10.シルヴィ・デ・オリビア
もしもし……あ、あぁ、久しぶり。
元気だった? って、んなわけないか。
それで、何ぜいきなり、通信なんて使ってきたのさ。
シルヴィのことが気がかり? ふぅん、誰だよそいつ。…あぁ、あの娘のこと? ……お似合いだってぇ? 俺が、シルヴィと? やめろよ、あり得ない。そもそも、今日会ったばっかだろうが。…まぁきみってば、あの娘のことすっかり気に入っちゃってたもんね。あからさまにほの字って感じぃ? はは、そんなにムキになんなって。……ん、そうだね。もう、すぐよ、すぐ。諦めなよ、そんなこと、叶わないよ。
………そんなに怒んなよ。当たり前のことを言ってるだけだろぉ? …バカお前、アイツに逆らったら、今よりもヒドい目に遭うぜ。恋は盲目って聞くけどあれってほんとうなんだな。
はいはい、わかったわかった……いや? だから、興味ないんだってば、そういうの。どうでも良い、あの子と、自分が生きてさえいれば………え? あの子って誰だ、って…フン、どうだって良いだろ。
それより、あの…シルヴィ、だっけ? 今までのデータによるとありゃあ、一発だね。もうすぐって言ったけどさぁ、今日中、早ければ1時間経たないで呼ばれるんじゃないの? …うん、だからさ、そのときに呼ばれるのは……100パーセントきみだろ。
………だめだよ。言っただろ、かなわないって。いい加減、落ち着いてくれよ。自分の命は大事にしたほうが良い。あれの代わりならいくらでもいるだろ。
は? お前、ふざけんなよ、何のためにこんなことしてると思って…!
………あの子と自分の命? ………。
いや言ってねぇよ協力するなんて。
あぁ…もう。
約束してよ、誰も巻き込まないってな。
……どうなったって、知らないからね。
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ところ狭しと並んだ本棚、その上に積み重なってまた本棚……。天井すれすれ、否、もはや天井を突き破ってしまっている本棚たちを見上げながら、俺、十文寺ヒカリはこれから先に待ち受けているであろう苦境に思いを馳せ、鬱々とした気分でいた。
これまでの俺は『普通、平凡、真面目』を三大モットーとする、頭の上に平々凡々という文字が浮かんでいるような極々普通の男子高校生であったというのに、目の前で依頼が何たるか…について豪語しているサンダー・パーレンという男は、魔領域とかいう聞いたことのない場所……つまりは別世界からやってきた普通ではない奇天烈男なのだ!
といっても、この状況に足を突っ込んだのは紛うことなき俺なのであって、依頼を受けることになってしまったのも俺の不注意─サンダーに言わされたのであって本心ではない!─である。これから請け負う依頼は危険な枯骨の討伐ではなく、人助けという名目のものらしいので己の命の心配はしていない。……していない…が、それはそれとして、普通に他人とのコミュニケーションに慣れていない∩身体能力のずば抜けて低い俺に人助けとは、配役ミスである。サンダーとすらあまり話せないときがあるというのに!
その上……隣にデンと座ったこの人と二人きりで行かなくてはいけない事実を前に先が思いやられるのだ。
そんな俺の気分など気にも留めず……いや、そもそも気づいてすらいないサンダーは、左端だけ伸びた金色の横髪を揺らしながら話し続ける。
「つまりだッ! この魔導館で請け負っている依頼は、人の『たすけて』という声に反応して作成される。作成された文は、依頼主の願いによって記されたものだ。もちろん、筆跡も本人が書いたものと同じだから、依頼主がわからなくなるなんてことは無い……はずだッ!」
そしてこのドヤ顔である。
青く透き通った瞳に見つめられ、ドキリとした俺はぎこちなく口角を持ち上げたまま固まる。
たすけてと言っただけで依頼されるなんて、事実関係やプライバシーはどうなってるんだ……小さい子が転んで言った場合は? 何の意味もなく言っただけの場合は? そもそも、何がどうなれば『たすけた』ことになるんだ? 魔導館は何で動いている? もしすべての『たすけて』が依頼になるなら、その量の依頼を全部解決しなくてはならなくなる(やはりブラック企業だ!)。
質問したいことが山ほどあったが、今まで黙っていた例のその人が耳元で喚き出したので吹っ飛んでしまった。
「ね〜ぇ、この説明聞くの、ヒカリだけで良くなぁい? なーんで私まで、こんなトコで時間取られなきゃいけないワケ〜」
高く組まれた細い脚を照明の橙を反射する黒いテーブルの上に乗せ、薄紫に染まったストレートの髪を指先で遊ばせながらぶうたれるムーンには、ぷりぷりという効果音より、ギスギスという効果音が似合っている。
