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火精の檻(未完)  作者: 戌島百花
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炎王の承服:1

それは恐らく、七歳のころだっただろう。

赤城都の北に位置し、長大な壁で隔絶された天朝宮(てんちょうぐう)の奥深くには郝一族の住まう宮廷がある。

炎州の贅をかき集めたその場所には、必方(ひっぽう)の姿を模して作られた鳥の意匠(いしょう)がそこかしこに存在し、外壁一面に塗られた劣化を感じさせない鮮やかな朱色が、火精の守護を示すと共にその景観を維持するだけの財力があることを来訪者に知らしめていた。

宮廷の隅にある一部屋で黒髪の若い青年が、髪の短い不貞腐れた様子の少女だった私に呆れた口調で話しかけた。

「……また、御髪(おぐし)を切ってしまわれたのですか」

ばらばらの長さに乱れた赤茶の髪は、女官たちに悲鳴を上げさせるほど酷い様相だった。

青年は(かく)一族の教育係たる太子少博(たいししょうはく)(しょう)登明(とうめい)である。

かつては在野にあったがその才覚を見出され、それだけ能力のある人間を放置できないという、どちらかというと監視目的で官吏になることを強要された過去を持つ。

こんな、誰も郝一族だと分からない赤茶の髪の私には、勿体ない先生だった。

登明先生が官吏になんの縁故の力もないという事情がなければ、郝一族の末席である力を何も持たない私の先生にはならなかった。

郝一族にとって髪の色が全てである。

赤く色鮮やかでなければ、王には選ばれない。

その為、せいぜい有力一族との結婚以外に使用目的の無い私を気に掛ける者は誰もいなかった。

物心ついたころから、父も母も私の部屋を訪れたことがない。

それが幼い私にはどうしても受け入れがたい悲しみで、こんな髪色でなければと何度も髪を切る騒ぎを起こしていた。

結果はこの通り、登明先生を呆れさせるだけであった。

登明先生は酷い有様の髪を撫でると、何かを考えている様子だった。

しばらく逡巡していたが、結論がでたのか私に小さい声で言った。

「そこまで気になさるのなら、一度彼を見に行きなさい」

「彼?」

「郝誠偉(せいい)様です」

それは、私が全く聞いたことがない名前だった。

郝一族ならばすでに全員把握しているはずだったので首を傾げる。

「知らなくても当然です。彼は秘された者。

私には行けない宮廷の一角にいるはずです。

けれど、郝一族の貴女なら行けるでしょう」

「それは誰なの?」

依依(いい)様のご子息です」

依依様ならば知っている。炎王、聖陽(せいよう)様のご息女であり、私の伯母にあたる方だ。

生まれながらに足が悪く、炎王由来の美しい炎のような赤の髪を持ちつつも滅多に表に出てこない。

確か郝一族の高級官吏と結婚していたはずである。

しかし、彼女が子供を産んでいたとは全く聞いたことがない。

「どうして、会いに行けっていうの?」

「見れば分かります」

 そう言って私の髪を痛ましい表情で見る。

「一体、髪の色がなんだというのでしょう」

静かな部屋に落ちた言葉は登明先生の本心だろう。

しかしこの天朝宮から出たことのない私には、理解のできない言葉でもあった。

そして私は、助言通りに会いに行くことにしたのだった。



天蚕宮(てんさんぐう)と呼ばれる宮廷の一角に、衛士の多い場所があった。

用がなければ近寄ることもないような、非常に奥まった場所である。

他の主要な建物からは離れていて、自然と人が遠のくようになっていた。

私が郝一族だと告げると、強硬に止めようとする衛士はいなかった。

末席であろうが郝一族の威力は絶大なのである。

目にしたその建物は、郝一族が住むには狭くて小さいように思えた。

けれど他にそれらしい建物もないので間違いない。

「郝誠偉様はいらっしゃいますか?」

「……何者だ」

扉の前で尋ねると、中から聞こえたのは少年の声だった。

「郝鈴玉と申します。会いにまいりました」

瞬間、勢いよく扉が開け放たれた。

中にいたのは何とも鮮やかな宝石のような青い髪と、優しい菫色(すみれいろ)の目を持つ少年だった。


なんて、綺麗。


日の光に照らされ、髪は煌めいて見えた。

青い色は見れば見るほど吸い込まれるような心地がする。

心奪われる。

私はその時、彼が郝一族として赤い髪を持たない不思議を全く忘れてしまっていた。

それほどに、魅了される色だった。

「なんだその髪は。酷いな」

それが短く切った髪のことに対するものだと気づかず、醜い赤色を侮辱したものだと勘違いした。

反射的に相手の髪の色も言い返してやろうという気になった。

「なんだとは何よ! 貴方だって……!」

しかし馬鹿にしてやるには余りに美しい色である。私は直ぐに勢いを失った。

「貴方だって……」

そもそもの問題に気が付く。従弟なのに、何故髪色が青いのだ。

「……何で貴方の髪、そんな色なのかしら?」

間抜けな様子で思わず訊ねてしまった私に、誠偉様は大笑いしたのだった。

「それを私に聞くか!」

笑う顔には影はなく、それを全く気にしていないことが窺える。

赤色でさえないのに、その様子は私にとって衝撃的だった。

「知るはずもないだろう!

