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火精の檻(未完)  作者: 戌島百花
13/32

長い旅路:3


もう祖州に入ろうかという頃合いのことだった。

荘厳な山河は霧に包まれていて、山頂付近はまるで見えないような様子である。

私達は数こそ多いが護衛の者達は無駄口を叩くことなく空気に徹しているので、わりに静かな一行だった。

漁民らしき髭を生やした男性が川沿いの長椅子に腰かけて網を直していたが、私達が向かう先を見て親切に声をかけてきてくれた。

「この先の橋は、この前の洪水で流されちまったよ」

それを聞いて志文様が眉を寄せて険しい表情になった。

川は確かに濁っていて、子供ならば流されてしまいそうな流速である。

湿度の高い天気も相まって、漁民の発言を疑う要素はなかった。

「船は出せないか?」

志文様の問いに網を直していた手を止め視線を向けてきたが、片手を振って拒否の意を示した。

「無理だ。これだけ勢いがありゃ、船がもたねぇ」

漁に出れないからこそ、ここで網の手入れをしているのだろう。

どうすればいいかと一行の顔が曇った。

「教えてくださってありがとうございました」

私が礼を伝えても特に笑みを返すこともなく、漁民は手元の作業に集中するばかりだった。

「山を登りましょう。確か橋が架かった場所があったはずです」

この付近のことを私は何も知らない。

それが適切な提案なのか判断することはできなかったが、天佑様の提案に異を唱える者は誰もいなかった。志文様が天佑様に聞いた。

「迂回にどれぐらい時間がかかる?」

「山を登って一日。橋を渡って道に戻るまで一日。二日で足りるかと」

「よし。それでいこう」

志文様は決意すると、山へと続く険しい道へと視線を向ける。

こうして私達は、少し外れた山道を進むこととなった。

急峻な山道が私の体力を容赦なく奪っていく。

この一行の中で最も体力のない者が私だ。

遅れまいと足を進めるが、鍛えている周りの者達にはどうやっても迷惑をかけてしまう。

体力が貧弱な仲間だと思っていた恵麗も、意外によく動けるのだと判明してしまった。

荷物も周囲に任せて何も持っていないのだから少しでも速度を上げたいと願うのに、それどころか無理をするなと休憩を入れられてしまう始末だ。

岩場に腰を下ろし呼吸を整えていると、休む必要もなさそうな天佑様が木にもたれながら話しかけてきた。

「行程は順調です。二日の遅れは問題ありません。焦らず行きましょう」

焦る私を窘めようとしているのだろう。

無理はいけない。それは分かっている。しかしそれでも。

「……それでも、急いだ方が良いのでしょう?」

正直な天佑様は、言葉に詰まってしまった。

祖州は膠着状態で内戦には至っていないが、それがいつまで続くかは誰にも分からないのである。

天佑様は急いてしまう自分自身を落ち着かせるために大きく一呼吸すると、重ねて言った。

「先は長い。鈴玉様が倒れては、元も子もありません」

「……はい」

ここでごねても仕方ない。旅慣れている他の者達の忠告の方が、正しいのだろう。

私は頷いて、しばらく自分の足を休ませることを受け入れた。

「姐様、お水でも飲みません……かッ」

恵麗が水の入った竹筒を私に渡そうとして、地面に空いていた小さな穴に足をとられる。

「大丈夫!?」

恵麗はすぐに片足で踏ん張り、転ぶのを防いだため大事に至らなかった。

きちんと動く自分の足を確認してから胸を撫でおろす。

「危なかったぁ……。姐様も気を付けてくださいね」

「そうするわ」

竹筒を受け取り、周囲を見回す。人影は疎らで、民家に皆籠っているように感じた。家畜が草を食むのが見える。

険しい山を切り開いた段々畑がそこかしこに存在し、足元の小道は所々で陥没して穴が開いていた。

特に疑問を持ったわけではなかったのだが、その穴に視線を向けていると志文様が隣に腰を下ろして説明してくれた。

「橋が流れるほどの大雨が降ったのだろう。

この辺りの土壌は水を蓄えないからね。

モグラなどが穴を地下にでも空けていれば、そこから土が流れ出てそのような穴が開くんだ」

かつて登明先生に受けた教えを思い出す。

生州のように肥沃な大地はなく、瀛州(えいしゅう)のように水が豊かではなく、流州のように宝石が採れるわけでもなく、わずかに採れる鉄でさえ聚窟州(しゅうくつしゅう)には遠く及ばない。

我が炎州にあるのは灼熱の火山と、同じように魂に炎を抱く人間だけであると。

「志文様。……この風景から何が見えますか?」

その意味を問うような視線を感じた。

「聞いてみたいのです。他の州の方から見た、この地のありのままの姿を。

どうか、飾らずに教えてください」

志文様は広がる段々畑を険しい表情で見た。

恐らく祖州で都内令として働いている時は、同じような表情で仕事をしているのだろう。

目の前のものを見て、見える以上のものを見ようと目を凝らすのだ。

「土は水を浸み込まず、雨期の度に流される。

足元の穴だけではないだろうね。丹精込めて作った畑は崩れ、道は崩れ、家も崩れる。

土壌侵食により平坦な土地は少なく、気候は高地のため寒冷で作物が採れる時期は短い。

収穫は少なく、荒れた畑を耕すために人出が必要だけど、それを養うにはまた多くの畑が必要……。

貧困の連鎖だ」

志文様は自分の直球過ぎる物言いに心配になったのか、私の顔色を窺った。

「……続けてください」

気分を害していないことを知り、志文様は話を続けてくれた。

今度は放牧されている羊や山羊などの姿を指さす。

「糊口を凌ぐために家畜を放牧しているけど、あれでは更に草を食まれ、益々土が貧弱になるだろうね」

「人が多すぎるのですか?」

「いや、この地の収穫量が少なすぎるんだ。

悪循環に絶つにはまず放牧を止めなければ。

囲いの中で飼えばたい肥にも使えるし、植生も戻ってましになるだろうけど、果たして彼らが簡単にいうことを聞いてくれるかな。

しがみつく様に暮らす人々は、己の慣習に頑固だから」

水が溢れるように止めどなく志文様は言葉を紡ぐ。

分かりやすく説明してくれる言葉の端々に、膨大な知識と経験が垣間見える。

自分から尋ねておきながら、彼の言葉に酷く落ち込んでいる自分がいた。

同じものを見ているはずなのに、この違いは何だ。

祖州の民は、この優秀な人がいて幸せだろう。

炎州の民が貧困に喘ぐのは郝一族の、ひいては私の、力不足そのもののように思えた。

落ち込む私に、慰めるように志文様が付け加えた。

「炎王殿は兵士を灌漑工事に集中させていると聞く。

時間が経てば国としての収穫は上がってくるよ。それまでの辛抱だ」

その恩恵がこの場所まで届くにはまだまだ時間がかかるに違いない。

それでも、少しだけ気分が上向いた。

「教えてくださって、ありがとうございます」

深々と志文様に向かって頭を下げて拱手する。

「礼には及ばない。道中何でも聞いてくれればいい。

それはきっと、国のためになることだから」

その一言がずしりと胸に響く。期待されているように聞こえた。

しかし、私に応えるだけの能力があるだろうか。

背負った重責から俯きそうになる頭を、霧に隠れた山の上を見るように持ち上げた。

やれるだけのことをやっていこう。

望む望まないに関わらず、私はその立場にいるのだから。


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