「な、何言ってるんだッ! ムーンはこの説明、聞いてなかっただろう! だからオレはヒカリと一緒に…」
「私は! ノワのど〜〜んな瞬間も見逃さないために、1秒だって目を離したくないのッ!」
ふかふかの赤いソファから音も無く降りると、サンダーが手にしていた今回の依頼の手紙を奪い取る。
「あッ、こら!」
「それにちゃあんと聞いたわよ。『たすけて』の声ぇとか、バッカみたい。脳内で依頼完了ぅ〜? ハっ。今日の依頼はこれ〜って、服選ぶみたいに軽ぅく決めちゃって、私たちって一体全体何様なワケ?」
「ムーン! オレは決して軽くなんて…」
サンダーの反論も耳に届いていない様子で手紙を開くと、手の届かない位置まで持ち上げて音読を始めた。
「なになに? マドーカンの皆様、どうか娘を助けてください〜?」
「くッ、と、届かない…! まだ説明は終わってないんだぞ!」
「ちょっと、ジャマなんだけど!? ……きゃー、セクハラー。ミュー、アンタんとこの船長(仮)が…」
「ドッッ」
急にサンダーの姿が見えなくなったと思ったら、本棚の裏から頭だけを覗かせていた。
「ほらヒカリ、アンタもちゃんと読んでくれる? 理解してなきゃあ、後で私が説明しなきゃいけなくなンじゃない」
「は、はぁ……」
今日からこの人と二人きりで、しかも身寄りの無い異世界で依頼だなんて! ただでさえコミュニケーションの苦手な俺が、なんだって一軍ギャウ☆と…っ! 脳内でシミュレーションされるやり取りは何をやっても最悪なものばかり、怒られるか蹴られるかバカにされるか、それとも怒られるか……。
「サンダーは早くどっか行ってくんない!? アンタまで来たら司令するやつがいなくて困んの!」
「し、しし、司令するやつじゃなくて、司令役だッ!」
本棚の裏から抗議する声だけが聞こえた。
俺が初めて枯骨に出会ったときに、ノワがオデン・デン・デデン─ノワの発明道具、連絡の取れる小型の通信機の名前だ─を使って、安全な場所から道案内や周りの状況を確認していたあの役割を司令役と言うらしい。あのときのようにまた通信が途切れたらと思うとゾッとするが……「おー、あれな。もう起こらないようにしとくから気にすんなよ!」と言いながら頬にからあげを詰め込んでいたノワを信じ、普通に意識しないことを心がけている。そういえば、枯骨討伐に向かった俺&サンダーと、パーレン号で待機していたノワたちとの時間の感覚に差があったのは何だったのだろう。例の時止めに関係していたのだろうか。今となっては知りようが無い。
話が脱線したが、今回の司令役はサンダーということで、そのことがかなり心の支えになっている…いや、それ以外に心の支えは無い。できることなら……絶対に一緒に来てほしいのだが、『枯骨の討伐』ならまだしも、『人助け』という部類の依頼の場合は二人いれば十分だと言い切られてしまった。
「へーへー、司令役のサンダーさんは、職務を全うすべく、ただちに自分の部屋へ避難しなされ〜」
「あ、ああ! もちろんだッ」
手をひらひらさせたムーンはサンダーを追いやることに成功すると、依頼の手紙を俺の読める位置に戻した。
「しぃっか〜り読むのよ、読み終わったら消えちゃうんだから」
「ぇ、えっ!? 消えるの!? だ、だって、消えたらさ、さっき言ってた…ほら、筆跡とか…」
「そーよ。依頼主が誰かなんてハッキリわからない。ウソつかれてたらオワリ。アイツは顔見たらわかるぞーなぁんて言ってっけど、そんなのただのカンでしょ? マジにその人かどうかわかんないじゃない」
「そ、そんな……」
「筆跡、ちゃあんと覚えなさいよ。アンタ高校で首席なんでしょ、カンペキに記憶できるわよねぇ?」
「………」
紙に書かれている文字は鉛筆のような素材で、指先でなぞるとザラリとした粒が指の腹に付いた。走り書きだけど、丁寧に書けば綺麗な文字なのだろうという予想がつく文字は、コンクリートの上で書いたかのようにデコボコとしている。
文字の質感や特徴を確かめながら読み終わると、瞳孔がいきなり開いて、目を瞑った。耳元でごうごうと音がする。遅れて、眩しいという感情がやってくる。先ほどよりも温度の下がった肌が、強い風が吹いているのだと知覚する。
──リン…チリン………チリーーーン………
またこの音だ。
気づいたときには見知らぬ場所に立っている。
ところ狭しと並ぶ、天井を突き破ったデザインの本棚たちはどこにも見当たらない。そこかしこに積み上げられた柱のような建物は、限界まで高層化されて天辺が見えない。足元にあったはずの猫の毛のような絨毯は消え、代わりに石炭のような黒い石ばかりがゴツゴツと転がっている。それに…
「何っなのよこのニオイはっ!? 信じらんない! 私帰る!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!? 帰るならせめて、俺も連れてって……!?」
