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封神草紙  作者: 野中
第二部/第四章
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第二撃 来たれ

…花陽は、深呼吸。


―――――ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…


回数が重なるたび、空気の色が異質に、濃く重くなっていく。

異常なほどに澄み、景色が瞳に濃い色をにじませた。

なにがはじまるのか。

その空気を、清音は知っていた。


あの日。


闇色の獣と化した神。

あの獣がまとっていたものと、よく似ている。

―――――来るのだ。

だが、どこから。

思うなり、


「来たれ!」


花陽が叫んだ。

その細い身体のどこから、と思うほど、厳粛で大きな声。

「舞うは神楽、鋼の音曲」

だが、花陽の声は、涙で濡れていた。


「…開け放たれよ、夢路の扉!」

そのとき。



花陽の胸元から、ずるり、透明な何かがもがくように顔を出した。



目に、はっきりとその姿が映ったわけではない。

ただ、確かに、周辺の空気が歪んだ。

身近で、落雷でもあったかのように、皮膚が痺れる。誰もが、総毛立った。

苦悶の表情で、息を詰める花陽。

その胸元に、変化はない。だが、確実に、そこから何かが現出しようとしていた。

―――――いくら目を凝らしても、見えない。しかし。


刹那。


あがる、笑い声。

周りを殴りつけるような、それは。

…義孝が放ったもの。

口元をつりあげ、同席した叔父を睥睨。―――――明らかに、見下した態度で。


「ふん、座ってりゃ…動かなけりゃカタはつく、か。なるほど?」

通常なら、義孝の眼光に竦み上がる。秀嗣は、突き放すように、鼻で笑った。

「無力を噛み締めながら、逝くがいい」

神は、義孝に執心している。秀嗣は、それを刀馬から聞いて知ったのだろうが。

この状況下で、どちらの胆力も図抜けている。

義孝は心底莫迦にした声で応じた。


「ハッ、まだ分からないぜ?」

「…なに?」




「たかが犬一匹に噛まれた程度で、俺が死ぬとでも?」




義孝は、どこまでもあかるい自信に満ちている。

しかも。

―――――たかが犬一匹。

神を称する言葉ではない。だが。


竦みそうになっていた清音は、痺れたようだった身体に力が戻ってくるのを感じる。


慎重に、手指を動かした。

義孝の言葉は、虚勢、ともとれる。実際、そう判断するのが正しい状況だ。

とはいえ、義孝を知るものは、過たず悟った。

本気だ。彼は。




本気で、負けるつもりはない、と言っている。




打つ手なし。


認めながら、最後の一瞬まで勝負をあきらめない姿勢。

…そうやって。


―――――きっと、彼はそうやって、今までも生き抜いて来た。


その、強さに。

優位であるはずの秀嗣の方がたじろいだ。のみならず。



勝負の前から打ち負けそうになっていた周囲の者たち全員の心に火を灯す。



(そう、まだ)

清音たちは、負けていない。

たとえ、神が相手だろうと。

「それによ」

義孝は、慎重に花陽を見据えた。

「もし、俺が負けたとして。その後、自由になった神をどうする気だ、叔父貴」

―――――そうだ。


清音は、肝が冷えた。

神が義孝に執心しているのは事実だが、もし、神の念願がかなったなら。

そのあと、神はどう動くのか。

紡ぎ人がいれば、御することは可能なのだろうか?

そのとき。


生き残る術を探る清音の視線と、目を開いた花陽の視線が、真っ向からぶつかった。

既に、花陽は迷いない。

ただ殺意でもって、清音を射抜いた。正面から、受ける清音。

とたん。

花陽が膝を突く。


―――――花陽は、夢路の扉、と言った。


おそらくは、それが閉じたのだ。

状況からして、花陽は。



(神の棲む夢蔵と、自分を繋いだ…)



これが紡ぎ人の力。だが。

きっと、紡ぎ人ばかりでなく人の夢路も、神とつながっている。神―――――即ち世界と。

ただ、紡ぎ人は、人と違って、それを自在に操ることができる。

違いらしい違いは、それだけの、ことなのだろう。

こうなっても、清音は、花陽を嫌いになれそうになかった。

(今は、)

