第八撃 ちぐはぐ
「つまり」
苦々しげ、と言うより、面倒そうに、隼人は言った。
「情報源は、特定できない、ということですか」
「しかも発見したのは、東の御門だ」
発見。
つまり、人の口から伝えられた情報ではないということ。
顎を撫で、翔が呟く。
「…挑戦的だな」
御門がいる場所など、鼠一匹たりとて忍びこむのは許されない。
そこへ、よりにもよって敵とも味方ともしれないものが忍びこんだなど。
「いずれにせよ、そっちはウチの御門がなんとかするだろう。で」
退屈そうに頬杖をつき、東州王。
「実際、どうなんだ?」
軽いようで、重い、問いかけ。
「前西州王は」
東州王の顔には、笑み。ただし。
凍てつくような、冷厳さ。
「王の儀をないがしろにしたうえで、王位についたか」
「ぼくはしがない文官のひとりです。父は宰相でしたが―――――先代王とは会話する機会は、ほぼありませんでした」
眉間をもみ、隼人が降参するように一言。
「知らんと? なら調べろ。事実なら、大問題だ。前王の在位期間から考えれば」
東州王は舌打ち。
「今は、ぎりぎりだな。神が荒れる。大地が揺らぐ。御門は何をしている。アレが知らんことはあるまい」
厳しい視線が、立ったままの清心を射抜く。
「ヤツはヒガリを堕としたいのか」
「いいえ」
清心は即答。迷いはなかった。
誰もが一瞬、呼吸すら止めた中。
微動だにせず、山のように立ち。確信を持って、告げる。
「御門にあるとすれば」
断定する清心。
他の誰かに信じさせよう、そんな思惑はなかった。
ただ。
迷い。疑念。そんなもの、拭ってあげる。
そんな、つもりで。
ふと、その目に。
…行ってほしくない人を、それでも引きとめられない、と寂しがるような色が浮かんだ。
「ヒガリのために、犠牲になる覚悟」
「ならば」
燃えるような目が、清心から離れない。
東州王は、なまなかなことでは宥められない猛獣めいた男のようだ。
「この状況を何と説明する。名代、説明を」
清心は、臆さない。
東州王の気持ちが、ヒガリへの憂いにあると知っているから。
「密告が事実なら、単純に」
穏やかに、清心は微笑む。
「いなかったのでは」
「なに?」
東州王が、はじめて、虚をつかれた声を上げた。
真上からがぶりと噛みつくような気配が消える。
「相応しい者が」
東州王を見れば、一目で理解できた。簡単に、なれるものではない。
ヒガリ国の、王になど。
前西州王が不相応であっても王位にあったのは。
それでも、彼以上、がいなかったからだ。
王として。
ふふふ、とやわらかい笑い声が上がったのは、そのときだ。
全員の視線が向かった先に、―――――東州王の、妃。清音。
「はい、もういいでしょう」
東州王が、弱った声で呻く。
「清音、俺は」
「もう。変に脅しつけて勝っただの負けただのは意味ないでしょ? 危険が避けられないのなら協力し合って―――――あら」
広間に入ってきた初老の男の姿に、彼女は声を低めた。
「央州王。それに…」
響の姿が、央州王の隣に見える。彼女は笑顔で、もう一人の王を歓待していた。
顔を上げた清音は、不意に、被衣の上から額を押さえる。眩暈を覚えたように。
咄嗟の動きで、東州王が彼女の肩を掴んだ。支えるように。
すぐさま、そばの侍女を呼ぶ。
「栞」
東州から、付き従ってきた侍女だ。歳嵩だがうつくしく、貫禄がある。
上﨟の出かもしれない。
「はい…清音さま」
案じる態度で、清音の細い身体に寄り添った。
―――――東州王の妻は身体が弱い。
噂では、耳にしていた。
斎門である清心は、考える前に視点を変え―――――息を呑む。
生きて動いているのが不思議なほど、生命力が薄い。
生命力だけを見るなら、寝た切りの老人と言われても、不思議はなかった。
「悪いが、妃は退出させる」
問答無用の声の強さだ。
反論の声を上げたのは、本人のみ。
「…あんまり食べてないのに…」
…州府の料理は確かに美味い。
「清音」
一瞬、気が抜けたように東州王は妻の名を呼んだ。すぐ、厳しい態度に戻る。
「連れていけ」
命じられた栞と言う名の侍女が、清音を促した。
最初はいかにもしぶしぶと、すぐ腹をくくった態度で、清音は栞に従う。
「中途で申し訳ございませんが、皆さま、失礼致します。また、お話してくださいませね」
西州の人間がそれぞれに声を上げるのに丁寧に頭を下げ、清音はその場を後にする。
すれ違いざまに央州王と響にも挨拶を忘れない。
彼女に対する東州王の溺愛が誇張でないことは、一目で理解できる。
体調を理由に退席する清音の背を、無意識に目で追っている態度には、見せつけられている気分にもなった。
ハリボテの愛、どころか。
来世の道連れであることも、約束されていそうな。
(それにしても…)