とてつもなくキツイ香水の匂いに頭がおかしくなりそうになる。あれほど怖がっていた一軍ギャウ☆の腕を引っ張っているので、俺はすでにおかしくなっているようだが。
「はァっ? イヤに決まってんでしょこんなニオイ! 偏見にもほどがあるっつーーのッッ!!」
「だ、誰と話してるの…?」
「え゙ぇ? ……アンタ、ノワの素ン晴らし〜ぃい発明であるオデン・デン・デデンはどうしたのよ」
「……あっ」
俺がもらったオデン・デン・デデン……ダイコン…じゃなくて、二等辺三角形の小さなこんにゃく型の機器……
「あれ、どこにやった、っけ……?」
「知らないわよ! まったく、私、他のヤツらみたいに予備とか持ってないから。サンダーが言ってることテキトーに伝えっから、今日はナシで行動しなさい」
「そっ……」
そんな! 完全に俺の責任だが、あの小型機器が無ければサンダーという頼みの綱がいないということだ。これでは普通に一軍ギャウ☆と未開の地で二人きり、俺の鬱々とした気分はさらに降下すること待ったなしだろう! サラバ、俺のメンタルヘルス。
「………チっ。ウジウジしちゃってさぁ〜。そんなんじゃぁもっと地領域が暗くなるわ。私のたぁ〜いせつなオデン・デン・デデン〜白ゆでたまごしっかり固ゆで型〜を貸したげっから、シャキッとしなさいよ」
ぐいと俺の手首を掴むと、押し付けるようにしてその小型機器を渡す。真っ白なたまごに縦に包丁が入れられた形で、薄い黄色をした黄身は名前の通りにしっかり固ゆでだった。
「名前、長……」
「はぁン? なんか文句あるぅ?」
「い、いや…ありがとう」
「ふん、べっつに、うるさぁいチキン坊やが直で耳にくっついてるよかマシだしぃ?
てか、私に何も言わずに依頼書読み終えんのやめてくれる? いきなりキッツイ香水パンチ喰らうとか、サイアクだから」
「ご、ごめん…読み終わったらすぐに移動するって、知らなかったから……」
「そぉゆう説明を先にするべきじゃない」
サンダーの小言についての小言を口にしながら鼻をつまんでいるムーンを横目に、オデン・デン・デデン〜白ゆでたまごしっかり固ゆで型〜を右耳に付けると、待ち詫びた声に包まれた。
「…か、ヒカリッ!」
耳の奥がジーンとした。
「うわっ!? マイクに近いよサンダー」
「ま、マイク? 誰のことだ?」
「……なんでもないよ。ありがとう」
「ん? どういたしまして!」
声が聞こえた安堵で思わず感謝してしまったが、何も気にしていないようだ。
「あそーだ、アンタ、範囲広げて」
「え、範囲?」
「サンダーの声が聞こえる範囲。…なにぃ? 基本操作もわかんないの? サンダーアンタ、説明すんの向いてないわよ。貸して」
「う、うん」
ムーンは黄身の部分をすばやく3回タップしてから、俺の手のひらの上に戻した。
「オ、オレはそんな機能知らないぞ!」
「へぇ〜ん、マジの機械オンチなんだ〜ぁ?」
「な…ち、違うッ! そもそも、オレのサツマーゲは元から…」
「通信機越しの反論オツカレサマーっすぅ。あっ、そもそもぉ、アンタが機械オンチだからやっさし〜ぃいノワが配慮して、敢えて搭載しなかったのかもねー!」
「このッ……! うわぁ、何も言えん!!」
高く伸びた街灯の光を頼りに、サンダーの案内に従って進む。
依頼によって飛ばされてきたこの場所、地領域は魔領域とは自然の環境が全く異なっている。太陽が存在しないために一日中薄暗く、夜は一段と冷え込むそうなのだが、昼過ぎである今でも普通に寒い。ムーンはいつも通り薄着で、いつも通りお腹まで出している。大丈夫なのだろうか。ちらりと様子を伺うと、領域内に充満しているニオイのせいで文字通り鼻がひん曲がってしまってはいるものの、寒がってはいないようだった。
また、俺たちが今いるのは地領域のド真ん中。領域内で最も栄えている場所らしいのだが、ここに来てから人と出会っていないし、街は物音ひとつ立てない。サンダーの説明によると、この場所に住む住人たちは騒ぐことが苦手なのだそうだ。サンダーは地領域について、目に見えるものを片っ端から説明してくれていたのだが、俺はその話を3割聞いているかいないかだった。
依頼書を読み終わって地領域を歩いている間ずっと、書いてあることすべて、現実感がまるで持てない。この『人助け』の依頼……俺には、この人たちを助けられない。
「あったぞッ! ヒカリ、あの家だ!」
またもや耳の奥がジーンとした。
積み重なった柱のような建物たちの何十倍も背の低いその家は、大きな炭の塊に見えた。
「アンタ、鳴らして」
「……ぇ…?」
「インターホン、鳴らして」
「お、お、俺がっ!?」
そんな、無慈悲な!
