持っている。あんなに浴びたらブラッドは、動けなくなっちゃう…!
「ブラッド! はやく毒を落とさなきゃ…っ!」
「ア? 毒? …そんなのあンのかよ、ドコだッ?!」
ファイアを地面に下ろすと、服をはらい始める。
「違うっ! ファイアじゃなくて…って、何とも…無いの?」
「え、俺? 別に…」
『イタイ、びㇼビり゙すㇽ。クスクズグズ愚図。進ん゙ぢゃッた。見ェ゙ちゃヅたア゙?』
煙が徐々に薄れていき、ぼんやりと輪郭が見えてくる。
「アクア…ッ!!」
痙攣する本体、ボロボロに崩れていく大きな右手…自分まで攻撃を受けている?
ガチャん。右手が完全に開かれると……中身が、見えた。
「何…? アレ…」
開かれた手の中から覗くのは、水の入った砂時計型の模型と、時計の中に入れられている、上半身だけの…眠るアクアの像?半開きになった口からぷくぷくと泡を出してはいるものの、微動だにしない。
「うっそ…どっちが本物? 真っ黒か、時計の中か……。まだ無事そうなのは、時計のほうだけど?」
わからない。枯骨になった人間は、どんなに痛々しい見た目でも本体じゃないとは限らない。
「生きてる…ッ! アクアは生きてる! どっちだとしても、絶対にオレたちが助けるから…ッ!!」
『な二? な゙アに? ㇹん゙ト゚ウは…ナに゙?』
「来るぞ!」
水時計の中のアクアの口が、ギギ、と動く。声が聞こえる。
『ㇱずんデしま゙エ゙』
ウソ。絶対に!
「…なに?! 『サンダーの戦闘で破れたと言っている服、ホントウはかっこいいと思って自分で破いてた』…?! ふくッ、そ、それってかなりウケるんですけど! マジなの、サンダー…ッ!?」
既に走り出していたサンダーは、ムーンの言葉を聞いた途端にすてん!と勢いよく転んだ。
「ハ…ハアッ?! んんん、んなワケねーだろマヌケッ! 聞き間違えたんじゃねェのッ?! ハア?!」
「誰がマヌケだこのドヤ顔!」
サンダーは顔を真っ赤にしながら、ジタバタと言い争っている。もしかしなくてもこれは…。
「さ、サンダーっ! アクアを助けるためにはホントウのことじゃないと…」
「ホントウだ」
「即答しやがった…」
「ダハハハハハ! さすがダゼ、最高だ…っ!」
ノワが突っ伏して床を叩く……と同時に、
ずダン…ッ!!
大きな衝撃音。
「お、オイラじゃないぞ…っ!?」
「…ハァ…ッ、くそぅ、わかっているッ…! ホントウのことが聞こえたやつ、つまり…」
サンダーは複雑そうな表情をしてから、辺りを見回すと……ものすごい笑い転げ方をしたせいで、床に突き刺さってしまったムーンを引っ張り抜いた。地面に吸収されていた悪魔のような笑い声が、ムーンを引き上げるのとともに大きくなる。
「今はムーンじゃないと、助けられないんだよな…? あぁ…わ、笑っていないで、はやくアクアを助けてくれよッ…!」
サンダーが自分の首に下げられたネックレスを握りしめながら言うと、ムーンの笑いが収まってくる。
「はぁ〜、よろしい。っひヒぃ…! ッおっと失礼。…っㇰふッ。だハァっ! …オホン。スパぁ〜ク?」
パㇱン。弓を叩いて手を添えると、輝きを散らしながら銃のような引き金が生まれる。
「モード・オブ・二十六夜!」
矢が変形して刃に変わる。きらり、金色に弧を描いたそれは、そこに月が浮かんでいるように見えた。
片目を瞑って狙いを定めると、枯骨の左手に向かって月が沈んでいく。
スパん、スパン!
回転しながら飛んだ月は満ち欠けながら一周して、ムーンのもとに戻ってきた。宙を舞う朱色の親指、薬指が空の朱と同化して見えなくなった。
『セ゚い゙かぁイ。だッて、サービㇲもンだいダし。ごめんね、サンダー』
「ば、バレてないとおもっ…いや!戦闘中に破けたのはウソじゃないぞッ!? ああ、アレはだな…」
『じゃァつギね』
「サンダーうるさい。そう言うの間に合ってるから」
サンダーはキュッと口をつぐんでアイスを睨んだ。
こんな状況で、あまり焦っているように見えないのは…いつもと変わらないのは、それが信じるということだから? だったらそんなの、そんなの…私だって!
