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封神草紙  作者: 野中
第三部/第二章
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第七撃 ナルカミ法師

夫たる東州王も、伴侶の判断を尊重―――――結果、冴香は本来、兄が座るはずだった席へ。


いっとき悩む清心。

自身の席はどこだ。


それより先に、と翔が宙に閉じ込めたままの蜘蛛の群れを示した。



「始末するか?」



忘れていた。

目を向ける清心。なんともおぞましい見た目だ。

見える形で長時間の放置は悪趣味だろう。

清心は単純に考える。

隠すか。


「そうですね…では、そこのヒョウタンを取って頂けますか。中のものは出して、空で」


翔が、用意されている最中の膳から器を取りあげる。そこに、ヒョウタンの中身をあけた。

器に満ちたのは、酒か水か、透明な液体だ。


空になったそれを、清心に投げて寄越した。


受け止め、きちんと栓を閉められたそれを、再度開ける。

考えるのは、あとだ。清心は、法力でヒョウタンの内側を強化。


空間を押し広げる。ただし、外側には影響しない。




「ちょっと、しまっておきますね」




誰にともなく、呟く清心。

ヒョウタンの口を、蜘蛛がひしめく結界に向けた。刹那。



ポンッ。



肥った狸が腹でも叩いたような間抜けた音と共に、蜘蛛たちが消える。

正確には、ヒョウタンの中へ吸い込まれた。

すかさず、栓をする。


隼人が、興味深そうに、ヒョウタンをしげしげ。



「どうするの、それ」

「一旦、霊山の地下におさめるしかないだろうな」


本音を言えば、今からここで調べたい。



紡ぎ人の術をひとつまるごと閉じ込めているわけだから。



が、今のところ、調査にかける時間が許されそうもない。

無念に、栓をとんとん叩く清心に、翔が呑気に言った。



「霊山の地下って、あー、魑魅魍魎の牢って言われてる、あの悪名高い」



思わず指の動きを止める清心。




霊山の地下にそんな名が。初耳だ。確かに鉄格子はある。そして、迷路の配置だ。




初見の斎門たちは、白骨になりたくなければ案内なしで入るなと脅され…うん、悪名は、立つ、か。

「あら、まぁ、面白…いえ、器用でいらっしゃいますのね」

これは、いつの間にか再度座っていた東州王の妃の声だ。


思わぬ相手。


口元を袖で隠し、興味津々、話しかけられ、清心は面食らった。

ついさっきまで、冴香と挨拶を交わし合っていなかったか。

それにしても、このお妃さま。





(…童女のようだな…)





仕草や態度が、どうも。

聡明な女性だ、侮れない、のに。


懐っこさと親しみやすさに、油断しそうになる。



「基本的に、身一つで移動するもので、その場にあるもので色々と間に合わせることが多いうちに、少しは応用が利くようになった結果、ですかね」



要するに、貧乏性。堂々と言えることではないので、言葉が長くなった。

とりあえず席はどこだ、と目で探す。

冴香の斜め後ろに座った隼人と目が合った。


微笑んだ彼が指差したのは。







「…」




微笑み返す清心。目で言う。今は冗談を告げていい場面ではない。









真面目な顔になる隼人。首を横に振る。童顔が、小首を傾げた。言外の声が聴こえる。


だってさー、きみ、誰の名代?



―――――端から逃げ道はなかった。



とはいえ、すぐには動きかねる清心。

冴香の隣に座るなど、心の準備があっても勇気が足りない。

情けないことに。


彼を前に、妙な沈黙を保っていた東州王が、ふいに、あ、と声を上げる。






「清心って、あれだな! 雷公―――――ナルカミ法師だ! 紙芝居の!」


膝を叩き、目を輝かせた。



なにもない床の上で滑りそうになる清心。

失態をぎりぎりで堪え、無言で東州王を見返した。とたん、王の隣で妃が手を叩き合わせる。


「それそれ! さっき瓢箪を使ったのを見て、わたしも今それを思い出してて…ああやっぱり! あなたもそう思う?」






先ほどまでの威厳と威圧はどこへやら、夫婦は手を取り合って、はじめて森の探検に出発する子供に似た様子で興奮気味だ。


…これが素か? かわいい夫婦だな。

少し和む清心。

途中で自身の現実逃避に気付くが、あまり真面目に現実と取っ組みあっても疲れるだけだ。

逃げたいなら逃げてもいい。

だろう?


