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封神草紙  作者: 野中
第三部/第二章
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第一撃 翁

梵鐘の音が流れる、青空の下。

満面に笑みを浮かべ、籠をさげた娘たちが、大空へ、目いっぱいに花を投げる。


人々の歓声。笛の音。太鼓の音。弦楽器。翻る、とりどりの布。

港から州府を貫く中央通り一帯で、かつてないほどのお祭り騒ぎだ。


度を越した混雑に、戻る機を間違った、と内心辟易する清心。


清心はこの朝方、州府を留守にしていた。西州の州府外れに用事があったのだ。

蛇腹の怪異は、派手な注目を浴びる場所に現れる。

しかも、一度現れたところには出てこないとなれば、しばらくは現れないと見越しての行動だ。


まさか戻ってくるその時間に、



「東州王が西州入りなさるとは…」



しかもまさに今、東州王は州府へ移動中だ。

東州から引きつれてきた人員は、少数精鋭のはず。

目の前を通り過ぎていく行列は、西州が用意した踊り子や護衛だろう。


手配したのは、英隼人。のちのち、語り草になりそうなきらびやかさ。


こうまで派手に仕立て上げたのは、理由がある。





はっきり言おう。

西州の誰も、次期西州王に期待などない。祝ってもいない。


甘い汁を吸える連中だけが、利権絡みで乾杯しているだけだ。





西州王の話題は、民の目を不穏にさせる。彼等は不満だらけだ。


たとえ、即位式を祝おう、と言ったところで。

雰囲気が陰るのは自明の理。盛り上がるのは、危険だけ。

そんな光景を諸侯に見せるわけにはいかない。

くすぶっている火種を完全に鎮火することは不可能。


ならば、明るい祭りに変えて、上層部だけが動くのではなく、下々まで働き、金が回るように手配する。


不満から目を逸らすためと言えば、聴こえは悪いかもしれない。

なにより、王の儀や即位式など、本来は厳粛に執り行うのが通例だ。

眉を潜める年寄り連中も多い。



だが確実に、流れはできていた。民の雰囲気が明るい。大切なのは、そこだ。



けば立ち、ちょこちょこ藁の飛び出た笠の縁を掴み、清心は人ごみの中、ふらり、身を流す。

賑わいの中、錫杖がたてる鉄環の音も、今日はさほど耳につかない。

時刻がぶつかってしまったのは仕方がない。

見物がてら、見回りだ。


幸か不幸か、清心は上背だけはあるのだ。場を見渡すことは簡単だった。


東州王夫妻が乗っているとみられる輿は、まだ遠い。

雰囲気の明るさのせいだろう。怪異の原因となりそうなものは、いつもより少ない。


それでも皆無とは行かなかった。黒い靄のようなものをそこで潰し、生臭さの蟠りをこちらで散らす。


慣れた視点。行動。特に異常はない。今のところ。市場には。

働きながら頭の隅を過ぎるのは、今朝方聞いた言葉だ。




(ヒガリの乱れを望んでいる者は多い、か)




