第七撃 当たったら、すみません
先に動いたのは、相手だ。一歩、横へ。間合いを測ってる。
僕も、無言で逆方向へ、一歩踏み出す。
「北境辺土にヒガリ人が住んでいたのにも驚いたが…月子様が、何者か知らないのか?呼び捨てにするなど。それにしては、私を刺客と知って、誘い出したな」
互いに足元で半円を描きながら、僕は直感した。
「キミは、軍人ですか」
「――――いかにも」
ふいに、刃のきらめきが闇を裂く。
相手は一瞬後、僕の目前にいた。
身体のバネが、桁外れだ。振り下ろされた刃を、僕は銃身で受けた。
軽い。様子見か。なら。
押さず、引き寄せ、受け流す。
相手は均衡を崩した。
間髪入れず、僕は反転。左足を軸に、相手の後頭部めがけ、回し蹴りを叩き込む。
寸前、反動を生かし、地を蹴った。
身を沈めた相手が、飛燕の動きで刀を返し、真横へ薙ぎ払ったからだ。
避けなきゃ十中八九、僕の片足は持ってかれてた。
いい勘だ。僕は驚嘆。
ほとんど同時に向き合って、後退。
開く、間合い。
果たし状を叩きつける勢いで、相手が怒鳴った。
「私は刀術士、宇津木蓮!貴殿も刀術士とお見受けする。名乗られよ!」
――――宇津木!
名乗るどころじゃない、雷に撃たれた気分で僕は震えた。
宇津木といえば、武の名門。
ヒガリ国国軍重鎮、大将軍たる宇津木修平の生家だ。
蓮って名は、聞いたことがある。修平の末息子。
その国軍の将兵がなぜ、刺客になっている?
東州内のモメ事に、国軍が出張るはずはない。動くなら、州軍だ。
国軍が動いた理由は、なんだ。
僕は状況が単純でないことを悟らずを得ない。
月子の身に、常識の尺度で測れない出来事が起きている。
(マズいな)
僕の体調は、万全でない。いやそれは、言い訳だ。
この状態で相対するにはキツい相手だが、できなくても、やらなきゃならない。
事情を聞き出す気は、失せた。僕が事情に無知だと敵に知られることは、月子にとっての弱みになる危険がある。
訊くならやっぱり、月子本人だ。
名乗りを上げず、無言で銃剣を構えなおした僕に、蓮は舌打ち。殺気が、研ぎ澄まされた刃みたいに鋭い。
「礼儀知らずめ…!」
「そんなことより、場所を変えましょう。僕らの真横にある緑の繭は、…蔵代です」
蓮は息を引く。蔵代のそばで戦うなど、愚行も極まる。
僕は地を蹴った。
蓮を見ながら、左へ疾走。
半ば地面にのめりこむ姿勢の僕に、間を置かず、蓮はついてくる。
流星のごとく、空を貫き、走る、走る、走る。
樹を避けながら、速度を上げた。それでも、蓮は追いすがる。
僕は舌を巻いた。
この森に慣れた僕はともかく、国都育ちのお坊ちゃまが、たいしたものだ。
さて。先へ進めば、川へ出る。ただし、僕の家から遠ざかる。
一旦戻るか、先に蓮と決着をつけるか。
決めかねた一瞬。
顔面を、突風が殴りつけた。
いや、実際は、風なんか起こってない。これは、思念だ。強烈な。
頭が、割れる。
「…っ!」
身体を突き抜けた姿なき衝撃に、僕と蓮は、体勢を崩した。
直感する僕。
胸に火矢を撃ちこむみたいなこの思念は、僕の家の方角から放たれてる。
弓を絞ったのは。
「月子…っ」
月子だ。月子が、僕を呼んでる。
捜してる。
敵に襲われたのか。
それとも、目が覚めて、隣にいない僕を求めてるだけか。
声の悲痛に、焦燥が胸を焼く。
たちまち、自分が置かれた現状なんか、二の次になる。
すぐ。すぐだ。風より速く、戻るから。
まっさきに、心が駆けてった。月子めがけ、いっしんに。
それも束の間、背骨を駆け上がった呪いの激痛が、思考もろとも身体を縛る。
おまけに、僕は。
転倒を堪えた蓮が、横殴りに太刀を鞘から引き抜いたのを見た。
刃の軌跡が、魚鱗みたいにひかる。吸い込まれる先は。
僕の首筋。
間髪入れず、僕も腕を振り上げた。
――――間に、合、えっ!
間一髪、銃身が僕の首筋を庇う。火花が散った。
片腕で受けた、無茶な姿勢。受け止めきれない。なら、流す!
僕の二の腕、服を掠め、蓮の切っ先があさっての方向に落ちた。
反動で、銃剣が、頭上高く跳ね上がる。かろうじで、離さない。かわりに、懐ががら空きになった。
銃剣を構えるより、蓮が太刀を返すのが早い。
――――まだっ!
こめかみに、太刀が叩きつけられる寸前。
僕は踏み込む。
技巧も何もない。ただ力任せに、銃剣を振り抜いた。
目標がずれ、僕の耳を掠めた太刀が、肩に落ちる寸前、半ばから折れた。
銃口が火を噴き、銃剣の刃がひしゃげた結果だ。
蓮の、折れた刃。
水車のごとく空を裂いたそれは、近くの幹に刺さるかと見えた。瞬間。
幹に、跳ね返る。その切っ先が向いた先には。
僕。
振り向いたときには、どうにもならない距離だった。
蓮が、ひきつるみたいに息を呑む。
僕は危機感もなく、蘇芳の言葉を思い出してた。
近いうちに、僕は死ぬ。
それが、今?
他人事みたいに思うなり、刃は僕のこめかみを掠め、すり抜けた。
遠い背後で、地面に突き立つ。
僕は目を瞬かせた。
かわせなければ、絶対に僕の眉間に切っ先が刺さる軌道だった。
それが、寸前で。
…刃自身が僕を避けたかのように、軌道を変えた。
偶然?いや。
もしかして、蓮の太刀は。
見下ろした蓮は、亡霊でも見る目で僕を見ていた。
構わず、尋ねる。
「もしかして、キミの太刀は、白鞘村の…?」
「…なぜ、分かる」
その反応に、得心する僕。
なるほど、それなら、納得がいく。
白鞘村で鍛えられた刃は、決して僕を傷つけない。
機会があれば、事情を語るときも来るだろう。
頷き、僕は駆け出した。
泡を食った蓮の声が背を叩いたが、もう意識の外にある。
早く、戻らなければ。
月子が僕を呼んでる。どこだって、捜してる。
心臓が潰れそうな、声だ。行かなければ。早く、もっと早く。
闇に慣れた目が、木々の間に見える家を映した。人影が取り囲んでる。
複数。十人は越えてた。でも、二十は越えてない。なら。
行く。
僕は、踏み抜くほど強く、地面を蹴った。呪いの痛みは完全に失せてる。
連中の頭上で、一回転、――――しながら、銃を構えた。
幾人かが、顔を上げる。
「当たったら、すみません」
断りを入れ、引き金を引いた。連射。
殺すつもりはない。脅しだ。月子は殺人を嫌う。
けど、当たれば、事故だ。
なんて素敵な言い訳。
逃げ隠れできない宙にいた僕は格好の的。けど、咄嗟に反撃できたヤツはいない。
思ったとおり、この闇で、頭上の敵は予測しなかったと見える。
蜘蛛の子散らすみたいに弾丸避けたのは、さすがだ。
なんにしろ、手応えで悟った。ここにいる連中は。
黒羽だ。
これで、決定的。
月子を追ってるのは、少なくとも、東州じゃない。