「アンタ以外に誰がいンの?」
後生ですから!
「はやく」
しがない普通の人間ですから!
「はやく」
どこがボタンかわかりませんから!
「は や く」
ビーッと短く音がして、「はぁい」とのんびりとした声が聞こえた。
「ぁ、え、エヘ…あ、ま、まど…かんの、じぅ、あ、ァㇵ……者ぉ…ですけど…ぉ……」
「えぇっと…ごめんなさい、何かしら?」
「ごッめんなさぁい! ご依頼いただきました魔導館の者でーす!」
「あぁ! 少し待ってね」
俺の頭の上にのしかかっていたムーンは姿勢を正すと、右手で文字通りにひん曲がっていた鼻を元に戻してから俺を見る。
「こんにちは、待ってたわ」
ムーンが口を開く前に、大きな炭の塊のちょうど真ん中に何の音も無く空間ができ、インターホンから聞こえた声と同じ声がした。
陶器のように滑らかな肌、ふわりとカールしたブロンドの髪を耳の下でひとつに結び、色素の薄い長いまつげの奥からは翡翠のような瞳が覗いている。なるほど、この人が魔導館に依頼した、『人形にされた娘の母親』か………。
「いいえェ! それで、依頼の件なのですが……」
「長く…なるの。詳しいことは、中で話しましょう」
そう言い終わるより先に、依頼主は大きな炭の塊…家の中に入っていってしまい、再び二人だけになる。
「ぁ、あ、えっと……」
「シャッキリせんかあいッ!」
尻を叩かれた。セクハラ!
「ヒカリ、依頼書の内容は覚えているな?」
「う、うん。覚えてる、けど……今のところ、何もわからないよ……」
「今ンとこって、始まったばっかだからわかるワケないでしょ。とりあえず今は中に入って、話聞くのが先。私が質問するから、アンタは情報整理して。オッケー? 行くわよ」
「ぁ、う、うん…」
家の前には、やはり炭の塊という以外に形容しがたいちょっとした段差があって、転けそうになりながらも進んでいく。指先が痺れているのは地領域に充満するきつい香水のような臭いを嗅ぎすぎたからだろうか。
二人で家の中へ完全に足を踏み入れた頃には、炭の塊の中心にポッカリと開いた空間…恐らくこの領域での普通の扉はそこに無く、焦げたような外観からは想像できない真っ白で平らな壁が広がっていた。床に敷かれた絨毯はペルシャ模様、温かみのある淡い色で統一された家具はどれも柔らかそうな素材であり、絨毯と同じ模様のテーブルクロスが広げられたローテーブルの一角に、依頼主は座っていた。
「よく来てくれたわね。どうぞ、座って」
「失礼します」
「ぁ、失礼します…」
床に置かれた厚みのあるクッションに遠慮がちに腰掛ける。
「自己紹介遅れました、私、ムーン・トルネードと申します」
「ぇ、えと、十文寺ヒカリです…お願いします」
「良い名前ね。私、オリビアって言うの。今日は、よろしくね」
「……よろしくお願いします、それで早速、依頼の件なんですが…」
依頼……それは、人形にされた娘を助けることだ。
『どうか娘を助けてください。』『連日、新聞記事に載っている、かの残虐な事件はご存知と思います。』『このままでは娘が捕まってしまう。』『どうか真相を公にしてください。』
依頼書の内容によると、娘を人間に戻すことよりも、真相が公になることを望んでいる。なぜなら、このままでは娘の死刑は免れないからだ。警察の手によって捕らえられてしまうだろう…猟奇的殺人の実行犯として。
「そうね。…私の娘、シルヴィは……人形になったの」
「元々は人間、だったんですよね」
「ええ。……シルヴィはね、他の子とは違ったの。生まれつき、身体が弱くて、一人じゃ何もできなくて。だから…シルヴィが病気だって聞かされたときはすぐに治してほしいと思った。
専属の医師の方がいてね、シルヴィより少し年上の、優しい顔のお兄さんよ。『僕なら必ず助けることができる』って言われて私は、『今すぐに助けてほしい』って……言ったの。私、彼に助けてもらったことがあるの。よく話しかけに来てくれて…だからあの人は絶対に助けてくれる人だって、信用してたわ。でも、そしたら、娘は……人形になった」
「娘さんが、『地領域日時計裁断事件』の実行犯というのは……」
『地領域日時計裁断事件』。地領域では一ヶ月ほど前から謎の不審死体が見つかっていた。身体の関節が、まるで裁ちばさみで裁断したかのように切り取られた計12体の死体は、領域の外側に円を描いて現れた。地領域中心部に多く見られる極限まで高層化された建物も相まってしまい、上から見た図は日時計さながらだった。
