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封神草紙  作者: 野中
第三部/第一章
69/87

第四撃 怪異を受けた娘

冴香が見上げていた。紙のような顔色。


こめかみを押さえた手に、清心は確信を持つ。



「頭痛が、ひどいのですか」



こめかみから手を離す冴香。

はじめて気付いた風情。ほとんど、無自覚の癖に違いない。


一瞬、不機嫌な顔。


すぐいつもの無表情に戻り、




「情報が、届いております。炎の獅子の騒動、一晩中対応に追われた挙句、鞭打ちを受けられたとか」




あ、と部署内のものが揃って声を上げた。

この場にいる誰もが知っている。

それを。




吉良司、次期西州王は、知らなかった。おそらくは、騒動自体。


愚鈍極まる。




成り行きすべてに、柳眉を潜める冴香。

「その足で、叔父の元へ来られたのですか。徹夜のはずです。しかも、一番の功労者にも関わらず、公衆の面前で鞭打ちの辱めなど…遊郭の元締めに抗議を」

寸前のことなどまるでなかったように、頭が切り替わっている。


一旦、片手を上げる清心。

冴香の鼻先に。

「いえ、これ以上は引きずらない方がよいでしょう」


「州民は納得しません」



「豪族はどうです?」



冴香はふっと色のない唇を閉じた。

清心を睨むように黙りこむ。


州民はともかく、豪族の中には、清心を快く思わない者が多い。



今朝の鞭打ちは、彼らの不満を少し、解消するはず。



「私よりも冴香さま、今はあなたです」

話を元に戻す清心。

冴香がわずかに上目遣いになる。


叱られることを察した冴香の、幼い頃からの癖。


「安い挑発は、お止しなさい。格を下げます。あなたも傷つく」


あのような相手には逆効果だ。




清心が間に合わなければ、冴香は殴られていた。




考えただけで、血の気が引く。冴香は無表情。


傷、と冷徹な声で呟いた。








「豚の行動に何を思えと?」









真顔の返事。本気で不審げ。


清心は理解。

本当に、なんともないのだ。




冴香にとって、兄の価値がこれか。逆に司が気の毒にもなる。




ただまあ、見ていて心地良い光景ではない。

むしろ、おぞましい。それに危険だ。

説教の必要性を感じる。

が、どう説明すればいいのか分からない。だから、





「ならば、私がしたと考えてみてください」





たとえに自分を出した。


ただ、清心は不犯を戒律に持つ斎門。この手のたとえ話には向かない。


迂闊さに、言った直後に気付く清心。刹那。




冴香が、ぱっと胸を押さえた。驚いた態度で。


隠すように。




その行動に、驚く清心。

目が合う。


そのまま、彼女は顔を背けてしまった。気のせいか、耳が赤い。


豚と思われていないのは結構だ。

だが、アレと同じ行動を取るほど品性が下劣と思われるのも甚だ遺憾である。


とはいえ、言ったのは、自分。




冴香は何を想像した? …すぐ、聞かないことに決めた。清心の心のためにもきっといい。




「お分かり頂けましたか」

冴香の思考が読めないなりに念を押す。



とたん、涙目で睨まれた。なぜだ。



これは、怒らせたか。

やはり、対話は、警戒心の強い猫相手以上に難しそうだ。

半ばあきらめる清心。


それでも、口調を変えて、試みる。




「お忙しいところ、申し訳ありません。少し、お時間を頂けますか」




この状況では話も断りづらいはずだ。


後回しにすれば多忙を理由に会うことすら避けられるのは自明の理。

清心は冴香のひっつめ髪を見下ろす。そう言えば。


こうも近くで対話をするのも久方ぶりだ。


冴香は目を伏せた。返事もしない。

清心の長身に、圧迫を覚えるのだろうか。

すこし考えた。次いで。


「…っ」





床に跪き、見上げれば、いっぱいに見開いた冴香の目に、ようやく清心が映った。





怯むように、顎を引く冴香。

押し殺した声で、

「叔父から、お聞きになられたのですか」


愚問だ。


なんにしろ、態度で分かった。冴香の身に、何かが起こっている。


それを、冴香は清心に知られたくない。聞かなかったふりで、清心は言葉を重ねた。


「…問題が、起こっているとするなら」

視線を動かす清心。

着物に隠れている冴香の足を見遣る。




「膝下でしょう」




実際に触れてみないことには、正確なところは分からない。

みたところ、違和感は覚えないが。

「痺れは? あざが出たり、歩きにくいといったことは」


「そう言えば兄貴、最近躓きやすいですよね」


答えは意外なところから返った。

告げ口と言うより、ふと思いついたと言った口調。


清心が言葉を挟む前に、冴香が霜の降りた声を紡ぐ。





「仕事を増やしてほしいなら、直接主張しろ」





女性としては低く、男前の声だ。

凍傷になりそうな空気が、室内に満ちた。


これは、人の目と耳があるところで、いきなり話を始めた清心も悪い。







昔、冴香が怪異に取り憑かれたことは、有名な話だ。

西州王の血を引くものが怪異に負けるなどとんでもないと、ひそかに彼女は処分されかけた。


他でもない、実の祖父、当時の宰相の手によって。


その頃、既に冴香の母は亡くなっており、彼女を助けられたのは、叔父の隼人しかいなかった。

すべては、秘密裏に行われようとした。

当時の隼人に、父親・宰相の命令と権力を真っ向から受けて立つ力はまだなく、彼は、窮鼠猫を噛む戦法に出た。


隼人は、事態を盛大に喧伝したのだ。


冴香が怪異に憑かれたと。


姪の命を救うためとはいえ、それは諸刃の刃だった。

下手をすれば、英家が没落する危険があった。



また、怪異を受けた娘、と言う負い目を冴香が生涯背負うことになる。








それでも隼人は、打って出た。








―――――わたしなんか生まれなければよかったの!