はしゃいだ言い訳のように、恥ずかしそうに東州王の妃が言葉を紡ぐ。


「州内の子供の教育に少しは足しになるかしらと思って州府の庭へ定期的に紙芝居の語り手を呼ぶのですけどね」


「一番人気が『ナルカミ法師』説話でな。これが面白いんだ」


王、と言うよりは、小さな子供の態度で、『男の子』といった様子の東州王が言う。

夫を横目に、妃がくすくす笑った。

「子供向けの勧善懲悪のお話なのだけど、実話が元になっているとか」


東州の斎門の少年が頷く。

「ああ、聞いたことがあります。確か雷を武器に戦うんですよね」




大惨事だ。




うんうん、頭を縦に振ったのは、王弟将軍。

「そういえば、子供たちがよく『ごっこ』遊びをしていますね」

「お話を作っているのは女性なんですってね!」

いや待ってくれ。

内心、途方に暮れる清心。



紙芝居。ナルカミ法師。なんだそれ。



ぷっと吹き出したのは、隼人の隣、冴香の斜め後ろに座る翔だ。

…知ってましたね?

それにしても、実話をもとに話を作っている? 清心が今まで手掛けた仕事のことか?


どこから話がもれているのか…秘匿すべきことが多いのに。これは問題だ。

なんとなく、座る機会を逃し、立ち尽くす清心。

心を読んだか、


「あ、肝心な部分は秘匿されてるから、大丈夫だよ、清心。御門さまからお許しももらってるし? なんたってその紙芝居の女流作家ってのはさ」


面白そうに、隼人が言った。

「冴香の友達だからー」



「…叔父上」



すっと背を伸ばして座る冴香の低い声に、隼人が身を竦める。

だがおそらく、反省はしていない。浮かれているに違いない。この男、悪趣味な秘密が大好物なのだ。


だいたい、御門が許可しているなら、清心は呑みこむしかないわけだ。

なんにしろ、場の雰囲気が一瞬で変わった。

これこそ、優先すべきことだ。



「間もなく、妹も参ります。西州に集う藩主たちも揃うでしょう。その前に、―――――東州さま、まずは謝罪を」



淡々と、冴香。

音もなく戻った志貴が、彼の背後に控えた。

「先ほどの怪異につきましては、」


「問題ない。怪異だろうと、他の何だろうとな」


ひらり、手を横に振る東州王。すぐ、付け加える。

「そもそも、そのあとの、銃の襲撃は―――――東州の問題」

「件の、銃工の村の者が関わっていると?」

声を潜め、応じたのは、隼人だ。


銃工の村。聞くなり、視線が自然と白鞘の姉弟に集中。


彼らが生まれた刀工の村は、近隣の銃工の村との確執の結果、…滅ぼされた。

その数年後、清音が東州王に見出され、彼女を愛する王が、銃工の村を滅ぼした。

血で血を洗う、とはこのことだ。とはいえ。



間近で見た東州王に、やられたらやり返すと言った暴力的な狂気は見えない。冷厳ではあるが、理性的だ。そして。



隣に寄り添う妃もまた。

彼らが単純に、報復に走ったとはとても思えなかった。


「西州に逃げたヤツも多かった。居場所が割れるのも時間の問題だ…チッ」


東州王は舌打ち。忌々しげ。

まるで、居場所など知りたくないと言いたげだ。

「みっともなく逃げ回ってりゃ殺しゃしねえのによ」

彼は空を睨んだ。


背後に控えた王弟が、目を伏せる。感情は、読めない。


清心はなんとなく、顔の傷を指先で辿る。あったのは、布の感触。ふと、我に返る。

「なんにしろ、今回の射手は捕まえられんだろ? 生きてりゃこっちにくれねえか。それで今回西州で起こるごたごたには目ぇつむってやるよ」


「それっぽっちの見返りで、すべてを許されると?」

人間のやり取りをする、と堂々と宣言しながら、そこになんの価値も覚えていないような言動。

東州王はじろりと隼人を横目で見遣った。口調は親しげに、

「他人行儀だな。同じ、ヒガリ国を支える同志だろう」


「同志!」


隼人は声を上げて笑った。ことさら楽しげに。

「黒羽を派遣させ、探り合っている、似た者同士ではありますけれどねえ」

無礼寸前の態度で応じた隼人に、東州王は鼻を鳴らす。



「煽るのは無意味だ、西州のはなぶさ


「失礼致しました。腹芸は嫌いではありませんので、つい」

「回りくどいのは、俺は好かん」



