雑食のコア層
コア層ライト層とライトユーザー、ヘビーユーザーは完全には同一じゃない。これかなりややこしい。コア層ライト層が概念であり、ライトユーザー、ヘビーユーザーは明確に定量的に扱えるデータ的存在。
何故私がコレを同一で使ってるか?と言うとオタの定義にオタコンテンツに大して費やした時間や頻度と定量的に定義したから。このオタからの延長でオタ以外偏ったコンテンツ以外のコア層も定義してるから。
ベストを求める気質は?これは分かるけど、慣れた受け手ほどその傾向が出る。私がむしろ変人過ぎるんだ。
作品の楽しみのほとんどは期待値の低さで決まる。事前に期待するとほとんど面白くない。だから常にベターで良いやって気質こそ楽しむコツなんだ。
でも感情をそんなにコントロールできないでしょ?うーんなんと言うのかな、ベストは別で求めるってなったから。頭使わないものなんかにベストを求めたら駄目ってのがある。これは私はコントロールしてる。どうやってるか?で禁煙禁酒と一緒。そのまま感情に任せたら駄目なものは任せない。
なんか変じゃない?なら後で後悔するからになる。禁酒禁煙ってそういうものでしょ?そういう意味では私オタクを馬鹿にしてる面はあるかもね。
ただ私は自分がそうであるのが許せないと、他者がそうであるのは全く別なんだ。そういう意味である意味共感能力が低い。他者と自分を簡単に分けてしまうから。自分の時間をどう使うか?で身近な人間でもないのにイチイちけちをつけるような野暮な事せん。悪い趣味だろうが、本人が楽しければそれで良いだろ?
それが自分だけの時間ってものだ。
芸術志向というマニアに対してのライト層が存在する。このライト層の中で、それらのコンテンツに慣れた存在はコア化する。これがキーになる。この入れ子構造が大事なんだ。
そんなの言葉遊びだろ?これがそうでもないんだ。それが、私が言う商業主義的作品を浴びる事で無自覚に脳が慣らされてるって事だ。実際、オタよりも多くの種類を浴びる人の方が文芸に近いんだ。そういう意味でオタは大事なんだ。やっとオタが繋がった気がする。何故か?は根本的に子供向けコンテンツだからになる。
子供向けは大衆向けととても似ていると書いた。もっと言うと子供向けは大衆向けの創るコツが似てて、大衆を喜ばせるとしては合理的作品なんだ。子供向けを大人が見るのはおかしいって古臭い価値観がおかしな事になってるが、それは大衆向けの根本は頭をあまり使わないのをキーにしてるのを知らないだけだ。
子供向けには子供向けのキーがある、だがそれ以外は大人向けのライト層向けは全く同一なんだ。その子供向けのキーばかりに大体の人は目がいってしまうんだ。
子供向けって言葉で分けようとする人は大体悪口のためが多い。そこで差別化するための子供向けだけの特徴に囚われるんだ。そこで本質を見失うんだ。
オタは必要が無いと思っていたけど、案外繋がってるかもと思いなおした。さらにグレードアップしてる。大衆向けの特徴が顕著に現れるのは、子供向けだという点。子供向けから子供向けだけの部分を取り払うと大衆向けとほぼ同一になる。逆に大人向けだけの特徴なんて実は無いんだ。
実際はある。だがそれを突き詰めると面倒な頭を使うかったるい作品になりがちなんだ。だから大人向けでかつ頭をあまり使わないって絞ると、とんでもなく創るのが難しいのが分かる。これが出来てるって人私はほとんど見た事がないな。一番顕著なのが、大人なら分かる年齢とともに経験してきて理解できる人間関係の心の機微になる。
こればっかり刺激にすると面倒なんだわ…。しかも失敗すると精神的にどっと疲れる。あくまで上手くいった時に過ぎんってのがリスクすげー高い。
レッテル貼りは間違ってるとは言わないが、一部分を捕らえて大げさすぎてまともな言及になってない。子供向けって滅茶苦茶大衆向けとしては合理的なんだ。子供向けの特徴は相手を見てあやすような作品が多い。はじめてのお使いで後ろで尾行してるお父さんお母さんといったぐあいだ。これを虚構を交えると、事前に問題が起きないようにすべてフォローしてる大人が居るってなる。
