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封神草紙  作者: 野中
第一部/第一章
7/87

第六撃 此の世と彼の世の境

× × ×

















神は夢路の奥に住まう。




ゆえに、古き人々は、その場所を夢蔵と称した。

夢蔵へ至る道を、蔵代と言う。


蔵代は、現実と夢蔵の接点だ。此の世と彼の世の境、泡沫の場所。


ヒガリ国では祠を建て、梵鐘を吊り下げ、それ以上広がってくれるなと楔を打ち込む。

ただし、この北境辺土では。




『梵鐘が見えないね。音もしない。北境辺土には、蔵代がないんだ?』




夕飯時、月子が訊いてきたのを思い出した。僕は月光も差さない森の奥で、顔を上げる。


あるにはあるよ、月子。


視線の先で、何を孕んだか、大樹の洞が今にもはじけそうなほど膨れてた。

そこに、糸巻きの糸みたいに幾重にも蔦が絡み、巻き包んでる。






森の奥、聖堂みたいな荘厳ささえ漂わせた、巨大な緑の繭。


やさしい揺り篭めいた、この緑の繭が、北境辺土の蔵代だ。

ガシャグの洞って呼び名は、僕も今日知ったばかりだ。






以前聞いた時は、この先に、クワラ、即ち夢蔵がある、としか言われなかったから。


母に抱かれた赤子みたいに森に抱かれ、繭はしずかに安定してた。

当たり前の、自然の一部に過ぎない顔で。


実際、一部に過ぎないんだ。


僕は一度ならず考えた。

北境辺土とヒガリ国、蔵代の状態がここまで表情を変えるのはなぜだ?

北境辺土の蔵代は大樹と同化し化石となる。

ヒガリ国の蔵代は常に息づき不穏を撒き散らす。




鍵になるのは、人間の生活だ。おそらく。


ヒガリ国は、蔵代に人間が近すぎる。




僕は足を止めた。

外へ出てきたのは、ほんのちょっと前だ。

隣に眠る月子と、泊まってた蘇芳と北斗を起こさないように、慌てて羽毛服を引っ掛けてきた。


一人にならなきゃいけなかった。目が覚めてしまったから。






夜中に目が覚めるのは、僕にとって激痛の前兆だ。






持病、とも言えるだろう。


それは、体内を業風みたいに吹き巡る。手がつけられず、治療法もない。

こんなこと、できれば人には知られたくなかった。

…痛みの、正体を思えば。


僕が、身体の底まで汚れきってるってことだから。


ついさっきまで走れたが、そろそろ限界だ。

思うなり、逆さに吊るされ、血を吐かされるみたいな痛苦が全身を支配する。

足から力が抜けた。崩れ落ちる格好で、僕は木の根に座り込む。

冷や汗が止まらない。

銃剣を抱え込んで、丸くなる。

荒い息を吐いた。

寒い中、白い息が頬を撫でる微かな触感も、

「痛…」


気を抜くと、のた打ち回りそうだ。

咄嗟に腕に万力を込め、己を拘束。

声を堪えた。息を止める。

歩くどころか、身動ぎもできない。石みたいに硬直して、満身の激痛をやり過ごす。

鼓動にあわせて脈動する痛みが、身体を絞り上げる。骨が軋む。




明かりがあれば、僕の肌に、赤い痣が見えたろう。


蔦みたいに全身に絡んで、各所で大輪の花を咲かす、…赤い痣。




身体の中まで見たことないけど、内臓もそうなってるかもしれない。

赤い――――ぬめるみたいな血色。

これが、かつて夢蔵へ踏み入って以後、七年間。






僕を、苛む呪い。






赤闇の呪いって呼ばれて、忌まれるものだ。


赤闇ってのは、にじみ出た夢蔵の空気と現世の空気が入り混じり、猛毒と化したもの。


触れた結果が、今の僕だ。






神とはなんだと問われ、明確な答えを持つものはいない。

とりあえず、生と死をつかさどる者であることは間違いない。


夢蔵の神は、その両手の武器で、気に入らない僕を弄んでるんだろう。






蘇芳は、僕には、死の気配があるという。


赤闇の呪いを僕に与えた神は、いい加減、僕を嬲るのに飽きたのかもしれない。

予測はしてた。

波が来るたび、確実に根深い痛みになって…症状が進行してる。

大きな剣山で僕の身体を左右から挟み、ゆっくり噛み合わされてくみたいな。



耐えられなくなったら、死ぬんだろう。



ガズには、偶然知られた。

口止めしたから、他の誰も知らない。

いや。僕は、頬を緩めた。あと一人いる。懐かしい面影が、脳裏を掠めた。


東州の、友人。知られたから、心配させてしまった。


別れるとき、もう、会うことはないから、心配で胃を痛めることはないって言ったら、殴られた。いいヤツだ。

はた、と我に返る。頭を振った。


切り捨ててきた相手を思うなんて、それだけで相手を怒らせそうだ。


僕は、体内の空気全部入れ替えるみたいに息ついた。

拳を握る。体調を確認。

痛みはまだ体奥に居座ってるけど、頂点は過ぎてる。

よし。

立ち上がる。振り向いた。






「…お待たせしました」






銃剣を肩に担いで、声をかける。

五つ数えた後、シュロス樹の後ろからひとつ、人影が現れた。

闇に慣れた目でも、影としか認識できない。北境辺土の闇は濃い。

「キミ、月子を追ってきた刺客の一人、ですよね?」


家を離れた僕を追ってくる気配には、気付いてた。

八割、撒こうと思ったが、途中で気が変わった。月子たちは何も話さない。

なら、この敵から聞き出してやれ。

僕は敵に呼びかけたのは、気紛れ程度の軽い思惑。なのに。




妙だな。




僕はしかめっ面になった。

通常、刺客ってのは、斥候・密偵役の黒羽や斎門が受け持つ仕事だ。

ところが現れた人影は、そのどちらの気配もない。

むしろ、かつて僕に身近だった、清廉な雰囲気がある。

蘇芳は、跡目争いは起きてない、と言った。

起きる以前の問題だ、とでも言いたげだった。なら。


何が起こったなら、こんな相手に追われる羽目になる?






「…貴様、何者だ?」






僕の耳朶を打ったのは、禁欲的で一徹な声。











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