2.パーレン号、出航!
紛れもなく主人公だった。差し出した傘、雲の隙間から光の差し込むタイミング、背に受ける太陽に、得意げで下手くそな笑顔。
広い世界をたくさん見てきた。どんな色に染まった空も、知らない表情になる海も。街だって救ったし、事件だって解決した。
そう望むなら、願うのなら…こうすることで、ずっとそうやって居られるなら。…易いことだった。
…でも、それが間違いだった? 主人公が手を差し伸べるのはいつも、困っている誰か。苦しんでいる誰か。傷つけられている、誰か。
じゃあ、アレは何? 主要キャラクターですら無いモブのくせに、後から来たくせに。そこは私の席のはず。嗚呼、貴方のそんな表情、知らない。そんな目、話し方、笑い方、仕草、全部。知らない、知らない、知らない、知らない!!
…ねえ、今困ってるの。苦しんでるの。傷つけられてるの。……ほらね、また。こっちの気も知らないで馴れ馴れしく話しかけて。
───本ッ当、反吐が出る。
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空いっぱいに広がった朱、淡く染まった夕雲。鼻を抜ける透明な海の空気、そして水平線に沈みゆく太陽……。床に倒れ込んだ船主を背景に、優雅に紅茶を喫する…フフ。俺は今、人生最大に夏を満喫しています。え? 普通じゃないって? …ハハ。普通を演出するために1日くらい普通じゃない日があったって、それは普通なんじゃないかな? ……。俺だって『普通』でいることを諦めたわけでは無い。この変人たちから逃げられないなら、ここでの生活も『普通』に過ごすしか無いッ! 溶け込め、溶け込め俺…!
「ということでよろしく、ヒカリ」
時は戻って午前9時過ぎ。天才!レインボークラッカーマシン第8号クン──巨大クラッカーの紙吹雪を受けて、カラフルになった後である。どうやら俺は歓迎されているらしい、差し出されたアイスクリームの手を躊躇いがちに取り、抜けてしまった腰を立て直す。
「ぁ…あの、俺は別に…」
もうここには来ない…いや、来るかな…。関わる気は無い? 失礼だろう、それは。…あ、働く気は無い? そう、働く気は無くてですね。言葉を探しているうちに喋るタイミングがなくなってしまっていた。
「ジャジャーン! ヒカリと仲良くなりたくて、パーティを開くことにしましたっ! ビックリした?! ビックリした!?」
「え、あ、あ、うん」
俺と、仲良く。へ、へえ。普通に友達がいなくて人と話す機会が少ない俺には新鮮で─決して心が浮ついたわけでは無い─思わず返事をしてしまった。右隣で長いポニーテールを揺らしながらぴょこぴょこと跳ねているミューは、俺の返事を聞くと嬉しそうにニコと笑った。
「そぉそ、イロイロ考えたんだよね〜。アンタと仲良くなるために」
背中に付いている羽を畳みながらムーンが言う。コイツ、俺がその単語に弱いとわかってワザとっ…!
「ヒカリ歓迎会はオレの船でやることにしたんだ! ああっ、オレの…って言っても、正確にはまだオレのではないんだけど…とにかく来てくれ、今から!」
「エッ、今から?!」
金髪の少年、サンダーがジッと見つめてくる。昨日まで敬語だったはずのあの子だ。…駄目だ、その澄んだ瞳で見られると拒絶の言葉が出てこない…!
