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封神草紙  作者: 野中
第一部/第一章
9/87

第八撃  限界超えても、我慢です

「僕です!入りますよっ!」


叫び、力任せに戸を蹴破る。

中に飛び込むなり、鋏で切ったみたいに消える、思念の絶叫。


真っ先に僕の目が映したのは、狭い部屋の真ん中で、立ち尽くす月子。僕を認めて目を瞬かせた。夢の続きでも見てるみたいな顔。さっき聞こえた声が、嘘みたいだ。

思えば昔から、感情表現がへたな子だった。

月子を押しとどめるようにしてた蘇芳が、ひとまず静まった活火山に安堵したみたいに緊張を解く。


僕を振り向き、宿題を出す教師の口調で指示。

「ここはもうだめだ。一旦、避難する。いつもの場所へ。清貴は月子様を連れて、先にここを出てくれ。自分と北斗は残って連中を引き付ける」

「分かりました」

三人とも、すでに着替え終えてた。

北斗が、ええー! と覚悟の決まらない声を上げる。

「うえぇ…黒羽が相手ッスか」


「なんだ、物足りないか?」

「めめめめ滅相もないっ。ただ、連中って、生きてても祟るじゃないッスかぁ…」

北斗はやりにくそうに、腕に巻いた大粒の数珠を手繰った。

僕は十日後の出発に備え、準備してた荷物を取り上げる。

月子はにこにこ、僕に近寄ってきた。


天真爛漫に見えて、潜り抜けた修羅場の数は、そこらの将兵より多い少女だ。

足手まといには、決してならない。

分かっているが、月子への信頼が覚束ない理由は。




(表情と心が一致してない)




本音を顔に出してはならないとしつけられた部分もあるのだろうが、月子には、己の激情を対岸の火事みたいに思ってるところがある。

自身のものなのに。


咄嗟に僕は、やわらかく、月子を腕に包みこんだ。

抵抗もなく、すんなり胸の中に転がり込んでくる身体。

唐突だったにも関わらず、驚きもせず、月子は僕の胸に頬をくっつけた。

思えば昔からひっつきたがる子だった。

頭の片隅でそんなことを考えながら、しずかに尋ねる。

「ねえ、月子。今、泣きたくないですか?」

「え?」

首を傾げる月子。質問の意図は読めなかったろうに、それでも真面目に考え、答える。

「…どうだろう、よく分からない」


僕は嘆息。

なんて不器用な。どうしていいか分からなくなる。



さっきの思念は、泣いてたんだが。



僕はじゃれ付いてきた小動物を怯えさせないような所作で、そっと身を屈めた。

月子の耳朶に唇押し付けながら、囁きを流し込む。

「僕のところでなら、我慢しなくていいですからね。僕の腕はいつでも空いてますから」

そうは言っても、さっきのは、僕が泣かしたみたいなものか。

と言うのに、この言い草。

自分勝手な酷い人間、と評されるわけだ。僕は納得。

月子はといえば。

おずおず頷く。ぎこちなく身を離した。代わりにしっかと手を握る。

僕は返事の代わりに握り返した。

「蘇芳、北斗。まず、僕たちが出ます。あとは、頼みました」


「分かった。さっさと行け、人でなし」

蘇芳は、軽蔑の目で僕を見送った。

北斗は、なぜか見てはならないものを見た顔で硬直してる。

僕は月子の手を引いて、外に出た。

欠片の警戒もなく戸を開いて。

あまりの無警戒さに、面食らったのは、外で待ち構えてた黒羽たちだったろう。

彼らは扇状に広がり、戸口周辺を取り囲んでた。


僕が堂々、一歩踏み出すと、向こうから、人影がふたつ、前へ進み出る。

女、と、子供。

と認めるなり、誰より先に、僕の背後から、声。


「紅緒と鷹矢、だったね。寒い中、お疲れ様」

月子だ。穏やかにガツンと機先を制した。

しかも、皮肉どころか、誠心誠意、思いやりのこもった言葉。

相手を心底、気の毒がってるふうでもある。

緊張感がない。


僕は苦笑。

小さな頃から、誰かに敵意を持つことがない子だったが、こんなときまでそうなのか。


女は怯み、怯んだことに憤慨した。

「いつまでその呑気さが続くだろうね…っ」

「追っかけてくる人優秀だから、私、余裕ないよ」

「嘘つけ!」

月子の天然に呑まれかけた女は、底知らずの渦に巻かれる寸前、自制。咳払い。

猫みたいな目で、僕を見た。


「さっきの思念、月子様だろ? あんな必死に呼ばれちゃうアンタって、いったい何?」

微笑み、僕は銃身を立てた。銃口を、空へ。

意味不明の行動に、意表を突かれる黒羽たち。


完全に、相手の予想外の行動だったらしい。

そのくせ、僕を警戒で注視してた視線が、全部銃口の動きを追った。操られたみたいに。

それが狙い。

疑念をもつ間を与えず、流れる所作で、引き金を引く僕。


――――ドンッ!