弱さを嘆く冴香の声の悲痛を、今でも清心は覚えている。




―――――助けてくれ。




幾人もの斎門の命を呑みこんだその怪異を前に、途方に暮れた隼人の声も。


…一度、怪異の影響を受けた肉体は、その後も他の怪異に同調しやすくなってしまう。ただ。


祓いが完全なら、それはない。つまり。



今の冴香の状態は、かつて冴香の怪異を祓った清心の技の未熟が起こしている。



(情けない話だ)

怪異は、目に見える肉体だけに及ぶものではない。

根にあるのは、心の問題。



その浄化に至ってこそ、本物だ。



清心は、心の中で項垂れた。

頭上で、冴香の忌々しげな声。



「…だから、言うなと言ったのに…っ」



いかん。

気を引き締める清心。


基本的に、冴香はやさしい。聡い。


清心の落ち込みを察したに違いない。今は、落ち込んでいる時か。違う。なんとか、しなければ。


そのためにも、状況を知る必要がある。




「冴香さま。清心の無力をお許し頂けるなら、もう一度機会を頂けませんか」




冴香を見上げた。彼女は、口を引き結ぶ。


聞かぬと跳ね除ける気配はない。

「祓いを行います。患部に触れても?」


とたん、異国の言葉を聞いたように冴香の顔がしかめられた。



は? と声に出す。次いで、



「かんぶ?」

意味を考えるような呟き。直後、





「ここでですかっ!? 今っっ!?」





いきなりだ。冴香の声がひっくり返った。


ぎょっとなる。


刹那、冴香が清心から距離を取った。ぴょんと跳ねて。



らしからぬ、童めいた動き。



たちまち、よろめいた。慌てて立ち上がる清心。

手を伸ばす。

支えようと。それを、



「…っ」



冴香が、跳ね除けた。

目を丸くする冴香。

何が起きたか分からないと言った態度。


彼女自身が、一番、驚いたと言いたげ。


すぐさま、冷徹な声で告げる。彼女の動揺は、一瞬で消えた。



代わりに向けられたのは、―――――敵でも見るような目。



「夜。英の屋敷へ。…お越し頂けますか」

この態度、嫌われていないわけがない。


「分かりました」


清心は手を引いた。

目の前で、彼の手を振り払った手を、握り込む冴香。


それを、怖々と自身の胸に引き寄せ、




「…熱が、出て、いらっしゃる」




不機嫌そうだ。休め、家には来るな。

そういうことだろうか? だが。


数日後、彼女は大きな役目をこなさなければならない。

そのためにも、なるたけ体調は整えておく必要があった。




気遣われているのか。


突き放されているのか。




きっと彼女は選べない。優しいから。中途半端になる。だったら好都合。



つけ込むまでだ。



「思いだして下さい。あなたのお役目を」

理由くらい、いくらでも思いつく。


こう言えば、冴香は拒み切れない。真面目さゆえに。


踵を返す清心。






「では、夜に」








吉良冴香。

はなぶさの媛、と呼ばれることもある。

けど、お姫様らしい可愛い感情は、とっくにわたしの中から消えている。

お人形遊びが好きだった頃もある。

花が好きで、一日中眺めていても飽きなかった頃も。

でもそれじゃあ、壊れるだけだった。

生き残るには。

実際、おじい様に見捨てられたと知ったあのときに、わたしは一度、壊れたのだ。

今のわたしは、粉々になったそのわたしをつぎはぎしたシロモノ。

まだ、危うい。

中心に据えた熱がなければ、簡単に、また、粉々になってしまう。

ぼろぼろになって、もう元に戻らない。今度こそ。

今の吉良冴香は、必死で、つくりあげたもの。


腹の底に燃える、ほの暗いひかり。

火傷しそうな熱。

時に、この、自身の火で、わたしは燃え尽きてしまいそうになる。

これに支えられながら。


これはおそらく、恋ではない。愛でもない。強いて言うなら、執着に近い。

神聖な神を崇める心地にも似ている。

ああ、そう、…祈り? そんな言葉に変えてもしっくりくる。

でもすべて、同じにも感じる。

この熱は、恋であり、愛であり、執着であり、祈りである。

そして時に、憎悪にも変わってしまう。


もとよりこれは、わたしの中にあったもの。

煽りたてるのは、今、目の前に立つ斎門ただひとり。


清心さま。


目的を達するためなら、この方が、ずるい方法をとるのは知っていた。

ほら、案の定、追い詰めてきた。わたしの性格を逆手に取って。

時に思う。もっと、逃げられないようにしてくれたらいいのに。

もっと。もっと。もっと。

清心さまの、やさしさと、むごさの加減が、震えるほど心地いいから。

ゆえに、簡単には触れられない。

一度、箍が外れてしまえばもう、終わりだ。


この方の手加減が、腹立たしい。いつまで経っても、子供扱いだ。

あっさり背を向けて、立ち去る彼は、きっと知らない。


今すぐにでも追いかけて、行かないでと子供のように泣き喚きたくなっている、わたしの。


気が触れそうなほどの、衝動なんて。


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