「てことで行くぞ、モタモタすンなよ」
「ぅわぁっ」
間の抜けた声が出てしまった。いつの間に後ろに回ったのか、「ちょっと待ってろ」の人─ブラッドが、頭巾を被った女の子─ファイアを片手に抱えたまま俺の背中を膝で押している。ブラッドは背が高いので、ファイアを持ち上げると俺のほうが目線が低くなるのだが、やはり下から見ても顔がわからない。
「ちょ、まって、待ってください! 俺はここに来て何をすれば良いって言うんですか、できることだって少ないし、それにいきなりこんなこと言われても…! ……こ、困るって、言うか…」
俺の声を聞き取るためか周りが静かになり、注目が集まる。顔がブワと熱くなった。
「あーーっ! 忘れてた、説明するの! ごめんね、嬉しくってつい!」
「オレから説明をッ!」
ミューが全身を使ってワタワタしていると、サンダーが俺の両手を握る。そして案の定上下に腕を振っては、俺の髪についたホログラムに気づいて一つひとつ取り始めた。
「ここは『魔導館』。本も取り扱ってるけど、大体は"お願い"…依頼を受けているんだ」
「依頼…?」
「ああ。他人のできないことをできる限り、オレたちが代わる…っていうか。所謂…」
「何でも屋」
アイスクリームが答える。
「ひとに頼られるのが仕事なの、やるでしょ? ヒカリも」
「ぇ、い、いや、俺は……俺にできることなんて」
「暗記、計算、翻訳、料理」
「え、あの、ちょっと」
「正直、料理はアテがあるんだけど。勉強できるなら…他は楽勝でしょ? 悪いけど調べたんだから。三兎解高校首席入学の、十文寺ヒカリサン?」
「ヒっ」
ゾ…。どんな顔をしているだろうか、驚きと恐怖の入り混じった変な感情だ。サントクの首席入学者は、入学式で発表しなければならない決まりがある。だが、俺は降りたんだ。知らない人たちの前で発表なんてアウトオブ持論! 真っ平御免! だから2番目に点数の高かった人に発表する権利が与えられたのだ。これは俺しか知らないはずの情報…学校側が漏らした? まさかそんな!
「まあ…私の手を取った時点でキミは、魔導館メンバーのひとりになったってことが確定したワケ」
ひらりと手のひらを俺に向ける──そこには得体のしれない折りたたまれた契約書…の捺印面。名前の横にしっかりと残っている指紋は、契約済みである証しだ。
「ま、まさかっ!?」
「オイラの発明を見くびったなっ! この天才!レインボークラッカーマシン第8号クンは、浴びた相手の触れた場所がインクとして浮き出るスグレモノなんだぜ!」
「…ね?」
終わった。俺の『本のある場所に無意識に入ってしまうタチ』は晴れてトモダチを見つけたわけだ。慌てて自分の手のひらを確認すると、中指の腹の部分だけが赤く染まっていた。
「まあ、これは浴びた者同士だと効果は無いし、どこの部位からインクが出るかはランダムだから、賭けだったんだけどな。ナイス活躍だったぜ、天才!レインボークラッカーマシン第8号クン!」
「ま、私たちの運が良かったってワケ。無理だったとしても諦めなかったケドね」
「最初は居てくれるだけで良いんだ、いずれはヒカリもオレと一緒に戦ってくれると嬉しいな」
「そ、それなら……って、ン?」
言ってることが違う、契約違反では?! 戦う? それって俺にできること? 何と戦うの。理不尽な大人? 社会?
「よ〜し! そうと決まれば話がはやいっ! 行くぞ、パーレン号〜!」
「ヒカリもきっと気に入ると思う、来てくれる…よな?」
「……ハイ…」
俺を置いて俺の処遇についての話は進み、流れに身を任せたままサンダーの後ろをついて歩く。船、というくらいだから店─館?─の外に出るのだと思ったのだが、7人は魔導館の奥へと進んで行く。5分も経っていないだろう、両端に階段、魔導館の看板と同じマークの刻まれた8つの扉が等間隔にこちらを向いている、開けた空間に出た。…こんな場所あったのか。
「あ、そうそう! ココがヒカリの部屋ね!」
ミューが突然走り出し、一番右、下の扉を2回ほどノックすると重厚感のある音が響いた。
「正式に魔導館メンバーになったんだから、部屋も必要でしょ?」
「ぇ、ぇえと……ありがとう、ございます…」
そういえば、ヒカリの部屋を用意したとか言ってたな。…契約する前に。本当に部屋だったとは、そんな簡単に用意できるものなのか? 部屋って。正直すごく有り難い、これがトモダチ?!
