長い旅路:1
宮廷の一部屋にて、これから祖州に向かう者達が机の上に地図を広げて行程の確認をしながら話をしていた。
志文様が立って説明するのを、他の者は椅子に座って聞いている。
今回の旅は志文様、天佑様、そして私と恵麗を中心としているが、その他に護衛の者達が五人いた。
この場には同席していないが、誠偉は秘密裏に影の者達も手配しているだろう。
正式な炎王からの使者として輝明様の元へ向かわないのは、隆飛様から炎王が輝明様を支持したと早とちりさせないためだ。
会って話をするだけが目的なので、豪商の娘たちのように振舞って少人数で向かうことにしたのだ。
「鈴玉様。輝明様にお会いいただくことを本当に嬉しく思います。
私共が輝明様の元へ、怪我無く安全にお連れ致します」
最初に会った時の志文様からは考えられない丁寧な言いように、思わず笑ってしまう。
あの時出会わなければ、本当の志文様を知らずにいたのだろう。
「どうぞ、初めてお会いした時と同じようにお話ししてください」
「しかし、」
「志文様。祖州につくまでそのような口調で通すおつもりですか?
私は、あの時の志文様の方が話しやすくて好ましく思います」
言い切ってしまうと、志文様は少し困惑しながらも「分かった」と頷いた。
「天佑様もどうぞ、話しやすい口調で構いませんよ」
「私はこれが元々ですので、お気持ちだけ有難くお受けいたします」
「わかりました。それではあちらに着くまでの間、宜しくお願いします」
「宜しくお願いします」
私に続いて隣に座る恵麗も拱手した。
旅路の間、できる限り打ち解けて過ごしたい。
志文様が私の申し出を受けたのは、その意図を汲んでくれてのことだった。
「姐様は初めて赤城都から出るんですから、分からないことがあれば私に聞いてくださいね」
恵麗が出発前の高揚感で溌剌としながら私に胸を張って言った。
「ええ。頼りにしてるわ」
「姐様と一緒に旅にでるなんて、夢にも思いませんでした」
そう言って恵麗は目を細めて喜んだ。
確かに恵麗の言う通りで、嫁ぎでもしなければ外に出ることは叶わなかっただろう。
なんだか不思議な心地がして、浮ついているのを自覚する。
「……観光目的ではないから、楽しい場所ばかりではないけどね。
なるべく素性を知らせないために、人通りの多い赤街道は避けていく。
行程のほとんどが辺鄙な地だよ」
「望むところです。
むしろ折角外に出るのであれば、小さな村々こそ見回りたいのです」
気長に行ける旅ではないが、少しでも合間を見て民草の生活を覗くつもりだった。
私の言葉に天佑様が興味を惹かれたようで、その切れ長の目をこちらに向けてくる。
「いつもそのように、民を見ているのですか?」
「できる限りの範囲でしかありません。
それに見てはいるものの、その経験が役立ったと実感するよりも、力不足を思い知らされることの方が多いのです」
天佑様は硬派な印象を崩すような優しい目をし、薄く笑って言った。
「それでも貴女のような方がいらっしゃることは、民にとって僥倖でしょう」
それが余りに嘘を感じさせない言い方だったので、なんだか気恥ずかしくなって俯いてしまった。
「……そうであればいいのですが」
そんなやり取りをしていると、部屋の外から騒がしい音が聞こえてきた。
何だろうと首を傾げていると、外の人が慌てて室内に飛び込んできて告げた。
「炎王様が参られました!」
「何だって」
志文様が予定にない炎王の行動に驚き目を見開く。
しかし私と恵麗はこの事態を何となく予想できていたため、二人で顔を見合わせてため息を吐くにとどまった。
「入るぞ」
誠偉が供の者を数人連れて姿を現すと、私以外の全員が椅子から立ち上がり拱手をする。
その様子に対し、誠偉は面倒そうに手を振って楽にするように命じた。
「よい。公式な顔合わせにするつもりはない。見送りに来ただけだ」
その思い付きのせいで右往左往している侍従達を思うと可哀想でならない。
「今日は重要な審議会があるとお聞きしましたが」
呆れて言ってみたが、誠偉は堂々と休憩中などと嘘を吐く。
この王の自由すぎる行動を止められる者はいないのだった。
「お前達が黎志文と藍天佑か」
立ち尽くしたままの二人に、誠偉が何を考えているか分からない無表情で名前を呼ぶ。
「は、私が黎志文にございます」
「藍天佑にございます」
誠偉は顎に手を当てながら間近で両者の顔を無遠慮に観察する。
そして面白そうに笑った。
「なるほど」
どうやら旅の同行者としての二人を、見定めにきたらしかった。
性格上気に入らなければすぐさま口に出すので、合格という意味なのだろう。
「必ず、無事に送り届けよ」
「は!」
恐ろしい王だというのはこの州に入ってから存分に聞いているはずだ。
志文様は無表情を努めて拱手したが、その手は小さく震えていて隠しきれない動揺が見てとれた。
志文様と対照的に、天佑様は全く動揺が見られない。
それが逆に誠偉の興味を引いてしまったらしかった。
天佑様に視線を向けると、その腰に下げた剣に指をさす。
「それが飾りでないことを祈る。もしも姉上に何かあれば」
言葉を切り、全ての感情を消して無表情になった。
一気に空気が張り詰める。
「この世の全てを殉葬しよう。
無論、お前達も逃れることは許さぬ」
誠偉らしい、苛烈な言葉だった。
それが単なる脅しではないのは、徐々に上がっていく室温からも分かった。
誠偉の感情に伴い、火の力がまるで室内を盛夏のような暑さに変えているのだ。
様子を見守る他の面々は顔色を悪くしながら汗を垂らすが、暑さだけでなく冷や汗の部類も含まれているに違いない。
意地の悪い誠偉は、そうやって相手の顔色が変わるのを楽しむことがあった。
「そのような事態にはさせません」
しかしその暑さの中、天佑様は汗一つかくことなく淡々と言った。
一体どのような修行があれば、この胆力が身に付くのだろう。
誠偉はそれ以上のことはしないことにしたらしいが、油断ならない楽し気な表情になる。
室温が少し落ち着いてくる中、自分が作り出した部屋の緊張感などまるで気にせずに私に言った。
「では姉上。楽しまれるとよい」
「……気を付けて行くわ。誠偉もいない間、しっかりとね」
「はは! しっかりと、か。全く姉上には敵わんな」
誠偉は少年のように楽しそうに笑うと、別れを惜しんで長引かせる様子もない。
身を翻してそのまま審議会へと戻っていったのだった。