耳を聾する銃声。

場の全員が、一瞬怯む。同時に、僕の背後で数珠が鳴る音。




迷わず僕は、黒羽たちの囲いに突っ込む。とたん。




地鳴りに近い轟音と共に、土の壁が噴き上がった。


地から天へ落ちる滝みたいな勢いだ。

僕らの周囲だけじゃない。無差別に、やけくその勢いで。

この力任せ具合から察するに、足止めの主力は、蘇芳でなく北斗らしい。

息詰まりそうになりながら、僕は雪壁を蹴飛ばし駆け抜ける。


囲いを抜け、森を抜け、東に連なる山脈の裾、原生平野目指して、足を速めた。


「月子。限界超えても、我慢です。ただし、倒れる寸前に、僕に言ってください」

外道の要求に、月子はよく耐えた。

なにやらひとつ、部品が足りてないような少女だが、太刀は、僕が手ずから教えた。この状況で息が続くなら、僕がいなくとも、鍛錬は続けてたみたいだ。






突如、感心を打ち消す驚愕が、僕の意識を攫った。






足を止める。

急停止して振り向いた僕の胸に、月子は顔から激突した。

跳ね返りかける月子を反射で抱き止める僕。

月子は、荒い息を吐き、鼻を押さえて顔を上げた。

僕に、答える余裕はない。

足元が、微かに震動してる。幾百の息遣いが、背後から迫ってた。

黒羽じゃない。


生臭い獣の気配だ。まさか、こんな夜に?


聞いたことがない。が、この気配はまさしく。

「カラーダ…!」

東へ移動してる。隠れなければ。

蘇芳たちが足止めに動いたが、黒羽の何人かは僕らを追ってきてる。追われていることには気づいてたが、下手に動くことはできない。

黒羽たちはどうしてる?

気配を探れば、ヤツらも僕と同じものに気付いた。戸惑ってる。

「頼みますから、カラーダの邪魔にだけはならないでくださいよ…っ」


僕は月子の肩を抱いた。顔を巡らせ、近くの岩場に身を潜める。その頃には、カラーダたちの足音も大気を揺らがせるほど大きくなってた。さすがに月子も気付いた。

「清貴?この音なに?」

「カラーダが移動しています。普通、昼に動いて、夜眠るはずなんですが…」

「えっ、ここから見られるっ?」

「見られます。ああ、あんまり身を乗り出したらいけません。ここも、カラーダたちに気付かれるかもしれない…ぎりぎりの距離です」

「気付かれたらいけないの?」

「はい。狩り以外で、動物たちの行動を邪魔してはいけません。邪魔したものには、マガホロガミの災厄が降りかかります」

「マガホロガミ…」

「ソマ人が信仰する精霊みたいなものです。大気に満ちて、いのちの流れを司り、それを乱すものに悪運をもたらします」

「ヒガリ国で言う神とは違うんだ?」

「根本は同じものかもしれませんが、ソマ人の方がより生活に身近ですね」


会話もそこまでだった。

獣の姿をしたうつくしい闇が、奔流となって目前を突っ切ってく。月子が息を詰め、目を見開いた。幻でない証拠は、鼻腔を突く獣の臭いだ。

どうやら、気付かれなかったらしい。まだ気は抜けないが、安堵する僕。


動物たちは、集団でいても、人間の存在を異種として恐れる。

敏感に存在を嗅ぎ取ると、怯え、列を乱し、散り散りになってしまう。

この様子なら、黒羽たちもうまくやり過ごしたろう。

勝手に判断する僕。


マガホロガミを信じる信じないはともかく、北境辺土に満ちるいのちの息吹は濃厚で、上位で統べる者の御手を僕は感じずにはいられないから。

それを乱したくない。純粋に、敬虔な気持ちで、そう思う。


カラーダの大群が通り過ぎた。

それでも僕は、月子を抱え、しばらく動かない。

身を起こしたのは、じゅうぶんに待ってからだ。

大きく息を吐き、月子を促す。

「さ、立てますか?」


岩陰から這い出る。月子に手を貸しながら、大きく息を吸おうとしたときだ。

ようやく、異変に気付く。

強い血臭にむせそうになった。

地面を見下ろし、それに気付いた僕から、血の気が引く。

表情を変えないでいるのが精一杯だ。




嘘だろう。




雪の上、カラーダに蹴散らされ、四肢を微塵にされた黒羽の遺骸が、雪と土と血に斑になって転がってた。

「…清貴…」

月子が、僕の手を強く握る。僕はもっと強い力で握り返した。

おかしい。この現実は、なにか、狂ってる。

カラーダは臆病な生き物だ。

そのはずだ。


人間に気付いて逃げもせず、単なる障害物みたいに踏み砕いてく、こんな物凄まじい殺戮はしない。


なのに、今夜に限って。

僕は一度強く、奥歯を噛み締める。息を吐いた。

あれはカラーダじゃなかったのかなんて、考えても意味はない。

結果は、目の前にある。これがすべて。


危険な追っ手は消えた。

そう、当面の、『危険』が消えた。それだけは、確実な真実だ。幸いと受け取ろう。

なら、次に考えることは?


これからすべきこと、だ。


「月子、行きましょう」

「どこへ? 清貴」

「ここから東、原生平野の一本杉の根元ですよ。そこが、緊急時の、蘇芳との待ち合わせ場所です。――――そこのキミも、来ますか?」




首を巡らせ声を高め、僕は遠くの岩場に声を投げた。




間を置いて、小さな影が動く。

別に殺気を込めたわけじゃないが、両手挙げて、びくびくしながら寄ってきたのは。

「ボ、ボク、なんもせんさかい、見逃してぇな」


少年だ。

愛嬌のある目。そばかすが残る頬。特徴があるようで、ない顔。

おまけに、一風変わった言葉遣い。

その少年の存在自体が、僕らの置かれた状況と噛みあわず、いったいどういう立場の相手か、と悩む僕。首を傾げる。

彼はあまりに平和すぎた。とはいえ。


「黒羽ですね。その死体の仲間…と言うには、雰囲気が違うようですが…」

「あ!正解っ。分かってくれるん?」






「月子。どう思います?」










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