不機嫌な夫の隣で、給仕の者が続々と前菜を運んでくるのに、東州王の隣の妃は微かに前のめりになる。

前菜の一つを指差し、東州王越しに冴香に声をかけた。

「ねえ、冴香さま。これ、東州では見たことがありません。野菜ですか? 酢のものよね」

「この時期に採れる根菜です。…東州に、ないのですか?」

真面目に応じる冴香。言っている途中で面食らう。


半ば、意識が男たちの会話に向いていたのだろう。一瞬、表情から固さが抜け、幼い印象になる。


女たちが別の話に移ったのを尻目に、東州王は声を低めた。




「率直に言う。東州も西州も、ヒガリという国を支える太い柱だ。一方の陥落は国って名前の舞台を崩壊させる」




隼人の顔から、作り笑いが消えた。

童顔に、冷めたような、すべてに飽きた色合いの表情が浮かんだ。


「先ほど、密告があったと仰せになりましたが」

男たちが深刻になるのと正反対に、女たちはあかるい。

「びっくりしました。じゃああれは、東州にあって、西州にはないのですね」

「ええ。昔一度、東州から流れてきたものを食べたことがありますが」


食べ物で盛り上がっている。色気はない。が、可愛らしい。

東州王が、楽しげに妃を一瞥。その上で、



「出どころが気になるか?」



試す物言い。隼人はわずかに沈黙。すぐ、首を横に振った。

「知る意味はありませんね。ああ、ただ…ひとつ確認を」

隼人が声を低める。


「情報は、どのていど信頼できるものです?」


ハッ、と東州王は何かを投げ捨てるように息だけで笑った。

「ない」

「はい?」

王の口の端に浮かぶのは、嬲るような嘲笑。






「密告と言ったろう」





上﨟の人間が慈善事業の一環として孤児院に出入りすることは、珍しい話じゃない。

わたしもその一人だ。

今日も今日とて出入りの院に足を運び、家事に励んでいる。

貧乏豪族の三女なんて、意志も自由もなく家のために嫁がされ、そこで一生を終えるのが通例。

これは花嫁修行の一環なの、と話せば、家族は快く送り出してくれた。

ここにいる間は、わたしの、唯一の自由時間。


今日も今日とて、洗濯ものを干すわたしを見守るように、誰かが縁側に腰掛ける。

「子供たちは?」

前置きもなく掛けられた声に、わたしは小さく笑った。

「お昼寝中。久しぶりね、冴香」

「ああ、ひさしぶり」

身分の割に、気さくで身軽なこの友達は、たまにこうしてわたしに会いに来てくれる。

ここは、彼女に会える唯一の場所でもあった。

なにせ、冴香は身分が身分だ。


州府で気軽に冴香に声などかけた日には、わたしが豪族たちの思惑に利用され。


わたしの家に来た日には、大仰なもてなしで冴香の一日が過ぎる。


普通の付き合いもできないなんて、難儀な話だ。

でもここでは、そんなの誰も気にしない。

「忙しそうね」

洗濯を干しながら、振り返りもせず、わたし。

「やりがいはあるよ」

忙しい仕事の合間を縫っての来訪を感じさせない余裕の冷静さで、冴香。

これがいつもの、わたしたち。

いくらか他愛ない話を続けた後、空になった籠を取りあげ、わたしも縁側へ。

「聞いたよ、またご活躍だったそうじゃない、雷公」

たちまち。

表情の乏しい冴香の顔が輝く。目に星がきらめいたみたいに。

なのに、少し拗ねたように唇が尖るのは。

「また、話造りのネタにするつもりだろう」

「だって子供たちが喜ぶもの、ナルカミ公のおはなし」

次はまだかー、って催促が、今朝もあった。

「冴香だって、雷公が人気者なのは嬉しいでしょう?」

「…刺し障りのない範囲しか話せないぞ」

もとは、子供たちへの読み書きや道徳の教えに、何か相応しいものがないかという考えだった。

まともな授業は、子供たちには退屈なのだ。

だが物語なら。

すんなりと頭に入る、興味もわく。

これらが、市場に出たのはわたしにも想定外だったけど。


でも、彼女から雷公の話を聞く一番の理由は。

ちょっと、この数年来の友達にも話せずにいる。

だって、照れくさいでしょう。

彼の話をすれば。


他人にも自分にも厳しいあなたが。




いつも笑顔になるから。




なんて。




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