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火精の檻(未完)  作者: 戌島百花
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疫鬼退治:1


疫鬼の正体が蜚だと判明し、志文殿は村人たちに退治の準備の指示を出した。

武器を集めさせ、矢を作らせ、他にも多くの品々を所望した。

手に入る物もあれば、手に入らない物もあり、ないと知るや「これで蜚を倒せと言うのか」と盛大にため息を吐くので護衛も村人も顔を青くして必死でそれらをかき集めた。

天佑も志文殿の指示通りに柏の木を割り、木札にする作業を手伝った。

でき上った木札を志文殿に手渡すと、難しい字で呪文を書き入れていたがその方面の知識がないので意味は分からなかった。

そして三日経過した今、村の中央には拙いながらも祭場が作り上げられている。

開けた場所に三丈二尺ほどの縄で四角く切られた区画があり、その外側には木の棒で作られた標識と、灯明が等間隔で並べられていた。

私の目には三日の仕事としては十分だと思ったが、これでも足りないらしい。

しかし鈴玉様の容態が予断を許さない状況であることから、それ以上の作業を諦める決断を志文殿は下したのだった。

まだ昼前の明るい時刻、村中の男がそれぞれ武器を手に取り、祭場の周りを険しい目つきで取り囲む。

いよいよという高揚感と、その正体と対峙しなければならない恐怖を顔にはりつけていた。

村人たちより前に何義夫率いる護衛達が並ぶが、こちらは落ち着いた様子で武器を手に取り、いつでも戦う心構えができているようだった。

祭場の前に設置された祭壇からは香煙が立ち上り、志文殿は祭壇横の焚火に集めた干し魚などの供物をくべる。

周辺を香煙と焚火の煙が包むほどに立ち込めたところで、静かに志文殿が祭場に向かって一礼した。

「それでは、始めようか」

「ああ」

志文殿の隣に立っていた私も頷いて答えた。張り巡らされた縄を切らぬよう、潜って祭場の中に入る。

戊戌(ぼじゅつ)の日、火林山に疫鬼あり。名は蜚。

火林山、瑞獣白澤の司る所にして五行の地なり。

護神精怪、禍害(かがい)(しゅ)既知なり。

瑞獣は(はく)を用いて厄を絶す」

志文殿の呪文を唱え始めると、辺りの空気はいっそう緊迫感をましたようだった。

一人祭場の中心に立った私は、村人の中に混じっていた彼に向かい、志文殿と打ち合わせしていた通りに指示をだす。

「熊韋良殿、こちらへ」

事前に何も聞いていなかった韋良殿が、突然の指示に驚いて思わず左右を見回した。

しかし視線で周囲の村人に様子を探っても、答える者は誰もいない。

居心地の悪さを感じているのが分かったが、意に介さず再度促した。

「韋良殿」

「は、はい」

逃げられぬと悟り、渋々槍を持ったまま韋良殿は祭場の縄を潜って近づいて来た。

私は祭場の中心の地面へ指をさす。

「ここに槍を突き立てて下さい。何があっても、決して槍を手放さないように」

韋良殿は腰が引けたような恰好で、両手で地面に槍を突き立て恐怖に目を瞑る。

それでは駄目だと、私は韋良殿の右手を槍から外し、軽く背を叩いて背筋を伸ばさせた。

「それで良いでしょう。決して、動かぬようにしてください。動けば命の保証は致しません」

「ひぃ」

それが脅しでないのが伝わったのか、真っ青な顔で韋良殿は立ち尽くした。

左手はしかと槍を掴んでいる。

「万劫の(ほう)、畏るれば挙身投地(こしんとうち)せよ。叩頭し罪過を述べよ。

白天、罪咎を討つ。急急如律令!」

流れるように続いていた志文殿の呪文が途切れた瞬間、白くなるほど力を込めて槍を握りしめている韋良殿の左手を、私は一刀のもとに切り落とした。

「あぁぁああ!」

突然手を斬られ、劈くような悲鳴をあげながら韋良殿は地面に倒れる。

骨の見える切り口を抑え、全身をくの字にして痛みに悶えた。

許せ、と胸中で呟く。