さてはて、精霊の取り違えか、母の不貞か……。

しかし我が母は浮気に行けるはずもない足の悪さでな。

お陰で、いてはならない者扱いだ。

いずれの理由にしろ、私自身にはどうしようもない」

どうしようもない。その一言が、私の胸にすっと入ってきた。

無いものにはできない。

努力で変えることもできない。

だったら、諦めて受け入れるしかないではないか。

それは私の非ではないのだ。目の前の誠偉様の囚われない様子は、力強く眩しく見える。

そういうようになりたいと憧れた。

「誠偉様は強いのね」

「強い?」

「私もどうしようもないと言えるように、強くなりたいわ」

誠偉様はその言葉を聞いて、戸惑うように眉を寄せた。

「珍しく、人が来たかと思えば……妙なことを言う。郝鈴玉と名乗った貴女は何者か」

そこで私ははっと非礼に気づき、慌てて拱手をした。

親族とはいえ、州を動かしている郝一族内では礼儀を尽くさねばならない。

「私は誠偉様の従姉になります」

「従姉」

「はい。依依様と私の父行之(ぎょうし)は姉弟ですので」

「ふむ。ならば従姉とは、姉弟の子供同士を指すのだな?」

私は誠偉様がそんな基礎的な単語すら知らないと気づき、冷や水を浴びせられたような心持がした。

言っていたではないか。いてはならない者扱いだと。

そして、この場所は隔離されているのである。

郝一族でなければ、ここに来ることもできなかった。

私は自分が誰とも分からない相手と結婚を決められてしまう未来と、自分の意見が何も通らない立場に嘆いていた。

しかし、誠偉様と比べればなんと恵まれていただろう。

常識すら届かないほどの、奥深くに隠されてしまっているのだ。

どれだけの閉塞感があるだろう。

郝一族のことを今まで無意識のうちに信頼していた。

国を動かす立場なのだから高潔な誇り高い一族に違いないと。

しかしこの非道な仕打ちを知り、その醜さを直視させられる。

泣きそうになる自分を堪えていると、誠偉様は哀れまれているのにも気づかず笑って言った。

「是非とも姉上と呼ばせて欲しい。

貴女は私を訪ねてきてくれた、貴重な人だ」

「……いいわ。私も、誠偉と呼んでもいいかしら」

「勿論」

それはきっと寂しさからの提案だっただろう。

この場所は門で仕切られ、衛士が石像のように立っているだけである。

人との接触が極めて限られた環境だった。

寂しさが少しでも薄れるように、私は誠偉を弟のように可愛がることを決意した。

「また来てもいいかしら」

「何度でも。姉上が来てくれれば、退屈も紛れるから」

儚いような表情を浮かべたので、堪らずその頭を撫でてしまう。

私より少し低い背丈では、簡単に手が届いた。

「姉上?」

「誠偉が良い子であるから、撫でてあげるわ」

嬉しそうな顔をして猫のように目を細める。

その素直な様子が、尚更可愛く見えた。

「次は本でも持ってきましょうか。そして、一緒に勉強しましょう。

私も分からないことがまだまだ多いの。

きっと誠偉とやれば励みになるわ」

「では楽しみに待ってる。……約束だ」

私達はその約束を、互いに心待ちにしたのだった。

私は自分の髪を切ることを止め、どうにか時間を作っては誠偉に会いに行った。

幾度となくその後邂逅を重ねていく内に、誠偉が私より余程頭がいいことに気がつく。

勉強などとっくに追い抜かされ、本だけを渡すような状態になっても、誠偉は決して私と共にいる時間を短くしようとはしなかった。

その温かな時間が、ほんの一瞬だけ許された貴重な有限の時間だと知っていたからだ。

時期がくれば、私はここから離れて誰かに嫁がなければならない。

誠偉はここから離れることができない。

そうなれば、二度と会えないのは明白だった。

事態が急展開したのは、いよいよ嫁ぎ先が真剣に吟味されだした十六歳の頃である。

炎王である聖陽(せいよう)様が崩御されたのだ。


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