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封神草紙  作者: 野中
第三部/序章
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序章 人妖


序章






綺羅星の瞬きが今にも降り落ちそうな、満天の星空。

壮麗とも言える、夜空の下。






響くのは、絶え間ない剣戟。


足音。


切迫した息遣い。






乱れ、交錯し、絡む夜陰、木立を貫き、怒号が走る。






「此の地は御門坐します霊山なり!」






眼鏡の青年が腹の底から放った声は、場の全員をいっときその場に足止めした。

「此度の狼藉、いかなる故あってのことか!!」


齢、二十歳ほど。まとうは西州・官吏の装束。


重いものは筆しか持ったことはないと言われても不思議はないほど繊細な指には今、刀剣が掴まれている。

力の入り過ぎで血の気が失せた指。そこに細い蛇が這うように、赤い血潮が滴っている。


その場において、彼が挙げた戦果も並みでない証。


応じたのは、悲鳴のような声。

敵対する陣営の、奥から。




「御存知のはず!」


対峙するのは、ほぼ同数。



「貴方が宰相の御子息なれば!!」




声が含むのは、なぜ、という悲痛。



敵対の理由が分からない、と。



口火を切った青年が、ぎり、と奥歯を噛みしめた。悔しげな呻きが、喉奥からせり上がる。

言葉にならない激情が、唇の隙間からこぼれ落ちた。


最前線で部隊を率いるようだった彼らの背後には、巨大な木製の門。


その、下に。







佇む、小さな人影が、ひとつ。








墨染の衣。紫の袈裟。月光も届かない門の下、顔立ちは見えない。




幼子にも見える。


老人にも見える。


その人物は。




拮抗し、糊づけされたように固まった殺戮の光景の中、無防備に声をかけた。








「そうまで、目障りかのぅ、この老いぼれが」








しわがれた声。

優しくもなければ怒ってもいない。


ただ発されただけの声。


だからこそ逆に、抜き打ちのように居合わせた者たちの心を斬った。

追い打ちをかける、呟き。




「…西州王は」




直後、追い詰められた兎めいた怯えた響きが、逃げたいと懇願する勢いで訴える。

「どうか、ご自害を!」


「うつけ!!」

突き飛ばすように、眼鏡の青年が、一喝。






「西州の祭祀のいっさいを、誰が行っていると心得る!?」






「なれど!」


やけっぱちの声が応じた。

「勅命なれば!」

盲信してはいない。



だが、命令からは逃げられない。


生木を引き裂くような絶叫。








「よい、よい。幼子たち」









宥める言葉に、しかし、感情は皆無。


却って、突き放されている心地になる。


「少し、飽いた。生きることにも」

「…御門さま」



「死ぬもまた一興」



「御門さま!」

責める声が落ちた。同時に。

小柄な影の手元にささやかな光がきらめく。


迷いなく、自身の首に押しあてられたそれは。






―――――血の気が引いたのは、居合わせた、全員。直後。


めしり。






音、など。

誰の耳にも届かなかった。



だが、大気が割れたような存在感に、皆が呼ばれた風情で門とは逆側を見遣る。



今までだれ一人、注意を払っていなかった方角だ。


そこ、に。






獣くさい熱をまといつかせた巨大な影が、うっそりと立っている。


三つ、血のような光芒を放つ円状のものが、無感動に人間どもを映していた。


「あ、まさ、か」






今にも魂が消えそうな声で呟いたのは、誰だったか。

「おや」


手を止めたしわがれた声が淡白に呟いた。








「蔵虫」








ぞわり。血の気が下がる。


ここに、央州の認可を得た刀術士は不在。


万事休す。



「―――――逃げろ!!!」



最早敵味方は関係ない。


獣が牙を剥く。



生臭い息と共に、咆哮が解き放たれた。月へ。



獣の全身、筋肉が盛り上がる。来る。跳躍が。思うなり。











―――――リィン











微風に似た音が、暗闇を走った。同時に。


ちかり、地上の何かが月光を弾く。見た刹那。



弧と化したそれが、跳躍寸前の獣の首に食い込んだ。