『ネえ、ミュー。私、ぁな゙タのこㇳ、しンじてㇽよ』
水時計の中でぷくぷくと口を動かすアクアが、こちらを見て笑った。イツモのアクア! もちろん、ホントウ!
携帯している、身長よりも大きなロリポップを手に持ち替える。不正解、つまりホントウじゃないと罰が下る…これはホントウが聞こえた人が攻撃しないといけないゲーム!
──戦闘モード、起動します。
信じてるよ、アクアっ!
かしゃん、何かのスイッチ音。飴が溶けるように先端が開き、なめらかに、銀色に光る槍の切っ先が見えた。それと同時に走り出す。
「待ってくれ、ミュー!」
─ドㇰン…
「ア゙っ…?!」
一回。脳を揺らす大きな心臓の音。…気づかなかった。指先の痺れが、左半身に回っていること。少し触っただけなのに、こんなにも回るのが早いの?
足を踏み出した瞬間、力が入らなくなって、その場に崩れ落ちる。
なんでブラッドには効いてないの? 私だけ? でもだって、この痺れは本当に……。もしかして、みんなして私を騙してるの? 船と時間が動かないのも、アクアが枯骨になったのも、全部ウソなの?
─ドㇰン゙…
変な感覚。脳にどろどろとした液体を流し込まれてるみたい。周りの声、聞こえない。
視界がぼやけてきた。膜で覆われたように、瞬きができない。サンダー、何か喋ってるの? わかんない、わかんないよ。
─ド ク ン
目が、閉じㇾな゙い。なのに、何も見エない。体の表面が固まってしマ゙うのがわヵる。負丿感情が湧き上がる。
─ドㇰン
ああ…もㇱかして、枯骨にナる゙の?コㇾが、MDA?
─ド ク゚ ン
…信じㇽとか、みンな゙のたメとか、もウ考え゙なくて良い?
そヴだよ。アイスも、なんで私丿こトそんナ゙目で見ㇽの? 私はタだ、ずッと、ずうッ゙ト゚サンダーみ゙たイになㇼたくて…
─ド。
え? サンダーみたいに? 違うよ。確かに私にとっての太陽はサンダーだし、私は太陽がいないと輝けない。でも私は、太陽になりたいんじゃない。私は…
『あなたが心から望むのは、何?』──もちろん、サンダーみたいに輝くことですっ! 輝いて、サンダーみたいにみんなを笑顔にするの!
『……サンダー? おっしゃる意味が理解りません。だって彼の輝きは、あなたのモノでも、彼のモノでも無い』──そっ、そういう意味じゃないっ! それに…貴方に理解らなくたって、私が理解ってるんだから、叶えられるはずだよ!
…ああ、そうか。今、理解ったよ。サンダーだけが輝いているように見えたのは、私が…その部分だけが世界のすべてかのように思い込んだから。誰か一人だけが輝いているんじゃない、誰しも一人ひとりが…輝いている。それは決して、自分の光だけじゃなくて…誰かの光を反射しながら、輝きを増していくということ。みんながみんなを支えているということ。
ねぇ、それって…海に似てない? 周りの光を反射しながら、色を…かたちを変えて、輝いて。私は海を信じてる! 表面だけの付き合いだとしても、私たちを支えてくれて、いつもそこにある。見えないところも、知らないところも全部、海そのもの。
手に届いてしまっていて、見ようともしなかった当たり前の中に…答えを見つけた。
決めたっ! 私が心から望んだ願いは…
───此処に存在ること!
────────────────────
「そうと決まれば話がはやーいっ!! あだっ!」
勢いよく起き上がると、私のことを覗き込んでいたサンダーと頭をぶつけた。この石頭っ!
