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火精の檻(未完)  作者: 戌島百花
26/32

過去の痛手:2

あれから鈴玉様は誠偉様に表立って進言することを控えていた。

見かねるほどの横暴にまで全く口を出さなかったわけではないが、政治に関することなどは特に気を付けて自分から遠ざけていたようだった。

志文様と天佑様が直接鈴玉様の前に現れることがなければ、今回も書面を受け取りもしなかっただろう。

しかし二人の強い意志に感化され、鈴玉様もまた強い決意をもって自分で輝明様に会うことを選んだ。

全てが上手くいくことを願っている。そうでなければもう二度と鈴玉様は立ち上がれなくなるに違いない。

今回の旅は、鈴玉様と私にとっても特別な思いで臨んだものだった。

それが今満足に体も動かせない現状に、すっかり弱り果ててしまったらしかった。

天井をぼんやりと見つめて、暗い病人の表情で力なく囁いた。

「……私」

微かな声に耳を澄ませる。

「また、間違えたのかしら」

弱った心が否定的に捉えないように、勤めて優しく尋ねた。

「どうしてそう思うのですか?」

「私が安易に彼らに近寄らなければ、呪印を付けられることもなかったわ」

「あの時、誰も予測できませんでしたよ。

それに、あんな少しの滞在で呪印をつけられるなら逃げようもありません」

「そうかしら?……そもそも、旅に出たことも。

私が言いださなければ恵麗も、護衛の皆も、危険なこの村に来ることはなかった。

志文様と天佑様だって、足手まといの私がいなければきっとこの村をすぐ抜けられたはずよ」

すっかり暗い思考に囚われているようだ。

そして鈴玉様は涙で眼を潤ませ、勢いよく上半身を起こして私に向き合った。

「貴方の胸の『それ』だって……! そんなものがあったら、貴女は!」

こんな『眷属印』が刻まれた身で、どこに嫁ぐこともできないだろう。

これがある限り、私は宮廷から離れることができない。鉄の鎖よりも頑強な呪縛である。

それでも全て受け入れて微笑んで見せると、絶望した表情で鈴玉様は両手で顔を覆った。

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

あの時からずっと、この人は心で叫び続けてきたに違いない。

その姿を抱えるように両手で抱きしめた。

どんな時でも傍にいると。味方であり続けると。それだけが伝わるように。

「登明先生だって! 私がいなければ、丞相になどならなかったでしょう!

