炎王の承服:3
追いついてきた他の郝一族が息をのんだのは、果たしてその腕に止まる必方の姿になのか、それとも始めて見るだろう誠偉の容姿になのか。
姉上と呼ばれつつも、実はほんの三か月ほど先に生まれただけである。
気付いたのは誠偉と会ってから大分経過した時だった。
もう呼び慣れてしまったらしく、訂正しても呼び名を変えてくれることはなかった。
誠偉は私の姿を見ていつものように優しい笑みを浮かべたが、後ろの他の郝一族の姿を確認すると途端に表情を強張らせた。
「……成程。今日は選王の儀だったな。であれば、この鳥は必方か」
そう言って自分の腕に止まる必方を見る。
その視線はただの鳥を見るようで、畏敬の念など何もない。
閉じ込められていた誠偉には、この炎州の者ならば誰もが植え付けられている精霊への感情など育っていないのだった。
自分が炎王に選ばれたのを、他の郝一族の青ざめた様子から知ったのだろう。
誠偉は口角を徐々に吊り上げていった。
「は、ははっ」
それは二人の時には見せなかった、歪んだような笑い方だった。
「はははははは!!」
異様に静まった空間に、誠偉の箍が外れたような声が響く。
誰にも祝福されていないのは明らかだった。
「私が王か! 散々閉じ込められたこの私が!
必方、お前も面白いことをする!」
「無礼な!」
利明様が敬うべき精霊への気軽過ぎる言いように、顔を真っ赤にして抗議した。
そこには自らが選ばれなかったことの八つ当たりもあったのかもしれない。
「無礼はどちらだ!」
しかし誠偉は怯むどころか利明様に向かい、鞭で打ち据えるような厳しい叱責をした。
「この国では、選ばれた者こそが王である!
炎王に対するその振舞い、許されるものではないぞ!」
それは炎のように激しい怒りの感情であった。
……どうして青があってはならない色であると頑なに信じていたのだろう。
私達は自らの髪の色ばかり気にするあまり、本当の炎の鮮やかさを忘れていたのだ。
蝋燭の炎をよく見れば、最も高温である部分こそが青色ではないか!
気づいた事実に愕然としていると、誠偉は腕を振って止まっていた必方を追い払った。
そして空いた手を上に向け、揺らめく炎を生じさせる。
その炎の色は先王聖陽様の美しい赤ではなく、誠偉の髪の色によく似た青い炎であった。
誠偉は精霊に守護を受けた時点で、その力の一端を自在に操ることのできる真人となったのである。
人でありながら、人ではない。
振り払われた必方は気を悪くした様子もなく、空を一周ぐるりと飛んでから天蚕宮の屋根に降り立った。
誠偉は面白そうに自分の作り出した炎を一瞥すると、睨みつけていた利明様に向かって手のひらを向けた。
「……焼けてみるか?」
肌が粟立つ。
自分に向けられたものではないとしても震えそうになり、歯を噛みしめて音が鳴るのを防いだ。
決定的な過ちを犯したことを悟った利明様は、顔色を真っ白にして腰を抜かす。
ここに、史上最も恐ろしい王が誕生したのかもしれない。
閉じ込められ続けた誠偉は、他者の命の重みを知らない。忖度をしない。同情をしない。
長い間共にありながら、誠意がそんな人間に育ち切っていたのを、私は今初めて目の当たりにして気づいたのだった。
「駄目」
震える声で、それだけ言えたのは奇跡的だった。
止められるのが私だけだと自負しての発言ではない。
ただ、誠偉がそんな惨いことを目の前でするのを見たくない一心だった。
その弱弱しい声に、何の力があるだろう。
自分ですら情けなく感じるその一言は、劇的な変化を齎した。
「駄目か。姉上」
それはいつもの誠偉と何も変わらない、困ったような声だった。
自分の言葉が届いたのを知り少し安堵する。
「生かしておくと面倒なことになるぞ。
こういう輩は、折を見て排除するに限る」
閉じ込められていた人間が一体どういう根拠でそう言い切るのかが分からない。
凡人の私には誠偉のその言葉に全く同意できず、それが今後の誠偉にとって良くない影響を与えるように思えた。
「駄目よ」
重ねて言うと、誠偉は渋々その手の青い炎をかき消した。
面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「……命拾いしたな」
緊張から息を止めていたらしい利明様が、大きく肩を上下させて空気を吸う。
新王の即位だというのに、皆が言葉を失っていた。
これからの炎州の未来に明るいものを思い描けなかったからだろう。
しかし私は一早くその状況を受け入れた。
髪の色こそ想定外だったが、誠偉の頭の良さを間近でよく見知っていたからだ。
大丈夫。誠偉は私の声を聞いてくれている。ならば、他の人の声もきっと届く。
それに今まで不遇だった誠偉の出世を、単純に喜ぶ面もあった。
これで誠偉はこの場所から解放されるのだ。
炎王ともなれば、炎州中の贅を集めた生活ができるだろう。
苦労した分、これからの幸福を姉上と彼に呼ばれる身としてただ願った。
私は凍り付いた面々の前で、膝を地につけ、恭しく額づいた。
「新炎王様。ご即位心よりお慶び申し上げます」
私の行動にこれが祝福の場であることを思い出した者達が、慌てて同じように誠偉に対して額づいていく。
これまで誠偉を隔離し見向きもしなかった郝一族が、誠偉に対して額づいていく様は壮観である。
何事かと集まった宮廷中の人間も必方の姿から新炎王の即位だと気づき、相手が誰だか分からぬまま額を地面に擦り付けた。
しかし誠偉は並ぶ数百を超える人間になど目もくれず、一番前で額づいていた私の腕を持ち上げるようにして立たせた。
「姉上。私の名前を忘れたか」
今まで通りの呼び方で呼べと主張してくる。
それがこの状況で気にすることだろうか。
常識知らずの誠偉は、口を尖らせて不満げな表情である。
無表情なはずの必方が、呆れた目を向けた気がした。
私は衆目に晒されていることに辛さを覚えながら、何とか頷いて誠偉の名前を呼んだのだった。
これが凡そ五年前の話である。