10 凛ちゃんが誤解している、らしい。
昼放課に凛ちゃんとつれだって、教室のある校舎とは別棟の北校舎へと向かった。渡り廊下でつながっている北校舎は家庭科室や理科室など特別室があって、あまり人が来ない。
私たちは北校舎の階段の一番上までいくと、屋上に繋がる踊り場に腰を下ろした。
屋上のドアは普段は鍵がかかって入れないのです、ないしょの話をするにはうってつけの場所なのですわよっ、と凛ちゃんはにこにこしながら教えてくれた。
「はぁ……! こうして前田さまとお弁当を食べながらお話ができるだなんて!」
凛ちゃんはハーフアップの垂れた髪をふわりとうち巻きにまいて、体育があったなんて分からないくらい身綺麗でかわいらしいお嬢さまだ。
お膝にのせている小さなお弁当箱も、小学生が食べるんじゃない? という小さなサイズに、俵になったおにぎりやウインナー、卵焼きにプチトマトが入っている。
私はというと、練習で体力を使うからお昼もちゃんと食べたい派なので二段弁当。一つにはお米がぎっしり入ってゆかりご飯。おかずも肉系中心の茶色い弁当。彩りにブロッコリーや卵焼きが入っている程度だ。ちなみにお弁当は自分で作っている。だからってのもあるけれど、ほとんどメニューは変わらない。とりあえず食べれて力がつけばって、あれ? 女子力落ちてる?
「前田さま、しっかり食べられるのですね。肉肉野菜、肉野菜っと、メモメモですわっ」
凛ちゃんはそのまま視線だけでスクショしてるんですかってぐらいまじまじと見て、うんうんと頷いている。
「あのー、凛ちゃん。私のことは美玲でいいよ? 私も凛ちゃんって呼んでいるし」
「ひぃぃっ」
「のけぞらないで凛ちゃんっ! お弁当落ちるよっ」
「し、失礼しましたわ。名前呼びの許可を頂けるだなんて。はぁはぁ、破壊力がすごすぎますわっ」
私は凛ちゃんののけぞりが心配なんだけれど……大丈夫かな、こんなに首、細いのに……折れちゃわないかな。
「あの、ね? どんなイメージ持っているか分からないけれど、普通に、普通に接して。わたし、そんな変な人でもないから」
「変な人だなんてとんでもないですわ!」
凛ちゃんはのけぞった身体をしゅるんと戻してうっとりと私をみた。
「外部編入というだけでも私たちからみればすでにエリート! 親のコネもなくご自分の力で入ってこられたのですもの! 加えてテストではいつも学年で五番以内に入りピアノもお上手でスタイル抜群、走れば一番、もうもう、私たちの中では女神さまですわっ!! そんな方を名前呼びだなんてっっっ」
「ああーーーーっ凛ちゃん! だめっ首の骨が折れるしっ! お弁当っ」
お箸を両手にもってぐんっとのけぞったので私はあわてて彼女と自分のお弁当を死守しながら膝を押さえてひっくり返らないようにした。
凛ちゃんも私が全身をつかって支えているのをみて、し、失礼しましたわ、とすぐに我に返ってくれたので助かった。
「で、では、おそれながら美玲さま、と呼ばさせて下さいまし。とても呼び捨てになんてできませんし、それにきっと、名前だけを呼ぶのは河口さまだけでしょうから……」
「ぶふぉぉっっ」
私はやれやれやっと名前呼びになった、と安心して飲もうとした水筒のお茶を思わず吹き出してしまった。
凛ちゃんが大丈夫ですか! とあわてて質の良さそうなハンカチを取り出したので、私はごほごほ言いながら大丈夫大丈夫と自分のティッシュで口周りを拭いた。
「ふぁ?! 河口くん?!」
「ええ、体育の時も言いましたが、私、お二人の仲むつまじい姿を見てしましたのですわっ」
ひっくっ、と私は顎を引いた。どこどこどれどれ、どの場所で?! 少なくとも私の記憶の中では三日前からしか河口くんに接触していない。
「ど、どこ、で?」
「ふふふ、いろいろな所でお見かけしましたが、決定的なのは今朝ですわね。公園で、髪を……っああ! 美しいそのセミロングの黒髪を梳いている河口さまの手つきもさることながら、リラックスして微笑んでいた美玲さまもまたっっっ……っ尊かったですっ!!」
「ひーーーー!!」
今度は私の方がのけぞりそうになってしまった。ま、まさかあの公園での事を見られていたなんてっ。
「ま、まさか、凛ちゃ……ス、スト……」
「あ、安心して下さい、美玲さま。私、ストーカーとはちょっと違う人種ですのよ? そもそもあの公園の近くに住んでいまして、普通に通学路として使っておりましたの。そうしたらまさかのお二人の姿がっ」
「そ、そう、そうなら、まだ、いいのだけど」
「あまりに嬉しすぎてつけてしまいましたが、写真もビデオも撮っておりませんし、他の皆さまにお伝えもしておりませんわ。こんな憧れの方の素敵なラブ情報、誰にも渡しませんわよっ! ふふふふっ」
りーんちゃーん、こわいですー 十分こわいですー
でも、うれしそうな顔で私自身にわるびれもなく話してくれる凛ちゃんはなんとなく好感がもてた。
「でもね、河口くんと私は、うーん、何というか、うーん、ライバルなのは間違いなくて、うーん、うーん」
私と河口くんの関係を伝えようと思うのだがなかなかうまく言えない。それはそうだよね、だって、私自身がまだ混乱してる。
「んふふ、美玲さま、大 丈 夫 ! ですわっ。秘密にしていらっしゃるのですよね、今はオーディションを競うライバルなのですから。でもその裏では本当は競いたくないと思っていらして、お互いを尊重しながら切磋琢磨し……ああっ 素晴らしいですわっっ」
「りんちゃーん、ちがうよー、勝ちにいくよ、わたしは! ライバルっ、ライバルなのっ、それは事実。ね? ライバルに愛や恋はないの」
「むふふふ、了解ですわ! そんな設定なのですねっ ……萌えっっっ」
「りーーんちゃーーん」
またしてもお弁当を落としそうになりながら中天を見つめ陶酔している凛ちゃんを現実に戻す。
「あのね、ほんとだから。今朝一緒にいたのもたまたまだから、ね?」
「了解、了解ですわ! 合わせますわー!!」
完全に誤解をしている凛ちゃんをこのお昼の時間で正しく戻すのは無理だ、と私は早くも白旗を上げた。
それよりもいろいろ考えなきゃいけない事がありすぎてお弁当を食べてしまうと、私は両手を握ったり開いたりする。
手が、というか腕が軽くなっている。昨日はだる重だったのに軽い。お弁当を隣に置いて、私は自分の膝をピアノに模して少しだけ指を動かしてみると、やっぱり軽くなっている。
「凛ちゃん、私、放課の時間までちょっとピアノの弾いてくるよ」
「はい! 行っていらっしゃいませっ!」
凛ちゃんはまだ食べているお弁当を持ちながら一旦箸をおくと、ひらひらと手を振ってくれる。
ありがとう、と頷くと、私は北校舎の階段を弾むように降りて本校舎へ向かった。四階は静まっていてこの放課は誰も使っていないみたい。スタインウェイの部屋ももちろん空いている。
私は重い扉を開けて入り、三十分ほど放課が終わるギリギリの時間まで軽くなった指にほくほくしながら弾いた。
自分の音も、いつもより軽やかになったように思えた。