そんなものを望む人ではないのに! 私はどこまでも、貴方達兄妹を苦しめる」

現丞相、鐘登明は私の兄である。

全く望んでいないだろうに、鈴玉様に関わったばかりに誠偉様に目を付けられその地位を押し付けられた。

まあ、度肝を抜かれるような抜擢だったのは間違いない。

お陰で命を狙われ、恨まれながらの毎日だと疲れた顔をして話していた。

これまで引き寄せてきた厄災を考えると悲しくなるほどの優秀な頭脳のお陰で何とか国を回している。

それでも、私達兄妹は鈴玉様に恨みなど抱いたことは一度もないのだ。

「姐様」

胸の奥底から暗い感情が溢れ出し、止められないのだろう。

傍にいながら、鈴玉様がそんな感情を抱えて今までやってきたことを悔やんだ。

砕けそうな心を守るように私は鈴玉様を抱え、俯いた頭に頬をすり寄せて慰めた。

「……小さい時のことを、よく覚えています。

兄は慣れない環境で、赤城都に縁故もありません。

幼い私には語らなかったけれど、陰湿な嫌がらせも数えきれないほど受けていたと後で聞きました」

鈴玉様は俯いたまま、静かに私の言葉に耳を澄ませた。

「毎日暗い顔をして、口数は日を追うごとに少なくなっていきました。

本当に自殺でもしてしまうのではないかと心配したぐらいです。

夜遅くに帰ってくる兄を、出迎えて顔色を窺わない日はありませんでした。

でも、ある日。兄はいつになく明るい表情で帰宅し、こう言ったのです」

聞き洩らさないように、はっきりと言った。


「『久しぶりに人間と話した』と」


驚いたのか、鈴玉様は勢いよく顔を上げて私を見た。

何が言いたいのか察したものの、信じられない様子だった。

「私……何もしていないわ」

そう本心で思う鈴玉様だからこそ、私達兄妹は貴女のことが好きなのだ。

自然と綻んでしまった顔を向け、私は頷いた。

「ええ、そうです。姐様は疲れた顔の兄を心配し、気にかけて下さっただけです。

そして不当な扱いに怒り、教えた勉学には熱心に向き合った。

妹の話に目を輝かせ、市井の苦難に涙した。

自分にできることを探しては、無力に打ちひしがれた。それだけのことです。

でもそれだけのことを、兄の周りで誰もしなかった」

嘆きは去り、今は困惑の表情だ。この様子ならば、私の言葉も届くだろうか。

守護一族の強固な支配は長年の間に天朝宮の人間の心を歪めてしまった。

あの場では権力こそ全て。政治は上層部の人間関係によってのみ左右され、誰も民の声など聞いてはいない。

誠偉様が炎王になってからは多少改善されたようだが、兄が鈴玉様と出会う前後は全く濁り切っていた。

「小さな姫様の教育係になってから、兄は私に天朝宮での出来事を話してくれるようになりました。

毎日他愛のない姫様の話を聞いて、私もお会いしたくなった。

姐様の女官に選ばれた時、どれだけ嬉しかったことか」

だから私達兄妹を苦しめているなんて思わないで欲しい。

姐様と呼ばせてくれる鈴玉様の為なら、この程度の苦難など喜んで引き受けよう。

兄の心を救ってくれた恩人を、孤独に陥れたりなどするものか。

兄も今の地位を強制されているものの、鈴玉様のことを本当の妹のように思っているからこそ、その立場がより不安定にならないように尽力している面もあるのだ。

「……知らなかったわ」

声はもう弱弱しいものではなく、落ち着きを取り戻していた。

だから安心して、鈴玉様を力づけるように言った。

「多分、私達人間に決められることは、賽の目を振ることだけなんです。

振るか、振らないか。たったそれだけ。後のことは精霊や神様が決めることです。

姐様、私は賽の目を振ろうと思った姐様の気持ちが、間違ったものだったなんてちっとも思いません」

「そうかしら……」

鈴玉様を抱きしめていた腕を離し、拳を握って断言する。

「そうですよ!」

励まされた鈴玉様は微かにふふ、と笑う。

奥底の思いまで払拭された訳ではないだろう。

それでも、今は少し前向きになれたようだった。

「そうだと、いいわね」

私は頷いて鈴玉様の思いを肯定する。

鈴玉様の行動が負を招き寄せるばかりでなく、それにより助かる者もいるのだと、そのことに気付いてほしいと願った。

「飲み物を取りに行きますね」

私は立ち上がり、鈴玉様に背を向ける。

顔が見られなくなった瞬間、抑えていた不安の表情が浮かび上がった。

誠偉様は、利明様のことをどこまで予測していたのだろう。

結果だけ見れば、誠偉様に敵対心を持つ者全て炙り出すことができた。

今の天朝宮に誠偉様に反乱できるほどの力を持つ者はもういない。

それだけでなく、真人としての火の力が類を見ないほど強力であるということまで印象付けることができたのだ。力とはそのまま魅力でもあるだろう。

あの美しい容姿と、突飛な言動と、圧倒的な力に魅せられ、妄信的に付き従う者も少なくない。

支持のない王の足場を固めるには十分な場だった。その全てを誠偉様が予測していたとしたら。

もしも、鈴玉様が止めることすら誠偉様の予測の範囲内だったとしたら。

彼女は壊れてしまうに違いない。

恐れながらも信頼している唯一の庇護者に冷酷な駒のような扱いを受けたと知れば、既に限界に近い精神が粉々に砕けても不思議ではない。

どうか、この推測が外れていますように。

私は何も気づかないでいてくれることを願いながら、その場を離れたのだった。



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