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3 日本史の呪文はワルツのよう。

 



 春のさわやかな風がカーテンを泳がせている気持ちの良い午後、日本史の先生の呪文のような年表授業が始まってる。


 音大を目指している私からすると受験には必要のない授業だけど、日本史自体は好きだからつらくはないんだ。


 ただ、先生の声が眠気を誘うある意味心地よい一定のテンポで話しているから、良家の子女達も必死になって目を開けているが三分の一は夢の彼方へと旅立っていってる。


(まさに1/f(エフ分の一)のゆらぎだわ、源川(みねかわ)先生、お見事です)


 規則正しい源川先生の年表呪文とランダムで規則性がない先生のブレス(息つぎ)の間隔、それが中間のゆらぎとなって1/fを形成し、まるでヒーリング・ミュージックを聴いているような感覚を生み出してる。


(すごいバランス、きれい……)


 私のクラスは特進クラスではないけれど、国立公立の大学を目指すクラス。

 ほとんどの人たちがそのまま内部推薦を受けて桐山大学へ入学していくので、外部へ受験する人は必然的にここに集められているんだ。


 他のクラスは三十人前後だけど、このクラスは少なくて二十人。特進クラスに至っては七人ほど。少人数制ってやつよね。


 源川先生の呪文を脳内に転がしながら私は少しだけ目を窓の外に向ける。丘の上に立っている高校の中でもこの教室は三階。グラウンドの先には街が広がり、その先には穏やかな太平洋が広がってる。


 私のひいおじいちゃんが暮らしていた時代

にリゾート地として財閥の御曹司達がこの地に次々と別荘を建てたんだって。

 賑やかな東京とはおもむきが違うこの街に惚れ込んだ一つの財閥が、娘息子達が紳士淑女になれる学び舎に、と建設されたのがこの学校らしい。


 幼稚園から小学部、中学部、高等部、大学、大学院と一貫教育が出来るようになっており、現在はその評判を聞きつけて全国から集まってくるほど。


 その中で私みたいな地元の中学から外部編入してくる人はとても少ない。

 音大を目指してはいるけれど、うちは母子家庭のようなもので経済的に裕福ではないんだ。


 奨学金制度があり、部活もなくカリキュラム的にゆるい桐山高校に決めたのは正解だった。音楽科はないけれど、教養としての音楽には力を入れていて、数室の練習室まで完備されている学校はなかなかない。


(早く、弾きたいな)


 いつのまにか奈良時代の呪文は今弾き込んでいる曲へと様変わりし、何も持っていない左手の指達が動き出した。


 三分の一拍子のワルツのリズムにのって源川先生の呪文も重なりあい、さながら脳内でピアノと日本史呪文の三重奏が奏で出す。


「……であるからして、四天王寺、法隆寺、が建立された。では、この寺を建てた人は誰かな? 前田くん」


 呪文と一緒に呼ばれて、はい、と私は夢見心地に返事をして立つ。心配しなくても脳内メロディと共に入ってますよ、先生。


「聖徳太子です」

「ふむ、正解です。ではちなみに飛鳥寺を建てたのは誰かな?」

「ええっと」


 想定外の二問目に私は一瞬にして現実に戻された。慌てて日本史の教科書を見けれど、ぱっとみてどこにも書いていない。私は仕方なく小さな声で、すみません、分かりません、と正直に答える。


「では、資料集の八ページをみて、探してごらんなさい」

「はい……ありました、蘇我馬子です」

「はい、よろしい。前田くんが音楽が好きなのは分かるけれど、今は授業中だから机をピアノがわりにしないように」

「はい、すみませんでした……」


 注意されたのは初めてで顔を赤くしてお辞儀をして席につくが、くすくすと笑う級友の声もなく、教室内は静かだ。もしかして、とそっと周りをみると、みんな舟をこいでいる。


「まぁ、今起きているのがどうも前田くんだけのようで、その前田くんすらも授業に集中できないんだったら私も立つ瀬がなくてねぇ」


 源川先生は白髪の混じったロマンスグレーの短髪をわしわしとかいて、苦笑いをした。唯一起きている私は、あは、あはははと乾いた笑いをあげ、なんとか先生の救済を試みる。


「あは、は、先生の授業、私好きです、はい」

「はい、ありがとう。気休めでも嬉しいとはこの事。私も睡眠学習でいいからこの子達に日本史が入らないかなぁ、と思って授業をしているよ。やはり六限目はどのクラスも寝てしまうからねぇ。良き午睡だね」


 丸メガネの奥を優しく細めた源川先生は、では、今日はここまでにしましょう、と大げさに教卓の机の上に置いてあった資料集をトン、と揃えて音を出し、みんなを起こして微笑んで教室を出ていった。




 ****




 掃除、ホームルームを終えて私はごきげんよう、さようならのオンパレードに応えながら廊下に出て階段を上がる。

 練習室のドアには小窓がついていて中の様子がわかり、他の人が練習していれば別の練習室を探すんだ。


 私も含めみんながねらっている練習室というのがあって、そのスペシャルな練習室は四階の一番奥にある。


 私は走らないように気をつけながら超競歩でその練習室までいき、小窓を覗くと誰もいなかった。


「やった!」


 私は喜びの声を出してガチャリと防音になっている重い扉を開く。朝はゲット出来なかったけれど、下校までの二時間をこの部屋で弾けるのは大きい。


 艶やかな黒い光沢のあるピアノの蓋を開け、臙脂(えんじ)色の鍵盤を保護する布をくるくると巻いて脇に置き、さっそく基礎のハノンを弾き始めたところで、コンコン、とノックが鳴った。


(弾いてる音、聞こえてるはずなのに……誰よっ)


 指はそのまま弾きながら、背を斜め後ろに倒して小窓を見ると、ぬぼーとした顔がこちらを覗いている。


 私はぎゅいっと眉を寄せた。


(なんで奴がくるのよ)


 今朝私にめっちゃ失礼な事をいい、しかもある理由を持って現在顔をみたくない人ナンバーワンの世捨て人、河口景だった。









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