「ヒカリ、こっちだ!」
気づけばサンダーが左端にある階段に片足を掛けている、俺もサンダーに続いた。サンダーは左から2番目の扉に手をかざす。
「っ!」
扉は音もなく上の空間に吸い込まれていった。それと同時にまるで目の前に光源が現れたかのような眩い白、聴力だけでも存在を認識できるほどの強風。思わず目を閉じてしまう。…ただ、それはほんの一瞬で。
──ザザァーーーン
遠雷かと思った。柔らかくなった光とその音を合図に目を開ける。ぼやけた視界が徐々に晴れていくと、そこは…
「う…海!?」
ガラス玉のようなスカイブルーに、夏を象徴する描かれたような入道雲。遠ざかるほど碧さの増す透明な海と、ここぞとばかり陽を反射する白い砂浜。俺の瞳は文字通り目一杯青を吸い込んで、五感がここはホンモノの海だと訴えている。
「何回来ても、ここはアチぃぜ!」
「と、溶ける…」
「は、肌が焼ける! サンダー、早く船!」
いつの間にか水着に着替えているノワと、既に夏バテ気味なブラッド……今長袖なのアンタだけだよ。サンダーに船を急かしながら日焼け止めスプレーを撒き散らしているムーンと、それを見て何故かドヤ顔しているサンダー。
「ふふん…まあ、そう焦るな。見ろヒカリ、これがパーレン号だ!」
「うおぉおおおおお………う?」
サンダーが高らかに宣言すると突如、何も無かったはずの海に全長40mは超えているだろうか、予想を上回る大きさの船が現れた……のだが。うん、確かに大きいし、スゴイ。ホンモノの巨大船を前に、今までに無い高揚感を感じている、ただ……言っていいのかな。申し訳ないがものすごくボロい。一度全焼したのかを疑うくらいには、塗装が剥がれて金属がむき出しである。触ったら怪我をしそうな場所もあるし、直したほうが絶対良い。
「どうかな、ヒカリ!」
「う、うん! すごくカッコよくて、良いと思う…!」
ただしこの男には言えない。絶対に禁句だ…! きっとそれが暗黙の了解なのだろう、この子の誇りに傷をつけるなんて、俺にはとても…っ!
「オマエ、前よりボロくなってないか? 船」
「修理出したほうが良いンじゃねェの?」
「ダーーーーーーッッ!!! ……はっ!」
禁句は? 暗黙の了解は?! 普段慎ましい俺は焦りに焦った結果、奇怪な一音だけ発してしまってから我に返った。
「えっ、ど、どうしたんだヒカリ? いきなり叫んで…」
「あぁっ、いや…なんでも……」
聞こえてなかったのか? いや、普通にスルーした可能性もある。ただ、前者だとしたら俺がただの変なヤツに……くッ、早まるなヒカリ、この子の尊厳のためだ…。
サンダーは気にせずに「こっちだ!」と船に上がっていく。船から伸びたスロープを前にして感じる威圧感に、改めてこの船は相当な大きさだと思った。
「あ、あのさ、サンダー」
スロープのちょうど真ん中あたりで、船に上りきっているサンダーに言う。
「ここは…どこなんだ? 魔導館の中、では無いよな…」
「ああ、ここは海だ! オレたちの住む、現魔領域の海だ」
「……現魔領域?」
「そぉそ、アンタから見たら私たちは別領域のニンゲン…ってトコかな」
「……ハイ? …えっ…と、ハ、ハハ…何の話をされているのか、さっぱり…」
足を止めて言うと、後ろにいたムーンが俺にぶつかった。…キミはあの折りたたみ式の羽で飛べば良いと思うんだけど。