清音の身体が弱いという噂もまた、十分な話ではなかった。
彼女の体力のなさは、致命的だ。
健康状態は他者より優れているようにも見えるのに。
なにか、ちぐはぐだった。
違和感がある。
だが、それが何かは分からない。
思う端から、響たちと離れ、広間から出ていく清音の足がふらつく。
見送っていた東州王が、たまりかねた態度で身を乗り出した。
同時に、清音が柱に手を突き、転倒を堪えた。意地のように。
拍子に、被衣が、はらり、雪でも降るように床へ。
被衣を落とした横顔は、可憐で愛らしい。
微笑み一つで場の空気を華やかに一変させそうな面立ちは、今は青ざめて保護欲をそそる。
被衣が落ちた拍子に。
床木を打つ、軽い音が響いた。
―――――カツ…ン。
呼ばれた心地で見れば、被衣にくるまれるように、懐剣が顔を出している。
とたん。
慌てて衣を取りあげようとしていた侍女が、火傷でもしたように手を引っ込めた。
血の気を引かせ、侍女たち全員が避けるように身を引く。
なぜか、東州王が舌打ち。清貴が、肩を揺らした。意味を、考える前に。
清心は動いた。
侍女たち以外で、一番近くにいた自由な立場のものは、清心だけだった。
あとから、思えば。
誘われていたように思う。誰に? 清音に? 違う。運命? …違う。
そう、―――――その、懐剣にだ。
微妙に、緊張に満ちた沈黙の中、立ち上がった清心は清音の元まで進み出る。
導かれる感覚に従って、清心は懐剣を拾い上げた。被衣に包んだまま。
なにせこれは、おそらく、白鞘村の御神刀。
直接触れては、命を落とす。
有名な話だ。
それを、清音が肌身離さず持ち歩いていることは。
銘を、残雪。
まず、軽さに驚く。次いで、
(…おや?)
久しぶりね、と懐かしい誰かに抱きしめられた感覚があった。
記憶のない清心に、そんな相手がいるわけがないのに。
懐剣が、喜んで、いる?
無視できない直観に、目を見張った。だが。
「…どうぞ」
ながく観察できるわけもない。
上﨟の持ち物を、必要以上に長く持つのは無礼だ。
袖の上に被衣ごと懐剣を置き、清音と視線を合わせ、丁寧に差し出した。
「あり、が、」
言いさし、手を伸ばした清音が、大きな目をさらに見張る。
息を引いた。懐剣を、凝視。
そこにあるのが何かの間違いのように。次いで。
清心を、見た。
桜色の唇が、喘ぐように、戦慄く。
芯まで驚愕に染まった表情が、次第に幽霊でも見たように変わった。最後に残ったのは。
抑えかねる、問いかけの表情。
清心は、目を瞬かせた。
なぜだろう。この、表情は。
どこかで、見た、ことが…ある?
胸にせり上がったのは、遠いところから木霊が返ってくる感覚。
掴めそうで、すり抜ける。もどかしい。
けれど、結局。
―――――清音が言葉を紡ぐことは、なかった。清心も、また。
一歩、踏み込めなかった。
「感謝、します」
呑みこみ難いものをやっとの思いで嚥下した、そんな態度で、震える指が、懐剣を受け取った。
被衣は清心の手の内に残ったまま。
栞と呼ばれた侍女を横目にすれば、彼女は冷静に頷き、主の代わりに受け取ってくれる。
ふわりと清音にかけられたそれが彼女の顔を隠したのに、こころなし、安堵して。
ああ、と清心は忘れていたことに気付いた。
いけない。
「言い忘れておりました」
清音がまだ広間にいる内に、と清心は広間の出入り口に立つ。
こんな時にも志貴がうしろについてきていて、壁際に控えているのを尻目に、一度苦笑。
気付けば、中には、大体の大物が揃っていた。
にこり、微笑み、清心は告げた。
「ようこそ、西州へ。心から、歓迎いたします」
遠い昔、安心をくれた人。
このヒトのそばでなら、なんの危険もないと無条件で信じられた人。
簡単に、うしなわれた、ひと。
かつて与えられたその心地良さを、恩返しのように、たくさんの人に、捧げてきた。
はじめは、弟だけに。
次いで、夫に。
友人に。
子供たちに。
東州の、たくさんの、たくさんの、ひとたちに。
そうしているうちに、気付いた。
不思議ね。
そのすべては、倍になってかえってくるって。
満たされているわ。
わたしは、ここで。
生きて、死ぬ。
でも、時々、恋しいの。
物ごころつく前から与えられていた、あのぬくもり。
裏切られることなどないと確信もないのに信じられた、あの無条件の信頼。
わたしを子供にかえす、あの。
今日、目の前にあったのは。
あの頃と、同じ。
少し変わったけれど、根は同じ。
やさしさ。
懐かしさに、泣いてしまいそう。
諦めていたのに。
希望なんて、捨てていたはずなのに。
聞くのが怖い、のは。
まだ、期待を殺しきれていなかった証拠。
甘ったれのわたしが、叫びだす。
ねえ。
あなた、なのですか。




