第四撃 内緒
敵対や暗殺の横行する中、疑心暗鬼になり、望む望まざるとに関わらず、全員が権力争いの犠牲となった。
起こったのは、不吉と呼べるほどの、虐殺の嵐。
台風の目のように、裏で糸を引いていたのが、響の母親。
彼女の行動に、王への愛はない。むしろ、毛嫌いしていた。
始末に負えないのは、それでも一人の妻として、夫の愛を独占したがっていたところだ。
他の妻たちとは、同志にもなれたかもしれない。
だが彼女の嫉妬は手に負えない化け物にまで育った。
冴香が怪異憑きとなったのも、彼女の行動が原因だ。冴香の母が命を落としたのも、彼女の陰謀がきっかけ。
冴香と響が、仲の良い姉妹になれるわけがない。
容赦なく陰謀を張り巡らせ、敵対者の始末と言う惨劇を数多生みだした高慢な女が、なぜ死んだのか。
そこらじゅうに恨みの種をまいたのだ。
彼女を殺したい者は、州府内を歩けば数歩もいかないうちに何人もとぶつかるほど存在した。
暗殺や、厨房で、毒を盛られることなど茶飯事。よって、逆に彼女の対策は万全。
ただし、彼女を打倒したのは、その毒のひとつ。
何が彼女の隙を作ったか? それが、
響だ。
毒を口にしたと察した段階で、解毒薬を響の母は所望したと言う。
心得ていた侍女は、いつもの壺からいつものように薬を彼女に差し出した。
それが、効かなかった。
彼女はのたうちまわり、苦しみ抜いて、皮膚を爛らせた醜い姿で死んだ。
風の噂では。
響は遊んでいた最中、解毒薬の入った壺をひっくり返してしまったらしい。
一緒に遊んでいた侍女が、母親に怒られることに怯えた響に、すかさず言った。
―――――水でもいれておけば大丈夫、バレやしません―――――
母の折檻に震えあがっていた響は、それに飛びつく。言うなりに動いた。
だが、おかしな話だ。
大切な薬の入った壺を、子供が遊ぶ場所へ不用意に放置しておくだろうか。
響にそのように告げたと言う侍女は、郊外で首をつって自殺していた。主人の死を、冷たい目で見届けて。
真相は闇の中だ。
実のところ、前西州王の行動の方が、もっと度し難い。
何が起こっているかを知っていた彼は、すべて承知で彼女の行動を煽った。
楽しかったのだろう。彼を取り合い、媚を売る女たちの態度が。
響に、その父は、母がどうして死んだかを告げたという。面白がって、だ。
通常なら。
一生残る心の傷となる。ところが。
母が母なら、子も子。
響は単純に事実を受け入れた。そして。―――――気にしなかった。何一つ。
母親の葬式には涙を流したそうだが、響の精神性は畸形だ。
どこまでが真実か、なにひとつ見えない。
そんな彼女の、この行動。
何かが起こる。いや既に、起こっている。
とはいえ、立場上、止めることは不可能。冴香のところまで行くしかない。
それにしても、商人。脳裏に浮かんだのは、宵宮。
この件に関わっているのが彼と言う確証は持てないが、
(隼人に頼んで捜してもらうか…)
隼人には、一連の出来事を報告している。
既に居場所を押さえている可能性が高い。
ただ、あの男、得体が知れない。
へたに追い込もうとすれば、面白半分、何をやらかすか読めない。
追う最中に、州民に手出しでもされたら最悪だ。
あまり会いたくもない。
とはいえ、静也のこともある。いずれ、顔を合わせずには済まない。
ひとまず、今。
清心が警戒するべきは。前を向いたまま、意識を向ける。侍女たちへ。
―――――彼女たちだ。宴の刻限が差し迫っているこの状況、騒乱の要素しか見えない。
うきうきした足取りだった響が、いきなり駆け出した。
「お姉さま!」
いつの間にか、控えの間は目の前まで来ていたらしい。
ふわり、衣装の袖をなびかせ、響が一室へ飛び込む。身軽さは、まるで蝶だ。
慌てて追う侍女たち。志貴を連れた清心が、遅れて、ゆったり部屋へ入るなり、
「迷惑だな」
切って捨てる声が、迷いなく放たれた。冴香だ。
叱る、と言うようなものではない。
容赦なく裁く声音。
「ですが、折角ですので一目だけでも」
続く、甘えかかる声は響のもの。先ほどの声で臆さないどころか、怯んでもいない。
呑気に食い下がる。気付いているのかいないのか。
演技か。天然か。はたまた、計算か。
冴香は構わない。惑わされない。
「宴の刻限は近い。遊びに付き合う時間はない。出るぞ」
正論。ただし。
やり取りだけを傍から見れば、冴香が悪者になりかねない。
顔を上げる清心。続く、衣ずれの音。刹那。
冴香と清心の目が合った。とたん、感じる。
まぶしい。
よく目を逸らさずいられたものだ。
どうにか、わずかに目を細めるだけにとどめられた。
今日の冴香は、いつもと出で立ちが違った。官服でもなければ、動きやすさ重視の私服でもない。
純白と紺碧が基調の、華やかな衣装である。
当たり前だ。
吉良家の一員、媛として宴に出るのだから。
長い黒髪は左側の高い位置で結いあげ、胸の前に垂らしている。
簪に耳飾りなど、装飾品は真珠。
ただ。
冴香は、冴香。華やかな媛というより、清廉な戦士という印象が強い。
いや、御託はいい。要するに、
―――――きれいだな。
わずかだが、化粧もしているのか。
朴念仁の清心にも、唇に、紅を引いているのは分かる。とはいえ。
感嘆はあれど、褒め言葉を思いつかない。