「何?! 急に止まらないでくれる? アンタと違う領域に住んでんだってば、ホラ、飛んでたでしょーが私たち。何も聞いてこないってことは理解してるんだと思ってたんだけど、何だと思ってたワケ? まさか文明の利器かなんかだと思ってたんじゃないでしょーね。自前よ、この羽」
「え? …………ハアッ?!」
「うるさっ、デカい声出してないで前進んで。詰まってんだよ!」
「ぇ…? う…ウソですよね? …別世界? じ、ジマエのハネ? …あぁ、っ、作ったんですか? スゴいですネ…! ぇえーと、俺やっぱ…降りよっかな…ぁ、船酔いしやすいんですよ…ね……なんて…えへアハ……」
ムーンに足を蹴られながら前に進む。足癖が悪いな、コイツも! 別世界なんて、ハハ! じ、じじじ、冗談だろ? 流石にふざけていると信じたい…が。サンダーまでここは現魔領域だと言っていた。そんな場所、聞いたことがない。もしかして遊園地の名前? 俺はそういうのに対しては無知だし、あり得る! ………。
建物がいきなり現れたり、扉の向こうが海に繋がっていたり、人が空を飛んだり……ああ、俺の普通の生活が…! 別世界が別世界に干渉するなぁっ! …そういえば俺、熱出したんじゃなかったっけ? そうそう、これは熱のときに見る変な夢。普通に厨二病気味の自分を恨むんだな。考えるだけ無駄、受け入れよう。さーあ、どうやって逃げよっかな。
そうこうしているうちに全員が乗船。サンダーが俺の手を引っ張った。俺とあまり変わらない体型─に見える─のはずなのに、力がものすごく強い。振り払おうという意志はあるのにビクともしない。…え? 俺の力も足りない? …いやいや(にっこり)。
「ヒカリ、船酔いしやすいのか? わかるぞその気持ち。オレも毎日船酔いしてるんだ…でもオレは諦めない、絶対克服してやる! 行こうみんな、船内は涼しい!」
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「ここが、パーレン号…」
ほぅ…と息をつく。ボロボロだった外見とは打って変わって、フォーマルにまとめられた内装の統一感は同じシリーズで揃えられた家具のようだった。
「良かったなあドヤ顔冷凍みかん服ビリビリビビリイキリ不憫属性ドヤ顔船酔いパーレン号の継ぐ子ドヤ顔サンダー・パーレン、新鮮な反応だぜ!」
「大事にしろよ? ドヤ顔冷凍みかん服ビリビリビビリイキリ不憫属性ドヤ顔船酔いパーレン号の継ぐ子ドヤ顔サンダー・パーレン」
「気に入ってくれたか、ヒカリ! カッコイイだろう、特にこのソファなんて座り心地が最高なんだ! あ、そうだ、中庭もあって…」
この部屋だけでも凄いのに、中庭まで…。一体、何円かかっているんだ…! ノワとブラッドに関しては、早口ことばのようなものを呟いているので無視を決め込んだ。別世界とか言い出す人たちだぞ? 何かの呪文かもしれない、気付かないフリが一番。安全第一!
「今日はいつにもまして賑やかだね、サンダー」
聞いたことのない、平坦な声がした。中央の扉から出てきたのは、瑠璃色の髪を頭の左側で輪っかに括り、一つに結んだ女の子。右目に眼帯を付けていて、耳には棒付きキャンディーが刺さっている。なんとまあ、これまで以上に個性的な。それに、ミューと同じ服…いや、色違い?