清心が出向いた州府のはずれでは、かつて有名な怪異が横行していた。

荒野の中心。そこに、優美な女が住むと言う。

彼女の美しさたるや、天上のもの。


多くの者が惑わされ、狂い、最後には魂を抜かれ、死にいたる。


だが数年前、ぴたりと噂はやんだ。討伐の依頼を受けた清心の来訪と同時に。

事実は少し違う。




怪異はまだ、そこにあった。




州府外れで、清心は今朝、噂のあった荒野の中心に立っていた。

荒野には、ところどころ、巨大な岩石が転がり、視界を塞いでいる。その合間。




思わぬほどの大木が天を衝き、立っていた。




枯れ枝が幾重にも広がり、巨大な傘のように頭上を覆っている。

枯れ枝と言ったが、よく見れば、枯れてはいない。

一見、そのように見えるだけだ。


証拠に。


その先端のいくつかに、大きな実が生っている。ただし。






女の頭部に酷似した実だ。


それぞれに、常軌を逸した美貌。

頭を下にして、目を閉じ、口を閉じ、ただぶら下がっている―――――異様な光景だ。


怪異はこう呼ばれていた。



逆さ女。






清心は錫杖で大地を衝く。

しゃん、環が鳴った。


実のいくつかが目を開ける。構わず、清心は呼びかけた。


おきな


―――――ウォン…。

大気が、震える。刹那、大木の野太い幹の上。

老爺の顔が、ぼこり、浮き出る。

陽ざしの中、顔の輪郭が恨めしそうな影を落とした。



『…まどろみがぶち壊しだ。無粋ものが』



開口一番、叱責。構わず、清心。

「お久しぶりです」

折り目正しく礼をした。


『ふん。清心か。しばらく見ぬ間におとなになったの。顔から幼さが抜けおった。月日の流れははやいのぉ』

懐かしんでいるような台詞。だが、口調には棘。

じろり、視線が動いた。上へ。



『礼儀を守るなら、そこの小僧を退けよ』



顔を上げる清心。枝の上に、十歳前後の少年が腰掛けている。

ぷらぷら、両足を遊ばせて。

退屈そうに、大木の顔を見下ろした。

「お許しを。十蔵の本質は自由なので」


ぬけぬけ言った清心に、老爺は忌々しげに唸る。

『それはお主の従僕じゃろう。本体が、余所にあるとはいえ』

「子供をじゃれつかせながら器用に遊ばせるのが老人の器量と言うものでしょう」


『無礼さまで成長しおって。根は変わらんようだ』

ふん、鼻を鳴らした老爺に、清心は一瞬寂しげな顔になった。



「どうでしょう? 私はこうなのでしょうかね…昔から」



首を傾げた時には、普段通りの清心で、

「翁もお変わりないようで、安心しました。民人には御配慮頂いているようで」


大昔から、大木はこの地にあった。

あとから住みついたのは人間たち。



いわば、老爺は先住民というわけだ。



人間たちが、怪異、怪異、と騒ぎだすのは時間の問題だったが、老爺に悪意があったわけではない。








彼は樹木だ。


樹木は、天へ伸び、枝を茂らせ、花を咲かせ、実をつける。それが自然の理。それが仕事。

たとえ近くに人間がやってきて、勝手にその花や実をもぎ取って行ったとしても、自然の内。

文句を言うでもない。止めるでもない。


残念ながら、そのすべてが人間と共存できなかった。普通でなかった。人間の心を狂わせた。


よって、悪と断定された。それだけの話だ。








民の依頼によって清心がこの地にはじめて立った時も、同じ態度で言ったものだ。



―――――ようやっと来たか。邪魔なら焼き払え。抵抗なぞしようもない。



あまりの潔さに面食らった清心は思った。

これは、他の怪異とわけが違う。


言葉が通じ、話し合える理性があるならば、祓う以外に方法があるかもしれない。

清心は交渉を試みた。


斎門としての長い生活の中でも、それははじめてのことだった。


繰り返して言えば、老爺に悪意はなかった。



彼は、ただ在ったのだ。起こることは、起こるに任せて。



―――――翁、では、せめて御配慮頂けないでしょうか。


―――――配慮とな。


―――――人間が近づかぬよう、手配することは、さして難しくないでしょう?


―――――面倒じゃのぅ。お主、足元を這う蟻をいちいち気にしておれるか?




配慮が必要だ。

相当に、繊細な、配慮が。清心は頭を下げた。




―――――お願いします。できると言うなら、やって頂きたい。危険だからと言って、そのすべてを問答無用で消滅させたくはありません。


老爺は沈黙した。

どうやら、できるらしい。

人間との遭遇を回避できるなら、この翁を、わざわざ消し去る必要はないと清心は思う。


既にこの世にある以上、世界はその存在を許しているのだ。

それを、個の一存で消し去る?