「あ…みゅ、ミュー…ッ! よ、かった…良かったッ!! ああ、煤を吐いたと思ったら、眼球から…黒い植物が……良かった! 戻ってきてくれて…!!」
ぽたり。頬に温かいものが落ちた。…サンダー、泣いてるの? 私のせいで…ううん、私のために。
「スッゴ……枯骨になりかけて戻ってきた人、初めて見たよ」
アイスが手を引っ張って起こしてくれる。
「えっ、やっぱり枯骨に!? どうして…って、そんなことはどうでもいい! アクア優先っ! サンダー、さっきはなんて聞こえたの?」
「あ…ああ! そのことだが、オレだけずっと『助けて』としか聞こえなくて…」
相手にばら撒いている自分の毒で、痺れて、苦しんで、動けなくなって…。本当か嘘か? そんなこと考えなくたって、今一番助けを求めているのは…アクアだ。
変なルール勝手に見いだして、助けようって決断をすることすらできないなんて。枯骨になりかけだったとしても、自分の意志だった。仲間よりも船が大切? サンダーがそう思ってる?! 今まで何を見てきたって言うの? 親友失格っ!
「そう! じゃあ、それがホントウ! 私が勝手にそう信じるっ! 本心じゃなくても、やるっきゃないっ! サンダー、お願い」
ズズッ、音がして後ろを向く。アクアが、苦しそうにこちらを見ていた。合わせていた両手は完全に開き、水時計は水を抜き続けている。
今度はサンダーの真似じゃない、私は自分の意志で…アクアを助けたい。
「ああ、任せろッ!」
サンダーが応える。魔力量が少ないから、何? サンダーならできるに決まってる!
金色の髪がバチバチと音を鳴らして光を放つ。ネックレスを囲うように、指を合わせて薬指だけを折り込んだ。青い双眼にしっかりとアクアを宿している。
「頑張れ、アクア…ッ!」
強さも、弱さも、全部を吸い込んでから、彼はその言葉を口にした。
「Courage… to lightッッ!!」
ゴロッピシャーァンッッ!
龍のようか雷が、ジグザグに空を猛進する。火花を散らしながら水時計に突っ込み…
パキッ。
聞こえてからは一瞬で、ガラガラと砕け散ったガラスの破片は魚のウロコに姿を変えていった。
「構えろ! 第3形態だ…ッ!!」
だらりと垂れていた長いヒレが、水時計の中で眠っていたアクア…枯骨を、アクアの心臓部分から引きずり出す。しっとりと濡れて深い藍色になった髪、てらてらと濡れたウロコが虹色を映しながら鈍く光る。両手、首にはいろいろな青を落としたようなウロコの模様…耳元まで裂けた真っ赤な口を歪ませると、細長く尖った無数の牙が覗いた。……そう、彼女は人魚。
『な゙んデ? ナん゙で? ィる゙の゙? 来タ丿? 来ナい゙デ、見ナ゙ぃで…とら゙ナ゙いデ……消えて。ゔッ…ヒゅ゙ㇰ"ア゙ぁァ゙あ゙アアアッははハハはははハハはッ!!』
金属を掻きむしったような不協和音が、どれだけ耳を塞いでも流れ込んでくる。これは、笑い声? この周波を浴びていると皮膚がズタズタに切れてしまいそうだ。
「…綺麗な…歌だな……」
「声デケー! なんにも聞こえねーゼ! うおおお! ウンコウンコ!」
「聞こえてンだよボケがァ!」
…なのに、みんなには歌に聞こえているの?
枯骨の口は全開のファスナーのごとく…ぱっくりと開いていて、頭部の半分は垂れ下がって見えない。
「…ッゔ」
ぐしゃッ。背後で物音がして、咄嗟に振り向く。
「ブ…ブラッドっ?!」
黒ぐろとした長髪が、雨に濡れてつやつやと光る。ブラッドはうつ伏せに倒れて動かない…けど、息はしている。寝てる…? 疲れた…からじゃない。この歌だ!
一人、二人、三人…。音を立てて倒れながら、次々に眠っていく。
「ムーン、ファイア、ノワ…っ!」
どうしよう、次は…次は、私かもしれない。何もできなくなる前に何か、対処法は…!
『クス…。憐れ、あわれ。よ゙ワい人かラ゙毒さレてく…ふふふっ゙莫迦な゙ヤ゙つㇻ!』
「弱い、人…? ははッ、ああ、くそっ…。オレたちは弱くない…っ、ホントウに、弱い…のは……ッ」
「サンダーっ!!」
ああ、もう、何もできないの?