この事件は魔領域を含む他の領域でも大々的に報道されていた。一ヶ月で12人を殺害し、世間を震撼させたシリアルキラーがわずか14歳であったという証言はメディアの格好の餌となった。もちろん俺は一度たりとも聞いたことのない事件だ。
「本当よ……だけど、違うの」
オリビアさんは膝の上で組まれた指先を数秒見つめた。
「娘は…シルヴィは、操られているの。あの男に操られているのよ! 人形になったときからずっと、だんだん、自分の意思では動けなくなっていった。だから…違うの、シルヴィが殺したんじゃないわ、本当よ!」
「その専属医師の方が、娘さんを操っていた真犯人だと?」
「信じたくないけど……そう、思うわ。だからお願い! 小さな人形の…娘を助けて! 真実を公にしてほしいの!」
『私の娘はある男の手によって、人形にされてしまいました。』
『彼女は……私の娘は、操られています。
あの男の手によって、操られているのです。』『あの男が野放しにされてしまう。』
シルヴィさんを操って殺人を行っていた真犯人、俺たちはその証拠を掴み、世間に向かって突きつけなければいけないのだ。真実を公に…と一口に言われても、「彼女は人形で操られていたので、彼女は人を殺していません」なんて話、いくら自分がいる場所が別世界だとしても、法律上では聞く耳を持つ者が存在するかどうかだ。そもそも、本当に操られていたのかすら未だ信じられない。依頼書に書かれていたことはすべてホントウなのか? サンダーの言っていた通り、依頼が依頼主の願いによって生み出された文なのだとしたら、『こうであってほしい』という仮定も真実として書かれている可能性は十分に考慮しなくてはならない。
「魔導館なら、できるのよね!」
兎にも角にも、最終的には真実を公にしなくてはならないことに変わりはないというのに、魔導館に足を踏み入れたてほやほやの、それはもう蒸し風呂の中で蒸されたショウロンポウくらいにほやほやのTADANO-NINGENの俺には普通に荷が重い。荷が重すぎて息が荒い。息が荒いせいで指先が痺れてきた。
「それは難しいっすね〜」
「……ぇ…?」
「…え?」
ムーンの視線はオリビアさんから動かない。汗で冷たくなっていた手を開いて背筋を伸ばした。
「難しい…って、魔導館は、貴方たちは、依頼を、受けているんでしょう? 叶えてくれるん…でしょう?」
「そ、そうだよ、依頼を受けてここまで来たのに……ま、まだ、やりもしないで…!」
「真相を公に〜って、真相って結局どれのこと?」
「ど、どれって、それを今から…!」
「違う。ソッチに聞いてんの」
「そんなこと言ったって……」
「答えられないわよね? 地領域ってただでさえこんな辛気臭くって、他人との交流だって無いのに、テレビまで無いんだから。事件についてだって、詳細を知っているのかすら怪しい。だってアンタ、ムーン・トルネードを知らないような世間知らずだもんねぇ」
「ムーンッ! そんな言い方無いだろう! 今すぐ謝ってくれ!」
「ねぇオリビアサン、『地領域日時計裁断事件』って、どんな事件だっけ?」
「……………」
黙り込んだオリビアさんを見て、ムーンは立ち上がった。
「ほら、はよ行くわよ」
「な、なん……待ってよ! 行くってどこに…」
「聞き込みに決まってんでしょ。依頼書に書いてあったことを確かめに行くの」
「こ、コラ! ちゃんと彼女に謝ってから…」
「へーへー、ごめんなさいでしたぁ」
白い壁は再びごつごつとした炭の塊へ変わっていた。中央に開いた空間から冷たい風が吹き込んでくる。
「し、失礼しました……」
すっかり慣れてしまった空気を浴びながら鼻をすすると、俺たちは家をあとにした。
────────────────────
橙色に光を放つ街灯は、ここに来たときよりも激しさを増していた。等間隔で並んだ縦長の建造物も凹凸とした地面も、浅黒く濁ったまま、橙を吸収している。
ムーンのオリビアさんに対する態度は、俺が口出しのできるものではなかった。依頼書に書かれていた内容。実際に会ってその名前を聞くまで、気づかなかった。オリビアさんと、依頼主である『人形にされた娘の母親』は別の人物だ。
…
どうか真相を公にしてください。
私の知っていることを以下に記しておきます。すべて真実であると、命をもって保証いたします。お役立てください。
私の娘は養子です。名前は、オリヴィアと言います。
地領域の中心部にある『クロノスの庭』という施設をご存知ですか?
