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火精の檻(未完)  作者: 戌島百花
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疫鬼退治:2

私に呼びかけられた蜚は、獣の姿をしているのにはっきりと分かるほど歪に嗤った。

恐らく蜚とは、邪悪が形を成したものなのだろう。

「矢を射よ!」

志文殿の合図に、護衛と村人たちが降り注ぐような数の矢を射た。

しかし、牛のように見えるその疫鬼はまるで通じた様子がない。

鉄ほども硬い皮なのか、足元に無力に落ちた。

何義夫が槍を持ち、剛腕を以て縄の外から蜚を突き刺す。

武人らしく一切の無駄のない動きだったが、蜚の側面に当たったそれは少し表面を沈ませただけで柄がひしゃげた。

「志文様、武器が効きません!」

「桃湯に浸せ!」

急ぎ護衛達は武器に桃湯をかけるが、それを大人しく許す蜚ではなかった。

結界に向かって、突進したのである。

銅鑼のような轟音が、何もないはずの宙から響き渡った。

二度、三度。突進する度に頼りない縄が悲鳴のように軋む。

「させるか!」

志文殿が柏の木札をぶつかる蜚の額に向かい投げつけた。

「ゲッ!」

当たった瞬間木札は燃えて消し炭になる。蜚は巨大な鈍器で殴られたように、ぐらりと体をよろめかせた。

しかし頭を振ると、すぐに体勢を立て直した。

木札の効果は覿面だが、用意できた数はほんの十数枚しかない。

数に限りがある以上、使いどころを考えなければならないだろう。

「志文殿、その札は私も使えますか?」

「ああ」

私は志文殿より木札を一枚貰い、槍を近くの村人から預かった。

札を天高く投げ上げると、縄の中に潜って入る。

「天佑、何をする!?」

志文殿が悲鳴のような声を上げた。蜚は自分の力の及ぶ範囲に獲物が侵入してきたことを見るや、口の端を吊り上げて嗤う。

数度前脚で地面を蹴りつけると、助走をつけて全力で突進してきたのだった。

私はその牡牛の巨躯が近づいて来た瞬間に合わせ、猫のように高く跳躍する。

そして『振ってきた』木札ごと、蜚の一つ目を深く突き刺したのだった。

確かな肉を切る感触が腕に伝わる。

「ヒいぃぃいイイ!!」

目を潰され、奇声を上げながら蜚は棹立ちする。

槍を抜いた瞬間、大きな目から血の涙が滴った。

剣を抜き放ちその体を斬りつけると、ただの獣のように簡単に傷つけることが叶った。

もう、その身を固くする力もないのだろう。

手早くとどめを刺そうと近づくと、それを察したのか蜚は狭い結界の中を逃げ回る。

逃げ回りながら、その体を結界に打ち付けていた。

「よし、いいぞ!」

蜚が弱ってきたのを悟り志文殿が高揚した声を上げたが、私は駆け巡る蜚の目的に気付き顔を青くした。

「いえ、これは……!」

急いでその動きを止めようと追いかけるが、全力で走る四つ足の獣の動きに翻弄される。

そして遂に、先ほどの突進で弱っていた縄の一部が弾け飛んだ。

「逃げて下さい!」

私の言葉を待つまでもなく、祭場の外の人間達は悲鳴をあげて駆け出していた。

それを蹴散らしながら、蜚は外へ外へと遠ざかっていく。

その先の方向を目視し、世界が一瞬時を止めた。

弾かれたように駆け出した。

しかし我が足のなんと遅いことか!

髪を振り乱し、両腕を振って、壊れそうなほどの力で足を動かすのに、蜚に追いつくことができない。


そして蜚は、鈴玉様の左手に吸い込まれる様にして姿を消した。



どうやら志文様は怪異の正体を突き止めたらしい。

吉報はすぐに村中に回り、退治する為の準備に皆が一丸となってとりかかっていた。

呪印を付けられている私は大人しく寝かされたままで、その様子を恵麗から聞くだけである。

手伝うこともできないまま、日ごとに悪化していく自分の体調と向き合っていた。

目覚めていても、思考はぼやけて判然としない。

体は重く、立ち上がるだけでも呼吸を整えなければならないほどだ。

しかし、今日という特別な日だけは自分が寝て過ごすのはどうしても嫌だった。

「恵麗」

「はい、なんですか?」

寝台の上から首だけを動かして恵麗を見る。

「私も疫鬼退治、見届けたいわ」

その言葉に恵麗の表情は見る見るうちに曇ってしまった。

「危ないですよ」

「でも、皆がもっと危ないことをしようとしているのに……私だけ何もできないから。

せめて見るだけは許して」

しばらく恵麗は眉を寄せて悩んでいたが、私の気持ちを一番理解してくれている彼女である。

「では、家の前から見守りましょう。傍に行くのはやっぱり危険ですから」

「ありがとう」

安堵の息を吐くと、恵麗も諦めも含んだ笑顔を作った。

重い体を起こすのを手伝ってもらい、緩慢な動きで外に出る。

家の隣にある切り株に上掛けを羽織ったまま腰を下ろした。

急な坂の多い村は全体が一望できる。

村の中心部にはここ数日で志文様たちが作り上げた祭場が遠目からでも見え、村の人々が武器を持ち集っていることでいよいよ時がきたのだと悟った。

「始まるみたいですね」

恵麗の言葉通り周囲から香煙や焚火の煙が登り始め、視界が曇りだす。

中の様子がよく分からないが、志文様の朗々としたとした声がここまで響いて届いた。

そのうちに人の悲鳴のようなものが聞こえ、思わず固く拳を膝の上で握りしめると、恵麗が上から手で覆ってくれた。その温かさに少し励まされる。

煙の中では誰かが戦っているようだ。何かに大きなものがぶつかるような音や、人の叫び声、そして耳障りな嗤い声が入り混じって聞こえた。

特に嗤い声は思わず眉を顰めてしまうような異様な音で、この声の主が疫鬼であることは間違いない。

煙の切れ目から垣間見えた姿に、思わず息を呑んだ。

なんて禍々しい見た目だろう。

よく見る牛に似ているが、これほどの悪意を見たことがなかった。

全てを嘲るような奇妙なほど吊り上がった口角と、殺意の籠った一つ目。

ただの獣でないのは、赤子でも分かるに違いない。

「中に戻りますか?」

「いいえ」

青ざめた顔に心配されてしまったが、最後まで見届けたいと目を凝らす。

そのうちに再び祭場は煙に包まれ何も見えなくなってしまった。

劈くような悲鳴と、湧きたつ歓声。きっと上手くいっているのだろう。

安心したのもつかの間に、天佑様の声が聞こえた。

「逃げて下さい!」

煙が風に流され消えると、目から血の涙を流す疫鬼が祭場から飛び出すのが見えた。

「大変……!」

恵麗が慌てながら右から私と肩を組む様にして立たせてくれる。

それでも急に動いて目眩のする体を、獣の速度よりも早く逃すことは叶わなかった。

恐ろしい速度で足音が近づいてくる。もう間に合わない。

左手が、焼かれたように熱くなった。



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