心臓の鼓動が大きくなっていく。この感覚、また…。
「ごめん、ミュー…私、何も……あは、ヒドイよね。あんな偉そうな口、聞いといて…」
「そんなコトない…っ! アイス、私だって何も…」
ふらふらと歩いて手を握る。アイスは私を抱きしめると……背中に付いていた何かを取り外した。
「っえ? アイス?」
ひらり、手のひらに収まっているソレを掲げる。ノワの発明した通信機器、オデン…の、なにこれ?わからないけど、私はチクワが好きだよ!
「くくっ、これはもう…必要無い、な……ミュー、信じてるよ」
「っあ…」
『ァ゙はハハハはハハははっ゙ッ! サぃ゙ゴな丿? アンタが? …あ゙ハッ゙、ふざけやがッ…ヵヒゅ゙……ッゔ…あ゙ァっ゙、ハハはハッ!!』
血とともに漏れ出てくる枯骨の呼吸音が、とても苦しそうで……私は、歩き出していた。不思議と心は落ち着いている。頰の肉が切れて、熱く血が滲む…ふわり、リンゴの香りがした。ああ、やっぱりそうだった。アクアが持ってきてくれたリンゴジュース。アレには枯骨化する何かが混ざっていたのだろう。
アクアが考えていること、全くわからない。どうしてこの空間に閉じ込めたの? どうして枯骨になったの、どうして……。
「…話さなくたって良いから」
ただぎゅっと、抱きしめる。能力の無い私にできること。怖くたって良い、見たくないなら見なくて良い。無理して輝こうとか、無理して人のためになろうだとか…思わなくて良い。…なーんて、私が言えた口じゃないけど。
なんで枯骨なんかになったの? 一体何が辛くて、何に頼ってしまったの? 他人の信じ方もしらないで、私は…アクアは、何をしようとした? 本当は全部、話してほしい。でもそれだけじゃダメだった。私が向き合わなかった。そんなことしなくても仲良くできると思った。こんなにも理解らないのは、私がアクアを、みんなを、自分自身を理解しようとしなかったせい。
「………ミュー」
平坦な声が聞こえた。
「…アクア?」
顔を上げると、青い隻眼と目が合った。アクアが名前を呼んでくれるなんて、珍しい。…いや、そうだった。自然すぎて忘れてしまうところだった。このアクアは、枯骨だ。
「殺してみて、ミューの手で」
ウロコまみれの手が、私の心臓部分に触れる。やっぱり、何を考えてるのかわからない。わからないのが…当たり前。理解しようとすることが大切。でも全部を理解しようだなんて、全然…的外れ。
──ミューが? えー…ムリだよ、だって…。
何百回言われたことだろう。ミューだからムリだ。だって、無能だから。
危険? 無茶だって? 心配どうもありがとう! でも大丈夫。私は枯骨が、アクアが怖くない。だって、みんなが私を信じているから。
「もちろん、喜んで!」
──戦闘モード、起動します。
かしゃん、槍の穂先が明るい光を放つ。姿を変えていく海のように、いろんな色に光ってゆく。反射して、反射するたびに…光を増してゆく!
「魔導ナンバーいち! ミュー・ウェンディ! みんなの心からの…ぴかぴかな笑顔のためにっ!!」
吐き気、頭痛、目眩。裏切り、鈍痛、嘔吐、賠償、殺傷、冤罪。不安、混乱、疑心、恐怖、焦燥。悲しんで、取り乱して、傷ついて、苦しそうなとこ。
でも……それすら輝かせてしまえる、たった一つの魔法。
「世界を照らせ! …A little magicっ!!」
空の朱さも、この暑さも、海に張られた結界も…みんな、全部を照らす陽光を…笑顔を、あなたのために!
──眩しい。かすかに目を開けると、入ってくる白い光。それと…サンダーと、アクア?
夏。夕立が、ちょうど止む頃。雲の隙間から差し込む陽光に、差し出された傘。
驚いて泣きそう顔をしたアクアと、ヘタクソな笑顔を得意げに浮かべるサンダー。二人の髪の雨粒が、キラリと反射する。サンダーが傘を押し付けるように握らせると──アクアは、いつにも負けない飛びきりの表情で……笑った。
────────────────────
「…ゥ…ミュー…!」
霞んだ視界にぼんやりと映る金色の髪。鼓膜を震わす波の音に、窓から差し込む柔らかい陽の光……あれっ? 寝てたっけ? みんなと遊んでて、ケーキを食べて、それで…。
「はっ、アクアはっ?! あだっ!」
「いでッ!」
ゴチン! 覗き込んでいたサンダーと頭がぶつかった。この石頭っ!
