13 壁ドンどころか囲われたらしい
「ねぇ、何度もいうけどそんな風にすみに逃げられるとさすがに傷つくんだけど……」
「だって、言いかたこわいもん」
「もん、とか……普段言わないのに……ほんと、前田さんって僕をかき乱す天才だよね」
それは、河口くんの方だよっ!
なんて……本人の前で言えないよ。今だって距離近すぎ。なんで囲われてるの? 壁ドンというよりも、ピアノが上にあるから囲われドン? 私は体育座りでとにかく膝に顔をつっぷして小さく丸くなってる。
「だって普通、オーディション落ちた子に声なんてかける事しないのに、部屋行っていいとかさ、ありえない」
「それは知ってるから」
「なにを?」
「ピアノの下で泣いてるの」
「……」
私はいつも、どんなものでも落ちると悔しくて泣けてきてしまう。
でも盛大に猫をかぶっているから、人がいる前だと泣けないんだ。だからいつもピアノの下に潜る。
ここは小窓しかないし、防音だし、ピアノの下ならよっぽど誰ものぞかない。……河口くんはなんで知ってるの?
河口くんは顔を伏せたままの私に語りかけるように話す。
「前田さん、四月にピアノコンクールの二次予選、出てたでしょ? あの時、平日だったから終わったら学校に戻らなきゃいけなかったよね」
「河口くんは通ってた。おめでとうおめでとう、もう私なんかにかまってないで練習してよ……」
「そうできてたらここに居ないって」
「……」
河口くんの声は私を包むようだった。
「学校に向かう駅からの道、前田さんが早足で歩いてるの見えたんだ。僕は通って前田さんは通らなかったから、声はかけなかった。でも学校に着いたら、教室にいかなくてまっすぐ練習室に行ったから。たぶん、泣いてるんだろうな、と思ったんだ」
「だから今日もここに来ていいかって聞いたの?」
「うん、悔しそうでもピアノを弾いてたら、そのまま帰ろうと思ったけれど、荷物だけピアノ椅子において、姿が見えなかったから」
「……なぐさめならいらない……」
「そうじゃなくて。今はライバルじゃなくて彼氏としてきてる」
頭上にある気配が近づいて、右耳の近くにきた。
「……君が泣いていたら側にいたい」
切なそうな吐息と共にこぼれた言葉が、私の耳たぶを撫でた。
……だめ、むり。むりだよ。
そんなこと言われたら、さすがに、もうだめだ。
私の心は降参する。でももう片方で私の中のあまのじゃくが邪魔をするんだ。
ライバルに、素直にうん、なんて、いいたくないだなんで、どこの小学生だ。
そう思っているのに。
「……知らないもの……河口くんが彼氏なんて……」
あああ、なんでこうなんだろう。
私はいつも、いつも、素直になれなくて……もうやだっ。
「うん。それでも。それでもいいよ。でも抱きしめていい?」
「……やだ……」
私は、やだっていいながら手を伸ばした。
河口くんはすぐに気づいてくれて、囲っていた手をそのまま下ろしてくれて、私の背中を優しくぽんぽんと叩いてくれた。
くやしくて、でも腕の中は温かくて、ときおり頭を撫でてくれる手が、レイを撫でる手付きと同じですごく甘かった。
私の記憶は、河口くんが彼氏だということは覚えていないけれど、なんだか身体は知ってるみたい。
包まれた感じがとても居心地がよくて安心する。レイが身を寄せる気持ちがわかる。
「前田さん、僕と付き合って。ライバルだけど。これを言うのは二度目だけど」
「……前の私はなんて言ったの?」
「……それ聞く?」
「うん」
「それ聞いて答え変える?」
「……変えない、と思う」
「あやしいなぁ……」
「いいでしょ、教えて。私は聞く権利ある。本人だもの」
私は包まれたままブレザーのネクタイに向かって言った。
はぁ、と河口くんはけっこう重いため息を吐いて白状した。
「僕を知ってから決めるって言った」
「あ、いっしょだ」
「やっぱり」
河口くんはがくっと肩を落としたみたいだった。それが、なぜか面白かった。
あの河口くんが。
ピアノでは絶対的優位に立っている河口くんが、オーディション通って嬉しいはずの河口くんが、私の言葉でがっくりきてる。
「く……ふっ……」
「ここで返事をせずに笑うのは反則だって」
「ごめん、でも……うん、いいよ」
「なにが?」
「つきあうの、やってみる」
えっ、と河口くんは頭を上げると、ごちんっとピアノの板に当たってしまった。
「いってぇ……っっ!」
「大丈夫?! とりあえず、下から出よう?」
私たちはにじり出るようにピアノの下から出て、河口くんを椅子に座らせて頭をみる。黒というよりは茶色に近いくせっ毛の下の頭皮が赤くなっていた。
「これ、すぐたんこぶになりそう」
「ってー……前田さん、こんなに痛かったんだね、ごめん」
「うん? 私、ピアノの板に頭は打ってないよ?」
「いや、打ってるんだよ、ほら、記憶無くした時。ピアノ室で倒れてたって聞いてるでしょ?」
「あ、うん。そうみたい」
「あれ、僕がキスしようとして驚いてのけぞったの。それでたまたまピアノの足に当たっちゃって」
「ピアノの足?! それは倒れるよ、一番硬い……え……キ……キ? ……キキキキキキスぅ?!」
「うん、オーケー出たからいいかと思ってしたら前田さん的にダメだったみたいで、あの時はごめん。頭打ったあと大丈夫って頑なにで出てってって言われたから出ていってしまったけれど……その後またきっと倒れたんだと思う。本当にごめん!」
「やっ! ごめんもなにも覚えてない、けど、けど、けどっ!」
「うん、大丈夫。ちゃんと今度は確認取ってからにするから」
河口くんは首を上に傾けて、私を見つめてにっこりと笑っていった。
「のけぞってぶつけないように、今度は頭支えるね」
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結論として、私は河口くんとつき合うことになった。
そもそも河口くんを意識しはじめたのは私の夢見からなのだけど、私が河口くんの家猫レイと同化した夢をみたとは、まだ本人には言えていないんだ。
あれ以来、あんな夢を見ることもないし。
なんだったんだろう。
それだけが気になるのだけど、まあ、見なくなったのならそれでいいやと思っている。
河口くんも、つきあっているけど、前と変わらないしね。やっぱりあれは夢だったんだろう。
それにしては、リアルだったけど、ね。
本日10時エピローグ を投稿します。




