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封神草紙  作者: 野中
第三部/第二章
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第八撃 ちぐはぐ

「つまり」

苦々しげ、と言うより、面倒そうに、隼人は言った。



「情報源は、特定できない、ということですか」


「しかも発見したのは、東の御門だ」



発見。

つまり、人の口から伝えられた情報ではないということ。

顎を撫で、翔が呟く。


「…挑戦的だな」


御門がいる場所など、鼠一匹たりとて忍びこむのは許されない。

そこへ、よりにもよって敵とも味方ともしれないものが忍びこんだなど。

「いずれにせよ、そっちはウチの御門がなんとかするだろう。で」

退屈そうに頬杖をつき、東州王。


「実際、どうなんだ?」

軽いようで、重い、問いかけ。

「前西州王は」

東州王の顔には、笑み。ただし。


凍てつくような、冷厳さ。






「王の儀をないがしろにしたうえで、王位についたか」


「ぼくはしがない文官のひとりです。父は宰相でしたが―――――先代王とは会話する機会は、ほぼありませんでした」






眉間をもみ、隼人が降参するように一言。


「知らんと? なら調べろ。事実なら、大問題だ。前王の在位期間から考えれば」

東州王は舌打ち。



「今は、ぎりぎりだな。神が荒れる。大地が揺らぐ。御門は何をしている。アレが知らんことはあるまい」



厳しい視線が、立ったままの清心を射抜く。

「ヤツはヒガリを堕としたいのか」


「いいえ」


清心は即答。迷いはなかった。

誰もが一瞬、呼吸すら止めた中。

微動だにせず、山のように立ち。確信を持って、告げる。

「御門にあるとすれば」


断定する清心。

他の誰かに信じさせよう、そんな思惑はなかった。

ただ。


迷い。疑念。そんなもの、拭ってあげる。

そんな、つもりで。


ふと、その目に。


…行ってほしくない人を、それでも引きとめられない、と寂しがるような色が浮かんだ。



「ヒガリのために、犠牲になる覚悟」



「ならば」

燃えるような目が、清心から離れない。

東州王は、なまなかなことでは宥められない猛獣めいた男のようだ。

「この状況を何と説明する。名代、説明を」

清心は、臆さない。

東州王の気持ちが、ヒガリへの憂いにあると知っているから。

「密告が事実なら、単純に」

穏やかに、清心は微笑む。

「いなかったのでは」


「なに?」


東州王が、はじめて、虚をつかれた声を上げた。

真上からがぶりと噛みつくような気配が消える。

「相応しい者が」


東州王を見れば、一目で理解できた。簡単に、なれるものではない。




ヒガリ国の、王になど。




前西州王が不相応であっても王位にあったのは。

それでも、彼以上、がいなかったからだ。

王として。


ふふふ、とやわらかい笑い声が上がったのは、そのときだ。

全員の視線が向かった先に、―――――東州王の、妃。清音。

「はい、もういいでしょう」

東州王が、弱った声で呻く。

「清音、俺は」


「もう。変に脅しつけて勝っただの負けただのは意味ないでしょ? 危険が避けられないのなら協力し合って―――――あら」


広間に入ってきた初老の男の姿に、彼女は声を低めた。

「央州王。それに…」

響の姿が、央州王の隣に見える。彼女は笑顔で、もう一人の王を歓待していた。


顔を上げた清音は、不意に、被衣の上から額を押さえる。眩暈を覚えたように。


咄嗟の動きで、東州王が彼女の肩を掴んだ。支えるように。

すぐさま、そばの侍女を呼ぶ。

「栞」

東州から、付き従ってきた侍女だ。歳嵩だがうつくしく、貫禄がある。

上﨟の出かもしれない。


「はい…清音さま」

案じる態度で、清音の細い身体に寄り添った。



―――――東州王の妻は身体が弱い。



噂では、耳にしていた。

斎門である清心は、考える前に視点を変え―――――息を呑む。





生きて動いているのが不思議なほど、生命力が薄い。

生命力だけを見るなら、寝た切りの老人と言われても、不思議はなかった。





「悪いが、妃は退出させる」


問答無用の声の強さだ。

反論の声を上げたのは、本人のみ。

「…あんまり食べてないのに…」

…州府の料理は確かに美味い。


「清音」


一瞬、気が抜けたように東州王は妻の名を呼んだ。すぐ、厳しい態度に戻る。



「連れていけ」



命じられた栞と言う名の侍女が、清音を促した。

最初はいかにもしぶしぶと、すぐ腹をくくった態度で、清音は栞に従う。


「中途で申し訳ございませんが、皆さま、失礼致します。また、お話してくださいませね」


西州の人間がそれぞれに声を上げるのに丁寧に頭を下げ、清音はその場を後にする。

すれ違いざまに央州王と響にも挨拶を忘れない。


彼女に対する東州王の溺愛が誇張でないことは、一目で理解できる。

体調を理由に退席する清音の背を、無意識に目で追っている態度には、見せつけられている気分にもなった。

ハリボテの愛、どころか。


来世の道連れであることも、約束されていそうな。


(それにしても…)