「イタ…痛ぁ…」
石頭のくせに、自分が一番痛そうにするのはいつものことだ。
「ハッ…! 良かった、ミュー! 起きたらミューが魔力開花して、二人して倒れて……ああ、アクアならまだ起きていない。大事なときに眠ってしまって、すまなかった! いや、違うな。魔力開花、おめでとうッ!」
「あぁっ! そうだ、魔力開花したんだった! いや〜ぁ、ありがとうっ!」
「んま、ひとまずおつかれサンだったな〜。オイラは変な夢見たぜ〜。サンダーが自分の服をビリビリに破ってる夢を、な!」
「ッハァ゙?! テメェ……あ、へ、変な夢だな…ありえないッ! そそ、そういう夢は忘れたほうが良いぜッ!」
いつも通りの光景に、口元が緩む。魔力開花は有り難いことだけど、この光景のほうが私にとっては有り難いものだ。
それにしても、時間が変わらなかったのはどうしてだろう。アクアが持っていたMDAになる何かは、どこから? 結界を海に張ったのはなんで? グリスさんからの連絡はさっき入っているみたいだ。外部からの通信は遮断されていた。それに……。
「ミュー、ミュー…はぁ、やっぱり聞いてないですよ。いつもの長考です」
ファイアが手をひらひらと振り、ため息をついた。エメラルドの瞳が、くるくると円を描く金色を映している。
「職業病もいい加減にしてほしいよな〜」
「まだ職に就いてはいないだろう…! とりあえず、戻ってこれてよかったよ。…オレはヒカリを見てくる、迷子になられても困るしなッ!」
一直線に伸びたアホ毛を回転させ、サンダーが中央の扉へ走っていく。今日のこともあって、服が一層ビリビリになっているように見えた。
「…あ、オデン返してもらうの、忘れた…。こんにゃく気に入ってたのに、急いでポケットに入れちゃったからな…まあいっか、後で返してもーらお」
いろんな色、いろんなかたち、いろんな人……初めて見えた、世界。これが、私の生きる世界。
朝起きて、話しかけてくれる人がいて、食べ物が美味しくて、遊んで、眠れて、海が綺麗で。
「ア゙〜〜、眠ぃ。まだ14時なのか? 寝放題じゃねェか」
「え? ウソでしょ、今起きたばっかじゃんヤバ、やっば! ダはッ、待って思い出しちゃった、サンダービリビリ……ヒい! に、二重の意味で、ビリビ…っ…ダッは!」
そう、これが私たちの当たり前。大切な大切な、大好きな当たり前。こわくても、動けなくなっても、私は海とともに存在る。
思い出すのは、いつもあのとき。
「よぉーし! 気を取り直して遊ぼーうっ! まだまだ時間はあるんだしっ! ほらみんなも! いつも通り、海が笑ってるよっ!」
────────────────────
ぼこぼこと籠もった泡の音、暗い室内をアクアリウムに付いた電灯だけが神秘的に照らしている。
「ああ゙あ゙あ゙っ、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した…ッ!」
パキ、ぱきと音を響かせると、持っていた電子機器を放り投げる。
主人公はあんなじゃない。返して、許さない、何もかもを奪ったくせに。
ティーカップを棚に片付けると、乾いた金属音が鳴る。
「姉さんみたいに成りたくないの」
今回は計画が悪かった。何も無い…でも、お前のほうがもっとずっと、何も無いっ…!
……まさか、殺せるなんてね。
つつ…と、まだ電気の流れている球体をなぞる。指先が少し痺れて、こっちに移ろうとしているのがわかる。アクアリウムの中に投げ入れると、ぷかり。私の命だって、お前らから見ればこんなモノ。浮かんだ金魚の、赤くひらひらとしたヒレがまるで…。それを見て少し、顔がほころぶ。
騙されちゃダメ。ほら、貴方たちみんな、着いてきて。…だって、私がヒロインなのだから。




