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火精の檻(未完)  作者: 戌島百花
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炎王の承服:4

外からは見えないよう漆地の花鳥山水屏風で区切られた室内で、華奢な印象の黒檀の椅子に座り、手にした書面を前に私は考えに沈み込んでいた。

正規の手段であれば、私が受け取りもしなかったかもしれない書面である。

私は自分の能力のなさを十分に自覚している。

炎王誠偉にした安易な嘆願が、後々大きな問題となった酷い経験をしたことがあった。

だからよく吟味して行動しなければならないと肝に銘じていた。

手にした書面の重さが、それを簡単に捨てることも無視することも許さない。

顔色を青ざめさせて叩頭し、非礼の許しを乞うてきた志文様と天佑様は、いくら顔をあげるよう言っても聞いてくれなかった。

それが尚更どれほど真剣に私に助力を求めているのかを伝えてくる。

ならば彼らの願い通りに、誠偉(せいい)に頼んでみようか。

……それで本当に良いのか、私には判断がつかなかった。

「鈴玉様、誠偉様がお越しでございます」

恵麗が屏風越しに丁度誠偉の来訪を告げる。

その声は街中で見せた時とは違い非常に畏まった様子だが、二人の時以外は立場上そうしなければならなかった。

「お通しして」

扉が開かれる音の後に入ってきたのは、見慣れた美しい青年王だった。

彼が軟禁されていたころに事情の知らない者たちは、天朝宮には必方の他に精霊がもう一体いるらしいと噂していたほどである。

青年となった今、成長した見栄えのする体格と整った顔立ちに、初めて謁見する者たちの中で一瞬も言葉に詰まらなかった者を私は知らない。

誠偉は私に柔らかい笑みを浮かべると、椅子に座りながら楽しそうに話しかけてきた。

「姉上。また、抜け出したのか」

常習犯である自覚はある。そして改めるつもりもない。

私は顔だけ反省し、しおらしく言った。

「ごめんなさい。やっぱりどうしても、街中が気になってしまって」

「外に安全な場所などないと、いつ気づくのだ。

……全く、いつも私の肝を冷やす」

 そう言って大仰にため息をつく。けれどそれすら楽しげで、本心から怒っていないことを示していた。

それに誠偉が本気になれば私が抜け出すことなど不可能である。

誠偉は知っていて、あえて見逃してくれているのだった。

だから私の護衛につけられている影の者達は、いつも同じぐらいの刻限になると姿を現して宮廷へ連れ戻す。

「何か見たいものがあるならば、何でも呼びつければいい。

流民でも、商人でも」

「それじゃあ意味がないわ」

「相変わらず真面目な。

これでは姉上が抜け出さないかと心配で、今夜も眠れぬ夜となりそうだ」

そう軽口を叩くが、誠偉がこんな気安く話すのは昔と変わらず私だけである。

彼の意に沿わない行動をして笑って許されるのもまた、私だけであった。

これは単なる思い上がりではなく事実である。

以前珍しく祭事のため政治・祭事の場である朝廷に赴いたことがあった。

その時、誠偉が右手につけるべき意匠の指輪を左手にしていたのをうっかり大勢の前で指摘してしまったのである。

あの時の凍った空気は忘れられない。

皆が青白い顔をしていたのは、普段の誠偉がどれだけ厳しい王であるかを知らしめるものであった。

そしてその後誠偉がなんのお咎めもせず、寧ろ感謝をしてきたのを見て卒倒した者さえいたのである。

私の言葉を聞くのだから、他の者の言葉も聞くだろう。

そんな即位の時に考えた安易な私の考えを打ち壊す様に、誠偉は頑なに他人を拒絶する。

王を諫めるべきか。それとも黙認するのか。

私だけができるのである。私しかできないのである。

こんな重圧が、他にあるだろうか!

それでも正面切って誠偉にどういうつもりかと尋ねないのは、私もまた彼を心の底で恐れているからなのだった。

意気地のない心根を押し隠し、私は何でもないふりをして誠偉に言った。

「狭い宮廷の中では気づけないものが多くあると、貴方なら知っているでしょう」

誠偉は答えずに子供のように笑った。

美しい顔に浮かぶ純粋にも見えるその表情は、女性が見たら誰をもときめかせるほど魅力的なものだった。

これほど異性が群がりそうな容姿をしていて、いまだ妃を一人も迎えていないのも悩みの種である。

その容姿と地位から選ぶのには困らないだろうに、誠偉は女性を近づけようとしない。

そして、私の決まりかけていた結婚話も誠偉によって消されたのである。

血縁を重視する郝一族にとって、従姉弟同士の結婚は禁止されていない。

だから私は、てっきりそういうつもりなのかと覚悟を決めたのだ。

しかしこの五年間、誠偉は『誰とも』結婚しないまま私の部屋に入り浸る。

おまけに必ず恵麗などの第三者がその場にいるので、間違いがないのはお墨付きである。

一体どういうつもりなのだ。

私はこの問いも答えを得ることが怖くて問いかけられないままいた。

「さて、何やらひと悶着あったらしいが」

全てを知っているだろうに私の口から直接聞きたいらしい。

誠偉は鷹揚に構えて私が話し出すのを待った。

「どうして祖州からの特使に返答をしないの?」

「どうでもいい」

くだらない世間話を聞かされたように、少しの苛立ちを滲ませながら誠偉は言った。

しかし私の眉間の皺が深まったのを見て、取り繕うように笑う。

「……というと、姉上は怒るのだろうな」

冗談めかして言うが、今見せた興味のなさこそ誠偉の本心に違いない。

これほどの大事にも関わらず、誠偉にとっては煩わしい面倒事以上の感情はないようだった。

「真面目に答えて」

「真面目に、と言われてもな」

誠偉は顎に手を当てて、少し考える素振りを見せる。

私が言ったから姿勢だけ取り組んで見せているだけで、国の行く末に関して問題意識を持ってのことではない。

私がその都度指摘すれば、このように聞いてくれるだろう。

しかし、彼が望んでしていることではないのだ。

既にでき上がってしまった彼の人間性を正すことは難しく、力不足を日々嘆くばかりである。

誠偉は机の上を指で軽く叩きながら思案している。

そしてちらりと私の顔を一瞥した。

その仕草に彼の心の中が透けて見えた。

どう答えを出すのが、私が一番気に入るかと考えているのだ。

それが王の考えることだろうか。

いっそなじってしまいたくなる。

「……輝明様と隆飛様、どちらでもいいと思っているのでしょう。

賽の目でも振って決めるのかしら?」

誠偉は困った顔をして、私の指摘が正しいものであると示した。


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