第二撃 死んでも残るもの
―――――ドンッ!
一際大きな太鼓の音に、清心は通りに目を戻す。
気付けば、華やかに飾り立てられた壮麗な輿がすぐそこに迫っていた。
歓声。熱狂。大きく手を振る人々。その合間。清心は、笠の縁を持ち上げる。顔を上げた。
目に映った光景に、知らず、目を見張る。
(なるほど、これは)
麗しい。
輿の上。
危なげなく立った、高貴な男女が見えた。
男は威風堂々。
周囲を睥睨する姿は、老練の戦士めいた風格がある。
が、まだ若い。
この騒ぎと注目の中、臆した様子は一つもなかった。
彼が、東州王。御堂義孝。氷炎の君。美貌と冷酷さの名高い、為政者。
寄り添う女は、いかにも儚げ。
だが、芯がなければ、あの男の隣には立てまい。
ごくたまに手を振り返す余裕も見せ、慈母のごとく優しげに、楽しんでいる風情。
彼女が、東州王の妃。数年前に滅んだ刀工の村、白鞘出身の娘。
清音。
身分違いと叫ぶ声や視線もなんのその、常に王の傍らにあり、ともすれば攻撃的な言動を取る夫の激しさを、機知に富んだ会話と柔らかな物腰で中和するようだ。
分を弁え、威圧的な王のそばで楚々と控える姿に、安堵する者は多い。
ただ、飾り立てられた女性の姿を見た一瞬。
―――――早く、帰ってきてね!
無邪気な声が、清心の記憶の底で弾けた。
「…?」
これは。
いつもの、清心を落ち付かなくさせ、懐かしさを疼かせる幼い声だ。
(なにか、思い出すきっかけが、今、あったか…?)
改めて、輿の上を見上げる。
西州とは違う、特有の東州の気配が感じられた。
そのせいだろうか。ともすれば。
(私は、東州の出なのかもしれないな)
ともかくあの二人は、上﨟では今時珍しいほどのおしどり夫婦。
揃って、上﨟たるにふさわしい物腰で輿の上に在った。
どちらも貴人だ、顔の見えない衣装を身につけ、分かるものと言えば雰囲気だけだが。
その場所だけ、空気がまるで違う。華やかな周囲以上に、輝いて見えた。
東州の民が心酔するのも無理はない。
彼らの後ろでぼんやり佇む少年が、くわり、欠伸をこぼす。
すかさず、横にいた少年がひじ打ちを脇腹へ埋めた。
何やら小声で言い合う、十二、三の少年たち。
東州の王と妃の威厳に呑まれた西州の民が、いっとき、和む。
場違いのようで、誰もが注目している。欠伸をこぼした少年が腰にさげた太刀に。
あれが、―――――時雨。名高い白鞘村の刃。
その持ち主となれば。
武勇の誉れ高い王弟将軍。白鞘清貴。
実際、現状の東州において、蔵虫の討伐はほとんど彼が手がけていると聞く。
その幼さを間近で見れば、凄惨で容赦ない戦話は作り話ではないかと言う疑問を抱いてしまう。
いっそその方が安心だからだ。
すべてが事実とすれば―――――あの子供は、どんな化け物と言うのか。
それはともかく。
話をする機会があれば、聞きたいことがあった。
清心は、錫杖を一瞥。
すぐ、視線を輿の上へ戻す。
隣の少年は、墨染の衣からして、斎門。
一見、少女と見紛うほどの美貌。
あの格好をしていなければ、性別不明なほど。
先日会ったばかりの、水無瀬家の志貴を思い出す。
どちらかと言えば、志貴の方が少女めいている。
あの少年の斎門は、表情が厳しい。
とはいえ、あの場に立つからには。
(彼が、東の御門の名代か)
新たな王が着任するたび、他の王が祝いに訪れるのは、慣例だ。
だが、権力者すべてが地元から離れるわけにはいかない。
東の御門は、東州に居残ると聞いた。彼には一度だけ、会ったことがある。
何年前だったか、間諜めいた仕事をしていた頃だ。
斎門。
だが有髪。
平気で女性を口説く。
まつりごとに口を出す。
戒律もなんのその。
破戒僧と呼ばれれば、褒め言葉さと嘯く問題児。
(だが、やっていることは真面目だ。孤児の面倒を見たり。ああ、一度拝見した祭事は完璧だった。古今東西の経文をほとんど暗記していらっしゃるところも)
負の側面すべてをひっくり返す、いわば天才。
あの少年は、そういった東の御門の名代なわけだ。半端であるわけがない。
…東州に、人材は豊富らしい。
輿が行き過ぎていく。見送り、清心はしばし考える。
この調子では、しばらく州府に向かわない方がいい。
思うが、蛇腹の怪異の件がある。
(出向くべきは、今日か、明日か)
「捜したぞ、清心」
背後からの呼びかけは突然だ。振り向けば。
「鉄心。きみが市場にいるとは珍しいな」
兄弟弟子が、馴染みの皺を眉間に刻んで立っていた。
彼は今、不吉な言葉を口にしなかっただろうか。
「…それに、何と言ったかね」
「捜したと言ったのだ」
舌打ち。忌々しげ。腕を組む。
「十蔵を見かけたのでな、もしやと思えば…」
錫杖を抱え込み、思わず両手を上げる清心。
「悪いが、見逃せ、鉄心。今の私に、他の斎門からの嫌がらせに割く時間は」
「逃げるな、こら。俺が捜していたからと言って真っ先にそこへつなげるな」
固い声で鉄心は続けた。
「御門さまから伝言だ。お前に、名代を務めよと。即刻、州府へ参上しろ」
―――――西の御門。相良一心。
彼の無理難題に、今までどれだけ清心は振り回されてきたことか。
それでも今回は図抜けている。事は、公の場に関わっているからだ。
内密にすむ話ならともかく。
御門の名代? 醜い傷跡を顔に残す、隻眼の男を?