彼に罪がないのは知っている。だが、そうしなければならなかった。

瞬きの内に悼む気持ちを切り替えると、地面に転げまわる彼の肩を掴み、縄の近くまで寄せた。

すぐに護衛の一人が縄の外に引きずり出したので、止血の処置をしてもらえるだろう。

祭場には突き立てられたままの槍と、左手が落ちている。

韋良殿の左手は呪印に塗れ、黒々としていた。

血を流す左手が、風に吹かれてわずかに動く。

いや、風のせいではない。主を失った筈の手が、独りでに指を動かして芋虫のように悶えていた。

村人たちは異様な光景に血の色を失い、後ずさりながら悲鳴をあげる。

「う、動いとるぞ!」

動揺し、喚きたてている村人たちを見て、これでは戦力にならないだろうと微かに嘆息する。

元より当てにはしていなかったものの、邪魔だけはしてくれるなと願った。

呪印をつけられた者は全て心臓から蔦のように呪印が広がっていたが、韋良殿だけは左手を中心に広がっていた。

また、疫病の発生初期から呪印がつけられていたにも関わらず、症状が異様に軽度だった。

理由は簡単である。彼が宿主だからだ。志文殿は村人全員を診察し、そう断じたのだった。

昼前だというのに、急に冷気が吹き込んだ。空はみるみるうちに曇り、太陽が翳る。

「げ、げ、」

どこからともなく異様な声が響いた。獣の鳴き声のような、人の嗤い声のような、これまで聞いたことのない不快な音である。

「げはははははハハハ!!」

瞬間、左手から黒い霧のようなものが噴き出した。

いや、霧ではない。数え切れぬほどの蠅の集団だ。

その集団が揺らめいたのと同時に、私は地面を蹴って大きく後ろに飛び退いた。

蠅は錐のような形となって、寸刻前まで立っていた場所の大地を抉る。

「いヒヒ、げ、ゲ、げははははっはは!」

嗤い声が聞こえるが、何処から音を出しているのか分からない。

全く神経に触る不快な音だ。村人たちは怯えながら耳を抑え、悪意の音を聞くまいとしていた。

手持ちの剣でこれは切れないと判断し、縄を滑るように潜って祭場の外に出た。

「志文殿! これのどこを斬れと!?」

蠅の群れは私を追って外に出ようとしたが、見えない壁に弾かれて出ることは叶わない。

縄が結界となっているのだ。そのままひと塊となって、祭場の中を縦横無尽に飛び回りだした。

私の呼びかけに、志文殿は青い顔をして苛立ち混じりに叫び返した。

「まだ本性ではない! こんな急ごしらえの祭場で、思うように弱体化できてない!

桃湯をかけろ!」

志文殿の指示を受け、村人たちは用意していた桃を煮詰めた湯を甕から柄杓ですくい、祭場の中に勢いよく飛ばしてかける。

しかし蠅の集団は数匹が落ちて灰となって消えただけで、ほとんど影響はないようだった。

それでも恐怖に駆られた村人たちが、一心不乱に桃湯をかけ続けている。

「それ以上は無駄です」

私は彼らを制すと、そのうちの一人から弓矢を借りた。

その矢じりを桃湯に浸し、蠅たちに向かって矢をつがえる。

限界まで引き絞って放つと、矢は空を切って蠅の集団を突き刺した。

すると土砂が零れるような音をたて、蠅たちが一斉に地面に振り落ちてきた。

「……天佑、一体何をした?」

「一匹、一回り大きいのがいましたので、それを射ました」

「ふむ。いや、色々と言いたいこともあるが、一先ず置いておこう。よくやった!」

いくらか顔色の戻った志文殿が、私の肩を叩いて褒めた。

その含みのある顔の理由が気になるが、まあいい。

いつしか嗤い声は止んでいた。

しかし不自然な曇天は晴れていないので、終わったわけではないのだ。

蠅の死骸が風に煽られてもないのに舞い上がる。

それらは寄り集まり、肉塊を成し、色を変え、一つの形を作り上げていく。


「蜚か」


 私の前には伝承通りの、一つ目で蛇の尾を持つ牛の疫鬼が現れていた。

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