「ああ、アクア! 紹介するよ、この人はヒカリ。新しいメンバーだ!」
「…どうも……」
アクアと呼ばれたその子は、俺の顔を見ると軽くお辞儀をした。
「ヒカリ、こちらアクア! パーレン号の乗組員で、オレたちの親友だ!」
「は、初めまして……」
上げられた口角が痙攣した。挨拶するときに眉毛をどんな形に保てば良いのかわからない。
俺が渾身の挨拶をすると、表情ひとつ変えずにもと来た扉へと戻っていってしまった。お、俺が変な顔してたから…いや、普通に恥ずかしがり屋なのかも…と落ち込んでいると再び扉が開き、両手に人数分のカップとポットを持って帰ってきた。
「さっすがアクア! 気が利く〜、ありがとう!」
「ありがとな……って、あれ? アクアの分が無いじゃないか! オレ持ってくるよ!」
「良いの。…部屋に戻るね」
みんなが口々にお礼を良い、金の縁のカップにベッコウ飴のような黄金が注がれる。ふわりと華やかな柑橘系の香りがした。
「ぁの…サンダー」
「ん、なんだ? とりあえず、ヒカリも一緒に座ろう!」
俺はサンダーに勧められて座り心地の良いソファに座った。テーブルの上には、まあるい黄金が6つ並べられている。
「アクアさん…って、ミューと色違いの服を着てるみたい…だけど、二人は…」
「ああ、ミューはアクアと同じパーレン号の乗組員なんだ。2年前…だったかな、最後の船員だよ。それじゃあ乾杯しよう!」
「ほら、ブラッドとノワ、乾杯だってよ。こっち来い」
ノワ─水着のままだ…─とブラッドは備え付けのゲーム機で遊んでいたが、アイスクリームに呼ばれて空いている床へ座った。2年…短いようで長い時間。ミューとサンダーの性格を考えれば、打ち解けるのに時間はあまり必要なかっただろう。
「それでは! ヒカリの仲間入りを祝して〜? カンパーイ!」
「カンパ~イ!」、口を揃えて叫ぶと、それぞれに紅茶を飲み始める。一体いつ用意したのか、砂糖やミルクを入れたり、一口で飲み終えて次を注いだり…。そんな光景を見ながら、俺も紅茶を口に運ぶ。舌に触れ、脳内にまで広がった香味は、心を落ち着かせるのに十分だった。
「良い香りですね……纏わりついてくるような」
「ファイア、それ褒めてる?」
「わかる〜! 特にこの爽やかで甘酸っぱい…」
「アンタはリンゴジュースでしょ」
「どうだ、"慣れ"そうか? この生活に」
「ぃ、いや…正直、何が何だか……。今も現実だとは信じられない…っていうか、夢なんじゃないかな…ぁ、なんて、ハハ…。
…場違いだと思う、俺みたいな……もうみんなは関係ができてるのに、いきなり仲間だなんて。俺には務まらないよ…」
カチャリと音を立ててカップを置くと、サンダーはそんな俺を見てニヤリと笑ってみせた。
「ふふ…そう言うと思って、ケーキを用意した! どうだヒカリ、嬉しいか?」
…前々から気づいてはいたが、目の前にいる金髪青目の少年はとても素直な性格で、真っ向から突きつけられたお断りだって、ド直球のイヤミだってとんでもなく通じない天然記念物だ。
理解ってる、夢じゃないのは。この繊細な神経がそれを把握している。だったらこの状況は、目の前に存在るサンダーは、普通に厨二病気味の俺の妄想? 違うだろう。
「………」
俺はカップの中で揺れる黄金を飲み干した。
「ああ、ありがとうサンダー」
「…! 今持ってくるよ!」
ふー、と息をつく。落ち着けヒカリ、焦るなヒカリ。まずは現状把握することが優先事項。探すんだ、俺の代わりを! 俺の代わりなんていくらでもいるんだ、だって魔導館が必要としているのは俺ではなく、人のためになる人材! …ただ、状況を知るにしても新しくスカウトするにしても、会話が余儀なくされるだろう。……デカい、普通への壁が、デカい………。
「ヨウ、ヒカリ。変な顔してんぞ。あ、いつもその顔か…」
「っア!? …アイスクリーム……さん…」
「はーあ? なんでそんな長ったらしく呼ぶわけ、アイスで良いんだけど。私たちが年上だからってエンリョすんな」
「あ、ハイ………え?! 年上っ?!」
「アレ? 言ってなかったっけ。下に見てたっぽいトコ悪いけど、私たち、17歳」
「し、下になんて…! え、あ、み、みんな…って、ことは、サンダーも…? ファイアも…?」
