第十二撃 ちょっと無害なモメ事
「これは…」
州府の門前。
複数の斎門が、錫杖を手に印を組んでいる中、駆け付けた清心は息を呑んだ。
散る、咲く、火花が。
光の粉となって、領域を広げていく。影すら焼いて。
焼けつくような熱量を孕み、まばゆい輝きでそこに君臨しているのは。
「…蔵虫」
炎の獅子。認識するなり、
――――――オオオォォォォォォォ…ッ
大地を揺るがす咆哮が、大気を震わせた。
比喩でなく、皮膚が痺れる。
数多ある、州府の建物。
門前付近の屋根の上、清心は一瞬、息をつめた。やはり。
あれと正面切って向き合うのは、なかなか厳しい。
ふぅ。
腹の底から、大きく息を吐いた。恐れを吐きだす。
牙を剥き、気高さすら感じる六つの目で、蔵虫が威嚇しているのは。
蛇体。
西州をここまで横断してきた、自分勝手な怪異。
頭と尻尾は絶対に見せないそれが、ぐるぐると蔵虫に巻きついている。ところが。
巻き付く端から、炎にやられている。ただし。
消滅。再生。繰り返すそれに、蔵虫も、決定打が出しかねるようだ。
唸り声に、苛立ちがにじんでいる。それに従って、炎の勢いが増した。
怪異を、蔵虫が追っているのは察していたが。
こうも堂々とした敵対行動を取っているのを見たのは、はじめてだ。
蔵虫がようやく追いついた、というところなのだろうが。
清心は遠い目になる。
(場所は考えてほしかった)
熱い。眩しい。純粋に、物量が半端でなかった。
州府の門前でデカブツ同士がぶつかるという、なんとも現実逃避したい現状だ。
それでも、思うほどにはひどい状況になっていないのは。
滔々と、途切れることない読経の声。
その、芯の旋律を保つ鉄心が、屋根の上に立つ清心を一瞥。
彼も州府につめていたのか。
非常に助かる。
実力を考えれば、当然の話だが。
…彼と協力態勢にあるのが久しぶりで、鉄心の存在が、思考の外にあった。
ただし、態度には出さない。顎を引き、視線に応じる。すぐ、蔵虫たちに目を戻した。
斎門たちの読経が、黒い帯となって、幾重にも蔵虫と怪異を取り囲んでいる。
あれによって、飛び散る炎が制限され、蛇体も思うようには動けない。もっとも。
双方が本気で斎門の読経の檻を喰い破ろうとすれば、いつまで保つかは分からなかった。今は、互いの敵は違いでしかない状況だが。
―――――あまり、時間がない。
この状況だ、被害は避けられない。
衛兵たちが消火や斎門の護衛に回り、被害の拡大を最小限に食い止めている。
それでも。
「…門扉は、崩れ落ちるかもしれんな」
諦めは肝心だ。それに門扉は作りなおせば済む。
再生不可能なものさえ、守り切ればいい。酷なようだが、
「蔵虫と怪異が、潰し合ってくれたなら、―――――重畳」
今、力は拮抗しているようだが、どこまで保つものか。
そこを見極められたなら――――――、
「清心さま」
ふ、と風のように隣に並んだ志貴が、ひそ、と名を呼んだ。
清心の視線を誘う仕草で、建物の暗がりを示す。
「…あれを」
地上。ざわめきを避けるように、動く人影が見えた。
視界に入るなり、くっきりと異質さを際立たせる、その気配は。
「紡ぎ人」
清心の呟きに応じるように、相手―――――静也は顔を上げる。
闇の中、目だけが輝いて見えた。
唇が、弧を描く。笑み。陰湿な。
刹那、静也は身を翻す。追って来い、と唆す態度。
清心は一度、視線を戻す。州府門前の狂乱へ。
(陽動か)
静也があれらすべてを制御している、とは思わないが。
誘導、くらいはしてのける気がする。となれば。
清心は数日前、己がしたことを思い出す。確か、静也の元へ蔵虫を送ったはずだ。
静也が無事であったことには、驚き半分、納得半分。そして、理解。
静也が現状を誘導したのなら、責任は、蔵虫を彼へ向けて送った清心にもある。
あれほど力を保有する蔵虫がたとえ紡ぎ人と言えど、操られるとは思えないが、蔵虫の居場所を把握さし、導くことくらいならできるのではないか。
意趣返しの、さらに意趣返し。まさに、陰険。感心もする。
たいした力だ。なのに。
(こんな危険な橋を渡ってまで、何をしたい?)
