表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/14

6 付き合っているらしい。(誰と?)

 



 その後しっかり両手と両腕の痛つぼマッサージをした後、よれよれとその場でしゃがみこんでいる私の手を取り河口くんはよし、と言った。


「前田さん、今日は練習禁止ね。家まで送るよ」

「な、なんで君がそんな事決めるのよっ」

「練習できないようにマッサージしたから。弾いてみてもいいけど力入らないよ?」

「う、うそっ」


 私は慌てて立ち上がって、ピアノに触るけれど、河口くんの言うように思ったように力が入らない。


「なにしてくれんのよぉぉっ!」

「こうしないとさっき僕が弾いた奏法、自分でやってみようって無理するから。レクチャーなしにやると痛めるよ? やりたいでしょ、さっきの柔らかい弾き方」

「うっ……」


 そう言われるとなにも返せない。

 あのキラキラとした春風のようなハノン、弾いてみたい。


「じゃ、帰ろうー」


 私は何も言っていないけれど、河口くんはピアノ椅子から立ち上がると臙脂の保護布を丁寧に鍵盤の上に敷いて通学バックを肩にかけた。

 私の荷物もはい、と渡してくれる。


「せっかくのスタインウェイがぁぁ」

「楽器の鳴らし方を分かってからの方がこのピアノも喜ぶよ」

「ううう、言ったわねぇぇ」

「うん、ピアノがかわいそうだからね」


 ポツンとつぶやくように言った最後の言葉は胸に刺さった。


 ガチャリと重い扉を開けて、河口くんが廊下でまってる。その顔は自分の言葉には何も感じていない普通の顔で。


 この人は、私を怒らせたいのか傷つけたいのか。


(たぶん、何もかんがえてない、んだろうな)


 私は黙ったまま、廊下に出た。

 静かになった私には気づかずに河口くんは自然に私の手をとった。


「ちょっとやめてよ」


 私はさすがに手を振り払った。なんでこの場面で手を繋がなきゃなんないの? 付き合ってもいないし、仲良くなんてないし、セクハラだし。


「音楽のこと言われるの、嫌なのは分かるけどさ。……さすがに僕もそうされると傷つくんだけど」

「はい?」


 いや、傷ついたのは私の方だし、と眉間を山谷くっきり寄せて見上げると、河口くんは茶色いくせっ毛の前髪の下からすっとした目が少しだけ開いた。


「え……もしかして覚えてないの?」

「なにが?」

「……一昨日から付き合ってるんだけど」

「へえ、おめでとう。おめでとうったらおめでとう」


 はいはい、ようござんしたね、こちとら彼氏いない歴十六年のピアノ馬鹿ですよ。ちょっとぬぼーとしてるけどイケメンで頭良くてピアノ上手くて彼女持ちぃ?! リア充爆発しろって言っていいですか、いいよね、ゆるされるよねっ! はい、さんはいっ!


「あの、付き合ってるの前田さんとなんだよ? 分かってる?」

「へ? 誰が?」

「僕。僕と前田さん。付き合ってる」

「…………」


 ぽかーんと口を開けてしまったの、しょうがないと思うんだ。

 人間、誰しも驚いたら叫ぶよりも何よりも言葉が出なくなるって、どこかで誰かが言ってたような気がしたけど、今日、実感した。

 ただただ何も考えられなくなるの。目を開けているのに、景色が感じられないかんじ。

 ああ、何が起こったのかわからない。って、拒否っていいですか。いいよね、だって、いや、だってしんじられないっ!


 それから一分。


 私は固まったまま、化石のようにじっとその場にいることしかできなかった。




 ****




 まって、まーって、まってー!

 なんでそんなことになるー!

 私の恋人、ピアノじゃないーのー!



 って、脳内でお歌が始まってしまっても仕方がないと思うの。

 誰だって目の前の事を無かったことにしたいとか、信じたくない時って、意識をどこかにやりたくなるじゃない?

 私の場合はそんな時、勝手にメロディが浮かぶわけで。


 今も脳内で小さな私が必死になって歌ってる。


「えーっと……混乱してるようなのでひとまず家に送りたいんだけど、送らせてもらえますか」


 なぜか敬語になって河口くんは私におうかがいを立ててきた。

 私はよくわからないけれど、付き合ってるんなら普通は送ってもらうのかもしれない、と操り人形のように、こくん、と頭を縦にふった。


「えー、手はつないでいいですか」


 そ、それはハードルが高い。


 私は思わずきゅっと唇を結んで河口くんを見上げると、河口くんは苦笑してうなずいた。


「ん、わかった。今日はつながないでおくね。送るだけ」


 す、すごっ、なんで分かるんだろう。


 私は言葉は出てこないけれど、自分の気持ちを正確に読んだ河口くんに拍手を贈った。


 とにかく、帰ろう。


 河口くんはそういうと、ポケットに両手を入れて歩き出した。

 私はというと、やっぱり黙ってその背中についていく。


 くるくると広い階段を降りていくのだけど、心の中は今度はハテナマークがいくつもいくつも浮かんでは消えた。


 さっきからやたら絡んできたのは付き合ってたから?

 ずばずば遠慮なくいってくるのも付き合ってたから?

 そもそもいつ付き合ったの、記憶にないんですけどって、一昨日だっけ……え、記憶にない時に付き合ったって、やばくない?

 そして付き合ってるのに、私に恋心なんて一ミリもないの、まずくない?


 まずい、よね。














評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