「お待たせ、みんな! パーレン号の料理人アンドオレ作、ヒカリ歓迎ケーキだ!」
大きな銀色のワゴンを転がし、中央の扉からサンダーが入ってくる。結婚式などでよく見かけるような3段の、本来ならば食べられないケーキだ。オレンジ色のクリームにカラフルなデコレーションが施してある。
「うおおおおおおお! スゲー! デケー! 美味そー!」
「わぁ…」
"俺"のために作ってくれたケーキを前に、感嘆を漏らすことしかできない。これがホントウの感動…。サンダーは料理ができると聞いていたが、これほどまでに圧倒されたのは初めてだ。この感動も、"自分のため"ということが今までには無かったせいだろうか? 体が宙に浮いている気さえする……いや、浮いている。
「う…うわぁああああっ!! な、なんで?! ちょ、誰?!」
「ヒカリのためのケーキだから、ヒカリに切ってほしいんだ。ほら!」
無様に手をバタバタさせて取り乱した俺に、入刀用だろう、大きなナイフが向かってくる。眼前でギラリと音がした
「っヒィ…!」
と思ったら、柄の部分がこちらに向いた。これまたオシャレな装飾が施されている。手に取ると、まだ震えているせいでチラチラと光った。ケーキに向き直り、ちょうど真ん中あたりに刃を入れる。下まで到達すると、サクッという音とともに地面に下ろされた。
「良い感じじゃないか! 後はオレに任せてくれ」
うんうん、と頷きながら俺からナイフを受け取ると、手際よく同じ大きさに分けた。高所恐怖症…ではない、ないのだが。べ、別世界、怖ぇええ!! その間俺は膝に手をついて息を切らして放心していた。
「これ、ヒカリの分だ。アクアがちょうどにんじんを大量に持ってきてな、使わせてもらったんだ。野菜が嫌いでも美味しく食べられるぞ!」
「あ、ありがとう。野菜は好きだよ」
フォークでスッとケーキを切り、チョコレートでできた俺の名前と一緒に頂いた。こ、コレは…!
「にんじんが、いないッ!」
どれほどの量を使ったのかはわからないが、口に広がった甘みはケーキのスポンジと爽やかな果実のもので、クリーム、ミルク、チョコレートのまろやかさが際立っている。俺は野菜をスイーツに使ったことがないのでわからないが、にんじんはこんなにもケーキに合うのか?!
「良かった! 結構練り込んだんだけど、上手く消せたみたいだなッ! にんじんが苦手な人って多いだろ? あ、そうだ。アクアにも渡してくる!」
そう言うとサンダーは自分の手元にあるケーキの乗った皿とともに立ち上がる。
「あ…サンダー…!」
「ん? どうした、ヒカリ」
「ありがとう、すごく美味しいよ。……とても、気に入った」
な、何を口走っているんだ俺は…! これじゃあ某ギャルゲーみたく関係値が上がって…
「ッ! …ああ、ああ! もちろんだ! たくさん食べてくれッ!」
やはり、俺は逃げられない。覚悟を決めなければならないようだ。普通に人と関わる、覚悟を…。
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「た、たっ大変だ…! 船がっゴボぉえアッ」
「サンダー大丈夫っ!?」
扉が勢いよく開いたと思ったら、扉よりも勢いよくサンダーが吐いた。近くにいたミューが瞬時に処理したのか、吐瀉物は見当たらないが。
「さ、サンダー……大丈夫…?」
「………………」
サンダーは壁に手をついて動かなくなった。ミューが背中を擦っている。座り心地の良いソファから乗り出したノワは、サンダーを見るとどこから取り出したのか、片手にみかんを乗せていた。
「オーイ、ドヤ顔冷凍みかん服ビリビリビビリイキリ不憫属性ドヤ顔船酔いパーレン号の継ぐ子ドヤ顔サンダー・パーレン、冷凍みかん食うか?」
流石に酔っている最中には食べないだろう。というかもしかしてその奇怪な呪文、サンダーのあだ名…?
「………食べる…」
「食べるの?!」
冷凍みかんを受け取って、黙々と食べている。酔ってる途中に柑橘系を食べるのは良くないんじゃないか? いや、もしかしたらこれはみかんに見せかけたノワの発明で、酔い止めみたいな効果が…
「うオエ……何故だ…もぐもぐ……毎日乗っていて何故…むしゃ…ううん、ガボ…」
駄目だ…!! 普通に普通の冷凍みかんだ! 落ち着いていたのに再び吐きそうになっている。いや、吐いているのか?