光が凝った巨大な鎌のようだった、あとで、誰かがそう評した。

現実に這い出した悪夢のような光景の中、蔵虫の首が落ちる。


胴体から噴き上がる朱の噴水。風が止んだ。音もない。その光景の中。





影が、佇んでいた。血潮を浴びながら。片手に抜き身の刃を下げて。





その刀身のみが、おぞましい光景の中、涼やかなほど清浄。直刀。両刃。


対して、使い手は―――――ソレは猛り狂っていた。






歪み切った表情。引きつれた傷跡のように。


辺り構わず叩きつけられる覇気の正体は憤怒。

人の姿を取ってはいる。だが、正体が知れない。


男か。女か。子供か。年寄りか。


左目の上を縦に走る、生癒えの傷跡は醜悪――――だが過ぎた醜さは美に通じる。






ズン、蔵虫の巨体が地に沈む。地が揺れた。

さらなる異常を感じたのは、すぐだ。

蔵虫の血が、蒸発する。


清浄な刀の使い手が濡れる端から。


立ち尽くした足元にできる血溜まりすら、すぐさま沸騰、蒸発。



鉄くさい生臭さが一帯に満ちる。



まるで、ソレ自身が高熱を発しているようだ。

細胞のひとつひとつに至るまで、炎と言わんばかり。


誰かが、呟いた。





人妖ばけもの…っ」






「―――――では、ないよ」






恐怖に乱れ切った空気を、ふわっと水から掬いあげるように柔らかに宥めたのは。

「御門さま」

未だ、門前にある、小さな人影。

ただ、その手にはもう凶刃のひかりはない。

眼鏡の官吏が問うた。

振り向かず、鋭く。

「では、なんです」


「童…――――である、が」


不意に。




西州斎門の頂きに立つ男の語尾に、わずかな驚愕がにじんだ。




幾人が、それに気付いたか。

眼鏡の官吏が振りむいた。

思わず、と言いたげに。

「…相良さがらさま?」






相良一心さがらいっしん。それが、西の御門の名。






ヒガリ建国にさえ立ち会ったと噂される、もはや生きた伝説。

その彼が、不意に、掠れた声で尋ねた。











「あなたか?」


奇妙な声だった。













期待の悉くを裏切られ続けたような諦念と、捨てられない期待に底まで疲れ切った衰弱。

それでもなお足掻くことを止められない、――――そんな。



いかにも、人間臭い声音。



御門が紡ぐ声音としては、あまりにも。

刀を手にした相手は、答えない。だが、不意に。



闇の中、業火が消えた。



そんな、唐突な違和感に、蔵虫を一刀で屠った相手を見直す。

直後。


だれもが目を見張った。




風が立っている―――――そういった涼やかな風情で佇んでいる、一人の少年を認めて。




寸前まで、人妖のいた場所だ。

では、彼が。



歳の頃は十五。

憤怒の影は見えない。


俯いていた顔が、上がる。呼ばれたように。




いっさいが、寸前までの怒りの焔で焼き尽くされたかのような無垢な表情で、真っ直ぐ、門前の御門を見遣った。




月光の下。

思わぬほど端正な面立ちに、息を呑む。

薄い唇が、微かに開く。そして。




「ああ」




肯定。


声。態度。なにもかも、静謐。直後。





「―――――愉快!」

楽しげな声が、にわかに、大気を爆発させた。御門。彼が。






「待ちくたびれ申した、今か今かとお帰りをお待ち申し上げておりましたのに! よりによって、死のうとした夜、ああ、今宵とは!」






笑っているのか。

泣いているのか。


複雑な、声の響き。


「すまんな、幼子たち、死ねなくなった」

言いながら、彼が見つめるのは、ただ一人。

彫像のように、佇む少年。


彼に向って、斎門は腕を広げた。






「お戻りになられたのだ、いにしえの方が!」






月光の中、見えた掌は、小さい。

老人の手。にしては、みずみずしい。


幼子のように。


すぐ、影の中にそれはひっこめられた。隠れてしまった。やがて。

西の斎門の最高位に立つ男が、頭を下げた。影の中、恭しく。

「舞台は整っております」


不意に、声調が反転―――――真摯に告げた。




「お帰りなさいませ」




声ににじむのは、狂喜。狂わんばかりの、喜悦。



手を斬り落とされようと決して離さぬと言わんばかりの、執念に近い声音で彼は告げた。















「ようこそ、時の果てへ」








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