そいつは、何様だ。





老爺と、人間。

どちらが悪いと言う話ではないのだから。


―――――おかしな子じゃの。

老爺は呟く。




―――――危険なら、焼き払い、消滅させた方が、完璧で、安全じゃろう。




『完璧』


『安全』

たしかに人は、その言葉を口にする。崇拝するように。不思議だ。



清心は、それに魅力を感じたことはない。死に体と感じる。だいたい、そんなものは。





存在しない。この世では。





『前口上はいらぬ。用件を言え』

うるさそうに、目の前に現れた現在の老爺が言う。

本気で煩わしげだ。清心の存在が。



元来、おしゃべりが好きな存在でない。好むのは、しずけさ。孤独。



もとより、老爺が好む静寂を乱す気はない。

ただ、聞きたいことがあったのだ。


「では、お尋ねしたい」


人間の都合で怪異と呼ばれるこの老爺は、長寿だ。

長生き故、知識も豊富。





「確か翁は、紡ぎ人に会ったことがあると仰っていたと記憶しますが」





先日出会った紡ぎ人を思い出す。陰鬱な青年。


静也。


いつだったか。老爺は紡ぎ人について語っていたことがある。

『いかにも。この根元で死んだ。呪いを吐きながらのぅ。今から数えれば…三年ほど前だったか』

思いだしたから、清心はここへ来た。


翁は迷惑げ。

紡ぎ人の呪詛など、確かに間近で聞きたいものではない。


知り合いがいた、という話ではなかったようだ。




「ではあまり、彼等について詳しく御存じではないのでしょうか?」


『また、何に巻き込まれた』


口にした嫌なものを吐きだすような反応―――――どうやらあまり、口にしたくない話題といった態度。

『あれらについて知って得をすることはないぞ』











神は夢路の奥に住まう。


ゆえに、古き人々は、その場所を夢蔵と称した。

夢蔵へ至る道を、蔵代と言う。

蔵代は、現実と夢蔵の接点だ。此の世と彼の世の境、泡沫の場所。

ヒガリ国では祠を建て、梵鐘を吊り下げ、それ以上広がってくれるなと楔を打ち込む。

紡ぎ人とは、夢蔵の力を引き出し、現に形成さしめ、紡ぐ力を持つ者たち。


即ち、神の力の使い手である。


ところが、人々は夢蔵を畏れ、神を畏れ、禁忌と遠ざける。

よって、その力を操る術を持つ人間は、得体が知れない。

このため、紡ぎ人は常に迫害され、山野に息を潜めてきた。ゆえに。


ないのだ。情報が。


調べようにも、魚の住んでいない海に釣り糸を垂らすようなもの。











かつての会話を思い出し、老爺に会いに来たが、さほど期待はしていない。

「対峙することになりそうなので、少しでも情報を知れたらと」

先日、体感した、技。



法力ではない。


神通力でもない。


もっと違うことわりが働いている。



その根源を知ることがかなえば、一番いいのだが。

『…なんと。お主が対峙するとなれば、紡ぎ人が浮世に関わったということか』

呆気に取られた口調。信じられないと言いたげ。

実際に相対した清心も未だ信じ難いのだから、仕方ない。

『あり得ん、…が。ふむぅ』


一人だから、なんとかいなせたのだ。

集団でかかってこられては、打つ手がない。


なくても考えなければならないが。


『ならば、直接尋ねよ』

ざわり。

大木の枝が動く。

見上げる清心。枝に腰掛けていた十蔵がひょいと立ち上がった。

別の枝に手をかけ、ぶら下がる。



道を開くように動いた枝の合間、現れたのは。



熟しすぎたか、しなびた果実。

表面が、木の幹のようにひび割れている。

それが、突如、ぐるりと反転。



―――――苦悶の表情を浮かべた男の顔が現れる。



「これは…」


『根元で死んだと言ったろ』

こともなげに、老爺。ぶつくさと枝を振る。


ぶらり、男の顔が揺れた。



『勝手に養分となって、実となった。狂ってはいるだろうが、意識はあろう。試しに何か、尋ねてみよ』



構わないにもほどがある。とはいえ。

確かに、いい機会だ。


逆さの顔には、目がある。耳がある。口がある。

会話はできるはず。


狂っては、いるのだろうが。



死んだのは三年前。と言うことは。



「静也と言う名に、聞き覚えは?」

白眼を向いていた男の顔が、突如、ぶるりと震えた。


『静也ぁ?』


ぐるり、ぐるり、現れた眼球が回る。どうしても焦点が合わない。




『くく、かかかかか、愚かな小僧。はぐれとなった愚か者。あれはもう、集落には戻れんよ。妹はもっと愚かだったが』




尋ねながらも、答えは待たず、言葉を紡ぐ。


『紡ぎ人は殺される。はぐれとなったところで、この国、ヒガリ国に殺される。どうしようもない、ならばいっそ、もろともに滅ぼうぞ?』


遊びに誘うように男は言った。唾液を振りこぼし、歪んだ笑いを浮かべ。

「はぐれ」

清心の呟きに、ウンザリと実を奥へ押しやりながら、老爺。


『異能ゆえに、紡ぎ人の団結力は強い。世俗に関わるを良しとしない。しかし稀に、右へ倣えができん異端もおる』



「私のように?」



ならば、ひとり―――――静也は単独行動だ。

それが分かっただけでも、僥倖だ。

少なくとも、紡ぎ人が群れとなってヒガリ国内で反逆した、と言う話ではなさそうだ。


静也の事情までは、他者が察することはできない。

直接訊く他なかった。

ただし、この老爺のように会話が成り立つと言う期待はしない方がいい。

静也側では、対話の扉は開いてなさそうだ。


『異分子ならば異分子の考えも分かろう』


突き放すように、老爺。

『紡ぎ人でも、はぐれとなったなら、話は別じゃな。ヒガリの乱れを望むものは多い…紡ぎ人の力を利用しようとする者もまた』

勢いをつけた十蔵が、ひょいと枝から飛び降りる。子供を見遣り、


『もっと紡ぎ人について詳しく知りたいなら、そこの』


老爺は、一言。




『小僧の本体に聞け。アレこそ、紡ぎ人の祖』




目の前の問題の解決を求めてやって来た者に、老爺は巨大な爆薬を投じてきた。

清心は、利口な対応を選ぶ。

―――――何も、聞かなかった。



土産にと持って行った果物を置き、清心は丁重に頭を下げた。






「感謝します」







ぱかり。

朝陽の差し込む室内で、彼は目を開けた。

鼻を鳴らす。

おしゃべりな樹木もあったものだ。

思うなり、足元が微かに鳴動。

座した畳を見下ろす。

前西州王の在位は、十二年。

よく、保った方だろう。


果実は熟している。


腐る前に、正しい者の手に、きちんと渡るだろうか。

「お呼びでしょうか」

御簾の外から、声がかかった。

彼は立ち上がる。

「鉄心を呼べ」

即座に、恭しい声が応じた。





「はい、御門さま」


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