豪族や官吏は絶対、首を縦に振らない。
「何か問題あるか」
そうだな、難点がいくつあれば問題になる?
「…東の御門がおられないのだ。せめて、西の御門は出席しなくてはなるまい?」
苦し紛れに、清心。正論。鉄心は無言で首肯。
それでも。
「―――――霊山が不安定なのだ」
霊山。即ち、神を封じた門。
そこが不安定、となれば。
安定のために力を注ぐ御門は霊山から出られない。いや。
一応、斎門の頭である御門には、蛇腹の怪異の動向を報告している。
それにかこつけ、清心を名代に名指しし、御門はサボる腹積もりか。
…ありうる。
堂々と州府に出入りできる言い訳はできたが、有難迷惑。
重なる、ため息。
達観した表情で、清心。
「また古株の斎門から恨まれる」
名代に相応しいお歴々なら、名を連ねていくだけでお腹いっぱい状態だ。
その状況下、人間関係をこじらせそうな清心を名指しとは、逆に彼の危機を呼びこんでいるようにも感じる。
すげなく、鉄心。
「仕方ない。日頃のお前の態度が問題なのだ」
「鸚鵡のように唱えればよいかね。神を、法を、信じます、と」
ただ言えばいいだけだ。問題は、清心が、基本、嘘が下手と言うこと。
しかも嫌いとなれば、言葉を重ねれば重ねるだけ、これは嘘だと声高に叫ぶようなもの。
鉄心の顔に、針のように苛立ちが走った。次いで、一喝。
「神を、法を信じず、何を持って斎門と言うか!」
どこまでいっても真っ直ぐな兄弟弟子。一見、強い。だが。
(横から押せば、簡単に折れる)
だからと言って、折る気はない。本音を言えば、このままでいてほしい。なにせ爽快。
しかし譲れないものもある。何とはなしに、頬の傷痕に触れた。
清心は口を開く。
「信じるとは何かな?」
誠実な相手には誠実に返したい。
たとえ、伝わらなくとも。
かわすつもりもなく返せば、質問に質問で返すなと怒られる。
「誤魔化すな。聞けば、有髪のみならず、食の戒律も守っておらんようだな」
ぬっと伸びた指が、最近伸びすぎた前髪を摘まんだ。軽く引っ張る。
指をすげなく追い払い、清心はわずかに首を捻った。
「誤魔化しではない。私はいつも感じるのだ。信仰の土台は疑念だとな」
「また戯言を…」
追い払う清心の手を追い払い、苦々しげに言いさす鉄心。
直後、疑念に満ちた目で清心を映した。
言葉と言う鎧の奥に、形にならない何かを垣間見たと言った風情。
この、尋常ではない勘の良さがなければ。
…もっと楽に生きられるはずなのだ、鉄心という男は。
「何が言いたい?」
説明しろ。促す態度は高慢。
だが、聞く気を見せるあたり、人がいい。
「凍える大気の中で、氷ができることを信じる、と言う者はいないだろう?」
知っているか。知らないか。世にあるのは、それだけだ。
信じる、信じないは二の次。知らないから、信じる、という言葉が必要になる。
鉄心はすこし考える。顎を一撫で。
次いで、眉間に深い皺。
咎めるように、同僚の名を呼ぶ。
「清心」
正常すぎて、異端の思考だ。
この場限りの話にしろと、清心の言葉を払いのけるように腕を振る。
清心は鼻を鳴らした。
「私は言わないぞ。神を知るまでは。信じるなど」
「知っていれば言う必要はない、と今貴様は言ったぞ」
「戒律を守れば神を知れるか? 私は試した。だが、知れなかった。ゆえに決めた。先人の教えに従ってもだめなら、私なりのやり方で模索すると」
鉄心は黙りこむ。不貞腐れた表情で。
知っていたからだ。
かつて清心が、正確に戒律を守っていたことを。行き過ぎるほど完璧に。
言いかえれば、やり過ぎた。
そう、清心は試した。その完全さに、文句をつけられる者は一人もいない。