前西州王と目される、蛇体の怪異を見遣り、目を細め、
「彼の、狙いなら」
呟き、清心は屋根の上を走りだす。
「―――――あの方でしょう」
この場の事態はこう着状態だ。清心ができることはない。ならば。
東州王の元へ。
宴での様子から、鑑みるに。
西州王の血縁は、静也の眼中にない。
いや、仕掛けてこないとは限らないが、命を狙っているのは、まず間違いなく。
(東州王)
個人的な恨みがあると言うより。
今のヒガリを揺るがせたいのなら、東州王暗殺はいい点を突いていた。
無論、東州王が簡単に始末できるわけがない。
政治能力はもとより、彼は刀術にも秀でている。ばかりでなく、王のそばには。
古今東西、類を見ない戦闘の天才、王弟。
まだ幼いような少年ながら、御門の名代を務める斎門。
そして、東の、武門の名家・不知火家が粒よりの精鋭をつけているはずだ。
それでも、ふ、と不安になったのは。
あの、儚いような妃が脳裏を過ぎったからだ。
東州王を狙われるなら、真っ先に彼女が犠牲になりそうな気がしてならない。
無論、清心が気付く程度の話だ。東州の者たちの警戒は、行き届いているはず。
(…迎賓館まで、あと少し)
屋根の端を蹴る。別の屋根へ飛び移るのは、止めて。
墨染の衣に風を孕ませ、地上へ。後ろに小さな影が続いた。
それを尻目に、着地。するなり。
「―――――西州じゃ、空から人間が降るのか?」
足元から、声。
あまりに気さくなからかい口調。
なんの警戒もなく見下ろせば、そこには。
「東州王」
地べたに胡坐をかいた東州王が、にやり、笑う。供も連れず、一人、堂々と。…いや?
「よぉ」
…あなたの弟も頭上から降りましたが? 言いさした言葉は喉奥で消えた。幸か不幸か。
なにせ、清心の目に移ったのは、東州王ばかりではない。
「…次代さま、と何を?」
猪口を片手に月見の態の東州王の隣で、す巻きにされた司が転がっていた。ご丁寧に、口には猿轡まで。
浮かべているのは憤怒の表情…と言えば大げさだが、子供が家に帰せ、と駄々をこねているような不服そうな雰囲気が目に見える。
「見て分からないか。仲良く月見酒だ」
間違いなく、東州王の答えは不正解だ。
「宴では話す間もなかったからな。捕獲してきた」
野獣扱い。しかし、反論の言葉は思いつかなかった。
一人で館に乗り込み、次期西州王を捕獲して立ち去る東州王の行動に、何人が心痛を覚えたか、同情に値する。
だいたい、司はまだ西州王ではない。
ならば、東州王たる御堂義孝こそが、現在、この西州において、最高の地位にある。匹敵するのは央州王だが、あのヒトのいい老人を呼びだすには、いささか時間に問題がある。しかも、起こっているのは小競り合いと言うのも憚られるような、ちょっと無害なモメ事だ。
呼び出せるわけもない。
司の護衛は兵も黒羽も控えていたはずだが、東州王に逆らえるわけもなかった。
(しかも、隼人や翔の息がかかったものが多いとくれば…)
一応、姿を隠すようにして、幾人か見守る気配は感じる。護衛だろう。
西州・東州は入り混じっているだろうが。東州側の苦労も偲ばれた。
「話を、とお望みならば」
隣に座ることなどできず、一歩下がり、その場に控えるようにして、清心。
「…対話できるように対処なさるべきかと」
司の猿轡を見下ろせば、
「うるせえんだよ、コイツ」
にべもない。
「黙らせておきたいならば、」
清心は淡々と尋ねた。東州王の意図を。
「共に酒を呑む意味は、なんでしょう?」
「何か分かるかもしれねえって思ったんだよ」
司を理解しようとしているのか? やり方はどうにも乱暴だが、
「分かりましたか」
「ねえな」
ふん、と鼻を鳴らす東州王。
「愚物だ」
目の端に映る司の表情に、変化はない。つまり、『愚物』が自身への評価だと理解していないのだ。
東州王の手が、徳利を掴む。ちゃぽん、水音。
「一番、先代に似ているのは三の君だが、ゆえに、論外だ。二の君は女傑だが…王の位は気の毒だな」
器ではない、と言外に言いながら、
「場合によっては仕方ねえか」
厳しく言い切った。
話すことで、なにがしかの決定が、彼の中で為されたのか。
ふ、と存在を思い出したように東州王は清心を見上げた。
「眼帯がねえほうが男前だぜ、宴の時はなんで隠してたんだ」
浮かべた笑みは、懐っこい。ただしこれに、油断してはいけない。
清心は、傷痕を指先で辿り、静かに答えた。
「豪族の中には、醜い傷痕を気に入らない方が多いので」
「配慮か。…面倒だな、おい」
かく言う東州王はきっと、歩く端から面倒を起こしている。
「そうそう、宴の最中の狙撃手だがな、依頼人、吐いたぜ」
無言で控えていれば、思わぬ方向から平手打ちがきた。
「遊郭の元締めらしい」
読んでくださった方、ありがとうございました~。