年中暗い地領域の中で、唯一明るい場所……敷地内では多くの動植物が見られる自然豊かな地領域屈指の観光スポットです。
ただ、自然環境の悪い地領域では、動植物が育つための魔領核が必要不可欠です。人魚の心臓を材料として作られる、とても希少で高価な物資です。
『クロノスの庭』の運営費用は、貧しい地領域に到底払えるものとは思えませんでした。
私はあるとき、偶然知ってしまいました。
『クロノスの庭』の地下には、巨大な施設が存在するのです。
オリヴィアとはそこで出会いました。
中心には地下へと続く、富豪専用のエレベーター。その周りに円を描くようにして12人。ひとつだけしか無い明るすぎる明かりの下で、彼女は、硝子ケースの中にいました。
あの施設に閉じ込められた子どもたちは、外の世界を知らない。
地領域の寒さが身に染みて、震えが止まりませんでした。
この領域は、狂っている。
自分たちと何も変わらない、ただ寿命の短いだけの子どもを見世物にして、いつ死ぬか、いつ死ぬかと賭けをしてよろこんでいる。
あの男は……オリビアは、あの施設を運営するために、人殺しをしている悪党です。
お願い。どうか、騙されないで。
政府は使い物にならない。オリビアは悪魔契約者だ。
オリビアは自分の施設だと思っているけれど、『クロノスの庭』はオリビアと契約した悪魔によって運営されています。
目には目を、歯には歯を、悪魔契約者には悪魔契約者を。
もう、貴方たち以外に頼みの綱は無い。
あのオリビアだけでも、罪を認めさせることができたなら。
どうか、あの男を止めてください。
どうか、助けてください。
…
「あの…ムーン……さっきの、ことなんだけど」
「何? オリビアのこと? 今さら何言ってもしょうがないわよ。アイツがただの世間知らずか、ほんとーに黒幕なのか、ハッキリしてからもう一度会いに行っから。ま、ムズカシーことは任せたわよ、真面目クン」
「ぁ……う、うん…」
ツカツカと早足で進んでいくムーンの後ろを、置いて行かれないように急ぎ足で歩く。サンダーに喋っていてほしいが、こういうときには話してくれない。
「邂焉正午児童焼死事件」
「え…?」
「6年前の7月、時刻は正午ピッタリ。魔共邂焉小学校ではいつも通り、児童たちが給食を運んでた。そしたら急に、避難放送が流れたの。校庭で火災が発生。直ちに避難してください〜って。訓練でしか聞いたことのないベルの音にガキは大慌て。体育館に避難して、親が迎えに来て、次の日になってメールが届いたの。校庭の中央から、女児童の死体が発見されたって」
それが…どうしたの、声に成らなかった。
「被害者の名前、ムーン・トルネード。
考察が流行ったの。事件の犯人は誰かって。特番なんかも組まれちゃったりして、お祭り状態だった。SNSはそりゃもー大盛り上がり。全く知らないヤツが親友ヅラしてきたり、身に覚えのない家族が中身の無いお気持ち表明と一緒にテキトーな情報垂れ流してたり……。これ以上ないってくらいに可笑しくってしょうがなくって、一晩中笑ってた。人生で一番、笑ってたわ」
「な……ど、どうして…! ムーン・トルネードって、だって、それじゃあ、ムーン、は…」
「答えはカンタ〜ン。小5児童のムーン・トルネードチャンは、本当は死んでいなかったから」
本当に、そんな事件が? 給食の時間にいるはずの生徒がいなかったら、誰か気づくはずだ。例えその時点で気づかなくても、迎えに来た親や、点呼を取る先生だって、そうだ、そもそもムーンの友だちだってきっと、気づいて………。
「だから、ムーン・トルネードを知らなかったオリビアは、あれほどの情報の載った依頼書を作れるはずないのよ。どこで魔導館に自分が依頼されてるって知ったのか知らないけど、大方、契約した悪魔に使われてんじゃないの」
いつの間にか歩くペースを落としていたムーンは、俺が少し速く歩けば隣を歩ける距離になっていた。けれど俺はムーンと同じようにゆっくり歩きながら、橙を反射して揺れる薄紫の髪を見つめることしかできない。