「大変なんだ…」
しばらくしてやっと落ち着いたようで、ミューに向かって話をしている。もちろんその会話は、同じ空間にいる俺たちにも聞こえていた。
「パーレン号が、動いている…! 父さんもいないし、ここがどこだかわからない、ただ変なのが…」
「なぁ〜にそんな焦ってんの、まだ朝なんだから日が暮れる前に戻れば良いんでしょ。船長」
ムーンが割って入る。いや、違う。朝なんかじゃない。俺の腕時計は自動で時刻が更新されるもの、狂いは無いはず。じゃあ、何で。
「朝じゃないよ、ムーン……外を、見てくれ」
短針が指した数字は──六だ。
ムーンに続いて、俺とサンダー、ファイアを除いた4人が外に出ていく。開け放たれた扉から、太陽の光が差し込んでいた。
「………朱い」
誰かの言葉をはじまりにして起こる混乱。ただそれも、サンダーが一番焦っていることを理解ってか、すぐに止んだ。
「18時……どういう、ことだ…?」
景色が朱い。それならこの六という数字は午後6時を示しているのだろう。何故? 普通なら、遅くても12時ほどであるはずだ。
「考えていてもしょうがないっ! こんなにキレイな夕日、見れる機会そうそうないって! ね、ヒカリ、サンダー、ファイア!」
背に受けた夕日に、光で透けた白い髪が銀色に輝く。長いポニーテールを揺らしながら、ミューがこちらに手を差し出した。
「この時間を楽しもう! 心配しなくても、海はいつも通り笑ってるよ!」
アレ…この光景、似ている。アニメでよく見た、ヒーローに。
「わかっています、遊びましょう。この夏は」
ファイアはミューの手を取った。
「ほら! ヒカリ、サンダー!」
「俺たちも行こう、サンダー」
「…ヒカリ」
サンダーが俺の手を掴む。俺はサンダーの手を両手で握り返し、そして上下に腕を振った。驚いた顔で俺を見ると、不意に強い力で引っ張られる。サンダーが走り出したのだ。
「ヒィ…ッ! さっ、サンダーっ! そんなに走るとまた…」
「うおぇあ」
言わんこっちゃない。いきなり止まることのできない俺は、あと少しで踏むところだった。
「ああーーーっ、大丈夫?!」
「っは! 大丈夫だミュー、オレは復活した!」
そんな寝たきりの姿で言われても説得力が毛頭ない。
「ごめんねヒカリ、向こうのテラス席に座ってて! 後でサンダーも連れてくからさ!」
「ぁ、えと、俺が…運ぶよ」
「ミューはアナタにそんな体力が無いとわかっていて提案しているんです。アナタのような普通の人間以下の身体能力では、脱力しきったサンダーを運ぶことは不可能でしょうね」
「へっ……?」
「あぁっ、ゴメンねっ!? 人見知りなだけなの! 今すぐサンダーを運ぶね!」
ミューはサンダーの上半身を引きずるように持ち上げると、片方のテラス席へと座らせた。
へ? ファイア、さん? 相変わらず頭巾で隠れた表情はわからないが、ちまっとした見た目をしてよくもそんな……ぐ、油断していた、致命傷だッ…! 泣いて良い?
呆気にとられているうちに、ファイアさんはどこか別の場所に行ってしまった。
「見てくれヒカリ、この空! こんなに太陽の主張が強い日は滅多にないぞ!」
テラス席に座ったサンダーは、さっきの様子がウソのようにけろりとしていた。調子がいいな、ホント。空は太陽から色が広がったようにグラデーションがかっている朱。波の音が良いBGMだ。テーブルには先ほどの紅茶が注がれたカップが2つ置いてある。
「ああ、初めて見たよ。こんな色の空も、海も、船も」
「……ありがとうっ!!」
…何が? ぱあぁっと顔を輝かせると、サンダーは紅茶をぐいっと飲んだ。そして…
「ウッ…」
「さ、サンダー?!」
そして床に倒れ込んだ。
「お、オレ、紅茶飲めないんだ…酔う…から……ゔッ……」
「……」
この2日間を通してわかったことが一つ。この8人で一番『普通』なのは、間違いなく俺である。そう、手に入れるべきは、『平穏』と『酔い止め』だ……。