これを、情けないと言うのだろう、困ったことだ。黙りこむ清心。
対する冴香はかすかに目を開く。
「…そのお姿は」
言われて、思い出す。
そう言えば、清心も今日はいつもと違う姿なのだ。
それなら話せる。
穏やかに微笑んだ。
「御門さまの代理で出席することになりました」
言う合間にも、近付いてくる冴香。
真っ直ぐ迷いなく、ただ衣装のせいか、いつもよりは楚々とした足取りで。
真正面で立ち止まり、真面目に一言。
「素敵だ」
臆面もない褒め言葉。なのに。
なぜだろう、言葉に、挑戦状をたたきつけるような不穏さを感じる。
それ以上に、男が女性に対して言うのに似た勢いと言うか、強さがあった。
過剰に真摯な姿勢のせいだ。
敬語が抜けているから、無意識の言葉だろうか。
何にしろ、こう言った態度を見るにつけ、冴香が一部の女性から人気があると言う話も頷ける。
言動がそこらの男より格好いいのは問題だ。
「ありがとうございます」
どうにか、平然と応じる清心。
彼女が幼い頃からの付き合いで、ある程度免疫があるおかげだろう。
清心の声に、ふと我に返ったように口元を押さえる冴香。
上目遣いになる。
「口に出ていましたか」
苦い口調。恥ずかしがっている態度でもないが。
しまった。
今さら、聞かなかったことにはできない。
「もう、話が途中だわ、お姉さま!」
割って入る響に、助かった、と思うのはこれがはじめてだ。
もちろん、響がそれで終わるはずもなく、
「いいから、選んでくださいな。その地味な簪よりもアタシがお持ちしたものの方が華やかでしょう?」
冴香の腕にしがみつく。
そのまま、姉の身体の向きを変えさせた。
清心から今見えるのは、冴香の背中。そこから感じるものと言えば。
怒りではない。冷たさではない。ウンザリしているわけでもない。ただ。
―――――どう処理をしようかな。
底まで事務的な雰囲気。
先日の、兄に対するものに似ている。情を砂一粒も感じなかった。
考える時間を割くことすら、勿体ないとでも思っていそうな気配。
これでは、拒絶一辺倒だろう。
主姉妹の間に漂う、奈落より深い齟齬の気配。
気付かないわけでもないだろうに、侍女たちはしずしず並び、手にした台座を捧げるように示した。
その、中に。
(…うん?)
気になる簪があった。
より正確に言うなら、簪がまとう気配だ。
癖のように、それを解きかけ、―――――寸前、止める。
危険な気配は感じるなり自動的に祓うくせを、少しは自重しなければならない。
今回は、祓いが目的ではない。探らなくては。
背後に意識を向ける清心。志貴が控えているはずだ。
危険に対する備えとして、刀術士は無視できない。が。
まったく、何も感じない。まるで何もないかのようだ。
気配を消している、にしてもこれは。なにもなさすぎる。
振り向いて、確認したい。だが、それは避けるべきだ。
これから何か起こりますよ、と告げているようなものだからだ。
仕方がない。何かが起こればその時だ。
気配の歪んだ簪と、他のものとのつながりを探る。瞬時に、線はつながった。
よろしい。
何者が仕掛けたか知らないが、座して待つのは、…今回の場合。
未だ何かを言い募る響を見遣る。彼女が、これほど楽しげなのはなぜだろう。
冴香の冷やかさを理解するだけの聡さは持っているはずだが。
対する冴香は無口、無表情。ただ、妹の腕を振り払うことはしない。
大人げない行動を取らないと言うより、どうでもいいといった態度だ。
その、冴香の消極的な寛容さは響の強引を、結局許しそうな気がした。
歓待の宴がはじまるのが近いこの刻限、どうしても避けられず、罠が発動するなら。
―――――むしろ、こちらから仕掛けてしまえ。
清心は前へ進む。姉妹に近づく。
冴香の斜め後ろから、捧げるようにされた、台座の中の簪に手を伸ばした。
妙な気配をまとう簪だ。
気付いた響が顔を上げる。花が咲くように、笑った。
「清心さまは、それがお姉さまに似合うと思う?」
冴香が、顔だけ振り返る。直後、少し顎を引いたのが分かった。
近すぎたか。
「…そうですね」
簪に触れた。同時に、繋がっている相手との気に干渉―――――固定。
正確に言うならば、糸のようなものを伸び縮みできないように固めた。
さて、『誰』が釣れるか。
「冴香さまは」
なんにしろ、繊細な作業だ。そちらに集中しながら、呟く。
「髪を下ろしている方がよろしいかと」
上の空だったことは認める。妙な沈黙に気付いたのは、すぐだ。
何かよくないことを言ったらしいのは自覚した。
が、何を言ったか思いだせない。
やはり、歳か。
自由な方の手で、つい、軽く拳をつくり、口元にあて、咳払いで誤魔化しかけ。
特に、そうする必要もない気がして、寸前、
「内緒ですよ」
適当なことを言って、話を切り上げた。
さて、頃合いだ。
公の衣装について。
冴香「嫌いではないが、脱着の時間がもったいないな。どうにかならないか」
翔「防御力が高まるって考えりゃいいだろ? 重さ? いい感じの鍛錬だな」
清音「汚すのが怖いかな、未だ」
義孝「好きも嫌いもない。単なる日常だ」
響「見てるだけですっごく楽しい! 着るともっと素敵な気分になる」
志貴「皮一枚と同じです。変わったところで、何か問題が?」
隼人「脱がす楽しみがあるよね」




