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封神草紙  作者: 野中
第二部/第四章
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第六撃 取りこぼさずにすんだもの

× × ×











まだ、夜は明けていない。

別邸の、離れ。

人払いされたそこに、安静のためにと運ばれ、横になっていたはずの清音が、いつもの男装姿で廊下を歩いていた。

急ぎ足で、ところどころ部屋を覗いて歩く。


彼女は、人を捜していた。



義孝を。



清音は、半分泣き出しそうで、半分怒っている顔でのし歩く。

頭の中が、まだ混乱していた。

(…だって、)

先刻、清音は聞いた。

八雲から。

―――――刀馬が死んだ、と。


そのとき、花陽のことも聞いた。いなくなった、と。

だが、彼女のことだ。きっと、生きている。

したたかに、しあわせのために、歩き出してくれるだろう。

それこそが、清音に対する償いになると、いつか気付いてほしい。


けれど。―――――刀馬は。




…もう、戻らない。




「…こんなのってないよ…」


無意識に零れる呟き。

義孝には、鬼彦が報告に向かったらしい。つまり、彼ももう、それを知っているのだ。

そばで眠っていた清貴を八雲に任せ、清音は部屋を飛び出した。


義孝を捜して大分経つのだが、一向に見つからない。

彼も、この離れにいるらしいのだが。

「もう、どこにいるんだよ…っ」

心配のあまり、苛立った声を放つ。

見つけたところで、どうできるつもりもない。

だがとにかく、清音が目覚めて、元気で歩いているところは見せておいたほうがいいと思った。



悪い報せばかりではないのだ、と言いたかった。



聞けば、義孝はひどく清音を案じてくれていたらしい。

というのに、清音は目覚めて、まだ義孝と話をしていない。

―――――きっと、また彼は独り、じっと傷の痛みに堪えている。

義孝のそういった性向は、野生の獣が、巣穴に篭り、周囲を警戒しながら傷が癒えるのを待っている、そんな様子に似ていた。


捜して、捜して。


まだ暗い中、裏手の建物に向かった清音は、回廊を大股に横切る。そのとき。




「お嬢ちゃんじゃないか。…驚いたな」




向かう先から、のんびり歩いてくる、長身の人影が、清音を認め、呆れた声を上げた。

「なに元気に歩いてんだ。跳ね回っていい状態じゃないだろ」

「…和泉さん」

こんなときにも、宗親の声は、あくまで軽い。


「なにせ、―――――アンタの寿命は半分、ごっそり削られてんだぜ」


というのに。

ふ、と怯む清音。

(…なに?)

なぜだろう、今、なにか。

宗親はたった今、自分の言葉で自分に消えない傷を刻み付けた―――――そんな凄惨な気配を感じた。




実際に血を流すより、どこか酷い痛みの気配。




周囲は暗くて、宗親の顔は見えない。

だから余計、彼の心が、誤魔化しなく声に乗って響くのだ。

気圧された心地で、立ち止まる清音。彼女を尻目に、回廊から降りる宗親。まだ星の瞬いている空を見上げた。

それは一瞬で、すぐに顔を、正面に戻す。

清音から見れば、向こうを向いたまま、項に手を当てた。

「その様子なら、もう知ってるんだな」


「…楠木さんが、」

声を喉に詰まらせる清音。

『死』という言葉の不吉さが、今は怖くて堪らない。


「―――――アイツさぁ、本の虫」

突如、投げ出すように、宗親は声を放つ。

「文官の資格、持ってたの知ってるか? 実際、何年か、その仕事にも就いてた。なのに一介の教師、―――――収入が不安定で圧倒的に利の少ない学者の地位を選んだ。…なんでだと思う?」

清音は首を横に振った。

ただ、刀馬はいつも楽しそうで穏やかで、研究の方が好きなのだろう、と勝手に思っていた。

(…違うの? なら、)

「―――――分からない」


宗親はやはり、清音を振り返らない。

淡々と、言葉を紡いだ。

まつりごとに関わってるとな、正常な感覚が麻痺していくんだよ」

宗親は、大きく息を吐いた。ため息。白い息が流れる。




「人間に顔がなくなって、数字で判断するようになる。土地を記号で見る。紙の上の情報。たった、それだけの意味しか持たなくなる。数字のひとつひとつに顔があって風景があって、…ちゃんと血が通っているものだと、…分からなくなるんだ」




清音は目を瞬かせた。宗親が何を言いたいのか、分からない。

(楠木さんのことを、話しているんだよね…?)

彼が言ったような感覚は、清音には理解できない。なにより、そんな感性を、あの刀馬が持っていたとも思えなかった。

ついていけない清音には構わず、汚いものをさっさと吐き出したがっているように、宗親は続ける。


「そんな中で、な。本の虫はある書類に確認の印を押して、通した。その書類には、他の高官たちの印も連ねられていて…まだ若かった―――――いや、幼かったアイツは、ろくに見もせずに、考えもせずに、右に倣った。いつものこと、慣れた作業のひとつ、だったんだろう」