子供はそれに気が付かない。現実では見守るだけで本当にやばくなった時しか手出さないと思う。でもこれを子供に気がつかれないようにすべて先回りして対処する。そういう虚構こそが子供向けになる。作り手によって受け手の感情がコントロールされてる。これが文芸などの作家性の逆を行く部分になる。
私が、何故芸術志向が野生だと書いたか分かると思う。ある意味日本らしいサービス産業の1つになる。至れりつくせり、これが子供向けと大衆向けの共通点になる。
受け手は物語の中で冒険をし無いんだ。何故芸術志向の人が作家性に拘るか?分かるかと思う。おそらく少数の大衆的じゃない気質の人はこういった部分に我慢できないんだ。
本来私が言うような層は単純に多数派=ライト層として特に意識し無い。だがオタクがライト層の代表だというのはおかしいだろう?もっと広い範囲で雑種の物語を好む人たちのコア層を抜き出すと、それは非オタを含めたライト層の特徴の参考になる。
あくまで参考に過ぎない。現代オタに特有の部分を言語によって好みの要素と定義するのは困難だと書いた。だが似たようなタイプの作品を偏って浴びるオタはやはり何かしらの特徴がある。問題はそれを的確に述べる人は居ない。そして、かつ、大体の言葉はオタをレッテル貼りの悪口で使う。ほとんどまともに言及されたものじゃない。
ほぼ同一の集団だが、雑食だけの好みも知ればライト層の傾向は分からないが、ベストを求める気質の集団であるコア層からオタよりはヒントになる。
オタに拘ったのは、なろうだからが大きい。だがこうやって捕らえると意味がある。何故漫画を大人も読むようになったか?で多分日本人が幼稚になったは誤解だと思う。そもそも漫画には子供向けとしてとの共通点の大衆向けとしての合理的な構造が備わっていたと見ている。
それでも、やはりオタクの好みには独特の物がある。それを包む大きな層のベストを求める気質の雑食性のコア層もいると私は見てるんだ。彼らがベターで妥協するとまさに大衆と言うすべての人を含むライト層になる。
究極的には雑食がキーになるため、なろうにおける非ファンタジーも面白く楽しむのが可能なのではないか?の目的のためもある。私が見る所なろうはオタクは重要なキーだが雑食傾向が強い。
は??ってなるでしょう。それはファンタジーの中身を吟味して無いからになる。ファンタジー以外に選択肢が無いからファンタジーで妥協してるのがありありと分かるから。あるでしょ?それはまた繰り返しになってしまう。古典的な強いカタルシスを求めるような話は、プロレベルに達してないのと、仮に見つかってもそれに当たるまでずっと外れを見続けろ?というのかとなる。もっと突っ込むと書店に較べると異常に確率が低い。
次に映像作品レベルならない事も無い。だが問題は映像作品に較べて気楽に楽しむ点で劣化すぎやしないか?である。ファンタジーはアニメに対しての劣化度があるが、それでもましだ。
好み自体は決してファンタジーに一極集中するものじゃない。文字物語として非ファンタジーはライト層向けが無いのが原因だと私は見ている。
なろうはオタクだけで読者分析を完結しては駄目だ。かといって漠然としたライト層でも駄目だ。明確にライト層はどんな特徴があるか?を考えなくてはいけない。そこでアザーな人々と矛盾してることに気が付く。そうは思わない。ライト層にはコア層の様な明確な目的意識は無いが、逆に避けようとする保守的姿勢は特徴として分析可能だ。
そして、芸術的志向をコア層とすると、対立集団としてライト層の中で、オタを含む雑食性のベストを求める気質のコア層からは特徴はある程度参考に出来る。基本的には矛盾したものなので、支離滅裂なものが多い。だが注意深くピックアップしていくと、全く意味が無いとは言えない。
物語の冒険者じゃなくて、至れり尽くせりのサービスを求める客の態度が透けて見えるんだ。エンターテイメントはサービス業である。