「あ、勘違いしないで。私のフルネーム、なぁんにも知らないヒカリちゅわんにホイホイ言われないように言っといただけだから」
「…犯人は、捕まったの…?」
「ヒーロー」
「え?」
「ヒーローよ。捕まらない。絶対」
振り向いたムーンの表情は、よく見えなかった。
────────────────────
「クロノスの庭って……ここ、だよね?」
「ああ、間違いないぞ!」
黒く無機質な地面は、鉄で作られたアーチを境に緑生い茂る花畑へと変貌している。立てかけられた白い看板には『一歩踏み出せば楽園!』の文字。建物らしきものは見当たらず、大きめの動物の模型が至るところに並んでいるが……
「確かに地領域っぽくないけど……案外ショボいじゃない?」
「………」
植物こそ生命を保っているものの、置物や設備はあまり手入れがされていないのか、少々萎びているように見える。
「そうか!? あのライオンとか、グオォってなっててすごくカッコイイと思うぞ! な、ヒカリッ!」
「えっ!? …あ、う、うん!?」
「はーあ、アホらし」
アーチをくぐり、一歩踏み出したムーンに続こうと後を追うと、突然立ち止まったので普通に地面に顔を突っ込みそうになった。
「な、何!?」
「マジで『一歩踏み出せば楽園!』じゃん…」
「え…? ………ええっ!?」
足を踏み入れた『クロノスの庭』……ショボい置物の置かれた普通の公園ではなく、眼前に広がるのは動植物の生活する自然豊かな森の中、まさしく楽園がそこにはあった。
「置物が……本物の動物になってる!?」
「ウソでしょ…何これ幻覚?」
太陽の存在しない地領域に陽の光が振り注ぎ、風に乗って花の香りが空気に溶け込んでいく。
サンダーの気に入っていたライオンはすっかり威厳を取り戻し、鋭い牙を光らせてこちらを睨んでいた。
「もしかしてサンダーには、外からでも本物のライオンが見えてたの…?」
たてがみを逆立てて唸っている様子は、確かに擬音で表すとグオォになるのかもしれないが…。
「本物のライオン? ……ヒカリ、言いにくいんだが…残念ながら、これは置物なんだぞ。見たこと無いなら連れてってやろう!」
「し、知ってるよ! でも今は、本物になって……。え? さ、サンダー、やっぱりこれは、今も置物なの?」
「ん? あぁ……ハッ! そうか、ヒカリはライオンが動いているところを見たことが無いんだな…うん、やっぱり一緒に……」
「ち、違うって! 俺たちには動いて見えるんだっ!」
「そぉよ。アンタくだんないこと言ってないで、魔領核の信号がどこから発せられてっか調べなさい」
つい先ほどまでウサギを可愛がっていたムーンが頭にのしかかる。
「魔領核の信号? 何で調べるんだ?」
「はぁン? んなこともわかんないのぉ? 魔領核は希少なのよ。いくら地領域の富豪サマでもお目にかかれないくらいにね。だから、たっか〜ぁい金払わせるために、地下の入り口にでも置いとくもんでしょ」
「な、なるほど……」
「魔領核で、お金儲け……よくそんなこと思いついたな、末恐ろしいぞ」
「何? こんくらいフツーでしょーが、このビリビリビビり」
「だ・れ・がッ! ビリビリ、ビビりだッ!」
「反論してっヒマあったらさっさと調べなさいよ」
「フン、すでに調べた。魔領核はこのライオンの置物の中だッ! やはりオレの目に狂いは無いな!」
サンダーのバカデカボイスに反応したのか、檻の中のライオンは今すぐにでも獲物を狩りだしそうな目つきになっていた。
「仕事の早い、シゴデキと呼んでくれ」
「こ、この檻を開けろっての?」
「た、食べられちゃうよ!」
「何言ってるんだ。動物園のライオンって、一日中寝ているだろう! オレが間違って檻の中に入っちまったときも、起きる気配は無かったぞ!」
「アンタ、何やってんのよ!」
完全に俺と目が合っているライオンは、垂れ流したよだれで池を作る勢いだ。
「腹をくくれ、ヒカリ!」
覚悟を、決めなきゃいけないのか…。
鉄格子でできた扉を握ると、手汗で少し滑る。親指に力を込め、俺は精いっぱい扉を引っ張った。
「おりゃああああ!」
ガシャン! ドシン!