それでだめだったと清心が思ったのなら、誰も何も言えないほどに。
だが理由は、それだけではない。きっかけがあった。
一時、清心は職人に扮したときがある。諜報活動の一環だ。刀工の仕事に携わった。そのとき、知った。
清心はかつて、コレだったのだ。
清心は忘れている。身体は覚えていた。
たとえいっさいを忘れても、覚えているモノがあるのだとはじめて知った。
本物とは、そういうものではないのか。
では、信仰は? 記憶がなくなれば、消えてしまう。…呆気なく。
ニセモノとは言わないまでも、そんなものは、違ったのだ、清心が求めるものとは。
ならば、記憶もそうだ。そこにあるはずの、家族、友人、過去のすべて。
いとも容易く指の間からこぼれ落ちた。
刀工の仕事は身体に沁みついているが、この身体とて、死ねばなくなってしまう。
いずれ消える。
―――――死んでも残るものが本物。
心のどこかから、声が響き返った。
その日、清心は狂おしいほど打ちこんだ経典を捨てた。
記憶がなかったからこその、結果だった。清心にとっては。
以降、閉じこもっていた僧院から出て、市場に関わるようになった。
他の斎門は清心を軽蔑したが、どうでもよかった。求めるものが、違ったのだ。
それでも斎門でいるのは、たとえ求めるものが違っても、道はここにある気がしたからだ。
「分かった、黙れ」
清心との会話を強引に断ち切り、州府を遠くに眺めやる鉄心。
「ひとまず、観念しろ、先ほど従僕を州府に向かわせた。迎えが来るぞ」
迎えが来るぞ? 連行するぞ、の言い間違いか? 語調が不穏だ。
東州の貴人を乗せた輿が遠くなっていく。
同じ方向から、人ごみの中、流れに逆らいながら危なげなくすいすい近付いてくる人影がある。
少年。細工物めいた、繊細な容貌。
それでいて、中身が空っぽのような無表情。
うつくしいが、ガラスのような目玉。
水無瀬家の、妾腹の子、志貴。
あれが、戦いとなると粗野な野獣そのものになるとだれが信じるだろう。
「…お迎え、だな」
優美だが血のにおいをまとう少年の姿に、清心は気を引き締める。
―――――向う先は華やかな席であっても、戦場。
油断すれば食われる。
言い聞かせ、清心は志貴へと一歩踏み出した。
はじめまして、こんにちは。
鉄心さまの従僕です。
東州ではあまりないようですが、西州では斎門の従僕は、必須です。
怪異の発生率が高いので、生存率を上げる対策としても、御山からつけるよう命じられるわけですね。
修行中の下っ端斎門はともかく、能力の高い斎門は、必ず連れています。
上﨟が連れる黒羽から引き抜かれる者も多いのですよ。
そういった専門の家系も存在しますが、なにしろ危険が高い。
もちろん、一番危険な場所に立つのは、斎門そのひとですが。
中でも清心さまは、…特殊ですね。
向けられる好意と敵意がここまで極端な方も珍しい。
ほら、今も。
市場に立っているだけ、なんですが。
今にも襲いかかって殺せる、そんな位置取りをしている者がいるわけですよ。
遊郭の元締めの雇われですかね、雰囲気が、どうもそういう…。
ただ、今、清心さまのそばには鉄心さまがいますし、それに。
あ。
…あの刀術士の少年、容赦ないですよね。
水瀬家の方でしたか。
付いていて下されば安心です。
十蔵もいるにはいますが、ちょっと、その、彼は融通が利きませんしね…。
あの水瀬家の少年もそうですが、でもちゃんと、人類の範囲内の容赦なさです。
あれなら安心…いえ、ちょっと、毒されていますね。
とにかく、お迎えが来たようです。
さぁ、どうか今日も無事に、過ごせますように。