清音の身体が弱いという噂もまた、十分な話ではなかった。

彼女の体力のなさは、致命的だ。

健康状態は他者より優れているようにも見えるのに。




なにか、ちぐはぐだった。

違和感がある。


だが、それが何かは分からない。




思う端から、響たちと離れ、広間から出ていく清音の足がふらつく。

見送っていた東州王が、たまりかねた態度で身を乗り出した。

同時に、清音が柱に手を突き、転倒を堪えた。意地のように。


拍子に、被衣が、はらり、雪でも降るように床へ。



被衣を落とした横顔は、可憐で愛らしい。

微笑み一つで場の空気を華やかに一変させそうな面立ちは、今は青ざめて保護欲をそそる。



被衣が落ちた拍子に。

床木を打つ、軽い音が響いた。






―――――カツ…ン。






呼ばれた心地で見れば、被衣にくるまれるように、懐剣が顔を出している。

とたん。


慌てて衣を取りあげようとしていた侍女が、火傷でもしたように手を引っ込めた。


血の気を引かせ、侍女たち全員が避けるように身を引く。

なぜか、東州王が舌打ち。清貴が、肩を揺らした。意味を、考える前に。




清心は動いた。




侍女たち以外で、一番近くにいた自由な立場のものは、清心だけだった。

あとから、思えば。



誘われていたように思う。誰に? 清音に? 違う。運命? …違う。







そう、―――――その、懐剣にだ。







微妙に、緊張に満ちた沈黙の中、立ち上がった清心は清音の元まで進み出る。


導かれる感覚に従って、清心は懐剣を拾い上げた。被衣に包んだまま。

なにせこれは、おそらく、白鞘村の御神刀。

直接触れては、命を落とす。


有名な話だ。

それを、清音が肌身離さず持ち歩いていることは。



銘を、残雪。



まず、軽さに驚く。次いで、

(…おや?)






久しぶりね、と懐かしい誰かに抱きしめられた感覚があった。






記憶のない清心に、そんな相手がいるわけがないのに。


懐剣が、喜んで、いる?

無視できない直観に、目を見張った。だが。

「…どうぞ」


ながく観察できるわけもない。

上﨟の持ち物を、必要以上に長く持つのは無礼だ。


袖の上に被衣ごと懐剣を置き、清音と視線を合わせ、丁寧に差し出した。




「あり、が、」


言いさし、手を伸ばした清音が、大きな目をさらに見張る。

息を引いた。懐剣を、凝視。


そこにあるのが何かの間違いのように。次いで。









清心を、見た。


桜色の唇が、喘ぐように、戦慄く。

芯まで驚愕に染まった表情が、次第に幽霊でも見たように変わった。最後に残ったのは。


抑えかねる、問いかけの表情。








清心は、目を瞬かせた。

なぜだろう。この、表情は。


どこかで、見た、ことが…ある?


胸にせり上がったのは、遠いところから木霊が返ってくる感覚。

掴めそうで、すり抜ける。もどかしい。

けれど、結局。

―――――清音が言葉を紡ぐことは、なかった。清心も、また。


一歩、踏み込めなかった。





「感謝、します」





呑みこみ難いものをやっとの思いで嚥下した、そんな態度で、震える指が、懐剣を受け取った。

被衣は清心の手の内に残ったまま。


栞と呼ばれた侍女を横目にすれば、彼女は冷静に頷き、主の代わりに受け取ってくれる。


ふわりと清音にかけられたそれが彼女の顔を隠したのに、こころなし、安堵して。

ああ、と清心は忘れていたことに気付いた。

いけない。



「言い忘れておりました」



清音がまだ広間にいる内に、と清心は広間の出入り口に立つ。


こんな時にも志貴がうしろについてきていて、壁際に控えているのを尻目に、一度苦笑。

気付けば、中には、大体の大物が揃っていた。


にこり、微笑み、清心は告げた。








「ようこそ、西州へ。心から、歓迎いたします」







遠い昔、安心をくれた人。

このヒトのそばでなら、なんの危険もないと無条件で信じられた人。


簡単に、うしなわれた、ひと。


かつて与えられたその心地良さを、恩返しのように、たくさんの人に、捧げてきた。

はじめは、弟だけに。

次いで、夫に。

友人に。

子供たちに。

東州の、たくさんの、たくさんの、ひとたちに。

そうしているうちに、気付いた。

不思議ね。

そのすべては、倍になってかえってくるって。


満たされているわ。

わたしは、ここで。



生きて、死ぬ。



でも、時々、恋しいの。

物ごころつく前から与えられていた、あのぬくもり。

裏切られることなどないと確信もないのに信じられた、あの無条件の信頼。

わたしを子供にかえす、あの。


今日、目の前にあったのは。


あの頃と、同じ。

少し変わったけれど、根は同じ。



やさしさ。



懐かしさに、泣いてしまいそう。

諦めていたのに。

希望なんて、捨てていたはずなのに。

聞くのが怖い、のは。

まだ、期待を殺しきれていなかった証拠。


甘ったれのわたしが、叫びだす。


ねえ。





あなた、なのですか。



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