「やめてちょうだい」
のんびりとした声に目を開ける。覚悟して開けた扉は閉められ、俺は尻もちをついていた。
「オリビア……!」
ブロンドの髪を耳の下でひとつに結んだ彼は、『人形にされた娘の母親』では無い。
「何、アンタ、やっぱりジャマしに来たの? ハっ。自分で依頼しといてオカシイじゃない。そんなん、自分は依頼主じゃないって言ってるみたいなもんだわ。……そこを退け」
「話がしたいの」
「話って何? あっ、もしかして自白してくれんの? 警察に行ってくれりゃぁ、依頼も完了で一石二鳥なんだけど? でもま〜、世間知らずの温室育ちチャンにはムリか」
ギスギスとした雰囲気には似つかわしくない空の下、向かい合うふたりに緊張が走る。目の前にいるこの男は、12人を殺害した殺人犯かもしれないのだから。
「私、自分は頭が良いんだと思ってたわ。知識欲は昔から人一倍あるつもりよ。……でも、それだけ。それだけだったの。今だって、選択肢すら頭に浮かばないの。ムーン・トルネード、私は貴方の名前なんて聞いたことない。ニュースも新聞も、見たことが無いわ。貴方が言った通り、私は世間知らずよ。でもね……温室育ちなんかじゃない…!」
風が吹き、花びらが舞い上がる。ブロンドのふわりとした髪が持ち上がって見えた翡翠色をした瞳は濡れていた。
「そう、依頼をしたのは私じゃないわ。その人もきっと、可哀想な人ね」
「な………何?」
扉を押さえたオリビアのそばで、黒く小さな炭の塊が集まりながら大きくなっていく。人のかたちをしていながら、恐ろしげに下顎の外れたその塊は、ムーン2人分の背丈になった。
「あ…悪魔だ……ッ!」
「ちょ、ちょっとアンタ、待ちなさいよッ!」
左手で結んでいた髪を解くと、髪ゴムをこちらに投げた。一つだけついた星の飾りが反射する。
「双葉の彼、月夜の彼……私、わたし、あなたたちを見て自分が、どうしようも無く普通じゃないことに心まで気づいてしまった。騙してごめんなさい、騙したつもりは無かったの、もう遅いのも、わかってるの、だから、だけど、たす」
べキょ、パキゃ。バリゃ、ぐギゃ。
……ぐチァ。
「……………は」
ぼたりと重い音がして、片腕だけ残される。芝生のうえに落ちた悪魔の黒いよだれは、瞬く間に吸い込まれて消えてしまった。
「ざけんじゃないわよ」
オリビアに付いていた左の腕。陶器のような腕。こちらを向いている断面は、蝋でできているようだった。
「どうゆう、ことなの………オリビアも、人形じゃないの!」
サンダーの息遣いだけが聞こえる。
白々しいほどに澄んだ青空の下、俺たちは項垂れるほか無かった。
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久しぶり。
直接会うのは、2年ぶりかな。
元気だった? なんて、そんなわけないよな。
……シルヴィの、ことなんだけどさ。
あぁ…えっと、今は、3人目のシルヴィ。年下の女の子なんだ。
…代わりなんていくらでもいるって、言ったのはお前だろ。
それで……小さくて、シルヴィにすごく似てるんだ。
あっ、ホンモノのシルヴィに似てるってことで、ええっと………いや、もう、そんなバカなこと考えてないよ。
もう、おれ、お前と同い年になったんだ。
あのとき、お前言ったよな。生きてさえいれば……って。
こんなに、難しいことだって思ってなかった。
おれもう、どうでも良くなっちゃったんだ。
アイツらが逃げるのも、死ぬのも、殺すのも……もう、シルヴィが…彼女が死んだときから、どうでも良くなってたんだ。
こんなことなら最初から、生まれなきゃ良かったとすら考えることも面倒くさいほど、どうでも良いんだ。
……なあ、お前もおんなじなんだろ?
…なあ、おれのせいで、あの子と、お前は…………
…………。
なあ、ベテル……おれはひとりで、どうしたら良い?
…ああ、ダメだ。こんなこと、言いに来たんじゃ無いのに。