―――――敵、否、…脅威、なら。


眼前に、あった。


青空の、下。

突如自由になったことで、戸惑いがちに、何かが身震いする気配を感じる。

巨大だ。

あの夜見た、闇とは、比較にならない。

相変わらず、姿は見えなかった。だが、圧倒的。

そして、その存在の足元にある土に、奇怪な足跡が六つ刻まれていた。


…見えないことは、逆に幸いだったかもしれない。

ヒュン、空を裂いたのは、尾だろうか。

突如充満した生臭さは、おそらく、吐息。

誰もが息を潜める中、『それ』は周囲をうかがい、―――――ふと、動きを止めた。

誰もが一斉に、義孝を意識した、そのとき。




――――――耳を聾する咆哮が、天へ轟いた。刹那。




土が蹴られ、尾を引いた咆哮の行き付く先には。

義孝は、怒鳴るように叫んだ。



「清音!!」



神の牙が、真っ先に剥かれたのは、…清音。

咄嗟に清貴を突き飛ばす清音。残雪を掴む。

残雪を狙っての行動か。それとも、一度、刃を浴びせた清音を覚えていたのか。

否。

清音は、昨夜の、宗親の言葉を思い出す。

―――――神は、義孝を同類と思っている。

だから、義孝を狙うのだ、と。ならば。


神は本来、神を欲するのだ。自分と同じ存在を。

これまで残雪を避けていたのは、不完全な状態では明らかに敵う相手でなかったから。

だが、今は。


神は、気付けば清音の眼前に迫っていた。

あの夜まで、神は残雪に怯えていた。

今や、獲物と見做している。のみならず。

―――――神は、東州王を狙うはず。

状況についてこれない侍女たちや護衛官のみならず、義孝たちも、唖然としている。清音の視界の隅に、それでも駆け出した義孝が映った。そして、もう一人。

…たった、一人だけ、この状況下で、冷静に周囲を観察している人物が見えた。


和泉宗親。


清音の脳裏に、彼と交わした言葉が閃く。




―――――魂を同調させるんだ。そうすれば、言葉を通じ合わせることならできる『かもしれない』。




神を殺す方法を知らないか、清音が尋ねたとき、宗親は知らないと答えた。が、神と言葉を交わす方法なら知っている、そう、言った。

しかし。

どうやればいいのか、現実と向き合ったとき、彼の言葉は抽象的過ぎた。

―――――それでも!

清音は、生臭い息の迫る眼前を見据えた。



それでも、やらねばならない。



言葉が通じるか否か、考えるより先に、行動だ。

清音の手には、残雪。

神宿る刃。

(…残雪、なら!)


以前、滅することはかなわなかった。しかし、神と神、通じるものは、あるはず。


身を捌き、清音が残雪を突き出したのは、反射。

腕を伝ったのは、刃が、何かに埋まる感触。

だが、やはり、滅するまでは至らない。

潰れそうな重さを全身に感じながら、清音は祈る。




(―――――お願い、届いて!)




刹那。

意思ともいえない意思が、脳裏に響いた。

それは、残雪が示す感情に似ている。

その声が響くたび、心臓を絞り上げられるような息苦しさに、清音は息を詰めた。


残雪と、ひいては清音とつながったその存在は、―――――半ば、狂っていた。否。




人間が、正常と判断する理が通じない、と言い換えたほうがいい。


まったく、存在も精神も、次元が異なる。




会話どころではない。

手綱が取れていない意思に小突かれながら、それでもどうにか、清音は訴えた。

―――――お願い、元の場所へ戻って。東州王はあきらめて。

とたん。

清音は、もう、どうにもならないことを悟った。


東州王、その言葉に、神はいっそう、荒れた。

ちっぽけな清音など、簡単に吹き飛ばされそうになる。


…できるなら。

殺しあわずにすむ方法があればいい、と清音は思っていた。しかし、これでは。

―――――無理だ。

清音ははじめて、心の底からあきらめた。

神の説得を、だ。


手段なら、まだ残っている。


清音の顔が、泣き出しそうに歪む。できれば、使いたくない手段。けれど。



なにもせず、死ぬつもりなど、ない。



清音は顔を上げた。神が、警戒したように唸る。

身近な気配に意識を向ければ、彼は、しずかに機を待っていた。

清音は不敵に微笑む。

「…言っておくけどね、御神刀は、」

同調していた神の魂目がけ、

「―――――残雪だけじゃ、ないんだ!」

強い意思を、清音は残雪越しに叩きつけた。


獣が痺れたように、動きを止める。

清音は、残雪を引き抜きながら、転がるようにその場を離れる。

相手が見せた隙は、一瞬だ。

だがそれが、致命的。

間髪いれず、清音は、絶叫。

「清貴!!」


呼ぶや否や。




―――――――、ンッ。




太刀が豪風のように振りぬかれた。




時雨。




その、常軌を逸した勢いからすれば、冗談のように、地上で、ころん、と軽く転がる清貴の身体。

弟が、転がっている間に。


竜巻めいた暴威が、庭を席巻。


一瞬のことで、幻のように失せたが。






あがる、土煙。転ぶ人々。折れ倒れる木々。千切れ飛ぶ花弁。






清音も、もろともに押し倒されながら、思う。

―――――本当は。

避けたかった。

弟に、また、罪をかぶせることだけは。


…世界に神は、数多存在する。

だが、世界の絶対者を一体とはいえ、その手にかける罪深さはいかばかりだろう。そして、結果世界が被る影響は。

すべては、清音一人で被るつもりだった。それでも、結局。


―――――後悔ばかりの清音の意識が、遠ざかる。

身体が、泥のように疲弊していた。

気付き、思い出す。宗親の言葉を、もうひとつ。


―――――神と同調させた魂は、蝕まれる。神の巨きさに耐え切れず…寿命が削られる。


義孝と清貴が駆け寄ってくる光景を最後に。

清音の意識は闇に呑まれた。









読んで下さってありがとうございました!

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