疫鬼退治:3
「鈴玉様……!」
届かないと知りながら、それでも天佑は手を伸ばした。
しかし左手に禍々しい印をつけられた彼女の体は崩れ落ちるように倒れ、体重を支えきれなくなった恵麗殿が、頭を守りながらその場に横たえる。
「姐様? 姐様!?」
呼吸に合わせてわずかに開閉する口を見なければ、生きているとは思えないほど白い顔だった。
私は伸ばした手で拳を作り、地面に叩きつける。血が出たが、気にもならない。
今までが最悪だと思っていたが、更に酷いことが起きるとは。
「志文様! 疫鬼が、姐様の左手に……!」
走ってきた志文殿に、涙声になりながら恵麗殿が声をかける。
荒くなった呼吸を呆然とした様子で整え、顔を歪ませて言った。
「ああ。見た」
「早く追いだしてください!」
その言葉にすぐに答えることができない志文殿を見て、私はその方法が何であるかを悟った。
追いついた護衛や村人たちも、状況を見て何が起きたかを知ったようだった。
「どうして、何も言ってくれないんですか!?」
恵麗殿は見なかったのだろう。煙が立ち込めていた上に、この距離だから仕方ない。
「志文様!」
責めるような恵麗殿に、蜚への憤怒が籠った声で志文殿が答えた。
「手を落とせ……! それしか、僕は知らない!」
恵麗殿は絶句した。
全く、簡単なことだ。さっきも村人の手を、容赦なく切り落とした。同じことをすればいい。
そのたおやかな手を、二度と動かなくさせるだけだ。
その華奢な腕を、愛らしさから哀れみへと変えるだけ。
だというのに、視界に映る自分の手はいつまで経っても剣を振るそぶりを見せない。
数多の人間を葬ってきた自分が、たった一つの手を斬り落とすだけに怯えている事実に愕然とする。
その様子を鬼のような顔で見守っていた何義夫は、溢れる怒りを堪えながら言った。
「鈴玉様が命を落とせば、我々は皆、後を追うしかないでしょう。
そして助かれば、違う結果になります」
炎王は鈴玉様を失えば、どれほど残酷な刑罰も容赦なく行うに違いない。
そして失わせた我々を全員始末するのは確認するまでもなく分かり切っていた。
そこに州の違いはなく、たとえどれほど政治的立場や次期皇帝の思惑に守られようと、志文殿も私も炎王に焼かれて死ぬのだろう。
だから、彼女を今死なせるわけにはいかないのだ。
「ただし鈴玉様の命が助かっても、手を斬り落とした者は例外です。
鈴玉様がどれほど止めようと、炎王は許しません」
続けて何義夫が言った言葉に異様な空気が生まれた。
誰がその役を引き受けるのかと、特に剣を持った男たちがそれとなく周囲を見回して様子を窺いだす。
そんな腰抜けどもに、これほどの大役を任せるものか!
私は徐に立ち上がり、鈴玉様に近づいていく。
恵麗殿が怯えた目で私を見たが、賢明にも引き留めることはしなかった。
周囲の者の視線を感じながら足を進める。
地面に掌を上にして置かれた彼女の手を、できうる限りの繊細さでそっと持ち上げた。
労働など知らない柔らかなままの手は、彼女の無垢さを現したようである。
そのまま視線を上にずらし鈴玉様の顔を見ると、朦朧とした意識の中でも私と分かったようだった。
可義夫の話を何処まで聞いていたかは分からない。けれど、まるで安心させるように微笑んだ。
胸が詰まる。この感情をなんと名付ければいいのか、私は知らない。
せめて、辛い時が少しでも短くなるように。
右手に掴んだ剣を掲げ、一刀で両断できるように呼吸を整える。
それを振り下ろす寸前、知らない老人の声が私を止めた。