そこではじめて、やりきれないように、宗親の声に曇りが生まれた。

「多くは最高機密書類で、城の書庫の奥に眠っているが…、本の虫にとっては曰くつきの、一枚がある。内容ってのが、な」

ふと、宗親は呻くように声を絞る。






「隣国が攻め入ったあの日、攻め入られた近隣の村落をどうするか、その意向を定めるものだった」






―――――それが、どういう意味を持つのか。


ゾッと清音は総毛立った。

嫌なものを振り払うように、宗親は、首を横に振る。

「―――――本の虫はそれに、気付いちまった。…そのとき、アイツは狂ったんだろう。少し、だけ」


あのとき、王母はなんと言ったか。刀馬に刃を突きつけられたとき。




―――――あのひとも、随分あとになるまで気付かなかった、と言ったら、…信じてくれるかしら。




あのひと。東州王・先代。彼女の夫。


次に、義孝の姿を思い出す。執務室で彼が処断する、数多の事柄を。

あれほど膨大な量を処理する立場にあるものが、細部にまで気を配っていられなくなるのは、分かる気も、した。最初に宗親が言ったような精神状態になるのも、仕方ない、…そんな、気も。だが。

「ひどい…」


清音は泣きそうになる。


そういった仕組みだ、仕方ない、自分が携わっていることがどういう職務か分かっているなら、耐え切れないほうが悪い、――――――そう、言う人もいるだろう。だが。






政の仕組みがどれだけ情を排除したものだろうと、それを動かすのは、結局人間だ。






刀馬の身に降りかかった運命は、清音から見れば、あまりに酷かった。

宗親は振り向いた。

月光の中、ホッとしたように、清音を見る。

「あー…、うん。そうだ、―――――そうだよな。…ひでぇよな」

まるで自分に言い聞かせるように、宗親は呟く。


「そう感じるのがまともだ。…でも時に、こっち側に立ってると、―――――何がまともか分からなくなる」


「…『こっち側』?」

宗親は答えない。ただ、苦笑。そして、清音に向き直った。

「アイツは、やさしいヤツだった。…だから、な?」

真摯に続ける宗親。

「誰かに、アイツを殺させるわけにいかなかった」

誰か。

それはおそらく。


―――――義孝と、八雲と、鬼彦。この、三人のこと。




「無気力商人は割り切るのが上手だ。だから、殺すことは、殺せたろう。けど、…きっと自覚なく壊れる。心が。アイツのこと、気に入ってたからな。―――――石頭小僧も、命令されりゃ、殺したろう。主人への忠義第一の教育を受けて育ったヤツだ」

仲間のことを語る宗親の声は、冷静そのもの。

だが双眸に満ちるのは、痛ましさ。


そして紡がれるのは、誰より、彼らのことを理解した台詞。


「けどな、忠義の道を選んで進んだのは、確かに石頭小僧自身だが、それは心の底から渇望したものじゃない。ただ、『そうあるべき』と望まれ、真摯にその望みに応えた結果に過ぎない。…石頭小僧はまだ未熟で、―――――実のところ、まだなにひとつ自分で選び取ってないんだ。…なのに、忠義ゆえに、とあの場で本の虫を殺してたら。きっと、将来ひどい歪みになる。石頭小僧は純粋だ。その分、虚偽には本能的に、過敏な反応をする」


そこで、言葉を区切る宗親。




義孝のことは、言わない。代わりに、清音を真っ直ぐ見つめた。

「そうならなかったのは、お嬢ちゃんのおかげだ。お嬢ちゃんのおかげで、最上の結果が導き出された。―――――ありがとう」

万感の思いがこもった、感謝の言葉。その響きに、偽りは欠片もない。


清音は微笑む。彼女も、心底から思った。



よかった。



完璧な、結果ではなかったけれど。手の届かなかったものも、多いけれど。






取りこぼさずにすんだものも、確実に存在する。






清音の、微笑みに。

宗親は、痛みを堪える表情になった。

「…どうしたの?」

気付き、顔を曇らせた彼女に、どうにか微笑みながら、宗親は低い声で告げる。


「――――――もう、気付いてるんだろ?」


彼はその長身から脱力したように力を抜いて、そのくせ、何かを待つように、回廊の上に立つ清音を見ていた。

清音は目を瞬かせる。宗親は促すように言った。

「確かに、失われたものも多いが、救われたものもあった。その代償は、―――――なんだった?」

ため息混じりに告げる、宗親。




「お嬢ちゃんの、寿命。…だろ?」




宗親の屈託に、ようやく合点がいった。清音は目を見張る。

神と対峙した、昼間。

清音が動けたのは。

宗親に、教えられたことがあったからだ。

だが、それは、…逆を言えば。






「オレは知っていた。神と同調すれば、お嬢ちゃんは死ぬ―――――昨日の夜まで星は、確かにそう告げていた」






宗親は、―――――分かって、いて。

仕向けたのだ。清音がそう、動くように。


清音は思い出した。

神を殺す方法を尋ねたとき、宗親が見せた表情を。

彼が見せた、強い後悔。

あれは、これから起こることに対して向けられたもの。



あの時からきっと、宗親は何もかも知っていた。それを思い知らせるような、宗親の声は平静。



「けど、お嬢ちゃんの死と引き換えに、神は暴走をやめる―――――それは、確実な未来だった。お嬢ちゃんが生き残ったのは、…運が良かった。それだけの話だ」


それでも。

清音に、怒りはない。ただ。

―――――未来を知る、そのことの意味を悟った。

(…辛い、な)


だが、同情など間違っているだろう。

宗親は、自分の力を、まるごと受け入れ、そこに立っていた。

だからと言って、感謝も違う。

彼のおかげで清音は動け、結果的に死にもせず、義孝たちも助かったが、宗親はそんなもの、唾棄するだろう。むしろ、自身への蔑みを深める。




ならば、清音の心にある、何を告げればいいか。









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